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 思惑通りアブゼル侯爵は動きにくいのか、侯爵派の令嬢たちを使ってアリッサに接触を図ってきた。


 アリッサに僕の目的を吹き込んで引き離し、いかにも親身になる振りをして慰めて、彼女たちと親しくなったところで犯罪に手を染めるよう誘導するつもりなのだろう。


 アリッサは厨房で働いている。だからカレンを追い落とす方法として一番現実的なのは、言葉巧みに騙して王太子殿下の食事に毒を仕込ませることだ。


 王族の食事は毎回毒味係を通しているので、よほどのことがない限り毒を入れたところで殿下にまで届くことはないのだが、その犯人がアリッサであれば、少なくとも兄であるカレンを近衛から引きずり降ろすことはできる。


 邪魔なカレンさえいなければどうとでもなるとでも思っているのだろう。報復的な意味合いもあるのかもしれないが、完全に騎士団を舐めている。


 アリッサがそちらに靡くとまずいと思い、そばに潜んで令嬢たちとの会話に聞き耳を立てた。


 アリッサは彼女たちの登場にはじめこそ怯えた様子だったが、その一方的な話を聞くにつれ、次第に困惑顔になっていった。


 田舎から出てきたばかりでも、さすがに自分の兄を目の敵にしているやつの名くらいは知っているし、それは僕がはじめて名乗ったときの表情が物語っていた。


 だからなのか、アリッサの顔からは、今さら言われても……、というような呆れさえ見て取れた。


 しかしアリッサはバカでも愚鈍でも能天気でもないが、これまで悪意に晒されずに育ったせいか、人の悪感情や思惑に疎いところがある。僕に対してもそうだが、彼女たちからの忠告を、額面通りに忠告として受け止めているようだった。


 裏側の醜い部分まではきっと見えていないのだろう。だけど、そんなものは見なくていい。アリッサはなにも知らなくていい。その綺麗な心が穢れるようなことがあれば正気でいられる気がしない。


 アリッサの様子をつぶさに観察していると、最後はどことなく不機嫌そうな顔をしていたのがおかしかった。どんぐりと間違えて苦い木の実を齧ってしまった仔ダヌキみたいな、あんな拒絶顔、はじめて見た。声を押し殺して笑ってしまう。


 あの様子なら、僕のときのように彼女たちに対して心を開くことはないだろうな。


 それでもこれ以上彼女たちと接点を持たれては困るので、早めにアリッサに釘を刺しておかなければと、ぬるっと背後から近寄った。


 令嬢たちに小声で感謝の言葉を告げたアリッサに、少々、いや、かなり気を悪くしながらその肩に顎を乗せる。


 自分でもびっくりするくらい低い声で脅していたが、アリッサは焦りながらも、さっきの感謝は建前だとはっきり言ってのけた。


 案外僕と同じで、八方美人というか、嫌われない程度にみんなとほどほどの距離感でつき合えるだけの処世術に長けているのかもしれない。見くびっていたことに、心の中でごめんねと謝罪する。


 万が一なにか悩みや相談事があったとしても、アリッサならばもっと身近な相手、それこそ厨房の同僚たちにするだろう。


 とりあえずこの件はカレンに報告するとしても、さほど差し迫った問題ではないなと優先順位の下位に置いたところで、アリッサの突拍子もない思考回路により僕とカレンが仲良しなのではないかという、現状最も知られてはならない核心を突かれて、少し焦った。


 仲良くはない、が、手は組んでいる。


 それは似て否なるものだ。


 カレンのことを嫌いなのは嘘ではない。あいつの存在自体が癇に障る。カレンとの殺伐としたエピソードを軽く口にすれば、アリッサは引き攣った顔で苦笑いしていた。


 それなのに、彼女は不思議なほど僕に対して嫌悪感を示さない。


 カレンと仲が悪いのならばわかるが、彼女は自分の兄を尊敬して慕っている。普通に考えて僕の立場は悪役だ。それなのに、どっちも傷ついてほしくないから、喧嘩するなら試合しろとまで言う。


 アリッサ以外の誰も、決してそんなことは言わないはずだ。


 だって、僕がカレンに勝てるわけがないから。


 百人に訊いて百人がそう断言するだろう。


 アリッサだってカレンが負ける想像などできないだろうに、そんな化け物相手に、同情でもなく僕が対等に戦えると信じて疑わない。


 勝ってるところがあるとさえ平気で言ってのける。


 これまでの僕は、一度だって褒められたことはなかった。教官にさえ、カレンならば、カレンだったら、と、ため息交じりにそう言われ続けてきた。


 いくらがんばっても、どれだけ努力しても、天才(カレン)の前ではその努力すら霞んでしまう。競技会だってそうだ。カレンが優勝したことは知っていても、僕が準優勝だったことなどきっと誰も覚えていない。


