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 王太子暗殺未遂が見事に不発に終わり、失脚を狙ったカレンがそれを阻止したことでさらに功績を得たことに、敵が恨みを募らせるのは当然のことだった。


 だからこそ夜間にも定期的にアリッサの部屋まで足を運び、異常がないか、不審者はいないか、確認しないことには落ち着いて眠ることもできなかった。


 周囲ばかり気にして、アリッサ本人に気づかれたのは迂闊だったと言うほかない。


 急にカーテンが開いて目が合ったとき、思いっきり動揺してしまった。彼女の方も相当びっくりしていたようだったが、いつもの寛容さですぐに僕の嘘を受け入れた。


 会いに来たなんて言葉、本心では信じたわけではないだろうに。


 だって夜中だ。こんな時間に会いに来る男なんて、ろくな男じゃない。

 

 たとえ恋人でも、真夜中に自分の部屋の前に無言で立っていたら恐怖心を抱くだろうし、明らかな嘘をつかれたら怒りもするだろう。


 なのにアリッサは、こちらを気遣わしげに見つめて来る。


 嘘を嘘と気づいた上で追求しないのは、この行動が意味のあることなのだと、必要なことなのだと、言わなくても伝わるくらい信頼されているからではないかと錯覚してしまう。


 本当は彼女の方がずっと大人で、僕のしたいことなどすべてお見通しで、この件が解決した後もそばにいてくれるのだと自惚れそうになる。


 本当にやめてほしい。


 愛されていると、見誤りそうになる。


 期待してもつらくなるだけなのに。


 優しい子だから、自分を騙している男にさえその慈愛を注いでくれているだけ。そうに決まっている。


 握られた手にじんわりと熱が広がる前に、忙しいことを言いわけに、臆病な僕はおやすみを告げて逃げるようにその場を後にした。





 いつまで敵を泳がせ続けるのかと日に日に焦りを増しながらも、アリッサとの関係は切りたくないという自分勝手な葛藤を抱える僕がよほど不憫に見えたのか、王太子殿下によって事態の進捗具合を知らされた。


「もう少しの辛抱ですよ」


 中庭で花冠を作って遊ぶ王女殿下から視線を離さないまま、一緒にその姿を眺めていた王太子殿下の小さなつぶやきを心に留め、努めて無表情を保った。


 もう少し、ということは、すでに侯爵を追い詰められるだけの証拠は揃えてあるということだ。


 それなのに、なぜまだ動かない?


 なにかを……待っているのか?


 そういえば今朝会議で、側妃であるモニカ妃が出産の準備に入ったという話が出たことを思い出して、はっとする。


 思わず王太子殿下の方へと視線を向けかけて、慌てて意識を王女殿下へと戻した。今はお姫様の護衛中だ。職務怠慢にもほどがある。


 この王太子は同母の妹を、まあそれなりにかわいがっているようだが、それは同じ母親から生まれた妹だからという理由以外にないと思っていた。


 だから側妃の子がわざわざ産まれるまで動くのを控えていたということに少なからず驚いた。


 半分しか血の繋がらない弟か妹だ。厳しい言い方をすれば、自分の地位を脅かすかもしれない存在などはじめからいない方がいい。


 王太子毒殺未遂の件で侯爵が捕まり侯爵家が取り潰しになったとしても、王の寵愛の深いモニカ妃の処遇は離宮に幽閉される程度だろうが、そのごたごたの間に子供が流れる可能性はないとは言い切れない。


 母子のために配慮していたと?


 この腹黒王太子が?


