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「報告を」
いつもの淡々としたその一言に辟易したが、ふいにいたずら心が湧き上がる。
「アリッサって、実は着痩せするタイプでは?」
間髪を入れず、ガンッ! となにかを殴る音が響いた後、いつも以上に冷たい声が降ってきた。
「報告を」
壁に背を預けているので中の様子は見えないが、王太子殿下のくすくすとした笑い声も聞こえるので大した被害はないだろう。
僕からアリッサの胸を触ったのならまだしも、アリッサから触れさせて来たのに。
まあ、胸というか、正確には心臓の上だが。
「相変わらず冗談の通じない男だな、レオナルド・カレン。厨房からじゃがいもを排除していたのが功を奏したのか、アリッサは捜索でもひどい扱いも受けなかったよ。ああ、ついでにほかの厨房の人たちも。で、そっちは?」
実行犯は自害したと広まっているが、実際は極秘裏に匿われている。簡単に死なせるなんてとんでもない。貴重な証言者だ。
それを知っているのはごく一部の人間のみ。王太子殿下とその側近と近衛、そしてなぜか……僕。
部外者に簡単に極秘情報を与えてもいいのかと呆れる。悪い気はしないが、アリッサに関する情報以外は正直いらない。これで情報が漏れでもしたら、確実に僕が疑われることになるだろう。迷惑過ぎる。
「相手を追い詰めるための直接的な証拠にはならないが、側妃の侍従を追い詰めることは可能になった。警備の強化は解かないが、しばらくは直接の手出しを控えるだろう」
「その間に侯爵を失脚させる準備を進めるつもりです。市民を巻き込んで余計な犯罪を起こさせないためにも、手足となって動いている残党を早くどうにかしたいものですが……」
「わざと誘拐されるとか、無茶なことだけは言わないでください」
釘を刺しておかないとこの王太子ならやりかねない。
「さすがにそこまで無謀なことはしません」
どうだか。
残党が動いてくれて、さらに侯爵と接触してくれたら、これほど簡単な話はない。そのタイミングを狙って一緒に捕らえられるだろうが、さすがにそれは望み過ぎだろう。
まだアリッサといられる、という浮ついた心を、浅く息を吐き瞑目することで自戒する。
早く侯爵が捕まって、アリッサが自由に出歩ける日が一日でも早く訪れる方がいいに決まっている。
「そういえば、セオルドは家族に責められたという話を聞きましたが?」
まったくどこから情報を仕入れてくるのか。ああ、うちの妹か。
「そんなのいつものことです。僕はあの家にとって、期待外れの息子で弟ですから」
誰に聞かれているかわからない場所でうかつなことも言えず、兄にはかなりイライラさせられたが。
あの場にはアリッサだけではなく、そばにいくつか人の気配があったのも事実だ。
兄もアリッサも気づいていないようだったが、それが誰であれ、こちらの思惑を知られてはまずいとアリッサに嫌われる覚悟で口八丁手八丁で兄を丸め込んだ。
その後アリッサをあまやかして宥めようとしたが、意外にも彼女はしっかりとした目でこちらを見上げ、ひどいクズ発言をした僕を理解し、責めもしなかった。
あんな話を耳にして、普通の娘なら泣いて罵ってくるだろう。自分でもこんな男は絶対お断りだし、一発殴って二度と関わらない。
それなのに僕を信じると言い切ったアリッサの寛大さに驚嘆した。そしてどうしようもない愛しさで胸がいっぱいになった。
いっそこちらが騙されているのではと疑いすら抱きそうになるが、彼女にあるのは人を信じる純粋さだけ。
もしかして愛されているのでは、と都合のいい思い違いをしそうになる愚かな男心を諌めるように、罪悪感がじわりと胸に広がっていく。
馬鹿な夢を見そうになった僕を現実に引き戻すようなカレンの不機嫌そうな声が届いた。
「……親の期待に応えられたら、それが立派な騎士の証明なのか?」
「え?」
「おまえは、卑屈すぎる。いい加減鬱陶しい」
「はあ!? 鬱陶しいだって!? こういうとき、普通は慰めるものだろう、この冷血漢!!」
人の心を母親の胎内に忘れてきたのか。そしてそれをアリッサがすべて拾って産まれたのか。
戦慄いていると、はぁー、というこれ見よがしなため息が聞こえた。それ以上なにも言う気はないらしい。
「セオルドが卑屈なのはその通りですが、レオも言葉が足りませんよ」
やれやれと十二歳の子供に苦笑される。
いい大人が情けない、と。
とん、と壁に背を預け、なんとなくカレンの言葉の意味を考えてみた。
昔からそれなりに突っかかっていたが、鬱陶しいとはっきり言葉で言われたのは、はじめてかもしれない。
卑屈……か。
僕は人から、そう見られていたのか。
ああ、だから……。
――もっと自分を誇ってください。
同じ話をしたときのアリッサの言葉が聞こえた。
噛み締めていると、間髪を入れず、うん? と妙な引っかかりを覚えて背にある窓を仰ぎ見た。
もしかして……これ、カレンなりの慰めだった、とか?
