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 なにがつぼに入ったのか、セオ様は痛快そうに笑いながらわたしの髪をわしゃわしゃともみくちゃにする。そういう顔ははじめて見たが、笑顔が子供っぽくなってかわいい。目を丸くしながら、されるがまま頭に鳥の巣をこさえた。


「そんなにお仕置きが嫌だったの? あははははっ!」


 お仕置きが嬉しい人なんていない……と思いかけたが、参考書のヒロインたちはわりと喜んでいたことを思い出して自分が少数派なのかもしれないとちょっと不安になった。痛いのだけはやめてほしい。


「うんうん。アリッサってそういうところがあるよね」


「意外と賢いってことですか?」


「うん?」


 あ、違った。


 あんなに腹を抱える勢いで笑っていたのに、急に美しい微笑でごまかされた。自惚れ過ぎた。恥ずかしい。


「……じゃあ、バカってことですか」


「は? まさか。バカって言うのは、こういう胡散臭いメッセージを疑いもせず信じて言いつけも忘れて夜なのに街とかにひとりで飛び出して行っちゃう愚かなやつのことを言うんだよ」


 セオ様のにっこりが怖い。


 ああ、やっぱりわたしの行動は正しかった。


 一歩間違えたら愚か者の烙印が押されるところだった。危なかった!


 だけど……だったら、誰がなんのためにこんな嘘のメッセージを?


 そこではたと気づく。セオ様のお弁当を捨てて嫌がらせをする人がいたことに。


 よくよく思い返してみると、わたしが見た、捨てられているお弁当のところにいた人も、全然まったく顔は覚えていないけれど若い男の人だった。


 つまりわたしは、セオ様への嫌がらせに利用されたということか。


 もしかしてあの男の人は王女殿下を恋慕う彼女の侍従とかで、実は密かにセオ様のことを想う殿下のために己の恋心に蓋をして、殿下の想いを叶えるためセオ様とわたしとの仲を引き裂こうと画策し――。


「その人って王女殿下の侍従ですか?」


 セオ様は一瞬警戒した様子で目を細めた。なぜそう思うに至ったかがまったくわからなかったのだろう、怪訝そうにだが、それでもきちんと答えてくれた。


「王女殿下に侍女はいても侍従はいない。一国の王女だから下手な男が近づかないように、騎士以外の側近は全員女性だよ」


 言われてみれば王女の周りに男性を侍らすのは外聞が悪い。瑕疵がつかないよう大切に育てられ、近づけるのはごく一部の許された人のみというのは至極当然の采配だった。


 素敵な青年たちに傅かれ恋を楽しむ王女というのは物語だけのことらしい。


 侍従でなくても、遠くから王女殿下を見つめて恋慕う人がいてもおかしくない。まあ、どう贔屓目に見ても、ロリコンではあるが。


「騎士はいいんですか?」


「騎士も、家柄経歴性格容姿……あらゆる基準で厳選されてはいるよ。僕の場合は実家が王太子派で政治的な思考も性格的にも問題なくそれなりに容姿が整っていたから選ばれた、ってところかな」


 実力と言わないところがセオ様のセオ様たるゆえんなのかもしれない。早く自分を認めてあげられるようになってほしい。


「あのお子ちゃま殿下に魂を売ってなんとか間に合ったけど……はぁ、一時はどうなることかと」


 セオ様はわたしの髪をいじりながら独り言をもらす。


 仮にも王女殿下の近衛なのに、お子ちゃまとか言っていいのだろうか。普通に不敬では? と、焦って周りに人がいないか確認してしまった。


「そんなことを言ったら、クビになりませんか?」


「…………できればクビにしてほしい」


「え!?」


「そんなことより」


「そんなことって……」


 わたしの驚きを放置しないでほしい。


「あのおままごと狂のことなんてどうでもいいよ。思い出すだけで屈辱」


 えぇっ? 殿下との間になにが……?


