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 わたしはセオ様が兄様と一緒にいるところを見たことがない。同様に、王女殿下の護衛をしているところも実際には見たことがない。


 王族が下働きの目の触れるような場所にいないのは当然だし、兄様との関係は言わずもがな。逆に揃っているところを見れたら次の日嵐が来るとまで言われている。災害級の不仲。


 そのおかげでこのもやもやとした気持ちと向き合わずに済むので、わたしは下働きでよかったと金とコネのなさに感謝すらした。


 結局あの夜以降、セオ様とはまったく会えていない。


 誰かに話しかけられても上の空なことが多く、返事がおざなりになって申し訳ないが、仕事以外で誰とも話すなというセオ様の束縛じみた言いつけを守っているから仕方ない。わたしの優先順位の一位は同率で兄様とセオ様と仕事だから。


 城で働くみんな、なにごともなかったかのように日常へと戻ったものの、相変わらず不穏な空気は健在だった。


 そんな中、わたしは同僚たちになんか元気ないと指摘されてはじめて、自分が落ち込んでいることに気がついた。


 空元気で乗り切ろうとするが、そんなときはだいたい小さなミスを繰り返す。


 数を間違えたり、指を切ったり。


 親指の先を少しだけ切ってしまい、きちんと手当てしてもらうよう言われて、渋々早めの昼休みを取って医務室へと出向くことにした。二度目かつ明らかな軽傷なので行きづらさがある。


 これくらいなら舐めておけば治るのにと思うも、衛生的に問題があると言われたら従わざるを得ない。


 医務室の医師たちは、王族に仕える宮廷医とは違い、城に仕える者たちの怪我や病気の治療にあたってくれるありがたい存在だ。彼らは騎士たちが負傷したときにも駆けつける。軽症なら医務室で治療を行うが、重症者は設備の整った団内の救護室に運ばれると聞く。


 騎士の家族は、救護室に呼ばれたら覚悟が必要だと言われている。兄様だって、いつなにが起きるかわからない仕事をしているのだ。それを聞かされたとき、わたしは兄様が強いと知ってなお、家族を失うことへの恐怖を覚えた。


 兄様が敵わないような相手……それこそ、突如異界の魔王が降臨して、世界を闇に葬るために兄様を攻撃することだって、ないとは言い切れないのだ。


 昨日読んだ参考書では、その魔王とヒロインの間に愛が生まれていたので、魔王が女性なら、兄様でもなんとかなるかもしれないが。


 わたしは魔王をお義姉さんと呼べるだろうか……と、つらつら考えながら医務室のドアを潜るも、肝心の医師が不在だった。


 医務室にいた助手の人の話では、仕事中に倒れた騎士の救護に向かったらしい。他人事とは思えずその騎士の方が無事であることを願いながら、塗り薬だけもらってそそくさと厨房に引き返した。騎士が倒れたなんて話を聞いて、少し怖くなってしまったのだ。


 不安を抱えながら戻った厨房の裏口から、なぜか同僚ではない青年があたりを警戒するように出て来るのが見えて、足を止めた。


 もしかしてまた、厨房でなにかあったのだろうか。


 血の気を引かせながら青年が視界から消えるのを待って、厨房へと駆け込む。


 幸いにも厨房内は平常だったが、同僚たちの様子はちょっとおかしかった。予想外の方向で。彼女たちは戸惑うわたしに、きゃっきゃっとはしゃぎながら白い封筒を渡して来た。


 わたし宛てらしいそれは、どうやらさっきの青年からのものらしく、みんな恋文だと誤解していた。


 絶対に違うと思うけど、こういうときは否定しても無駄なので適当に流しておくに限る。


 とりあえずなにか事件が起きたわけじゃないならいい。


 ほっとしながらその封筒へと目を落とす。表面に宛名は特になく、果たし状とも招待状とも書かれていない。裏を返すも差出人の名前もない。……普通に、怪しい。


 まさか、怪文書とか……?


 念のため破れたりしないように丁寧に開くと、中から出てきたのは一枚のカードで。


 記されていたのは本当に短く、


『愛するアリッサ


 今夜ふたりの思い出の場所で会いたい


 セオルド・マクニール』


 とだけ。


 裏返しても、透かしてみても、やっぱりその文言だけで。


 ……………………どこ?


