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カレンは僕がアリッサに接触する前に、信用できる部下数人に妹の存在を匂わせる発言をした。あえてこちらから妹の存在を明かす。警戒していないことを見せつけるように。
アリッサの存在は騎士団内で瞬く間に広がった。
その弊害として、“レオナルド・カレンの妹”に浮き足立つ輩が出てくるのも事実で。
「なんか、地味だったよな」
残念ながらそれが世間のアリッサへの評価だった。
カレンの妹と聞いて絶世の美女を想像するのは、まあわからなくはない。それが実は垢抜けない田舎娘だったら、理想と現実の齟齬で戸惑うのも、まあ理解できる。
それはわかる。理解もできる。だが……。
腰の抜けたアリッサを放置していく若手騎士らに対し、一からしごき直してやろうかと彼らの教官に告げ口することを決めて一歩踏み出す。
レオナルド・カレンの妹という要素さえ抜けば、客観的に見てもアリッサは普通にかわいい。僕が知っていたのは四年前の姿だったが、当時でも素材自体は悪くなかった。
つまりなにが悪いかと言うと、全面的にカレンが悪い。アリッサへの不当な評価の原因はすべてカレンのせいだ。諸悪の根源はレオナルド・カレン。まず間違いない。
言いたいことは多々あるが、せっかくなのでこの機会を利用してアリッサに近づくことにした。
昔と変わらず表情がころころと変わり遠目で見ていても愛らしかったが、やはり至近距離で見つめると違いが如実に表れている。顔の輪郭や体つきはぐっと女性らしくなっているのにあどけなさが内包された少女特有のアンバランスさに、胸を撃たれてしばし見惚れた。
カレンと同色の瞳もアリッサだとまるで澄んだ青空のように綺麗で、今は涙に濡れて揺らめき、僕の中にも存在したらしい庇護欲をこれでもかと煽ってくる。
思いがけずに胸が苦しい。これまで想像していた何倍もかわいい。距離を詰めてようやく見えるその薄いそばかすのひとつひとつにキスしたい。
だがしかし、第一印象は大切だ。決して邪な下心が漏れ出ないように、紳士的な表情と振る舞いに気をつけなければ。人に好意を持ってもらえる雰囲気作りはわりと得意分野なので、この処世術で絡め取ろうと思う。
それに、最初くらいはよく思われたい。
へたり込んだアリッサに手を差し伸べた。おずおずと伸ばされたその小さな荒れた手から彼女の苦労を知り、つい想いが溢れて胸に抱き寄せていた。華奢な肩を抱きながら、このまま拐ってしまおうかなと真剣に悩む。
うちに監禁するのが一番安全なのに、なぜ野放しにしなければいけないのか。
アリッサがすぐに離れたので犯罪に手を染める寸前で思い留まったが、危なかった……。
カレンの部下たちのせいで警戒されるだろうかと危惧していたが、手を貸したのがよかったのか、話しやすい雰囲気を作ったおかげか、兄の同期だと知るとあっさりと心を開いて夕食の誘いに乗って来た。
あんまりちょろかったので、拍子抜けしたくらいだ。
変な男にちょっかいかけられないか、心配だな……。
自分のことは棚に上げて、彼女の呑気さを本気で憂いた。
とりあえず、第一段階は首尾よく終えたと言えるだろう。
カレンのからかいのネタも手に入れたことだし。
それにしてもカレンは一体、どんな顔して洋菓子店に並んでるのかと、想像するとつい笑いそうになる。
僕から見たらずいぶん気にかけているのがわかるが、いまいちアリッサに気持ちが伝わらずすれ違っているようだった。わざわざ教えてやるのも癪なので永遠に沈黙を守ることに決めて、策を練る。
このまま名乗る前に告白したら、警戒心皆無のアリッサならば、たぶんすぐ落ちるだろう。
だが僕の名前を知ったら当然、こう考えるはずだ。
兄への当てつけに利用された、と。
もちろん大切にするつもりだが、それ以前に逃げられては計画が早々に破綻する。そうなる前に言質を取り、重ねて家格を盾に彼女を縛る。カレンが侯爵を潰すまでは。
あのレオナルド・カレンだ。さほど時間もかからないだろう。
アリッサさえ守れればそれでいい。
自分がどう思われるかなど、二の次だ。
つき合うことを承諾してくれたアリッサは、僕のことを警戒しながらも逆らわない。家名を使った脅しがかなり効いているのか、田舎育ちで貴族社会に疎い彼女は、高位の貴族の命令は従わないと首が飛ぶとでも思っているようだった。
