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暴力表現があります

ご注意ください





 普段使用人が使う通用口から城の外へ、顔を俯けながら足早に抜ける。


 アリッサは髪色こそよくある色合いだが、まっすぐではなくごく緩く波打っている。念のためにショールは肩に垂れ下がるかつらの上からもう一度巻き直した。


 あくまで女性の歩幅で、街にある自分の家へと足早に向かう。


 本来敵が呼び出したかった場所はそこだろう。あのあたりは閑静な住宅地で、入り組んだ小道が多い。静かなところが気に入っていたが、逆を言えば人通りが少なく死角が多いということでもある。


 人を拐うなら。その視点で考えるといくつか狙われそうなポイントの目星はつく。


 その中でアリッサとのデート中に通った道のりと重なる箇所をわざと通るように進んだ。


 なるべく体が小さく見えるように身を縮こめて、ショールを胸の前で握り締め、できる限りスカートの中で膝も曲げ気味にしているが、たぶん本物のアリッサよりもまだ上背があるだろう。


 狙われなかったら狙われなかったでも構わないし、アリッサが安全圏にいる以上、身バレしたところで問題はない。ただ、市民に被害を出すことだけは避けたいので、しばらくこのあたりをうろつき、警戒にあたることにした。


 いくつか想定のポイントを過ぎ、やはり無理があるかと諦めかけたとき、前後を複数の男たちに取り囲まれていることに気がつき、ゆっくりと口角を上げた。


 ――来た!


 あえて素知らぬふりで死角へと誘導すると、思惑通りに行く手と背後を塞がれた。


 男たちは顔を隠していなかった。その時点で、人質を無事に返すつもりなどさらさらないのだと理解した。


 はじめから殺すつもりだったか、殺さないにしても証言できない状態にする予定だったのだろう。物理的にか精神的にか、どちらにせよ。


 すでに怒りが頂点に達しかけているのを必死に抑えながら、怯えたように身を縮める。


「レオナルド・カレンの妹か?」


 こんな時でも妹呼び。


 レオナルド・カレン。本当に、罪深い男だ。


 兄のせいで拐われる予定だったなんていう残酷な真実など、あの子は一生知らなくていい。


 アリッサと呼ぶ男は、生涯僕だけでいい。


 声を出したら即終了なので、あくまでも恐ろしさで声も出ない振りを押し通し、あえて、首を横に振りながら後ずさる。はいそうです、などと正直に認める方がおかしい。


 前方に三、後方に二、どこにでもある荷馬車の荷台が道の先の曲がり角から覗いているから、そこに一、というところだろう。


 前方真ん中の男が仲間に目配せする。


 ――かかった!


 笑みを浮かべてしまわないよう、ショールを持ち上げて口元を隠す。


「手荒な真似をされたくないのなら、黙って俺たちについて来い」


 威圧感たっぷりにそう言った前方左の男に腕を掴まれた。間髪を入れずその腕を逆に掴み返すと、容赦なく後方へ捻り上げた。


 ぐあっ! と醜い悲鳴をあげた男の耳元で囁く。


「レディの扱いがなっていないなあ」


 一気に警戒した男たちの方へと、腕を拘束していた男を蹴り飛ばした。


「僕のアリッサに手を出そうとして、ただで済むと思うなよ」


 男の腰から抜き取った武器は切れ味の悪そうなナイフだったが、ないよりはましかといただいておくことにした。


 一対五。圧倒的に不利という人数ではない。カレンとの一対一に比べたら余裕なくらいだ。


 僕がアリッサでないことはとっくにバレているのだろうが、彼らが退く様子は微塵もない。口封じもせず逃げ帰るほど腰抜けではないようだ。


 ナイフを構えて向かって来る相手の勢いを利用して攻撃を受け流す。体勢を崩した男のうなじを打つと、そのままどさりと地に伏した。


 あまりに簡単に仲間がやられたせいか、まとめて襲いかかってくる男たちにちょっと面倒だなと思いつつ、順に捌いていく。訓練されていない無駄の多い動きは隙ばかりで、急所に一発ずつ入れていくと、地面に転がる男の数は五人になった。


