表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

26/36

アリッサ視点 15

アリッサ視点に戻ります




 空が白みはじめた頃、ドアの向こうがにわかに騒がしくなった。


 まんじりともせずソファで膝を抱えて待っていたわたしは、はっとして顔を起こした。


 ガチャ、とドアノブが動いた音がしたが、ドアが開くことはなく、少ししてから鍵が開けられる音が続いた。警戒心露わに立ち上がって身構えていたが、入って来た人物の顔を見て深く安堵した。


 そこにいたのはこの部屋の主、兄様こと、レオナルド・カレンその人だった。


 黒い艶やかな髪はやや乱れていて、なにやらいつも以上に目つきも鋭いし、上着に黒いしみがいくつか飛んで妙に鉄臭いが、最後に会ったときと変わらない様子に自然と笑みが広がった。


「兄様!」


 久しぶりの再会に弾んだ気持ちのまま駆け出した足は、兄様の物言いたげな視線によって、その場に縫いとめられた。


「その格好はなんだ」


「あっ」


 そうだった。わたしは今、セオ様の上着だけを着て足をさらけ出した、非常に破廉恥な格好をしているのだった。しかも兄様の執務室で、だ。


 咄嗟に言い訳も思いつかない。


 他の騎士の人たちから、セオ様と部屋に篭ったという表面的な事実を聞いていたら、兄様の中でのわたしの評価が出来損ないの田舎娘から、恥知らずの淫乱娘に成り下がる。それはまずい。


「こ、これは……その……あの……」


 視線を彷徨わせながらもぞもぞと裾を引っ張るわたしに、兄様はすっと冷ややかに目を細めた。めちゃくちゃ怒ってる!?


「違っ、違うんです! これにはわけが! 深い、海よりも深ーいわけがあって!」


「海よりは深くないだろう」


 冷静に返された。真顔で。


 兄様だ。この感じ、ものすごく兄様だ。懐かしくて涙が出そう。


 その冷静さに引きずられたのか、わたしも幾分か落ち着きを取り戻した。


「……海よりは深くなかったです」


「そうか。わかったのなら、これに着替えなさい」


 兄様に手渡されたのは新品のワンピースだった。生地は上等でも、フリルやレースといった装飾がないところが、いかにも兄様が選んだものという感じがする。


「これって」


 こんな時間に開いているお店はないから、前もって買ってあったのだろうか。


 兄様は意味なく贈り物をするようなまめな人ではない。


 実はこれは兄様からの就職祝いとかで、全然会えなかったから渡しそびれていただけで、実はわたしが王都に出て来たことも歓迎してくれていた、とか?


 他人のふりをされていたと思っていたけれど、わざとではなく、職務に没頭するあまりわたしの存在すら見えていなかったのだとしたら。


 それなのに、わたしはセオ様相手に愚痴めいたことを言ってしまった。


 顔向けできずにいると、兄様がため息をついた。


「早く着替えて行くぞ」


 えっ、どこへ?


 セオ様は自分か兄様が来るまで待っているように言いつけて出て行った。


 だから兄様が来た今、わたしはこのまま兄様について行けばいいのだと思う。


 急かされ、もたつく手で着替えながら、わたしが考えていたのはセオ様のことだった。


 セオ様はどうしたんだろう……?


 問いかけるタイミングを掴みきれず、先ゆく兄様のなにも語らないその背中を追いかけて小走りでついていく。


 なにも説明してくれないことで、一歩進むごとに不安が押し寄せてくる。


 明け方の薄明るい廊下はひどく静かで、誰ともすれ違うことはなかった。


「あの、兄様」


「なんだ」


 振り返った兄様は遅れているわたしに気づき、少しだけ歩調を緩めてくれた。


 ありがたい配慮だったが、呼びかけた理由はそれではなかった。


「あの……その……」


 セオ様はどうしたのか聞こうと思ったのに、兄様がセオ様のことをどう思っているのかがわからないせいで、言葉に詰まってうまく切り出せない。


「いいからはっきりと話せ」


 面倒そうに促されたので、機嫌を損ねないうちに慌てて言った。


「セオ様はどうしたんですか? 今、どこに向かっているん――っ!」


 言い切る前に目的地に到着したらしく、急に立ち止まった兄様の背中に顔面から思い切りぶつかってしまった。


 ……うぅ、痛い。


 なのに兄様はびくともしなかった。体の作りが違い過ぎた。


 ぶつけた鼻をさすり、曲がっていないことを確認しながらなにげなく見上げた戸口の上に、吊り下がった鉄のプレートがあった。風でキイキイと揺れているプレートには、救護室、とそっけない単語が記されている。


