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見目麗しい彼は、エスコートまで洗練されていた。
連れて来られたのは隠れ家的な真新しいレストランだったけれど、わたしでも背伸びしたら入れそうなお値段のお店で、ほっと一安心。
これが格式の高いレストランならば腰が引けていただろうし、騎士たち行きつけの飲み屋なんかだったら、浮かれてちょっとだけおしゃれしてきたことを後悔していたはずだ。
予約してくれていたのか、小さな庭園に面した窓際のいい席へと案内される。周りからちらちら視線を感じるのは、きっとセオ様が素敵過ぎるせいだ。わたしのために椅子を引いてくれて、「どうぞ、お嬢様?」と茶目っ気たっぷりにウィンクする。
もし周りに誰もいなければ、きっと悶えて叫んでいただろう。平静を装いつつも、顔は真っ赤だったので、セオ様にはわたしの心情がバレバレだったはずなのに、からかうこともなく優しい目で見守っていてくれた。
見目麗しく、立ち居振る舞いも完璧で、さらには心遣いも……。こんな人と食事を一緒にできるだけで一生分の幸せを使い果たしてしまった気分だった。
セオ様がおすすめする料理はどれもおいしく、気安い雰囲気を作ってくれるおかげで話が弾む。
セオ様は話し上手で聞き上手でもあった。騎士団での兄様を教えてくれる代わりに、わたしは兄様と暮らしていた頃の話なんかをした。
「うちは人よりもヤギと羊の方が多いくらいの田舎で、同年代の子はほとんどいなかったんですが、それでも年頃の女の子達はみんな、兄様に淡い恋心を抱いていました」
「だろうね。今もそんな感じだよ」
グラスをゆらゆらと揺らしながら、セオ様は呆れ半分につぶやいた。
いやいや。いくら兄様でも、さすがに王都中の娘たちを虜にしているわけではないはずだ。人それぞれ、好みというものがあるのだから。
わたしの心を読んだのか、セオ様は苦笑いを浮かべた。
「それはどうかな……。ほら、カレンには婚約者がいないから。それで余計に、ね」
まあ、うちは貧乏男爵家ではあるが、将来有望な兄様を狙っている独身女性は意外と多いと聞く。彼の言う通り、相手がいないとなるとなおさらかもしれない。
しかし残念なことに、わたしは兄の浮いた話など、これまで一度も聞いたことがない。
一応爵位があるので、いずれは結婚するつもりがあるのだろうが、そもそも女性……というか、そういう意味で人にあまり興味がないのではと思っている。
「きみは? 婚約者とか、恋人とか、いないの?」
セオ様が片肘をテーブルについて、にっこりとする。アルコールのせいでやや目尻が赤く、色気が増していて、胸に悪い微笑みにたじろぎそうになる。
「わたし、ですか?」
「男爵令嬢なら、婚約者がいてもおかしくないんじゃない?」
「わたしは……えぇと」
つい目を泳がせた。
城で職を得る前まで、両親は相手を探してくれてはいたようだが、なにせ貧乏男爵家。兄様という将来有望な騎士がいたところで、特別美しくもないわたしをもらってもいいという奇特な独身男性が見つかるはずもなく。
なにより、持参金がないのだ。
いっそ平民ならよかったのに……。
持参金などいらないよという奇特な相手、たとえばお金持ちの後妻ならばどうかと両親に提案したところ、両親から話を聞いた兄様に待ったをかけられたのだ。さすがに祖父ほどの歳の離れた相手に嫁ぐことになるかもしれない妹を不憫に思ったのだろうと考えたが、ちょっと違った。
「俺からアリッサを奪えるくらい強い男を探すと、昔約束しただろう」
いや、したけども。そんな昔の約束を覚えていてくれたことは本当に嬉しい。でも、実際そんな人がこの国に存在しているかが問題で。
国境を越えて妹の結婚相手を探す武者修行の旅にでも出る気なのだろうか。万が一見つかったとしても、兄様よりも強い相手ということはその時点で兄様は倒されて死んでいるわけで……。
その約束をしてくれたときに、兄様の屍を越えてこちらに向かって来る巨大な怪物を想像し、わんわん大泣きしたことを思い出して遠い目をした。
しばらく夢に見たな……あの怪物。
妹を泣かせたことを思い出したのか、兄様も気まず気に目を逸らしていた。
「……もし見つからなくとも、妹の面倒は責任を持って兄である俺が見る」
結果、兄様に申し訳なさすぎて、わたしはすぐに働きに出ることとなった。
自分の面倒は自分で見ないと、と。
兄様はかなり不満気だったし、それがきっかけか、最近では目も合わせてくれなくなった。
だけど兄様のお眼鏡に適う相手が存在しないのだからどうしようもない。
王都に出ればもしかしたら、という期待もあったけど、現実は兄様と比べられて落胆される始末。
まあ、でも……。
目の前の彼を見て、宝石のような翠色の瞳に見つめられて、頬を染め慌ててうつむく。
うん。結婚はできなくても、こうして素敵な人と食事したという思い出ができただけで十分、田舎を出てきた意味はあった。
「婚約者はいないんだ? 恋人も?」
「……いないです」
見ての通り、モテないので。
小さくつぶやくと、セオ様が小首を傾け、にこーっと笑った。無邪気な子供のようでいて、悪巧みをする猫のようでもあった。
「だったら僕とつき合わない?」
「え、……えっ?」
「きみのこと、好きになっちゃった。僕も婚約者はいないし、今はフリーだよ」
好き!? って、あの好き……?