 王女殿下に苦手意識でもあるのだろうか。クビになりたいと願うほど関係が悪いのだろうか。


 やはり王女殿下に懸想しているという仮説には無理があったのかもしれない。


 セオ様のロリコン疑惑が晴れたと同時に、また兄様に恋心を抱いている説が浮上して来た。これではいつまで経っても答えは見えて来ない。


 だけど、柔らかく抱きしめられると、あれこれ考えていたことがすべてどうでもよくなった。包み込まれた彼の匂いに多幸感が増す。やや湿った金色の髪がわたしの頬をくすぐり、耳元でセオ様が囁く。


「それよりも、アリッサ。今夜ここに来ることを誰かに言ったりした?」


 どきどきしながら見上げたセオ様の表情が、予想外のもので一瞬戸惑った。さっきまでの気安い雰囲気は霧散して、真剣な目をしている。


「あの、受け取ったことは同僚みんな知ってるけど、内容は言ってません」


「そう……」


 わたしを胸に寄せながら、カードをにらみなにか考え込むセオ様のじゃまにならないよう沈黙を貫いた。うるさく鳴る心臓の音が聞こえてなければいいが。


「時間指定がない。ってことは……もしかすると」


 獲物を見つけた猫のように、彼の口角が上がるのを見た。


「セオ様……?」


「アリッサ。今からちょっと……いや、かなりイカれた行動を取るけど、なにも聞かずに信じて合わせてほしい。できる?」


 わたしの協力が必要ならいくらでも手を貸す。じゃがいもの皮むき以外での過度な期待はしないでほしいが、セオ様の行動に合わせるくらいなら大丈夫だろう。


「わたしにできることなら。あの、イカれた行動とは具体的になにを?」


 それには答えず、時間が惜しいとばかりにセオ様に横抱きにされた。


「ひゃあっ!」


 突然地面から引き剥がされて、間抜けな悲鳴を上げながら首に腕を回してしがみつく。


 まっすぐ向かったのは石造りの建物の中。はじめて入った。石造りなせいか殺風景で威圧感がある。偏見だが、騎士団っぽい。


 セオ様は残業中の同僚たちに二度見三度見されながら、悠々とした足取りでずんずん進んでいった。


「お、おい、セオ?」


「あ、先輩。ちょうどいいところに。変装用小道具からいくつか借ります。始末書なら後で書くので」


「は?」


 セオ様はわたしを抱っこしながら、小道具と雑に書かれた木箱から危なげなく茶色いカツラをひとつと薄手で暗色の大判ショールを掴み取ると、とある部屋のドアへと手をかけた。


 その瞬間、困惑しながらこちらを窺っていた騎士たちが、水を打ったように静まり返った。その顔はどれもみるみる血の気を失っていく。


 おい、まさか、嘘だろ、ちょっと! と、我に返って慌てて止めようとする彼らを、閉まりゆくドアの隙間から、セオ様はどこか余裕の笑みを見せつけ……手早く鍵を閉めた。


 セオ様は勝手知ったる様子で危なげなく真っ暗だった室内に明かりを灯す。その間にも、ドアの向こうから凄まじい混乱の声が飛び交っていた。


「セオのやつ、ついに頭ぶっ壊れたのか!?」


「おいおい、あの部屋で妹とって、まず過ぎるだろう! バレたら殺されるぞ!」


「しかも女物のカツラを持って、あいつどんな変態だよ!」


 外の声も気になるが、ここはなんの部屋だろうとそっちの好奇心に突き動かされた。わたしはあたりをぐるりと見渡し……ある一点で目を止めた。どっしりとした執務机に、兄様の名前のプレートが乗っている。冷や汗が毛穴という毛穴からどっと噴き出した。


 に、兄様の執務室……?