いや、まさか。
ないない。
まったく似てないと思っていたが、この兄妹、実はよく似ているかも、などというあり得ない仮定を一笑に付した。
情報を共有し終えたところで、離れた場所から少女の声が聞こえてきて身をこわばらせた。王女殿下だ。
「……――セオルドー? セオルドはどこなの? 早くしないといい役は売り切れちゃうわよー?」
くっ、時間切れか……。
僕が顔をしかめているのを想像したのか、王太子殿下が笑いを噛み殺している。
「うちのお姫様がご指名ですよ。相変わらずセオルドがお気に入りですね」
全然嬉しくない。単にほかの騎士たちよりも昔から馴染みがあって、言うことを聞かせやすいからだ。それか、僕のことを自分の人形だとでも思っているか。そのどちらかに決まっている。
「たまには殿下がお相手してあげればいいのでは?」
「残念ながら子供の遊びは三歳で卒業したので無理ですね」
「……お茶会の練習です」
「お茶会の練習という名目のおままごとに? 私が、ですか?」
それ以上は反論できずにすごすご引き下がった。この王太子を不機嫌にさせていいことなどなにもない。
その間も、カレンは自分には関係ないことだとばかりに無視を決め込んでいた。そういうところが癇に障るのだといい加減気づけ。
いつか道連れにしてやると思いながら、探していることを知ってしまった以上逃げ道もなく、渋々王女殿下の前に出て行くと、ふわふわとした水色のドレスを着た殿下がパッと顔を輝かせた。
その顔は王太子殿下によく似ているが、王太子と違って計算ずくではない年相応の子供らしい表情と言動をしている。今はぷっくりと頬を膨らませて、ちょっとご機嫌斜めの様子だ。
「もう、どこに行っていたの?」
「姫様。僕は今、休憩時間で」
「だから探していたのよ。お仕事中じゃないなら、お茶会に出席できるわよね? あなたが遅いから、もうあとふたつしか役が残っていないわよ?」
人の話を聞かない王女殿下は、侍女たちによって準備されたお茶会セットの上座にすとんと座り、嬉々としてこちらに小道具を突き出してきた。
……猫耳のついたカチューシャとうさ耳のついた帽子を。
「…………」
「セオルドは、さみしがりやうさちゃん役と、あまえんぼうねこちゃん役、どっちがいい?」
一瞬飛んでいた意識が戻って来た。
どっちも嫌に決まってるだろう!?
誰だ余計な入れ知恵をしたやつは!
侍女たちのそこはかとない期待の眼差しと、同僚たちの憐憫とからかいがない混ぜになった眼差しがちくちくと僕に突き刺さる。
この場には敵しかいないのか。孤立無縁なのか。
なんで僕は王太子殿下の近衛ではないんだ。
あの計算高い腹黒王太子の近衛に進んでなりたいわけでもないし、カレンを隊長と呼んで従うのも嫌だが、今だけは、カレンの部下たちを心底うらやましく思った。
それもこれも、レオナルド・カレンがすべて悪い。王女殿下の近衛のなり手が少なかったというのもあるが、カレンと折り合いが悪いから王太子の近衛候補から漏れたことくらい知っている。
震える声で藁にすがった。
「……いつもの役は、今日はないのでしょうか……?」
隣国の貴族の役とか、成金の商人の役とか、人気役者の役とか、それこそ騎士の役とか。
「今日のお茶会に人間はいらないわ。今必要なのは、あまーいお菓子とおいしいお紅茶、そして招待客の森の動物さんたちとの楽しい会話よ?」
殿下が見てごらんなさいとばかりに小さな腕を広げる。テーブルの周囲に座っている侍女たちは、鳥の羽の扇子を持っていたり、狐の毛皮を首に巻いていたり、リスのぬいぐるみを肩に置いたりしている。
自前なのか小道具なのかの判断はつかないが、彼女たちが猫とうさぎを回避したことだけは伝わって来た。
猫耳とうさ耳、どちらにも手を伸ばさずにいると、焦れたのか王女殿下自ら、僕の頭に装着した。……猫耳を。
間髪を入れずそばで同僚たちが噴き出したので殺意を込めてにらみつける。
なんでこんな辱めを……!
