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競技会以来、カレンへのからかいのネタにアリッサを利用し続けた。
ほかの同僚がいないところでのみだが、絡むこと自体は以前よりも増えていた。
塵も積もれば山となるように、毎日チクチクと攻撃し続けていたら、こいつの鋼鉄の心臓にも風穴が開くかもしれない。一応人間なのだから。
人目を避けるのは、僕とカレンが職務以外で口をきいているところを見られようものなら、明日からどんな噂が立つかわからないから。
そしてなにより、ほかのやつらにアリッサの存在を知られてしまうのが気に入らないからだ。
比率としては後者の方が大きい。
カレンは仕方ないとしても、あの子の存在を知っているのは僕だけでいい。
もはやあいさつと化したそれを、僕はいつもの調子で口にした。
「カレンの妹はかわいいよね」
ふたりきりになったときを見計らってそう切り出す僕に対して、カレンは最初ものすごく不本意そうに眉を顰めるも、決して否定をしないところがおかしい。
カレンは思った以上に妹を溺愛しているらしい。
会ったのは競技会のときの一度だけだったが、未だに記憶が薄れないのは、こうしてたまに話題にするからだろう。
しかしあれからもう四年は経っているので、あの子もそろそろ結婚適齢期のはずだ。
あのまま兄に似ることなく愛らしい女性へと成長していればいいが、今のところ、カレン家の娘が婚約や結婚したという話は聞かない。
実家が貧乏すぎるせいだろうか。近衛騎士の給金が領地経営に回されてなんとか保っている状態ならば、当然持参金も出せないことになる。
それに、あの見るからに人のよさそうな両親。偏見だが、誰彼構わず騙されていそうだった。もし借金があるのなら嫌厭されても仕方ないし、よほど裕福な家でもなければ、彼女を娶ろうという気概は起きないだろう。
一般的な審美眼で見たアリッサは、たんまり金を積んでもいいというほどの美人ではない。もしカレンの女版ならば引く手数多だっただろうが、こんなのがこの世にふたりもいたらと思うとぞっとする。
貴族の令嬢は、美しさと強かさを持ち合わせてこそだ。嘘や謀事には向いていなさそうなあの純粋な田舎娘は、気位の高い貴族の妻には向いていないだろう。
うちの両親がいわゆる気位の高い貴族の典型で、彼らの勧めるご令嬢たちもやはりみな似たようなもので、家柄もよく美人だったが、一緒にいると肩肘が張るような相手ばかりだった。せめて家では気を張らずいたい。
そして愛でて愛でて、存分にあまやかしたい。
アリッサみたいな子が家にいたら、毎日楽しいだろうな……。
旦那になる男がうらやましい。死ねばいいのに。
僕を見てくれたのはあの子ひとりだったせいだろうか、変な執着をしている自覚はあるのだが、今さら心の裡から引き剥がせるものでもなく、その矛先は当然八つ当たりとしてカレンに向かっていく。
お互いこのやり取りは慣れたもので、特に返事を期待していないのでそのまま通り過ぎた。
「……そんなにうちの妹が気になるのか?」
背中にそう声をかけられて、驚愕に振り返る。四年目にしてはじめてだったせいか、気の利いた返しが見つからない。
えっと、なに? 気になるのかどうか……?
そんなの、聞くまでもないだろうに。カレンをからかうためとはいえ、印象に残らない子だったならばとっくの昔に忘れ去っていただろうし――……と考えたところで、自分の考えに引っかかりを覚えた。
……うん?
一度見かけただけの女の子を、こんなに長い期間記憶しているのは、果たして普通なのだろうか。
背中に変な汗がにじんだ。
いやいやいや。愛玩動物のように心の中で愛でているというか、そんな感じの気持ちを抱いていただけで……。
焦って弁解をしようとしている自分に気づくと、今度こそ愕然とした。
いや、待って。僕は……あの子のことを、好きだった?
