セオルド視点 1
これまでの人生、一度だって一番というものになったことがなかった。
僕、セオルドが生まれたのは裕福な公爵家だった。
上に兄がふたりに姉がひとり、下に年の離れた妹がひとりの、五人兄妹の四番目という中途半端な立ち位置として生まれ落ち、僕たち兄妹は公爵家の名に恥じぬよう、なにごとにおいても一番であれと両親に言い聞かされて育った。
優秀な長兄は公爵位を継ぐ者としてふさわしい人物であるよう、それはそれは厳しく育てられ、秀才な次兄は現宰相の娘と幼い時分より婚約しており、未来の宰相となるべくこれまた厳しく育てられ、美しい姉は十歳にして隣国の王族に見初められ、行儀見習いマナーに語学と厳しい教育を受けながら貞淑に育てられ、末っ子の妹に至っては未来の王妃候補として、姉以上に血反吐を吐くような王妃教育を受けている真っ最中だ。
両親の期待を背負って、それにことごとく応えている兄妹たちとは違い、僕だけが、この家で唯一期待外れの落第者だった。
騎士になることは、生まれる前から決められていた。
両親は騎士団も掌握しようという愚かな野望を抱き、武功を立て、ゆくゆくは騎士団を取りまとめる地位を得ることを三男に期待した。
……いや、絶対に無理だろう。
幼いながらにそう突っ込みを入れてしまうほど、武功を挙げられるほどの体格に恵まれないのは、両親を見ても一目瞭然だった。
背だけはそこそこあるものの、両親ともにすらりとした体型であり、上の兄ふたりを見てもしかり。
自分が武人に向かないことなど、もはや生まれついた時点で決定づけられていたようなものだった。
親戚に騎士として名を挙げた者がいないのだから、せめてもっと別の分野で期待してほしかった。
それでも、ある年齢までは、両親の期待に応えるべく努力したのだ。
剣技に関してはそれこそ毎日手のひらに血が滲むほど訓練を続け、体格面での不利を補うために体幹を鍛え、持久力と瞬発力に重点を置いて訓練を重ねた。
しかしいざ騎士学校に入学し、あいつ――レオナルド・カレンに会ってはじめて、努力など天賦の才の前では無意味なものだと思い知らされた。
僕だけではない。同期はみんな、カレンには絶対に勝てないだろうと早々に悟り、首席を取ることを諦めた。
それでもうちの両親は、貧乏男爵家の息子に負けるなど許さんとばかりに、自分の息子に、汚い手を使ってでも勝てと言ってのけた。
ふたりとも、レオナルド・カレンという人間をよく知らないからそんな簡単にものが言えるのだ。
汚い手を使わせてもらえるような相手ならば、これほど敗北感を味わっていなかった。
カレンの弱みなど、実家が多少貧乏なことくらいで。
その弱みとて、逆境に強いという強みを彼にもたらしていた。
言葉数は少なく取っつきにくい性格だが、不思議と人は彼に集まった。本人は迷惑そうだが、孤高の狼のように見えて人をまとめる才もある。
それほどまでに、レオナルド・カレンは他を圧倒するリーダーの資質を持っていた。
騎士学校を卒業する頃には、両親はもう僕に対してなにも言わなくなっていた。ただこちらを見て、なぜうちの三男がレオナルド・カレンでないのかとため息をつくのみ。
次席で卒業したところで、期待外れの息子のレッテルが剥がれるわけでもない。いっそ落第してやろうかと思いもしたが、いざカレンを目の前にすると、同じ土俵に立つことさえままならない自分への苛立ちと、両親の期待に応えられないもどかしさと、若さゆえの対抗心なんかが綯交ぜとなり、すべてにおいて食らいつくように彼の後ろを走り続けていた。
僕はカレンが嫌いだったし、向こうもこちらにいい感情は抱いていないはずだった。
カレンに勝ちたくて、カレンに想いを寄せる女たちをことごとく横からかすめ取ってみたが、まったく気持ちは晴れずに、くだらない遊びからは早々に手を引いた。
結局僕がなにしたところで、無駄で。
騎士団での生活にも慣れ、二番手の男と嘲笑めいた通称をいただいた頃には、かつてあった対抗心さえも萎れるどころか、枯れて朽ち果ててしまっていた。
肥料となって新しい花のひとつでも咲かせられればいいが、あいにくカレンのように人を育てる才能もない。
僕って、なんのために生きてるんだろう……。
そんな風に、自問自答する毎日。
騎士を辞めるかどうかまで思い悩んだりもしたが、転機となったのは、五年に一度の競技会でのことだった。
若手の部門で運よく決勝まで残ったものの、当然のごとく決勝の相手はレオナルド・カレン。
どうせカレンが優勝するんだから、そもそも競技会なんてやる必要あるの?
