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 アリッサをお姫様抱っこして歩く僕を目にした同僚たちの、ぽかんとした顔はなかなか見ものだった。


 ちょうどタイミングよく出くわした先輩に断りを入れて、小道具を拝借する。暗がりで一瞬でもアリッサに見えさえすればいい。凝った変装をする時間的余裕もないので、アリッサの髪色に似たかつらと体型を隠すためのショールだけを掴んだ。


 まっすぐ向かったのはカレンの執務室だ。


 ここほど安全な場所もないだろう。この部屋に行き着くには何人もの騎士の目を掻い潜らなくてはならず、同じ騎士とて、ここに用もなく無断で侵入する度胸のあるやつはたぶん僕以外存在しない。


 ドアノブを捻ると、案の定、鍵はかかっていなかった。


 不用心にもほどがあるが、基本的にカレンは鍵を使わない。信じられないことだが、聞けば長閑な田舎では鍵をかけないのが普通らしい。都会では考えられない警戒心の緩さだ。アリッサのような子が育つはずである。

 

 素早く滑り込み、閉まりゆく扉の向こうの茫然とした同僚たちに、勝ち誇った笑みを見せるのも忘れない。勝手に想像力を働かせて騒ぎ立ててくれた方が助かるし、もしかするとカレンにこちらの状況が伝わるかもしれない。一見意味不明なこの行動の意味を考えるだろう。

 

 騎士団の敷地内で女を連れ込み情事に耽った場合、普通なら風紀違反でしこたま叱られて反省文を書かされるくらいで済む。その程度で終わるのは、健全な騎士にはわりとありがちな事象だからだ。


 今回は自分の執務室ではなくカレンの執務室だし、実際は至って潔白なのだが、とにかく、僕とアリッサが密室に立てこもっているというこの状況がどうしても必要だった。


 まず第一にアリッサの身の安全の確保、そして、これから行う明らかな職務規定違反を回避するためのアリバイ作りのため。


 風紀違反と職務規定違反、比べるまでもない。誰の指示も仰がず単独で行動するような人間に、騎士団は厳しい。組織というものはそういうものだ。別にそのことに不満はない。


 もし万が一事が発覚したとしても、すべて終わった後でならいくらでも罰を受ける覚悟がある。だから後のことは後で考えればいい。


 今すべきことは、そう。アリッサと衣類の交換を行うことだ。


 上着を脱いでアリッサの横に放り、もたつく彼女の服を脱がしにかかる。


 部屋に入った瞬間から意識は切り替わっていたので、この時点で下心は一切待ち合わせていなかった。自分で脱ぐと、僕を押し返すアリッサの恥ずかしそうな姿をかわいいなと思う程度だった。


 だけど振り返った先にいたアリッサの姿を目にして、なぜ下着姿? と、素できょとんとしてしまった。


 てっきり僕の上着を羽織っていると思っていたアリッサが、ソファの上でシュミーズ姿を晒して、恥じらいながらこちらを窺うようにおずおずと見上げているのだ。


 必死に隠す胸元は、日頃抱き締めたりしていたときから予想していたが、やはり着痩せするタイプだったと確信するに至った。


 男のさがで瞬きもせず不躾に凝視しまったが、我に返った途端、一気に頭が沸騰した。


 服の交換を伝え忘れていた僕が全面的に悪い。悪いが……なんの説明もなく服を脱げと言われて素直に従ったということは、つまり、僕と結ばれる覚悟を彼女がしているということで。


 期待してしまう。


 期待するなという方が無理な話だ。


 少なくとも、肌を見せてもいいくらいには僕のことを受け入れてくれている。そう希望を見出してしまう。


 今すぐ押し倒して欲望のままに彼女を自分のものに……と、血迷いかけた下心を自制して、すぐに上着を羽織らせた。なのに、サイズの合わない自分の上着や、裾からすらりと伸びる生足が背徳的で身悶える。


 まずいな……カレンの顔でも思い浮かべるか。


 一晩中膝に乗せて抱きしめていたい衝動をどうにか抑えて、アリッサの脱いだばかりのそれに手を伸ばすと、迷うことなく着た。


 前開きの白いシャツは結構きつめだったが、スカートはゆったりめでサイズ調整できる。しかしアリッサにはくるぶし丈のそれが、やはり僕には短い。なのでくるぶしに近づけるよう腰の位置を下げてホックを止める。その場しのぎではこれが限界かと諦めかけたら、裾上げされていること知り、すぐに犬歯で糸を切った。


 武器の類をどうするか迷ったが、さすがに帯剣していては元も子もないので諦めて置いて行くことに決めた。もしものときは現地調達すればいい。


 丸腰になることは、下着なしで街中を歩くくらいの心許なさを感じるが、正面を切って戦うわけではない。目的は市民に被害を出さないこと、そして余裕があれば敵のアジトの特定をすること。決して制圧することではないのだ。


 かつらをかぶって、前髪で目元が少し隠れるように調整した。地方勤務のときに潜入捜査で変装はしていたので、女性らしい仕草はある程度学んでいる。要は相手を一瞬でも騙せればいいのだ。


