セオルド視点 12
セオルド視点のエピローグ
自宅療養中に王女殿下の近衛を解任された。
回復するまでの暫定的な処置らしいが、辞任ではなく解任なので経歴に汚点として残る類のものだ。
「風の噂であまえんぼうねこちゃんに番ができたと聞いたわ。次のお茶会に連れていらっしゃい。歓迎するわ」
救護室に見舞いに来てくれた王女殿下には最初こそ申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、その気持ちは開口一番で明後日の方向へと投げ捨てた。
おままごとさえなければ、王太子殿下よりもよほど仕えるのが楽な相手なのに。本当に、切実に、おままごとさえなければ……。
騎士団からは大目玉を食らった。本来なら懲罰委員会にかけられるところをカレンの一言で救われたらしい。
本当に、たった一言。
「俺が指示した」
それだけで始末書と反省文を書かされて、回復したらしばらく減給された後、元通り。
上層部は完全にカレンの言いなりなのか。それとも王太子殿下がすでに騎士団を掌握済みなのか。あまり関わりたくないので考えないことにしている。
結局のところ、僕が動けない間にカレンと王太子殿下が侯爵を失脚させていた。
アリッサに看病されるという至福の時間を過ごしていた僕には寝耳に水だったが、仕事の早いことで、と嫌味のひとつくらいは言わせてほしい。
カレンがあのとき加勢に来たのは、偶然でも気まぐれでもなく、あのタイミングで捕らえていた侍従の証言によって、アリッサが狙われていることを知ったからだと言った。
侍従はカレンの部下らに押さえつけられながらも、カレンに向かって勝ち誇りながら嘲笑したそうだ。
「これで勝ったと思うなよレオナルド・カレン! かわいそうなおまえの妹は、今頃あいつらにおもちゃにされて殺されてるだろうな!」
実際におもちゃにされていたのはアリッサではなく僕だったし、それを聞いたカレンは不快そうにしていたが冷静だったと、彼の部下たちはキラキラした尊敬の眼差しで語っていた。
カレンは狂った様に笑う侍従に、まるで珍獣でも見るような目を向けて、真面目腐ったいつもの口調で対応したらしい。
「なぜ見てもいないものを、さも見てきたかのような口振りで断言できるんだ?」
本気で理解できないというカレンに、喚いていた侍従は言葉を失ったらしい。
カレン慣れしていないやつは、まず最初にその洗礼を受けることになる。なにを言っても暖簾に腕押し、毒気を抜かれて、心を折られて、そして最後に畏怖が来る。
普通の精神を持った人間ならば、妹がひどい目に遭っていると聞けば憤るし、真実かどうかなど二の次で妹を助けに向かおうとするだろう。
人は、理解できない相手を前にすると恐怖心を抱く生き物らしい。
カレンが非情な人間ではないということは、やはり近いところにいる人間にしかわからないことで、なんの準備もしていないところで妹を拐われたら即座に救出に向かうだろうことは僕にでも想像がついた。
だが今回は事前に僕という布石を打ってあったことで、侍従の言葉を真に受けなかったのだろう。その信頼は歯痒いよりも重いし、寝不足で危うくしくじりかけたことを知ったら殺されそうだ。この秘密は墓場まで持って行こうと思っている。
そしてその後も似たような問答があったらしく、ぽっきりと心を折られ大人しくなった侍従を牢に入れたところで先輩からの情報を得て瞬時に状況を把握。事を起こしている最中なら全員まとめて捕らえる好機とばかりにアジトに踏み込み、副産物でぼろぼろになった僕を見つけたらしい。
助けられたのは本当におまけだった。
その後、僕を救護室に運ぶ指示を部下に出し、侯爵家へと乗り込み、王太子暗殺未遂の証拠と侍従の証言を突きつけ、アブゼル侯爵の心も王太子殿下と一緒にへし折ってから、アリッサを連れて僕の元に来た、と。
あえて動くときを待っていたのは知っていても、そのあっけない終わり方に乾いた笑いしか出て来なかった。
助けられたことに感謝はするが、やはりカレンには勝てる気がしないと打ちのめされている横で、看病中のアリッサがしょりしょりと手早く正確なナイフ捌きでりんごをむき、フォークに刺した一切れを口元に差し出してくれたので、カレンのことなど瞬く間に忘れ去った。