 最後のひとり、馬車で待機していた男が自分たちの不利を悟ったのか、仲間を見捨てて馬車で逃げ出そうとするのを横目で確認して後を追う。そしてもたつきながらも走り出した馬車にうまく飛び乗ると、その荷台へと潜り込んだ。


 気づかれた様子はない。


 ……そうだ。そのままアジトに連れて行け。


 がたごとと揺れる体を抱えるように、ショールを胸元で握りしめ、息を殺しながら到着を待った。





 馬車が止まったのは、千八十二まで数えた頃だった。


 慌ただしく飛び降りた男の気配を見送り、念のためしばらく時間を置いてから降りたそこは、真っ暗な森の中だった。


 馬車での移動時間を鑑みるに王都から出てはいないだろう。北側にある王家所有の狩場のある森や、西の騎士団の演習で使う森とは雰囲気が違う。となると東にある市民に開放された森の外れ、というところか。


 夜目は利く方だが、見知らぬ場所で視界も悪いとなると、下手に動くと迷いそうだ。


 すり寄って来た馬に、黙っていてくれてありがとうと感謝の意味を込めて撫でてから、ここで一旦引き返すべきか荷馬車の周りをぐるりと回りながら迷っていると、苔むした地面を抉るようにいくつも足跡がついているのを見つけ、誘われるようにそちらへと足を進めた。


 さほど離れていない距離にあったのは古びた屋敷だった。人の手が入らなくなって数十年は経っていそうな、雨風に晒されて黒ずんだ外観の、陰鬱な洋館だ。


 ぽつ、ぼつ、と雨漏りなのか、上から一定間隔で落ちる濁った滴で、玄関口は水浸しになっている。


 一体いつから放置されているのか。こんな辺鄙な場所に家を建てようと思った酔狂な人間がいたことに素直に驚く。


 家主が死んだか、屋敷を捨てていなくなったのか、どちらにせよ、人目のない場所にひっそりと建つこの屋敷は犯罪者たちにとって、都合のいい隠れ家になったに違いない。


 外壁に沿って歩くと、ひとつだけ明かりの煌煌とした部屋を見つけて、窓のそばへと近寄った。壁に耳を当てたところで中の会話は聞こえないが、言い争っているようなくぐもった声が、建てつけの悪い窓の隙間から途切れ途切れに漏れ聞こえて来る。


 ここがやつらのアジトだろう。


 それさえわかれば、これ以上ここに長居する必要はない。


 そっとその場から離れようとしたとき、すぐそばの茂みが不自然にがさりと揺れ、驚いてそちらへと目をやった。くっと目を凝らす。薄く浮かび上がったシルエットは、予想外に小さな動物のものだった。


 三角耳にゆらゆらと揺れる長いしっぽ。暗がりでもきらりと光るふたつの目は、低い位置からこちらをじっと見上げていた。


 ね、猫……?


 森なのだから、動物がいてもおかしくはない。猫がいるのは不自然だが、どこに住み着いていようと、僕が文句を言える立場でもない。これが昼間で、たとえばピクニック中ならば、この邂逅を歓迎したかもしれない。


 だが、今はちょっと、間が悪い。


 もし鳴かれでもしたら……。


 慌ててポケットを探るが、当たり前だが猫の餌などあるはずもなく、どうにかして追い払おうと、しっしっと手を振ってみるが、くわりとあくびをする始末。


 人馴れしているのかとかがんで手を伸ばしたら、いきなり警戒体勢に転じて、フシャー! と唸り声を上げた。


 え、と思ったときには、すでに猫はその身を翻して走り去っていた。……間抜け面を晒す僕を残して。


 ……いや。


 いやいやいや、待って。


 背筋に嫌な汗が伝った。


 まずい、そう思ったが、ときすでに遅く、誰だ! という怒号のような誰何が聞こえると同時に、全開に放たれた窓を男たちが乗り越えて来るのを見て、猫への恨み言は後回しにして腹を括った。