 困惑顔のアリッサの目は僕の胸元あたりに向いていたので、なるほどとハンカチを詰め込んだ。一枚程度ではどうにもならないので、カレンの私物も拝借しておく。鍵をかけていないのが悪い。


 もし失敗して捕まりでもしたら最悪死ぬだろうが、カレンに借りを作ったまま死ぬ気はない。それがたかがハンカチ一枚であろうとも、借りは借り。絶対にフリルつきの女性物のハンカチを返却すると心に誓った。


 ハンカチの位置を調整しながら、両目を手で覆うなんかかわいいアリッサに癒されていると、外から先輩の叱責が飛んできた。


 さすがに堪忍袋の緒が切れたのかもしれない。だけど先輩のことだから、どんなに怒っていても最終的には許してくれるだろうと、その呼びかけには答えなかった。


 このままお節介な先輩がカレンにこの話を持って行ってくれたら、あいつのことだから僕の思惑や意図が一から八くらいまでは伝わるだろう。それで後の二割は思考で補い、答えに行き着くに違いない。腹立たしいが、その点では信頼している。


 僕がすぐに帰って来られなかったときのために、カレンにはアリッサがここにいることを事前に知っておいてもらわなければならない。この部屋からアリッサを解放できるのは、あいつしかいないからだ。


 本音ではアリッサのこんな無防備で扇情的な姿を兄であるカレンにも見せたくないが、実の兄に嫉妬していてはさすがにキリがないので割り切ることにした。


 アリッサがなにかを言う前に、さっとショールを肩にかけ、姫君に忠誠を誓う騎士のように跪いた。スカート姿なので滑稽だが、致し方ない。


 無事戻って来るつもりはあるし、本懐をとげないまま死ぬ気もないが、すべてに片がついたとき、これまで隠してきたことを正直に話したいと思う。


 きちんと事情を説明しないことには、きっと先にも進めない。


「アリッサ。なにも説明できなくて、本当にごめんね。だけど、もし僕が無事に帰ってきたら、そのときはアリッサに伝えたいことが――」


「わー!! だめっ! だめです!!」


 食い気味に言葉をかぶせられて口を塞がれた。


 どうせなら唇の方が……いや、不謹慎か。


 出鼻をくじかれ、意図を測りかねていると、


「なにも聞きません! だから死地に赴く兵士みたいなことだけは、絶対に言わないでください!」


 僕の口を押さえつけるアリッサの形相にまず驚き、それから、なんだか気が抜けた。


「死地に赴く兵士って」


「違いますか?」


 まっすぐな眼差しと真摯なその問いかけに、言葉が詰まる。


 ここに至っても事情どころか説明すらも求められないから、僕の行動になんか興味がないのかなと実は少し不満に思っていたが、実は寛大な心で受け止めてくれていただけで、彼女なりに不安は感じていたのかもしれない。


 まるで後生の願いみたいなことを言おうとしていた自分が急に恥ずかしくなった。たぶんこの状況に酔っていた。


 こんなの、普段の任務と一緒だ。


 アリッサが止めてくれてよかった。


 もしものとき、僕がなにを言いたかったのかを彼女には知る術がない。僕の未練を彼女に背負わせるのは間違っている。


「アリッサは僕が死んだら悲しいんだ?」


 逃げに転じて冗談めかしてそう言ったら、びっくりするくらい本気のトーンで返された。


「セオ様が死んだら、後を追いますから」


 いや、まさか。


 ……え、本気で?


 動揺をひた隠して、余裕ぶった大人のふりで白旗を揚げた。


「……わかった。なにも言わないし、約束もしない。今回はアリッサのかわいいわがままを聞いてあげる」


 その反面、内心ではとても子供染みた意地を張っていた。


 無事に問題が解決した後も、アリッサにはもうなにも教えてあげない。


 僕さえ口をつぐんでしまえば、アリッサが本当のことを知る機会はきっと永遠に訪れない。


 なにも聞かないんだもんね?


 自分がそう望んだのだから、いいよね?


「その代わり」


 油断と隙しかないアリッサを引き寄せて、ちゅ、とリップ音を立てて唇を重ねた。


 これまでは拒絶されるのが怖くてできなかった唇へのキス。アリッサはただ僕につき合わされているだけだと思っていたから、臆病風に吹かれてどうしてもそこだけは奪えなかった。


 でも、もしかしたら……違うのかもしれない。


 思ったよりもずっと、愛されているのかもしれない。


 驚愕に見開かれたその目には、純粋な驚きと、少しの照れと、確かな喜びがあった。


 その表情がすべてを物語っていた。


 軽くおでこを触れ合わせてから、そっと離れる。


「勝利の女神のキスくらいの役得はあってもいいよね?」


 アリッサは少しだけ視線をさまよわせてから、満面の笑みで大きくうなずいた。


「はい!」


 うん、絶対帰って来よう。


 ただただそう思った。



任務での女装に抵抗はないが、趣味ではない

本気を出せば傾国の美姫が爆誕する


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