 かなり長く思案したのに、心当たりの場所がなくて泣きたくなった。


 セオ様、なぜ。


 なぜ、もっとわかりやすい場所を書いてくれなかったのですか。


 しかも謎解きの猶予が今夜までなんて、鬼畜すぎないか。


 わたしは一体なにを試されているんだろう……。


 愛、とか?


「……」


 冗談はさて置き、ふたりの思い出の場所とやらにたどり着けなければどうなるのだろうと想像する。


 文面的に、逢い引きのお誘いか、なにか重要な話があるとか、そんなところだろう。


 忙しい合間に人を使ってでも会いたいと伝えて来たのなら、かなり重要度が高いはず。


 それなのにわたしがその場所に現れなかったら……?


 とりあえず失望はされる。


 がっかりするセオ様の顔を想像してカードを持つ手がかたかたと小刻みに震えた。


 さすがアリッサ、と褒められたい一心で、手はじゃがいもの皮をむきながらも、ほかの全神経は場所の特定に集中していた。


 第一候補は告白されたレストラン。


 だが果たして脅されてつき合いはじめた場所をふたりの思い出の場所とするだろうか……却下。


 第二候補はセオ様の隠れ家。


 一緒に食事をして一緒に眠ったりしたが、どちらかと言えば思い出の場所よりも憩いの場という方がしっくりとくる。これも却下で。


 第三候補はリボンを贈ってくれたあのお店。


 その場の雰囲気や冗談だったのかもしれないけど、薬指を予約してくれた、わたしにとっては思い出の場所。ただ残念なことに、あの店は夜は閉まっているはずなのでこれも違う。


 いつもお昼を食べている庭だとか、お姫様抱っこをして連れて行ってくれた医務室だとか、いっそこの厨房だとか、そのほかもあれこれ捻り出してはみたが、ここぞという場所が見つからない。


 悶々としながらも無事に仕事を終えたが、未だ目的地がわからないのでその場でうろうろ歩き回ることしかできない。


 しかしこうして振り返ってみると、田舎から出てきたわたしの世界は、びっくりするくらいにセオ様とじゃがいもに占められている。


 どちらかが欠けたら……いや、じゃがいもの在庫がなくなってもちょっと残念程度の気持ちで済んだ。だけどもし、セオ様がわたしのそばからいなくなってしまったら、泣きながら荷物をまとめて田舎に帰るくらいには絶望する。とてもこんな場所にはいられない。ただの道でさえ、彼と並んで歩いた記憶が色褪せることなく蘇って来るのだ。


 それがたとえわたしだけなのだとしても……。


 今は解読に集中しようと感傷に浸るのは後回しにして、頭を抱えてうんうん唸る。


「場所を指定しないことに意味がある……? そもそもセオ様との約束が……あ、でも、そうなると前提条件が変わって範囲が絞れて…………うん? あ!」


 どれだけ経った頃か、ふと、なにか引っかかるものを感じた。直後、唐突に空から閃きが降って来た。これがいわゆる神からの啓示? わたしは特に信心深くはないが、そんなことは今はどうでもいいとばかりに、違和感ごと思考の端に追いやった。


 ふたりの思い出の場所と言ったら、そう、あそこしかない!


 すっかり空も綺麗な藍と橙の二色に染まった頃、遅まきながらわたしは厨房を飛び出した。




 その場所で待つ間、改めてカードを取り出すと、なんとなく月明かりに透かすように頭上へと掲げてみた。特に透かし文字とかはない。


 しばらく文面を目をすがめつ眺めていると、さっき置き去りにした小さな違和感が急速にわたしの元へと舞い戻ってきた。


 場所の特定以前に、これは本当にセオ様からのメッセージなのだろうか……?