よくよく思い返せば競技会の時に言ったことは、これまでの嫌がらせやからかいの類ではなく本心だった、かもしれない。
それは認めてしまえば今まで気づかなかったことが不思議なくらいに、すとんと腑に落ちてしまった。落ちたというか、落ちてしまっていた。ベタな言い方をすれば、恋に。
ふわりと花が咲くように浮かれたのは一瞬で、すぐに冷静になって苦笑した。
自分の兄にすべてにおいて劣っている男に想われても嬉しくはないだろう。だいたい言葉を交わしたこともないのに、普通に気持ち悪い。
朴念仁っぽいカレンに己の恋心を気づかされたのは癪だが、気づけたところでなにかが変わるわけでもない。
しかしカレンがいきなりこんなことを言うのには、それなりの理由があるはずだ。
かわいがっている妹を僕にくれようとしている、なんて、都合のいい話ではないのだろう。
動揺を悟られないよう、平静を装った。いっそ開き直って、そうだけど? というスタンスで。
「なんで急にそんなことを?」
やや警戒心を持ちながら真意を問うと、カレンはめずらしく疲労感のこもった嘆息をした。
まったく、なにをしても絵になるやつだ。その絵姿が巷でいくらで売られているか教えてやろうかとも思ったが、今は関係ないかと喉の奥へと押しやった。
「数年前、アレートの町を根城にしていた犯罪集団のことは覚えているか?」
急に真面目な話に飛んだな。着地点が今のところ不明だが、さすがに不穏な流れになるだろうことは感じている。
あれは確か、まだ自分たちが下っ端だった頃のことだ。騎士団に入ってすぐはみな、身分関係なく地方勤務からはじめることになっている。
僕はなぜか、カレンとともに辺境近くのアレートの町への赴任が決まった。上層部の作為的な意図を感じなくはないが、個人的感情は抑え従事していた。
一応は貴族の子息なのでそこで数年勤務するか、それなりの手柄を上げれば王都へと戻れることになっており、結果としてカレンが犯罪集団を制圧し、その作戦に絡んだ僕もこうして王都に戻ることができたのだが、心境としては複雑なものだった。
カレンのおかげで出世とか、一番の屈辱だった。
当時の苦々しい思いをどうにかひた隠して事件の記憶をたぐる。
「あれだろう? おまえが捕まえたやつら、今はこの国で一番厳しいウェーニェン島の監獄にいるとか」
そう言うとなぜかカレンがこちらを鋭い目つきでにらんできた。
なにか地雷を踏んだっぽいが、怒りのポイントが未だによくわからない。アリッサの話はしていないというのに。
「で? それがなに?」
「……これはまだ不確かな情報だが、やつらの残党が王都で目撃された」
「なんだそれ。残党とかいたんだ? 仲間を捕らえたおまえに復讐でもしようと?」
つい鼻で笑ってしまった。
無謀だろう。
相手はレオナルド・カレンだぞ。
返り討ちに遭うのが目に見えている。
嘲笑しかけたところで、引っかかりを覚えた。
……いや、違うのか。話はもっと複雑なところへ繋がる、のか? だとすると……。
「やつらを操っていた例の黒幕の件か?」
違法な人身売買を行っていた例の犯罪集団は、どうにも貴族の後ろ盾というか、黒幕がいたことまではわかっていた。
まあ、それがどこの誰かも、見当はついていたが……。
相手の方が一枚上手だっただけの話。
証拠は消されていたし、もとよりその犯罪集団の元締めさえ、どこの誰が黒幕か知らない徹底ぶり。
金の流れもたどりきれず、それ以上その貴族を追い詰められなかった。
なにより相手が有力貴族で、こっちは駆け出しの下っ端騎士。下手に手出ししたらこっちが消されていた。
「アブゼル侯爵か……。側妃となったモニカ妃が懐妊した今、その子が男だったらと思うと……殿下も気が気じゃないだろうな」
王妃だけ愛しておけば政権争いの火種の半分は減るというのに。これだから権力者は。
「……で?」
で、だ。この話の着地点はどこだ。
「今……城で下働きをしている」
なんか話がまた変な方向へ飛んだ。口数が少ないのは常だが、こうして歯切れが悪いのはカレンにしてはめずらしい。なんてのんびり構えていたが、それがアリッサの話だと気づくと、さすがの僕も平静ではいられなくなった。
「はぁ? 侍女とか女官とかでなく?」
一応令嬢だろうに、下働きなんて。なんてことをさせるんだ。
その点はカレンも不本意らしい。わずかに目を伏せると、一切の感情を排して、言った。
「じゃがいもを……むいているらしい」
「…………じゃがいもを」
もはやなんと声をかければよいかわからず、おうむのようにただ言葉を繰り返した。じゃがいも。じゃがいも……?