観客もカレンが勝つことを当然のものとして、どう勝つか、どんな技を使うのかと、もはや別の次元での賭けが行われている。
笑えるほど、誰も僕に期待なんかしていない。
……このままばっくれようかな。
レオナルド・カレン、不戦勝。観客の期待を見事に裏切る結果を想像して、わずかに溜飲を下げる。
負けても逃げても、結果は同じ。期待外れの息子が実家に泥を塗ったところで、今さらでもある。早く勘当してくれないかなと願っているが、なかなか思い通りにはいかない。
防具を外して剣も置き、本気で試合放棄しようかと考えていると、カレンと同郷だという同期のひとりが客席を眺めて、「あ、レオの家族だ」とつぶやくのを聞きつけ、僕は反射的にそちらをにらみつけた。
しかしそこにいたのは、庶民的な格好をした見るからに人のよさそうなほのほのとした雰囲気の夫婦と、競技会という非日常に目をキラキラとさせた、十をいくつか過ぎたくらいの少女で。
…………は? レオナルド・カレン、養子なのか?
「……。レオって養子だっけ?」
くしくも僕が思ったのとまったく同じことを先輩が口にした。若干引いた様子で、のどかな田園風景に溶け込んでいそうな親子を凝視している。
「そう思いますよねー。だけど正真正銘、血の繋がった親子らしいです」
「へー。生命の神秘」
「ですよねー」
笑い合うふたりをよそに、僕だけが頭に落雷を受けたような衝撃に震えていた。
あの親から、あの息子が生まれる、だと……!?
これまで、両親の期待に応えられないのは、はっきり言って遺伝のせいだと決めつけていた。だが、それさえも間違いだったのだと突きつけられ、放心状態でふらふらと観覧席を徘徊し、気づくとカレンの家族の後ろの席に腰を下ろしていた。
なんか、戦う前に打ちのめされた……。
やはり敵前逃亡すべきかもしれない。
頭を抱えていると、カレンの妹が父親の袖をくいくいと引いて、不安げな面持ちで話しかけるのが視界の端に映った。
それは小さな声だったのに、はっきりと僕の耳に届いた。
「ねぇねぇ、父様。兄様、次も勝てるかな?」
つい呆れて口を挟みそうになったが、人の会話を盗み聞きしているばつの悪さから寸前で思い留まった。代わりに心の中で苛立ちを発散する。
勝てるに決まってるだろう。この子、バカなのか?
この会場のすべての人間が、レオナルド・カレンが勝つとわかっているのに、身内がなにを言っているんだと理不尽にも腹を立てた。
よほど田舎から出て来たのだろうか。信じられない無知さに憤りを隠さずにいたが、よくよく考えれば相手は子供だ。こんな子供相手に本気で怒ってどうすると自嘲した。
どうやら誰彼構わず毒を吐きたくなるくらいに自分は追い詰められているらしい。
「どうした、アリッサ? レオのこと、信じられない?」
「ううん! ……でも、だけど、次の相手……さっきの準決勝で勝ったあの人でしょう?」
「そうだねえ」
父親がのんびりと同意すると、不安そうな顔をしていた少女は一転、あどけなさの残る頰を染めながら拳を握り、はしゃいだ声をあげた。
「あの人の剣さばき、すっごい綺麗だったよね! 相手の攻撃を避けるだけでもひょいひょいって軽やかで。まるでバンビが蝶々と踊ってるみたいだった!」
思いがけない言葉に、思わず彼女をまじまじと見つめてしまった。
自分の試合をちゃんと見ている人がいたことに、素直に驚いた。
その次に、この少女を、足をばたつかせるくらいに興奮させ楽しませたのが自分であることに、じわじわと胸に未知の感情がせり上がって来るのを感じた。
う、わ……。見られていると思うと、なんか……ものすごく恥ずかしい。
僕のことなど、誰にも認識されていないと思っていたのに。
すぐ後ろで顔を赤くして口元を押さえる僕に気づくことなく、おっとりした母親が娘の頭を優しく撫でた。
「あらあら。アリッサったら、バンビが蝶々と踊ってるところなんて、見たことがあるの?」
「それは……ない、けど……。でも、口では上手に表現できないから……」
父親がしょんぼりする娘の肩を軽く叩き愉快そうに笑う。
「あはは。うちの子たちは口下手で、本当にそっくりな兄妹だなあ!」
「そうねぇ。うふふ」
いや、似てない。
まったく。似ていない。
どうなってるんだこの親は。
あの研ぎ澄まされた孤高の狼のような男と、このころころと表情が変わる愛嬌のある仔タヌキみたいな子の、どこがどう似ているのだろうか。理解に苦しむ。
しかし無関係な立場では突っ込みを入れることもできずに、どうにか衝動を抑えて口を結ぶ。
少女もきっと僕と同じことを思ったのだろう。兄と似ていない自覚があるのか、苦笑いで話を変えた。
「兄様の試合、楽しみだね」
「ええ。楽しみね」
「よし! レオが勝つように、アリッサもよーく応援しないとだな」
「うん! あ、だけど……恥ずかしいから、心の中で応援する」
少女は人目が気になる年頃なのか、頰を染めたまま肩をすくめた。
アリッサ……か。
アリッサ・カレン。
ややタレ目なところも、小ぶりな鼻に散るそばかすも、ふわふわした茶色の髪も、じっくりと観察してみると愛らしく思えてくる。