 それなのに、この子はあのときのことをずっと覚えていてくれた。


 自分でもびっくりするぐらいちょろいなと思いながら、アリッサの体をぎゅっと抱きしめた。思わず、好きだという本音が溢れた。


 ああ、本当に、この子だけいればいい。ほかはもうなにもいらないから、手放したくない。


 だけど……この幸せを享受できるのも今だけだ。


 無理やりつき合わせている以上、すべて片がついたら潔く身を引くつもりだった。


 軽薄な男は演じなくても素でできる。


 僕は元より、そういうやつなのだから。






「この間のアリッサ、本当にかわいかった……」


 アリッサが買い物に行きたいと言うので、護衛を兼ねて荷物持ちという名目で一緒に出かけた。


 やはり一度襲わせたことが功を奏したのか、アリッサはひとりで外出することに抵抗があるらしく、かわいそうだが内心ほっとしていた。


 だけど念のため、僕以外と外出するのは禁止と言い聞かせておいた。今の状態ならば素直に守るだろう。


 だけどもし、僕以外のほかの男を誘おうものなら……その男を殺しかねない。


 牽制を兼ねて周囲にこれまで以上ににらみを利かせておかないと。


「無益な殺傷はやめてくださいね」


 カーテンの靡く窓の奥から王太子殿下の声が降ってきた。勝手に人の心の声を読まないでほしい。


「安心してください。社会的にしか殺しません」


 もしくは、男として死んでもらうか。


 カレンの呆れたため息も聞こえたが、これはいつものことなので聞き流す。


 調子に乗ってアリッサの左手薬指を予約したが、これはもう、実質婚約しているようなものではないだろうか。もはや立場を恋人から婚約者に格上げしてもいいのでは……?


 そんな薔薇色の妄想に無粋なカレンの声が割って入る。


「報告を」


「アリッサが僕の瞳の色のリボンを身につけようとしてて、もう、かわいすぎて悶え死ぬかと思った」


「……報告を」


 まったく冗談も通じないカレンに、やれやれと肩をすくめて本題に入る。


「例の令嬢たちは問題ない。アリッサ本人が関わり合いになりたくないようだったし、僕がそばにいる限りは寄って来ないだろうね。それと予想通り、デートには軽い尾行がついていたよ。お義兄さん(・・・・・)?」


 重たい空気を割るように、王太子殿下の押し殺したような笑い声が耳に届いた。


 長い長い沈黙が続き、ようやく、カレンが言葉を発した。


「当然、尾行相手を特定してその雇い主にまでたどり着いているんだろうな?」


 思わず、うっ、と呻く。


 からかっただけなのに、別の方向から思い切り反撃された。


 尾行相手を特定する余裕はなかった。いろんな意味で。


 尾行者より、悟られることなくアリッサを送り届けることを優先させた。その判断は間違っていない、はず。


「そっちこそ、進捗はどうなんだよ」


 教えてくれないだろうと思いながらも、ごまかしを兼ねてそう口にしていた。


 あんな侯爵、どうせ叩けばいくらでも埃は出て来る身だろう。証拠さえ揃えば今のカレンならばいつでも追い落とせる。王太子殿下の後ろ盾は伊達じゃない。


「侯爵家にひそかに出入りしていた縁者を名乗る男が、モニカ妃の従者として城に上がった」


 期待していないところで、あっさりと大きめの情報をもらえたことにイラッとしながら、それで? と続きを求める。カレンのことだから、それだけではないはずだ。


「その従者が毒味役の娘に接触している」


「……」


 ことの大きさに反応を返せずにいると、王太子殿下が他人事のように軽く言った。


「僕を毒殺する気満々ですね」


 そういうことなのだろう。僕の予想がにわかに真実味を帯びて来た。


 毒味役の娘は使い捨ての駒だろう。その従者も都合が悪くなったら切り捨てられるはずだ。


 しかしこの殿下はなぜこんなに悠長におしゃべりに興じていられるのか。そしてなぜちょっと楽しそうなのか。理解に苦しむ。


「おや? お義兄さん(・・・・・)は私を心配してくれているのですか? 毒殺なら、暗殺の中でもまだ回避しやすい方ですよ」


 思わぬところからしっぺ返しを食らった。妹の婚約者候補なのだから、お義兄さんと呼ばれてもおかしくはない。相手が仕えるべき主人でなければ、まだ義兄じゃないと文句のひとつも言えたのだが。


 結局カレンと同じ対応で乗り切った。沈黙は金。これに勝るものはない。


 毒殺を回避しやすいと平然と言ってのけるだけあって、王太子殿下は年の割になかなか肝が据わっている。精神が強靭過ぎて引くくらいだ。


「僕がもう四、五歳年を取っていたら、モニカ妃を籠絡していっそこちらの手駒にしたのですが……」


 ふぅ、と嘆息する王太子殿下に、ああ、肝が据わっているどころじゃないな、と苦笑いした。将来が恐ろし過ぎて期待しかない。


「放っておくのか?」


「今は泳がせておく」


 相手のしっぽを掴むためにはやむを得ないだろうが……。


 カレンにしてはのんびりし過ぎている気がする。


 慎重になる場面ではあるが……気のせいか?


 どの道僕のやるべきことはアリッサの護衛であり、侯爵を追い詰めることではないと無駄な思考は捨てた。


 その後簡単な情報交換を終えて、周囲に気を配りつつ、誰にも見られずその場を離れた。



補足

セオは競技会のことを誰も覚えていないと思っているが、実際はそうでもない

特に騎士団員たちは覚えているからこそ、レオに噛みつくセオに味方こそしないが同情的な側面も

セオの人柄と処世術もあるが、レオナルド・カレンの妹に手を出したという噂があっても、多少軽蔑される程度で嫌われていないのはそのため

彼らの関心は、アリッサが傷つくかどうかよりも、レオの怒りを買うかどうか

身内意識が強い組織ではあるが、よほど親しい仲でもなければプライベートにまで口出しをしないのが暗黙のルール

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― 新着の感想 ―
アリッサの推測ですら「そういう考えかぁ」とビックリしてたのに、真相はさらに裏があった。。。怖い。 特に王太子殿下。年齢知ってから「いたいけな子どもが悪意にさらされて、可哀想」とか思っていたのに。絶対…
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