頭の中でごろごろとじゃがいもが転げ回っていたが、そこでようやくカレンの言いたいことが見えてきた。じゃがいもの一角から、唐突に。
アブゼル侯爵はおそらく人身売買組織を瓦解したカレンを恨んでいる。そして自らの孫を王位につけるために王太子殿下を暗殺する気満々だろう今、近衛隊長として護衛する彼を排除することになんのためらいもないだろう。
普段のカレンならば、ここぞとばかりにうまく隙を見せ、自分を囮にしてアブゼル侯爵を捕らえ、今度こそ言い逃れできない状況に持ち込み投獄するくらいのことはさらっとやってのける。
だが。
アブゼル侯爵の手の届く範囲にカレンの最大の弱みとなる妹がいる今――。
やつがそれを利用しない手はない。
田舎から出てきたばかりの小娘ならば、人質として捕まえるくらいわけないだろう。きっと瞬殺だ。
事態の深刻さを知り、つい頭をかきむしりたくなった。
「どうしてこんなときに……! だいたい、なんでしっかり田舎に押し留めておかないんだ! なんのためにそんなおっかない顔をしていると思っているんだ!?」
こういうとき、妹を脅してでも田舎に留め置くためだろうがと悪態をつく。
「この顔は生まれつきだ」
「素で返すな。そんなことを聞きたいわけじゃない! やつらの手口を知っているだろう? 誘拐してきた女や子供を、薬漬けにして奴隷として働かせるような集団だぞ!」
怒鳴ったせいか、同僚たちがちらほら野次馬として集まって来てしまった。
カレンとの仲が最悪なのはいつものことだが、声を荒げて言い争うことは滅多にない。
いつ王太子殿下が狙われるかわからない以上、カレンは妹よりもそちらの警護を優先する。おそらく自分が動けない代わりに、僕に、内密に妹の警護を頼みたかったのだろう。
こいつは自分以外の人間も、努力次第で自分と同等の力を発揮できると思っているふしがある。引くような仕事をさらっと押しつけられるたび、イラッとする。
そもそも二番手の男に大事な妹を任せて、万一のことがあったらどうする気なのだろうか。その過大評価は重荷にしかならないとなぜ理解しないのか。
アリッサを任せる相手として選んでくれたことに悪い気はしないが、今は物思いに耽っている場合じゃない。
「めずらしいな、セオがそんなに声を荒らげるなんて」
目を丸くする先輩や同僚たちに、笑顔を繕いきれずに片手で顔を覆い隠した。その下で深いため息をつく。どうにか必死に自分を落ち着かせようとしている男に見えるように演出した。実際今の僕には冷静になる時間は必要だ。
どこにアブゼル侯爵の耳がいるかわからない以上、人がいる場所でこの話の続きをするわけにもいかない。同僚たちを疑っているわけではないが、念には念を、というやつだ。
「ほとほとこの男が嫌になっただけです」
適当に言いながらも、どうにか頭を回転させる。アリッサの警護は絶対に必要だ。だがカレンの考えは少々ぬるい。彼女の守りを固めれば固めるほど、向こうは躍起になるはずだ。これほど大事な妹ならば人質としての価値があると見せびらかせているようなもの。
同時にアブゼル侯爵にこちらが警戒していることを悟られてしまう危険もある。
ちら、とカレンを見やる。難しい顔をしている。どう贔屓目に見ても、家族と仲がよさそうではない。むしろ険悪そうだ。
だったらそれ利用しない手はない。
すっと目を細め、カレンを冷たく見据えた。普段酷薄な表情をしないだけに、僕の静かな怒りに同僚たちの息を呑む音がいくつも聞こえた。
「レオナルド・カレン。そうやって余裕の顔でいられるのも今のうちだ。絶対に……後悔させてやる」
よほどの仲違いが起きたのだと周囲が思ってくれればそれでいい。今のところは。今打てる布石はこれくらいだ。
「……勝手にしろ」
一瞬でこちらの意図を察したカレンは、さすがと言うほかなかった。
これで僕がアリッサにちょっかいをかけはじめたら、周りは間違いなくこう思うだろう。
レオナルド・カレンへの意趣返しのために、妹を弄び捨てようとしている――と。
それをカレンは勝手にしろの言葉通り、見て見ぬ振りをするはずだ。
カレンにとっての妹がその程度の存在だと、敵が思ってくれれば重畳。
そうでなくとも、まさか一般常識並みに不仲の僕たちが裏で手を組んでいるとは思わないはずだ。
まあ、腹芸のできなそうなアリッサには真実を語るわけにはいかないので、彼女の心を傷つける結果になるかもしれない。
当然嫌われるだろうが、兄を敵視する男としてすでに噂を耳にして嫌われている可能性も高いので、今さらな気もする。
傷ついたとしても、命には替えられない。
傷心して田舎に帰ってくれたらいい。
それはそれだけ僕のことを信じて好意を持ってくれていたという証でもある。
なんか、歪んでるな……。
初恋は叶わないと言うし。
正直まだ恋と自覚しただけの段階だが、それでも、自らぶち壊そうとしている自分はひどく滑稽だった。
レオの心情の変化
一年目
「カレンの妹はかわいいよね」
「……」(無視)
二年目
「カレンの妹はかわいいよね」
「……」(飽きないのか?)
三年目
「カレンの妹はかわいいよね」
「……」(好きなのか)
四年目
「カレンの妹はかわいいよね」
「……そんなにうちの妹が気になるのか?」
セオがレオ相手に、「アリッサ」ではなく「カレンの妹」と言うのは、一応彼なりの配慮
ただの兄の同僚に馴れ馴れしく名前で呼ばれていたら嫌だろうな、というアリッサへの配慮でもある