 周囲をガラの悪い男たちに囲い込まれて、手燭を持ってきた男に顔を照らされる。眩しさに目をすがめた。


「こっ、こいつだ! こいつが、仲間をみんなぶちのめして……!」


 さっき逃してやった男に指を突きつけれ、偶然この場所に行き着いたように装うことは諦めざるを得なかった。


 何人いるかわからないが、さすがにこの状況で無駄な抵抗を選択するほどやけにはなっていない。あるかわからないが機を待つ方が、多少なりとも生存率が高くなるだろう。無抵抗のまま引き倒され、ひとりの男が縄を放り、受け取った男によって腕を後ろで戒められた。


 口は塞がれなかった。叫んでも無駄だからという単純な理由ならまだいいが、男の悲鳴を肴に酒を飲む人種だったらどうしようか。絶対に仲良くはなれないだろうことは確実だ。


 せっかく得たナイフも没収され、丸腰のまま拘束された腕を引っ張り上げられて、関節が軋んだ。顔を顰めたところで配慮などなく、歩けと背中を小突かれ、たたらを踏もうがお構いなしに引きずられる。なんとか転ばず体勢を立て直すが、今度は手を貸す振りをして体を触られそうになり、慌ててその男から距離を取った。


 動揺からついその男の顔を見てしまい、直後に後悔した。男の目は怪しげな熱を帯びていて、瞬時に全身の毛が逆立った。慌てて視線を外すが、本能が全力で警鐘を鳴らしている。


 ま、まさかの貞操の危機……?


 アジトに連れ込まれたが最後、綺麗な体で戻って来られないかもしれない。


 ……いやいや、きっと服装のせいで女だと誤解しているだけで。男だとわかったらきっと諦める。そう祈るしかない。……男もいけたらどうしよう。


 隙を見て逃げ出せればいいが、そこまで自分の能力に過信はしていないので、状況的に厳しいかもしれない。


 もちろん諦めはしないが。


 連れて行かれた家具のないがらんとした一室は、食べ物やビンの残骸などが散らばっていて、すえた不快な臭気が漂っていた。それでも、明かりのおかげで男たちの全貌が明らかになったのは大きい。


 はじめに思ったのは、思ったよりも人数は多くない、ということだった。十数人程度だろうか。さっき潰した人数を含めても二十人ちょっと。王都で仲間を増やしていたかと思ったが、そうでもないらしい。


 そんなことを考えていると容赦なく背中から突き飛ばされ、受け身も取れずに体の前面から倒れ込む。かつらが外れて地面に広がるのを横目に、目の前にしゃがんだ男に自前の髪を掴まれて、顔を無理やり上げさせられた。金色の見慣れた自分の髪がぶちぶちと音を立てて千切れる。


 ハゲたらどうしてくれると抗議するようににらみつけると、そんなことを気にしている場合かというように鼻で笑われた。


「おまえ、あのときの金髪の色男だな?」


 この男の言うあのときとは、おそらく例の犯罪集団の拠点にカレンが乗り込んだときのことだろう。好き好んでカレンと行動を共にしたわけではないにしても、一騎士として作戦に参加していたのは事実だが、女を侍らせていたわけでもないのに色男と言われるのは納得がいかない。


 別人と間違えていないか?


 しかし、カレンはまだしも、あそこに僕がいたことを覚えている人間がいたとは思わなかった。完全に油断していた。


「あいにく僕はきみに見覚えがないんだけど」


 直後、横面を重い拳で強打された。煽ったわけではなく事実を口にしただけなのだが、男の自尊心をひどく傷つけたらしい。口が切れて、ちょっと顔を顰めてから、唾液と一緒に血を床へと吐き出した。


 小物ほど、自分の気に入らないことがあるとすぐに暴力に出るから嫌だ。


 犯罪集団のリーダー格の男やまとめ役や指示役だった男など、上に立っていた者たちは現在も収監されている。つまり今ここにいるのは、すでに罪を償い終えて外へ出て来れるような、当時下っ端だった使い捨て用員の男たちということだ。そんなの僕がいちいち覚えているはずがない。


 当時かなり騒がれた事件なので、刑期を終えて出所したところで世間の目は厳しかっただろう。自業自得で同情の余地もないが、カレンを恨みながらまた犯罪に手を染めるようになったとしてもさほどおかしな話ではない。