 正直……胡散臭い。


「王の子供なのは間違いないようですし、まだ産まれてもない子に罪はないですから」


 お兄様が大好きな王女殿下に呼ばれて、王太子殿下はにこにこと手を振りながら妹のそばへと足を進めた。微笑ましいその光景に僕以外の側近や護衛たちの目が和む。


 いや、この男もいたか。


 さっきまで王太子殿下のいた場所に、レオナルド・カレンが無言で立つ。


 職務中にいがみ合うわけがないのに、周囲の視線や念がびしびしと突き刺さる。ここでケンカするなよ、という非難の籠った目。僕はところ構わず噛みつく野犬かなにかなのか。


 あまえんぼうねこちゃんよりは野犬の方が断然ましだが。


 妹姫に花冠をかぶせられて困ったように笑う殿下の姿を眺めながら、小声で隣に問いかけた。


「それで、殿下の真意は?」


「……今後のために仲良くしておきたい国がいくつかあります、だそうだ」


 ああ、なるほどね。


 友好の証に婚姻関係を結ぶのは一番手っ取り早い解決方法ではある。


 それを聞いて安心した。


 慈悲深く見えることは必要だが、優しいだけの愚鈍な王は国を滅ぼす。


 だがまあ、建前が実は本音の可能性だって十分にある。妹姫と接する殿下の様子を見て、案外その可能性もあるのではと思いもした。


 結局人の心の中など他人に覗けるものでもない。考えるだけ無駄だ。


 側妃の子は助ける気でいる。それだけわかっていればその通りに動くだけ。


 後に争いの火種とならないことを祈りつつ、この話は終わりにして、仲のいい兄妹を目に映しながらわずかに眉根を寄せた。


「妹って、そんなにかわいいものか?」


 うちにも妹はいるが、幼少期からの厳しい教育のせいか、王太子殿下の洗脳の結果なのか、やたら大人びた性格の娘に育ってしまった。


 両親や兄姉のようにできの悪い三番目の兄を軽蔑こそしないが、兄として慕われたこともない。だから、妹をかわいがる、という感覚が実はよくわからない。


 なのでカレンが、「……昔、妹が」と、そう切り出したとき、アリッサの話であることを差し引いても、素直に耳を傾けていた。


「昔……妹が五歳くらいの頃、教会で結婚式を挙げていた花嫁を見て、将来兄様と結婚する、と言ったことがあった」


「え、なに? なんで急に自慢? は?」


 一瞬殺気立ったせいか、会話が聞こえるわけではないだろうに、あのレオとセオが小声で嫌味の応酬を繰り広げている! と同僚たちが戦慄いているのが横目に映った。気づかないふりをして続きを促す。


「それで? なんて返したんだ?」


「兄と妹は結婚できない、法律で決まっている、と」


「うわぁ……」


 予想通りではあるが、そのそっけない解答を受けた幼いアリッサを心底気の毒に思った。嘘をつけとは言わないが、もっと無垢な子供の心を傷つけないやんわりとした返しがあっただろうに。


「かわいそうなアリッサ。泣いただろう?」


 長い沈黙は肯定だろう。わんわん泣くちびっ子アリッサと眉間にしわを寄せて困り果てる少年カレンが目に浮かぶ。


 泣いているアリッサもかわいい……。


 少年カレンはどうでもいいが、少しくらい反省しろよと想像の中で文句を言っておく。


「だから俺は妹に約束した。俺からアリッサを奪えるような強い男を探すから待て、と」


「大泣きしただろう?」


 なぜわかるのかという怪訝そうな気配を感じたが、なぜわからないかがわからない。


 言い方が悪いのだ。恐ろしい屈強な男に兄を倒されて無理やり拐われる想像をしただろう幼いアリッサは、なにも悪くない。


 だけどもしそれがアリッサの結婚相手に求めるカレンの基準ならば、誰も彼女を手にすることはできないということになる。


 カレンよりも強い男なんて、この国にいない。


 つまりアリッサは誰のものにもならないということで。


 探す気があるのかないのか、どちらにせよ多忙なカレンが妹の結婚相手を探している暇はない。少なくとも今は。


「カレンって、結構シスコンだよね」


 安堵を隠すようにいつもの軽口でからかったら、いつも以上の威圧が返って来た。




 侯爵を追い詰めるための準備が進む間、あまり派手な行動を取るとなりふり構わずこちらを狙って来る可能性があるのでアリッサへの接触を控えていた。もちろん夜の見回りは続けているし、ストーカーばりに遠くから監視もしている。


 しかし僕が表立ってアリッサに絡まなくなったからか、彼女を狙う男どもがちらほらと彼女に声をかけるようになっていた。


 アリッサはかわいい。自分の容姿が地味だと気にしているようだが、なにもかもが特別仕様のカレンと比べるのがそもそもの間違いだと周りもようやく気づきはじめたのだろう。


 カレンさえいなければと思ったが、カレンがいなければあの家はとっくに没落しているので、その点では感謝している。


 アリッサに言い寄る男どもは片っ端から潰してやろうと意気込んでいたが、当の本人がまるで好意に気づいていないので今は静観を決めて放置している。


 遠回しな好意にはまったく気づかず、直接的な好意は冗談扱いで真に受けない。側から見ているとアリッサが難攻不落過ぎて、挑戦者たちがいっそ憐れに見える。人の恋人に手を出そうとしている以上同情はしないが。


 カレンが悪党どもを残らず捕縛して、早くアリッサが安心して過ごせるようになるといいが、別れが近づいていると思うとやはり切なくて胸が苦しい。なんか微妙にめまいもする。


「セオルド、あなたちゃんと寝ているの? それじゃあ、あまえんぼうねこちゃんじゃなくて、不眠症ねこちゃんよ」


「不眠症なんて言葉、よく知っていますね」


 このところアリッサへのつき纏い行為であまり寝ていないのは確かだが、王女殿下に見抜かれるとは思わなかった。


 小さくても王女ということか。周りをよく見ている。


 それとも、それほど僕がひどい顔をしているということだろうか。


「不眠症ねこちゃんは嫌? ……そうね、だったら夜ふかしねこちゃんでもいいわよ」


 猫が嫌なんだよ。


 どうやっても『ねこちゃん』の呪縛からは抜け出せないらしい。


 僕の顔、そんなに猫っぽいか?