都合がいいので訂正しなかったが、僕を見てはびくびくするのがだんだんとかわいそうになってきたので、監視ついでに花やちょっとしたお菓子を手土産代わりに贈ってみた。
困惑しながらも頬を緩ませて嬉しげに受け取るアリッサの、かわいいことかわいいこと。
「…………結婚したい」
城の外壁に背を預けて本音をぽつりともらすと、頭ひとつ分上にある窓の向こうから、重たい沈黙が返ってきた。
単なる独り言なので返答待ちをしているわけではないが、そこにいるはずのレオナルド・カレンがなにを考えているかは、概ね想像がついた。いいから早く報告しろ、だ。
直接顔を合わせて話ができないので、こうして壁を挟んだ外と中で報告し合うことが慣例となりつつあった。
「セオルドに結婚願望なんてあったのですか?」
カレンがあまりにもなにも言わないので、その奥から王太子殿下の声変わり前の綺麗なアルトの声が降って来た。壁の向こうは殿下の勉強部屋なので、当然彼にも聞こえていたことになる。
普段は王女殿下の護衛をしているが、王太子殿下とも当然面識がある。なにより彼は、うちの妹の将来の夫候補。つまり畏れ多くも未来の義弟(仮)。なので彼の方は親しみを持ってくれているのか、丁寧な口調でわりとずけずけと言ってくる。
「僕にも結婚願望くらいはあります」
「セオルドはてっきり、女性には飽きてしまったのかと思っていました」
語弊がある。飽きるほど遊んではいない。アリッサを見つけてからは特に。
わざわざ訂正はしなかったのは殿下の言うこともある意味では当たっているからで、なにせアリッサ以外の女にはまるで興味が湧かないのだからこればかりは理屈ではない。
それに殿下は僕が遊んでいると言ったが、それは相手である過去につき合った彼女たちにも言えることだ。
遊びだから僕に靡き、遊びだから後腐れなく別れられる。
しょせん遊び相手にしかならない程度の男。それがセオルド・マクニールだ。
「……殿下、勉強の続きを」
カレンが集中力の途切れた殿下をたしなめ、僕は脱線した話を再び元へと戻した。
「ひとまず僕が周りをちょろちょろしてるからか、誰もアリッサに接触できていない。これが侍女や女官だったら侯爵も堂々と近づけただろうけど、あのプライドの高いおっさんが、下働きに自ら話しかけるなんて、まずないと思うね」
それを見越してアリッサが城で働くにあたり口添えをしなかったのなら、頭が下がる。
そのせいでアリッサはあかぎれのある手で汗だくになりながらじゃがいもの籠を運んでいるのだが。
アブゼル侯爵がアリッサを手に入れるつもりなら、まずは人を使うだろう。だが雇われたような相手は、腐っても高位貴族で騎士の僕がそばにいることでうかつに近づけないはずだ。
自分が侯爵の立場ならばと考える。
もし気長な手を使うのなら、アリッサを口説き落とし、その恋情を利用して王太子を害するような行動を起こさせるのがベストだ。
この場合の利点は、アリッサが自ら侯爵の駒となり動いてくれるという点と、カレンを道づれで潰せるという二点。
そして最後には、トカゲの尻尾切りのように使い捨て。自分は安全な場所から、高みの見物をしていればいい。
そのためにはアリッサがどういう人間なのか、恋に浮かれやすいタイプなのかを冷静に見極めなければならない。
だが口説き落とそうにも、アリッサはすでに僕の恋人だ。彼女は二股をかけられるような器用な子ではないし、浮気なんて僕が絶対に許さない。
なので手早く手荒な行動に出るだろうことは読めていた。
例の犯罪集団の手口のひとつは誘拐。
十中八九、アリッサを拐おうと考えていると見た方がいいだろう。カレンもそれに同意した。
狙うなら断然城の外。犯罪集団の残党が城内に入るのは容易ではない。
人の多い街に出ればいくらでも隙が生まれる。
田舎から出てきたばかりの娘ならば、その倍は隙だらけだ。
だがアリッサに街に出るなとは命令しがたい。
それは心情的な問題や人権的なあれこれでは、ない。
人はなぜか、やるなと言われたことほど、やる傾向にあるからだ。しつこく言われれば言われるほど、ムキになって間違いを冒す。
だが実際に身をもって危険性を知った後ならば?