 そんな下っ端が集まり、残党を名乗っているのだろう。ぱっと見だが若い男が多いのはそういう理由からか。床に転がりながら、一応男たちの顔やら体の特徴を順に記憶していく。


「ふん。まあいい。許してやる。おとなしく質問に答えれば殺しはしない」


 答えたところで気に入らなければどうせ暴行を受けるのだろうが、拷問にかけられるよりは、ある程度従順に答えて相手に満足感を与えつつ、のらりくらりと時間を稼ぐ方が無難だろう。


「ひとりか?」


「ご覧のとおり」


 僕がすんなりと白状すると思っていなかったのか、男は軽く目を見張った。


「……応援は呼んだか?」


「そんな暇があったと?」


 ちらっと最初に逃してやった男を見やる。確かに応援要請をする時間がなかったことはこの男が知っている。なにせ仲間を置いてすぐ逃げた卑怯者だから。 


「その格好は?」


「趣味かな?」


「正直に答えろ!」


 唇の端に滲んだ血を舐め取り安っぽい挑発をすると、腹を蹴り上げられ、胃液が迫り上がって軽く嘔吐く。なにも食べていなくて助かった。こんなところで吐瀉物まみれで死にたくはない。


「いいか? 俺たちはレオナルド・カレンの妹を呼び出し、そこにおまえが現れた。……騎士団はどこまで把握している? 吐け!」


 苛立ちを隠し切れないのは、アリッサを人質にする計画が失敗したことへの焦りがあるからだろうか。そのせいで目的を見失っているようだ。


 まったく。本来の目的は、僕を痛めつけて暴行することではなく、カレンを追い詰めることだろうに。


 ならば僕は、そっち方面から切り崩すまで。


「騎士団だって? 騎士団にはなにも伝えていない。伝えるわけがない。当然だろう? これはごく私的な問題で騎士団を頼るわけにはいかない案件だからだ」


「は? 私的な問題、だと?」


 僕は王女殿下と彼女の侍女たちの厳しい指導のもと身につけた演技力を駆使して、口の端を歪めて酷薄な表情を作り上げた。そして目の前の男を激しい怒りのままに見据える。


「わかるだろう? カレンの妹に先に目をつけたのは、この僕だ……!!」


 侯爵からどこまで情報を得ているのか知らないが……。


「――人の獲物を横取りするな!!」


 この場にいるのは騎士団など関係なく、単なる私怨なのだと伝わるように、カレンへの恨みを込めて吐き捨てた。


「……おまえも、あのレオナルド・カレンという化け物に思うところがあるというわけか」


 理解を示した男に、憎悪の表情を崩さないように、腹の底でだけ笑みを浮かべた。


「ないと思うのか? 僕がこれまでっ……、これまで、どれだけあいつに辛酸を舐めさせられて来たと思ってる! やっと手に入れた機会をそうやすやすと手放すとでも!?」


 それは間違いなく偽らざる僕の本心だった。


 だからだろう、鬼気迫る僕の様子にあっけに取られていた男は、しばし考えた後、にやりと笑った。


「レオナルド・カレンの妹からは手を引いてやってもいい。その代わり……おまえが俺たちと手を組むのなら、だが」


 頰が熱を持ち腫れてきたのを感じながら、無理して薄く微笑んだ。


 よかった。


 その言葉を待っていた。




 

補足

残党に顔を覚えられていたことに困惑するセオだが、犯罪集団の拠点に乗り込んだときにレオと共闘して犯罪者たちを叩きのめしては次々捕縛していったので、顔を覚えられていたのは当然の結果

残念ながらセオ自身はレオの手伝いくらいの認識だったので、出世も、自分の能力を評価されたのではなくレオのおかげだと思っている

この件を話していたときにレオに思いっきり睨みつけられたのはそのため

普段から涼しい顔して一番を取っていくレオにイラッとしているセオだが、レオの方も、己を正当に評価しないセオに苛立たされている


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― 新着の感想 ―
[良い点] セオが敵を欺くためにめちゃくちゃ頑張ったところ。 スパイ活動の場面、ハラハラします。 >馬車が止まったのは、千八十二まで数えた頃だった。 >その言葉を待っていた。 不利な状況でも、できる…
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