親の言いなりで騎士を目指したが、こんなことをやるために騎士になったわけじゃない。これで卑屈になるなと言われる方が無理だ。
素知らぬ顔のカレンが脳裏によぎる。
いつか絶対、あいつにさみしがりやうさちゃんをやらせてやる!!
体の脇で握った拳を震わせながら、空いていた席へとついた。
「さあ、みなさん。お茶会をはじめましょう」
それが悪夢のお茶会のはじまりの合図だった。
「なぜ僕ばかり? まわりにあれだけ近衛がいる中で! だいたいあまえんぼうねこちゃんってなんだ、あまえんぼうねこちゃんって!」
休憩時間をまるっとおままごとにつき合わされたので、昼食を食べる時間もなく、移動しながらパンをかじる。
報告書になんと記載すればいいのか。
おままごとで提供された菓子はすみれの花の砂糖漬けだった、とかか?
ふざけるな。
だいたい、花びらなんて腹の足しにもならない。肉食獣をあてがったのなら、肉か魚を出せ。
「セオがお気に入りなのもあるけど、普通に考えて顔と体格の問題だろう」
怨嗟を吐いている僕の隣に先輩が並ぶ。思い出し笑いを必死に堪えているのか、口元がによによしているのが腹立たしい。
「子供が受け入れやすい王子様顔なのが決め手だな」
「王子様だって? あまえんぼうねこちゃんをやるくらいなら、喜んで王子様を演じましたよ」
「いや、あまえんぼうねこちゃんを熱演していたやつに言われてもな?」
母親にあまえたことがなかったのでどうしようかと思ったが、恋人にべたあまで早くお家に帰って恋人といちゃいちゃしたいねこ役にしてみたら、意外と殿下受けがよかったので助かった。周りからは五度見くらいされたが、知ったことじゃない。
髪を掻きむしりたいのを堪えていると、笑っていた先輩が急に神妙な顔つきになって言った。
「……おまえのことだから、悪ぶって見せてるだけだと思うけどさ」
「はい?」
「いい加減レオの妹にちょっかいかけるのはやめてやれよな」
虚を衝かれて食べていたパンごと言葉に詰まった。
「……そういうわけじゃないんですけどね」
曖昧に濁してごまかしたつもりだが、うまくいかなかったかもしれない。
今は本当のことを言えない以上、先輩相手でもこの件について追求されたくないが……と思ったが、事情どうこうよりも、単純に僕のことを気にかけてくれているだけなのだろう。
レオはなんて言ってるんだ? と聞かれて、用意してあった答えをそのまま伝えた。カレンは勝手にしろと言った。だから勝手にしている、と。僕の好きなように。
「それって、あの珍しく声を荒げてやり合ったときの?」
「そんなこともありましたね」
すでに不仲であるという完璧な下地はあったが、あのときの言い争いが都合よく周囲の誤解に作用しているのだと確信する。
誰も僕の嘘を見抜けないのは、誰も僕のことなど真剣に見ていないからかもしれない。
アリッサを守るためなら、他人の評価など必要ない。アリッサにさえ、誤解されたままで構わないと思う。
「なんで揉めたかは知らないけど、あれのせいなのか? あの後すぐにレオの妹に……」
「カレンのものに手を出すのは僕の専売特許ですから」
「あー、一時期そうだったな。レオに寄ってきた女を取っ替え引っ替え」
「やだな。人聞きの悪い。お互いちょっと遊んだだけですし、それに最近はしてませんよ」
「ここ数年はな。てっきり好きな人でもできて心を改めたんだと思ってたけど」
やっぱりこの人、妙なところで鋭いなと思いつつ、隠すことなく真実を織り交ぜた。
「そうですよ」
「え!」
「……叶わない恋、みたいなものですけどね」
息を呑んだ先輩に今度は、冗談ですよ、と笑って見せる。
どっちだよ、と混乱する先輩を煙に巻いて、息を潜めている愛しい人の気配から遠ざかった。
幻滅しているだろうか。また。
……今さらか。
先輩はセオとレオの騎士学校時代からの先輩
当時からふたりの仲裁役だった苦労人
ふたりが揉めたらとりあえず彼が呼ばれる