話は変わって来るはずだ。確実に命令の重みが増す。
「アリッサを一度、人を雇って拐わせようと思う」
「人選はどうする」
反対しないあたり、カレンも似たような荒療治を考えていたのだろう。だが内密に事を進めたいゆえに同僚や知り合いに頼むわけにもいかないし、それなりの理由も必要だ。でなければ下手したら僕自身が犯罪者として身内に連行されかねない。
となると、だ。
「街で、顔は厳ついけれど気の良さそうな若者を雇う」
「引き受けてもらえるだけの理由はあるのか?」
「ある。好きな子にいいところを見せたいから協力してくれと低姿勢で頼む」
「……そんな理由で、引き受けるものか?」
懐疑的なカレンは、なりふり構わないくらいに人を好きになったことがないのだろう。かわいそうなやつだ。
「好きな女の気を引きたいという、切実な男心がわかるような相手を慎重に選ぶよ。きみと違ってね」
「……。わかった。だが」
「わかってる。ちょっと脅かす程度だ」
カレンが、心配だという心情がだだ漏れのため息をひとつつく。
隠れてのやり取りだが、あまり長居するのもよくない。
それを話し合い終了の合図と受け取り、僕は音を立てずにその場を離れた。
結果として、アリッサに街のひとり歩きの危険性を理解させる作戦は成功した。
想定外だったのは、脅かし過ぎたのかアリッサが気絶してなかなか起きなかったことぐらいだ。
ひとまず中心街に借りている部屋に連れ帰ったが、あまりに起きないので何度か病院へ駆け込むべきかと本気で悩んだ。
外傷もなく眠っているだけのようだし、慣れない仕事の疲れが出たのかもしれない。そう自分に言い聞かせて、身を清めてから彼女の隣に潜り込む。これくらいの役得があってもいいはずだ。
気になって寝れないかと思ったが、僕自身も疲労が溜まっていたらしく、もったいないことにアリッサのかわいい寝顔を堪能することもなく、目を閉じた瞬間寝入っていた。
翌日、アリッサには念のために、部屋の合鍵を渡しておいた。万が一のとき、街に身をひそめる場所があった方が心強いだろう。……というのは建前で、本当は単なる自己満足。
しかしこれで、事実はどうであれ、周囲は僕らの関係が深いものとなったとみなすだろう。
それを裏づけるようにカレンとの関係も修復不可能なほど悪化させている。……表向きは。
もちろん職務に支障をきたさない程度に、だが。
アリッサは気づいていないようだが、彼女が外泊して僕と一晩過ごしたことは、翌日には噂として広がっていた。当たり前だ。自分で吹聴したのだから。
傷物にしてしまったことは申し訳なく思うが、それでも、命を狙われるよりはずっとましなはず。
この件はカレンの同意も得ている。
絶対に手を出すな、という圧はかけられたが、この状況で手を出せるほどお気楽な頭はしていない。
事件が解決したらすぐに撤回するし、それ以前に人の噂など放っておけばすぐに消える。
だけど……噂が耳に入らないほどアリッサが下っ端であることに、今は深く感謝した。
アリッサ誘拐未遂事件の真相
そして遅れてきた初恋が大暴走中のセオルド・マクニール