 ドアの向こうの彼らがあらぬ誤解をしているのは感じるが、否定しないということはセオ様があえて誤解させているようなので、わたしはとにかくこの羞恥に耐えるしかない。


 たとえ明日、兄の執務室で兄を目の敵にする恋人に抱かれた破廉恥な変態女に成り果てようとも! ……うぅ。


 これからどうすればよいのかと口を開いたわたしを、応接セットのソファに下ろした彼は、しー、と人差し指を口に当てて制した。


 これでいたずらっぽい顔をしていたらその先のあれこれを想像したが、本当に声をひそめてほしいだけらしいので、真面目な顔を作ってこくりとうなずいた。


 だからこそ、次に言われたことに、耳を疑った。


「服脱いで」


「……え?」


 さっと上着を脱いだセオ様に、あっけにとられる。


 いや……え?


「早く。時間がない」


 セオ様は上着をわたしの横へと雑に放ると、ソファに膝を乗り上げて来た。そして迷いなくわたしのお仕着せのボタンに手をかけたので、慌てふためきその胸を両手で押し返す。


「ぬっ、脱ぎますから! ああああっち向いててくださいっ!」


「わかった」


 あっさり身を引いて背を向けたセオ様を確認してから、真っ赤になりながらボタンをぷちぷち外していく。


「スカートもね」


「うぅぅ……はい」


 スカートをすとんと落として下着姿になった。なぜ今日に限って丈の短いシュミーズにしてしまったのだろう。肩ひもも細いし、ちょっとくたびれている。だけど後悔してももう遅い。


 わたしは兄の執務室で、本当になにをさせられているのだろう……。これではまるで痴女だ。どうやっても恥ずかしい。


「あの……脱ぎました……」


 ソファに浅く座り、がんばって胸元を両腕で隠しながらそう告げると、セオ様はすぐにこちらを向いた。


 目が合うと、わたしの姿に一瞬虚を衝かれたようにきょとんとした。その視線が胸元に降りてしばらく無心で凝視される。


「あ、あの……」


 下着だけで心許ない胸元を押さえつつ見上げると、はっと我に返ったセオ様が、目にも止まらない素早さで自分の上着をわたしの肩に羽織らせた。


 そこまで丈が長いわけではないので足は出るが、隠したい胸やお尻はなんとか隠せる。これで痴女の汚名は雪がれたが、もうお嫁に行けそうにない。


「ごめん! 代わりにそれを着てって言うのを忘れてた」


 一番大事なことを伝達ミスされていた……。


 セオ様も下着姿のわたしが予想外だったのか、ほんのり耳が赤い。上着をしっかり着込んだわたしを見てさらに頰を上気させると、慌てて口元を手で覆って顔を背けた。


「う、わ……。これはこれで破壊力が」


 軽く自分の頰を叩いて煩悩を振り払ったセオ様は、おもむろにわたしの脱いだ服を手に取った。


 そして――……


 着た。


「……え? いや、え……?」


 これは一体、どういう状況なのか。


「あの……なにを?」


「きつい、けど……ぎりいけそうか? ウエストサイズ調整できるタイプで助かった」


 セオ様はスカートのホックをちょうどいいところで留めると、例のかつらをかぶった。前髪を微調整してから、ちょんと小首を傾げて上目遣いでわたしに問いかける。


「美女に見える?」


 あざとい。どこでそんな仕草を覚えて来た。


「……顔は綺麗ですけど」


 長身の女性も多いのでぱっと見や暗がりなら美女に見えなくもないが……。隠しようもない喉仏に、男性としては細身でも女性にしてはがっしりとした肩幅と、女性的なやわらかな膨らみでない胸板。本来くるぶし丈まであるはずのスカートはまさかの膝下くらいになってしまっている。足長っ。