こっちを振り向いてその目に自分が映らないだろうかと考え、かっと頰が赤くなる。
こんな子供相手になにを考えているんだと己を叱咤し、逃げるようにその場から離れた。
そして控え室に飛び込むと、そこにはすでに準備をほぼ終えたカレンが。
こちらをちらりと一瞥し、怪訝そうに眉をひそめる。なんの準備もしていない状態だったからだろう。
いつもならばしばしにらみ合うが、なんとなくあの穏和な親子の姿が頭にちらついてうまくいかなかった。
カレンからあまり家族の話は聞いたことがないが、こうして競技会に足を運んでいるあたり、うちと違って不仲というわけではないのだろう。
この会場で、たったひと組の親子だけは、本当の意味で決勝戦を楽しみにしている。それがカレンの家族だと思うと、無性に笑い出したい気持ちだった。
まあ、それ以外はみな、カレンが勝つことを確信しているけれども。
多少嫌がらせでもしないと割に合わない。冗談のつもりでこう口にした。
「次の試合、僕が勝ったら、きみの妹をちょうだい?」
カレンの目が一瞬で鋭さを帯びた。あれだけ素直でかわいい子だ、想像はできないがカレンもかわいがっている妹なのだろう。
見慣れない人間ならば眼光に射抜かれただけで腰を抜かしていただろう。放たれた殺気だけで皮膚が痺れる。さすが、レオナルド・カレン。規格外だ。
「なぜ、アリッサのことを知っている」
気圧されたと思われたくないので、にっこりと仮面をかぶり、今にも噛みつかんばかりのカレンに種明かしをした。
「観覧席にいたから」
カレンはぎゅっと眉間に深いしわを寄せ、観覧席のある方をにらむ。
家族が見に来ていることを知らなかったのかもしれない。
これまでにない過剰な反応に自然と口角が上がる。
それははじめて掴んだ、レオナルド・カレンの弱みだった。
この試合は誰もが予想した通り僕が負けるだろう。カレンを挑発してここまで怒らせたのだから、勝てるはずがない。弱みを握って嫌がらせもできた。もう十分得るものがあった。
防具を身につけながら、そんな風にいつものように割り切って、ほどほどに試合を終えられると、たかを括っていた。
盛り上がりに欠ける競技場の真ん中で、剣を構えてこちらを見据えるカレンと向き合ったとき、それが間違いだったと気づかされた。
普段感情表現の乏しい目の前の男がこの僕に、逃げることは許さないというような静かな激情を突きつけていた。
この瞬間、はじめてこの男の人柄に触れたような気がした。
この男も、ちゃんと血の通った生きた人間なのだな、と。
ああ、最悪だ。
退路を断たれたことに怯むどころか、自分はこの期に及んで不思議な高揚感を覚えている。
あのレオナルド・カレンが、僕を見極めようとしている。試そうとしているのだ。
あんな冗談を真に受けて、妹にふさわしい男であるかどうかを。
ぞくぞくと体が震えた。猫に追い詰められたねずみは、きっとこんな気持ちだったのだろう。命の危機すら感じる場面なのに、こんなに血が沸騰している。
このまま無様に負けてカレンを落胆させるのも一興かもしれない。普段の僕ならきっとそう考えたはずなのに。
試合を楽しみにしていたあの女の子を、あの子だけは、失望させたくないな……と。
それが最後のひと押しだった。
次の瞬間、らしくもない衝動に任せて無謀にも泥臭く勝ちを狙いに行っていた。
わああ! という重層音の歓声に、僕は白昼夢から覚めるように我に返った。
自分の手は空っぽで、剣はすぐそばで転がっている。
ああ……負けた。
また、負けた。……いつも通りに。
こっちは立ち上がれず、息をすることすらままならない状態だというのに、額に汗をにじませる程度のカレンの余裕そうな表情が無性に癇に障った。
本当に嫌味なやつだ。
ひとりだけ涼しい顔をして。
こちらを見下ろすカレンをにらみつけると、なにを思ったのか、その手を差し伸ばして来た。
はっ、ふざけるな!
最後の力を振り絞って弾いてやった。これが今の、精一杯の意思表示だ。カレンの手を借りて立ち上がるくらいなら、このまま無様に大の字で倒れた方がましだ。
会場中からブーイングが沸き起こったが、当のカレンが気にした様子はなかった。
どれだけがんばってもこの男が僕の目の前に立ち塞がる。
こんな高い壁、周りのように早々に投げ出したかった。
なのに。
――悔しい。
久しぶりにその感情が蘇って来たことに軽く絶望した。
はじめから諦めていられたら、楽なのに。
諦めたふりをしていれば、少なくとも傷つくことはないというのに。
世界にひとりくらい、僕のことを見てくれる人がいると知ってしまったからなのか。
もう二度と自分に嘘をついて心を守ることを優先することができない気がした。
ふと観覧席を見上げる。あの子の姿は遠くて、こちらからは人に紛れてよく見えなかった。
あの子は喜んでくれただろうか。
彼女の口から訊けないことを残念に思った。
レオは母方のお祖父さん似
狼系統2割、タヌキ系統8割くらいの割合のカレン一族