アリッサの行動は怪我人相手にする看病の一環だが、あーんはあーんだ。
これが怪我の功名というやつか。怪我してよかったと思う日が来るなんて。
肋骨がぽっきりいってしまったらしいが、肋骨など放っておけば勝手にくっつく。クッションを背になんとか身を起こしている風を装いつつ、アリッサが疑いはじめるまでしばらくはこの至福の時間を存分に楽しみたいと思っている。
あーんで食べさせてもらったりんごを一口かじり、幸せごと噛み締める。
アリッサをあまやかすのももちろん好きだが、あまやかされるのもこれはこれでいい。すごくいい。
「まだいっぱいあるので、早く治るように、たくさん食べて栄養をつけてください」
アリッサはそう微笑んで、またりんごをむく。
病気ではないのでたぶんなにを食べてもよくはならないと思うが、わざわざ否定することでもないし、王女殿下からの見舞いの果物は悔しいがおいしかった。
今回の一件の顛末をなにひとつ知らされていないアリッサには、カレンとぎすぎすしながら話し合った結果、当たり障りない部分、つまり僕が任務をしくじって負傷したことだけを伝えてある。僕の名誉……じゃなく、機密に関わることだから、詳細はもちろん秘して。
例の偽カードや女装の件など、聞きたいことはたくさんあるだろうに、頭を打ってよく覚えていないとごまかしたら、アリッサはそういうものかとあっさり納得した。本当に聞きわけのいい子だ。
それどころか、記憶喪失にならなくてよかったと、今も甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている。
そう簡単に記憶喪失になるものか甚だ疑問だが、頭を打って記憶喪失になるのは定番なのだと、よくわからない持論を展開していた。
アリッサが言うには、愛している人ほど忘れてしまうものらしい。
アリッサのことを忘れるとは思わないが、それ以外のことは忘れる自信がある。
だから、人が寝ている間に包帯に落書きしていったやつらのことは全員綺麗さっぱり忘れることだろう。
「セオ様って、騎士団の方たちに愛されていますよね……」
アリッサが眺めているのは、今僕の頭や体に巻きつけられている包帯だ。
そこに書かれた落書きのほとんどが、変態だの爆発しろだの罵詈雑言で、どこをどう見て愛を感じているのかわからないが、親しさゆえのものだとは思っている。
額の包帯に「俺の気苦労を返せ!」と書いていったのは間違いなく先輩だろう。包帯に触れながら小首を捻る。
「愛かな、これ。アリッサと結婚するって言った後だから、たぶん僻みだよ」
先輩をはじめ同僚たちは時間の空いたときに見舞いに来てくれたが、からかい目的だったに違いない。顔が相当腫れていたので、別人じゃないかと爆笑された。執務室での一件の腹いせもあるだろうが、こっちは怪我人なのに容赦ないところが騎士らしい。
侯爵の失脚や懲罰委員会のあれこれで、カレンと極秘裏に手を組んでいたことが団内に広く浅く知れ渡ってしまったので、僕がアリッサを構っていた理由をみんなすでに察していた。
そういうことなら仕方ないな、という和やかな雰囲気になったところで、待ったをかけた。そこで納得されては困る。
「アリッサとつき合ってるのは嘘でも演技でもないけど? もうすぐ結婚するし」
その時の彼らの顔といったら……。
思い出すだけでも笑えてくる。
そのせいで目が覚めたら文字だらけの化け物になっていたわけだが。
「早く包帯を替えたい」
「でもたぶんそれ……洗って消毒して乾燥したら、また二、三日後に返ってきますよ?」
「じゃあ、燃やそうか」
「備品なので、たぶん怒られますよ? それに、せっかくのお見舞いの言葉なのに……」
ただの落書きなのにアリッサにとっては違うらしい。無性に愛おしくなって抱き寄せて頰に唇を寄せると、彼女は真っ赤になって視線をさまよわせた。
恋人らしいやり取りにまだ慣れないところが初々しくてかわいい。想いを受け入れてくれてからは、どうしてもスキンシップが過剰になり過ぎて困る。結婚するまで、我慢できる気がしない。