 別に吊り目というわけでもないが、似ている箇所を強いて挙げるのなら、身軽という点だろうか。


 せめて気高い野生の大山猫とかなら、まだ受け入れられるのに。なぜ猫。いや、なぜねこちゃん。絶対弱い。


「休憩をあげるから、少し休んで来なさい。見苦しいわ」


「しかし」


「おままごとをする?」


「ありがたく休ませていただきます」


 おままごとをせずにいられるのなら、ずっと寝不足でいたいなと考えたのがいけなかったのだろうか。


 突然王女殿下の顔がぐにゃりと歪んだ。


 あ、れ? と掠れた息がもれた直後、全身の力が抜けて膝から崩れ落ちていた。ぎりぎりで受け身を取ったが、地面に体の側面を打ちつけた。


「セオルド!?」

「セオ!!」


 仰向けになると、視界に映る青い空がぐらぐらと揺れていた。なにが起きたかわからないまま、ふつりと意識が途切れて、殿下や先輩の必死な呼びかけが、次第に遠ざかって行った。





 寝て起きて世界が一変しているなんてことは現実にはあり得ないことだが、多少状況が変わることは往々にしてあるわけで。


 目が覚めると騎士団の救護室にいて、窓の外は橙に染まり、夕暮れどきを示していた。


「……え?」


 なんでこんなところで寝ているのだろうと疑問に思ったが、意識を失う前のことを思い出すと合点が入った。王女殿下の目の前でぶっ倒れたのだ。その後どうなったかは想像するしかないが、救護室にいるということは大事になったに違いない。


 ただの寝不足なのに。


「うわ、情けな……」


 周りに誰もいないはずだ。寝不足と診断され、呆れて仕事に戻って行く先輩の顔が見えた気がした。


 たるんでいると思われただろうか。だけど仕事とストーカー行為の両立はなかなかきつくて……、と自分自身に言い訳した瞬間、文字通り飛び起きた。


「っ、アリッサ!」


 仮眠室から転がり出て上着だけ掴んで救護室を飛び出す。


 のんきに寝ている場合じゃなかった!


 今すぐアリッサの無事だけでも確認したいが、まずは王女殿下の元へと駆ける。


 部屋でソファに座って侍女と話していた王女殿下は、飛び込んできた僕の姿に目を丸くしていた。


「もう大丈夫なの? あなたが死んでしまったかと思って、本当に、すごくびっくりしたのよ?」


 口だけは達者だが、まだ七歳の子供なのだ。目の前で人が倒れたのだから相当驚いただろう。堂々とした振る舞いをしているが、顔はほっとしたように緩んでいる。


 目尻に少し赤みを残しているので、泣いたのかもしれない。


 それほど心配してくれていたかと思うと面映く、王太子ではなく王女殿下に仕えていてよかったとはじめて思った。


「申し訳ありません。近衛として不甲斐なくご心配をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます」


「いいわ。許してあげる。あまえんぼうねこちゃん二回で手を打ちましょう」


「……」


 まさかの対価に思わずさっきまで心にあったはずの畏敬の念を投げ捨てていた。


 ……くっ。


「本当に本当に、心配したのよ? 今日のおままごとができないくらいに」


 そのことを疑ってはいないが、なぜあまえんぼうねこちゃんに固執するのか。


 だがここでごねると話が長引いてしまう。


 今は自分のプライドよりもアリッサの無事の確認を優先させなければ、取り返しのつかないことになるかもしれない。


 我慢しろ、セオルド・マクニール。アリッサのためならば、悪魔にも魂を売る。


「……了解、しました」


「まあ、まだ真っ青で震えているじゃない。今日はもう早く帰って休みなさい」


 それはあなたのせいだ、と誰もが思っているだろうが、当然ながら誰も口にすることはなかった。


 殿下の元を辞して、城の廊下を走り出したいのを堪えて足早に歩く。城から出て人目がなくなったところで、ようやく駆け出した。




昏倒したセオにびっくりして泣く王女殿下に、一時騒然となる

医師を呼び、セオを運び、診断を聞き、姫を宥め、スケジュール調整をし、騎士団に報告を入れ、レオに情報共有して……と、セオが寝ている間に先輩が奔走

セオとレオのふたりに唯一「先輩」と呼ばれている彼は実は有能

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― 新着の感想 ―
恐ろしい屈強な男に兄を倒されて〜のくだりで おしい、怪物です。っと笑いました。 セオのアリッサへの解像度が高すぎる笑
[良い点] >将来兄様と結婚する 小さい頃のアリッサかわいい…かわいい… レオの返事wwwワロタwww [気になる点] 自分を大事しないセオルド・マクニール [一言] 頑張りすぎた男セオルド・マクニ…
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