 胸元が心許ないのはまだありとしても、わたしの服が小さいのか胸筋で押し上げられているのはいただけない。


「首元と上半身はショールで隠すし、スカートは腰の位置を下げれば、大丈夫。化粧まで手が回らなかったのが惜しいけど……仕方ないな」


 スカートは裾上げしてあることを伝えると、彼はスカートの裾を持ち上げてプチと糸を切った。なんとなくスカートの中を見てはいけない気がしてうつむいた。


 兄様の執務室で恋人の女装を見させられるという謎シチュエーションがどの参考書にもなかったせいで、どう反応していいかわからない。


 現実が軽く参考書越えをしてきた。わたしはもうキャパシティオーバー。


 化粧もできるのか……、とどうでもいいことに感心して思考を放棄するしかない。


 念には念をと胸元にハンカチを詰めはじめるのを放心状態で見つめていると、どんどん! と外から激しくドアが叩かれ、驚いてソファからお尻が浮いた。


「セオ!! なんでもいいから出て来い! レオに報告するぞ!?」


「あの……」


 いいんですか、とドアの方に指を向けるが、セオ様は気に止めもしない。兄様の引き出しから引っ張り出してきたハンカチまで胸に押し込んでいる。後が怖すぎて目を覆った。


 わたしはなにも、見ていません。


「返事はしなくていいよ。むしろ好都合だ」


 なにが、と訊く前に、ショールを肩からかけた彼が、さっとわたしの前に跪いた。


 なんとなく、嫌な予感がした。


「アリッサ。なにも説明できなくて、本当にごめんね。だけど、もし僕が無事に帰ってきたら、そのときはアリッサに伝えたいことが――」


「わー!! だめっ! だめです!!」


 わたしの予感が的中してしまった。


 それは参考書における最強の呪いの伏線。言ってしまったが最後、その者に回避不可な死が待ち受けているという。


 その名も、死亡フラグ!


 セオ様を死なせるわけにはいかない!


 これ以上なにも言わせないように両手で彼の口を塞いだ。


「なにも聞きません! だから死地に赴く兵士みたいなことだけは、絶対に言わないでください!!」


 わたしに口を押さえられたセオ様の目が見開かれる。


 ふ、と笑う吐息が手のひらに触れたので、おそるおそる解放する。なにか言うのではないかとびくびくするわたしを見てまたおかしそうに笑う。


「死地に赴く兵士って」


「違いますか?」


「アリッサは僕が死んだら悲しいんだ?」


 論点をずらしてはぐらかそうとしているが、なにか危ない橋を渡ろうとしているのはお見通しだ。


「セオ様が死んだら、後を追いますから」


 それを踏まえた上で行動してもらわねば。


 わたしだって引き止めたいけど我慢しているのだから。


 じっとりとねめつけると、わたしの本気が伝わったのか、息を呑んだセオ様が降参した。


「……わかった。なにも言わないし、約束もしない。今回はアリッサのかわいいわがままを聞いてあげる」


「そうしてください」


「その代わり」


 するりと伸びてきた手がわたしの後頭部をぐっと引き寄せた。一気に距離が縮まり、ちゅ、と唇が重なる。驚愕に目を見開くわたしにくすりと笑って、軽くおでこをぶつけてから、ゆっくりとセオ様は離れた。


「勝利の女神のキスくらいの役得はあってもいいよね?」


 惚ける頭で覚えている限りの参考書を思い返し、ヒロインにキスを贈られたヒーローが無事帰還した物語を発見した。


「はい!」


 ふわりと笑った彼は、ぽんぽんとわたしの頭を撫でる。


「僕かカレン以外がこの部屋に来ても、絶対にドアを開けたらだめだからね。破ったらお仕置き」


「は、はい」


 痴女ではないが破廉恥なこの格好で人前に出る勇気はない。本音を言うと兄様にも見られたくない。


「じゃあ、ちょっとだけ出かけて来るね。いい子で待ってて」


 窓を開けると窓枠に乗り、こちらにひらりと手を振ってから、彼は夜の闇へと消えていった。


 わたしの関知しない場所でなにが起きているのかわからないが、むき出しの足をなるだけ隠すように上着の裾を引っ張りながら、色んな意味で早く帰って来てくれることを祈った。




次からしばらくセオ視点となります

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