いや、でも……。セオ様はどう見ても、貧乏男爵令嬢の自分と釣り合うような下級貴族な家柄ではないだろう。
狼狽するわたしの表情を正確に読み取った彼は、微苦笑した。
「確かに実家は公爵家だけど、僕は三男だし。あまり期待もされていない。継げても子爵位だから、男爵家ならちょうどいいんじゃないかな?」
こ、ここここ公爵家!?
なぜ事前に家名を聞いておかなかったのかと青ざめる。そりゃあ周りの女性たちがちらちらと見てくるわけだ。セオ様がフレンドリー過ぎるのが悪い。
一般的に爵位は長男が継ぐので、次男三男はどこかの婿に入り、奥さんの実家を継ぐものだと思っていたが、公爵家ともなるといくつも爵位を持て余しているらしい。もはや異次元。干したいもとヤギのチーズで冬を乗り切ったことのあるわたしとは別世界の人。
きっとからかわれただけで、本気ではない……よね? ね?
そう結論に至ると、残念のようなほっとしたような、よくわからない感情のまま脱力した。
どう答えるのが失礼でない無難な回答かと考えあぐねていると、膝の上に置いていた手に、すっと手を重ねられた。
え? と思って顔を上げると、すぐそばに秀麗な顔があった。いつの間にか正面から隣のイスへと移動してきたらしい。
「まさか、断ったり、しないよね?」
「う、え、えぇ……?」
にっこりしているのに、有無を言わさぬ圧がすごい。
引っ込めようとした手を、素早く掴まれる。逃しはしないというように、さらに顔を寄せ耳元に囁いた。
「こ、と、わ、ら、な、い、よ、ね?」
……あれ? もしかして、お断りするのが一番失礼だったりする……?
相手の家格が上ならば、従うのは当然のことで。
わたしの意思など、はなから必要ない。こんな風に確認を取る必要すらないに等しい、のかもしれない。城に勤めているので、貴族子息令嬢たちの醜聞はいくらでも耳にする。傷物にされて泣き寝入りしたご令嬢の噂話を聞いたのも、一度や二度ではない。
彼は一応、わたしの意見を聞くという手順を取ってくれている。ノーとは言わせてもらえそうにない雰囲気でも、形だけでも。
わたしには恋人もいないし、万が一遊んで捨てられ傷物となったとしても、どうせ結婚相手は見つからない。
打算的に考えると、三男とはいえ上位貴族の恋人になったともなれば、そっちの方がメリットが大きい気もする。
なにより、会ったばかりではあるが、セオ様のことは嫌いではない。
むしろ好意を抱いている。
遊び相手なのだとしても、わたしを望んでくれたのなら、ちょっと嬉しい。
「あの……はい」
恥ずかしくなって、うつむきながらそう答えると重ねられていた手がきゅっと握られた。伏せていた目をちょっと上げると、とてもいい笑顔でありがとうと言った。
こんなに唐突にロマンスが降って来ていいのかな。
困惑しつつも、この人ならばきっと悪いようにはされないだろうという漠然とした信頼を寄せたとき、彼はこれまでで一番綺麗な笑みを乗せて、胸に手を当て、誓った。
「大切にする。……セオルド・マクニールの名にかけて、ね」
「……え」
待って。
ちょっと待って。
焦るわたしに気づいているのかいないのか、セオ様はゆっくりと周囲に見せつけるようにわたしの手を掬い上げると、指にそっとキスを落とした。
そんなことはじめてされたが、それどころではない。
マクニール。
マクニール公爵子息。
さあっと血の気が引く。
情報通ではないわたしでも、その名は知っている。
だってそれは……兄様を目の敵にしている、いわゆるライバルの名前だったから。
主な登場人物
アリッサ・カレン(17)
セオルド・マクニール(24)
レオナルド・カレン(24)
ちなみにレオとセオの誕生日は1日違いという設定
レオの方がセオより1日早い