 なぜ今の今までその点を疑わなかったのか。


 改めてまっさらな気持ちでカードと向き合う。見れば見るほどおかしい気がして、今さらながら戸惑った。


 セオ様は容姿こそ王子様だが、『愛するアリッサ』なんていかにもでベタな表現をするだろうか。普段からスキンシップ過多ではあるが、あいさつ代わりに砂を吐くようなあまい台詞を言って回るような軽薄な色男ではない。愛する、なんて、どう考えても嘘っぽい。そんなの一回も言われたことがない。


 セオ様ならばせいぜい、『かわいいアリッサ』だとか、シンプルに『アリッサへ』と書かないだろうか。


 そう仮定した場合、さらに文面に疑問が生じてしまう。


 端的に『アリッサへ』と記すような人が、『思い出の場所で会いたい』などと参考書のヒーローのようなロマンチックで乙女の想像力を掻き立てるような抽象的な物言いをするだろうか。それはわたしの知るセオ様像と合致しない。


 彼ならはっきりと、この場所に何時に集合、追伸で、遅れたらお仕置きね、とか書きそう。それならものすごい想像できる。


 その場所まで死ぬ気で走る自分の姿まで容易に想像できた。はたから見たわたしって、なんか、忠犬っぽい。タヌキ顔なのに。


 これは逢瀬を希う恋人へのメッセージとしては正しいのかもしれない。でも……そう。あの人らしくはない。


 そもそも王太子暗殺未遂からまだそれほど日も経っていないこの非常事態に、仕事よりも恋人を優先するような人だろうか。


 わたしはセオ様の手跡を知らないからなんとも言えないが、果たしてこれは本当に彼が書いたものなのかと、得体の知れない不安が押し寄せてくる。


 もしかしてわたしを誘き出すための、罠、とか……?


 風で木の葉がざわりと揺れただけなのに、小さく悲鳴を漏らして無意識に身構えた。警戒心を盾にしつつ、思考の澱へと再び沈んでいく。


 罠だと仮定して、しかし誰がなんのために?


 参考書の山場で、恋人のふりをした敵に誘き出されたヒロインが実行犯の破落戸たちに辱められそうになったところで颯爽とヒーローが登場して無事救出される、ということがよく起こる。


 絶妙なタイミングを読むことは、ヒーローに必須な条件なのかもしれない。それくらい、彼らはぎりぎりで助けに来る。それこそ、処女を失う寸前くらいに。わたしが願うことはただひとつ。


 ヒーローもっと早く来てあげて。


 できればヒロインが精神的トラウマを抱えるような危険な目に遭わないようにしてほしい。それこそ、ヒロインの知らない間に事が終わっているような。


 それでは物語が進まないので仕方ないけれども。


 そもそもわたしはヒロインじゃないし、誰にも誘拐されないと自信を持って言い切れる。まず、我が家が身代金が出せないほどの貧乏なことは周知の事実であり、容姿はご覧の通り。どこぞの変態に売りつけるのだとしても、わたしでは誘拐するリスクを負うほどの値はつかないに違いない。


 多数のハプニングが起きてヒーローとその度関係を深めていくのはヒロインの宿命だが、わたしはじゃがいもの皮をむく以外に、本当になにもしていない。だからこの世界が物語ならば、ヒロインは別にいるのだろう。


 犯人の目的とかはこの際置いておくとしても、もし万が一わたしを狙う人がいるのなら、この事実をセオ様に伝えなくてはならない。


 どちらにしても今夜、セオ様に会わなくては。


 そのとき、はっ、はっ、という野犬のような荒い息遣いが薄闇から聞こえて、ばっと顔を上げた。わたしに見えたのは黒い影で、本当に野犬が入ってきたのかと数歩後退さると、背中が壁にぶつかった。


 これ以上逃げ場が……と焦っていると。


「はっ、……ア、リッ……っ、サッ……?」


 荒い息の合間に、自分の名前が聞こえた気がして、わたしは影の方へと身を乗り出していた。


 十分な間合いを取って目を凝らす。視線の少し先にいたのは、野犬ではなく人だった。両手を膝に突き、呼吸がままならないほど息を切らし、髪や顎を伝う汗を地面にぽたぽたと落とし、張りついた前髪から死にそうな顔をこちらに向けた待ち人――セオ様だった。






忠犬アリッサ

イメージはポメラニアン

たぶんあんまり賢くない


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