「同僚の男たちからよりも、恋人のアリッサからの愛がほしいな?」
これまでずっと、嫌われてはいないだろうがつき合い自体は僕に脅されてのことだと思っていたから、想いが通じ合ってからというもの、こうして彼女の気持ちを試すような言動を繰り返してしまう。もちろん、ちゃんと彼女が断れるように冗談めかしてだが。
アリッサはおずおずと、それでも自分の意思を持って、僕の腫れていない方の頰に顔を寄せた。本当は唇にほしいが、それは完治してからのお楽しみに取っておこう。
「そういえば、ご両親からの手紙は届いた?」
結婚したい旨をお互いの両親に手紙で送っていた。彼女の両親の反応は正直気になるところだ。
「すごく喜んでいました。兄様の推薦なら間違いないって」
「カレンは親からの信頼も厚いね」
アリッサは困ったように眉を下げて、ちょっと遠い目をした。
「というか……うちは両親よりも兄様の方がしっかりしている家なので……」
そういえば、そうだったね。
結局一番の難関はレオナルド・カレンだったわけか。
「セオ様の方はどうでしたか? ……反対されませんでした?」
「全然。むしろ、諸手を挙げて喜ぶ手紙が届いたよ」
王太子殿下に会うついでに見舞いに来た正直な妹から、直接その手紙を受け取った。妹はなにも言わなかったが、殿下からの口添えがあったことを察せないほど腑抜けてはいない。
いろいろ書いてあったが、要約すると王太子殿下の信頼の厚いレオナルド・カレンを身内にできることを喜ぶ手紙だった。これで騎士団を掌握できたも同然だ、という。
せっかく祝福してくれているのであえて水を差すことはしないが、掌握したのではなく、されたのだ。
王太子殿下はちょっと調子に乗っている公爵家をいい気にさせたままで、警戒させずに動向を把握して監視しておきたかったのだろう。
レオナルド・カレンの名は、いわば餌だ。
カレンが身内になるというだけで騎士団を掌握したつもりになって満足するような人たちなので、門外漢の内情にまで口を出して来ることはまずないだろう。
殿下の懸念がどこにあるか薄々察してはいるが、両親や兄姉を殺して公爵家を継ぐ未来だけは回避したいと思っている。
王太子殿下に手懐けられている妹はもちろん、これまでは蚊帳の外で傍観していた僕も、王太子殿下に完全に取り込まれるだろう。王家ではなく、王太子殿下個人に。
あまり考えたくないが、もし今後、王太子殿下か公爵家か選ばなければならない局面になったとき、身内を切り捨てる決断をしなくてはならない。
逆らうつもりもないが、逆らえるはずがない。自分の一番大切なものがなにかを行動で示してしまったのだから。そこを確実に突いて来る。……レオナルド・カレンとともに。
実はすべてが予定調和で、殿下は最初から公爵家の監視役がほしかっただけなのかもしれない。利用されていたのはアブゼル侯爵で、僕は殿下の手のひらで踊らされていただけなのだとしたら――。
いや……考え過ぎかと詰めていた息をゆっくりと吐き出した。ただでさえ痛む頭を、これ以上酷使してもいいことはない。
「セオ様……? 疲れましたか?」
黙り込んだ僕を、疲れたと誤解したらしい。アリッサに背中のクッションを取られて、そのまま背に手を当てられて、ゆっくりと体をベッドに預けるように寝かされる。
身を引こうとしたアリッサの手を反射的に掴んで、指を絡めた。口元に寄せてリボンの結ばれた薬指に、微笑みながら口づける。
完治したら、もう一度きちんとプロポーズをしよう。
指輪も用意しなければ。
考えることはたくさんある。どうせなら楽しいことを優先させた方が有意義だ。
「アリッサ」
「はい」
「僕のこと好き? それとも、愛してる?」
冗談めかして訊いてみた。
絶対嫌いと言われたくなくて、少しも迷ってほしくなくて、いじわるをしたあの二択。
彼女は頰を薄く染めながら、僕の目を見て迷いなく口を開いた。
僕は僕を喜ばすその答えに、痛みも忘れて破顔した。
END
本編はこれで終わりですが、まだちょっと続きます
よろしければ最後までお付き合いください