 ここって……。


 息を呑んだ。ここは、医務室ではどうにもならない負傷をした騎士が運ばれる場所だ。


 そんなところになんの、用が……。


 ちらりと過ぎりかけた想像を打ち消して、なにも語らず勝手知ったる様子で入室していく兄様に足早に続くと、途端に消毒液の臭いが濃くなった。


 整然と並んだ簡易ベッドのひとつの前で、兄様はぴたりと足を止める。


 ひとつだけ埋まったそのベッドには、頭に包帯を巻かれた誰かが眠っていた。


 乱れた金色の髪を巻き込むように巻かれた包帯。毒々しい紫色に変色して腫れあがった左顔面と擦り傷だらけの右半分。そんな状態でも、かろうじて顔つきが判別できた。


 見間違えるはずがない。


 セオルド・マクニールが――セオ様が、痛々しい姿でそこに眠っていた。


 どくんと心臓がおかしな音を立てた。目で見た事実を頭が拒絶する。


 冗談には悪趣味過ぎる。無意識に首を横に振りながら、動揺のまま見上げた兄様からは感情が読めず、それでも、わずかにまつ毛を伏せ、悼むようにセオ様を見下ろしていた。


「嘘……なん、で……?」


 ほんの数時間前まで元気にしていたのに。


 呪いの言葉だって、最後まで言わせなかったのに。


 ぼたりと涙が落ちた。滑り落ちたなんて量じゃない大粒の涙がぼたぼたと床を濡らす。


 体にかけられた薄い掛布ごと彼に泣き縋った。


「セオ様っ、やだ、死んじゃ嫌っーー!!」


「勝手に殺すな」


 呆れ混じりにの兄様の突っ込みに、わたしは乱暴に揺すり起こそうとしていた腕をぴたりと止めた。


 おずおずとセオ様の鼻と口に耳を寄せた。規則正しい呼吸音が聞こえて、腰が抜けたのかへなへなと床に尻もちをついた。


「……生き、てる」


 てっきり、今際の際かと思った。


 よ、よかった……。わたしの方が心臓発作で儚くなるところだった。


「生きているに決まっているだろう。死んでいたら救護室ではなく、霊安室に運んでいる」


 兄様渾身の冗談というわけでないのはこれまでの妹として過ごした時間のおかげで十分理解できるが、その生真面目な返しが今は少し憎かった。


 兄様の表情がややこしかったのも一因なのに。なんで死者の冥福を祈るような清廉な空気を醸し出していたのか。間違って後を追うところだった。


 かろうじて生きてはいるが、それにしても、あまりにひどい状態だ。掛布の下は上半身裸なのか、肩から下にも包帯が伸びている。なにがあったらこんなひどい怪我を負うのだろう。


「なんでこんなことに……」


「なにも訊いていないか?」


「えっ?」


「いや、いい。……ただの職務中の負傷だ。それ以上の詳細は、俺から語るつもりはない」


 セオ様の名を騙った偽のカードや、わたしとの服の交換がどう仕事に関わっていくのかわからないが、兄様は一度決めたことは絶対に譲らない。話さないと決めたのならどれだけ懇願しても口をつぐみ続けるだろう。


 職務中の負傷ならば、もとより部外者のわたしに経緯など教えてはもらえないだろうし、セオ様にもなにも聞かずに協力すると約束した。


 どの道目の前のことで頭がいっぱいで、原因や理由を考えている余裕はどこにもなかった。


「すぐに、よくなりますよね? その……死んだり、後遺症とか……」


「しばらく安静にしていれば完治する」


 兄様がこうして請け負ってくれたのだから、見た目はひどいがきちんと治るのだろう。


 眠る彼の腫れていない方の頬へと手を滑らす。擦過傷でところどころ指が引っかかる。せっかくの端正な顔立ちが大なしだ。唇の端も切れて血が固まってしまっている。


 よくあるおとぎ話のように、キスをしたら目覚めたりしないだろうか、なんて考えていると、兄様がわたしの肩を軽く引いた。


「あまり傷口には触るな」


 わたしの口から変な病原菌を移すわけにはいかない。だけど心では納得できていなかったのか、掛布から出ていた手をきゅっと握った。剣を振る固くて傷だらけであたたかいその手の感触に、彼が生きていることを実感する。


 部屋には今、わたしと兄様しかいない。


 たぶんここに連れてきてくれただけでも特例措置なのだと思う。だってわたしはセオ様の家族ではないから。


「兄様は……知っていたんですか? わたしと、その……セオ様のことを」


 兄様はなにを今さらと言うようにわずかに片眉を上げた。


 あんなに噂になっていたのだから知っているのは当然のはずなのに、あまりにも音沙汰がないものだから、てっきりわたしの存在ごと忘れられているかと思っていたのだ。


 顔を合わせないとどう思っているのか不安になるが、やっぱり、会えばなんとなく伝わるものがある。兄様はわたしのことを忘れていたわけではないのだと。兄様なりに、妹を心配してくれていたのだと。


 その上でなにも口を挟んで来なかったということは、つまり、そういうことなのだろう。


「このまま一緒にいてもいいですか?」


 病室につき添うという意味でないことくらい、聡い兄様にはお見通しだったようだ。


「それは誰かの許可が必要なことか?」


 わたしは首を振った。許可を得る相手がいるのなら、それはセオ様の他にいない。


 兄様への当てつけでも、兄様や王女殿下のことが好きでカモフラージュのためだったのだとしても、それを丸ごと受け止めて騙されて泣いたとしても、わたしがいいのならそれでいい。


 だってわたしは、この人が好きだから。


 だから。


「早く起きて、元気な顔を見せてください……セオ様」


 繋いだ彼の手の甲を額に押し当てて、目を覚ましてくれることを祈った。




レオはベッドに横たわるセオを淡々と見下ろしていただけで、悼んではいない

アリッサのはやとちりで、ただの八つ当たり


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