10
わたしはもう一度、改めてない頭でよく考えてみることにした。
ここ数日はなぜかじゃがいも不足のため、主ににんじんの皮を剥いている。主食級のじゃがいもに比べるとどうしても脇役感が否めないにんじんは元々量が少ないので、いつもよりも仕事が早く終わる。そうすると後は雑用ばかりなので、考える時間だけはたくさんあった。
これまでは周囲と同じように、セオ様は兄様への当てつけにわたしを利用しているのだと思っていた。
だけど彼と過ごせば過ごすほど、そんな不誠実で卑怯な人間ではないと思えてくる。
だけどそうなると、肝心のわたしに近づいてきた意味が見えなくなる。
たとえば、もし、なにか別の真の目的が隠されていたら――?
もっとほかになにか見落としていないかと柔軟な思考を試みながら歩いていると、城へ納品される野菜の荷下ろしをしていた男性に前方不注意でぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい!」
「や、こっちこそ。大丈夫か、お嬢ちゃん」
大柄の男性で、わたしよりだいぶ高い位置から気遣わしげに声をかけられて、慌てて顔を起こす。が、その見覚えのある顔にぎょっとして叫んだ。
「あっ! あーっ! あのときの暴漢のひとり!!」
なぜこんなところに。
震える腕を必死に上げて指差すわたしを彼は怪訝そうに見下ろし、ようやく思い当たる節があったのだろう、大きく目を見開くと、なぜか、しまったー、というように額を打った。
「バレちまったか」
「バレちまったかって……」
なにを呑気な。暴漢のくせに。
「おいおい、そんな汚物でも見る目をするなよ。こっちだって下心があってあんなことをしたわけじゃあない」
肩をすくめる目の前の男性は、あのときとは全然雰囲気が違う。実際わたしを前にしても口封じを考えていなさそうなところを見ると、なにか深い事情があるのだと察せた。
「もしかして、誰かに脅されて……?」
実は彼には結婚を約束した恋人がいて、その彼女が、たとえば以前兄様に捕まった犯罪者によって拐われ、わたしの身柄と引き換えだと脅されてやむを得ず――。
「いや、雇われて」
違った。しっかりお金をもらっていた。
「金払いがいい騎士様だったから、ついな」
ついって。拐われかけたときのわたしの恐怖を利子をつけて返してほしい。
「というか……え? 騎士様?」
「ああ。だけど、俺だって犯罪に手を染めるような依頼なら、即断ってたぞ? だけど惚れた女にいいところを見せたいから協力してくれって言うじゃないか。そんなの、協力するしかないだろう? 依頼料だってたんまり払ってくれたし、まぁいいかとな」
「あの、それって、まさか……」
彼は青くなるわたしの両肩をばしばしと大きな手のひらで叩く。
「あの後、うまくいったんだろう? バレちまったが、あの騎士様も本気でおまえに惚れてるみたいだったから、あんまり怒ってやるなよ? な?」
「は、はあ……はい」
「後からいい傷薬も届けてくれたし、優しい騎士様だ。俺が保証する」
そう言って手を突き出してきた。その手に噛みついたときの跡はもうないが、野犬が乗り移ったわたしが思い切り噛みついたのだ、傷薬が必要な傷だったのだろう。
ついごめんなさいと謝ったが、それもなんかおかしくないかと内心首を捻る。なぜわたしが謝るはめになっているのか。
セオ様だって石をぶつけていたし、と思ったところで、セオ様が実際に彼らに石を命中させたところは見ていないことに気がついた。
「仲良くしろよ? いいな? それと男の沽券に関わることだから、このことは追求してやるなよ?」
そう言っていい笑顔のまま、彼は納品を終えると機嫌よく去っていった。
取り残されたわたしはますます混迷を極めたのは、言うまでもない。
参考書にも、ちらちらと出現する、吊り橋効果。恐怖のどきどきを好きのどきどきと錯覚して相手を好きになってしまうという。
今回の件はこれに該当するのだろうか。
それに加えてセオ様は颯爽と現れた魔王……もとい、ヒーローみたいなものだった。どんなに気位の高い女性だって、あの場面で落ちないはずがない。
しかし、だ。
そんな大掛かりなことをしなくても、早々にわたしは落ちてたと思う……。
時間をかけたくなかったのかもしれないが、セオ様からはそういう意味での焦りのようなものは感じられない。むしろ最近では仕事をうまく調整して、わたしといる時間をかなり引き延ばそうとしているようにも感じられる。なんなら毎日顔を合わせる。
だったら、協力者にも伏せたいような、別の意図があったのかもしれない。
それがなにかは、わからないが。
実は本当に、他意なんてなにもなく、わたしのことを好きなだけ、とか……?
自惚れ過ぎて恥ずかしくなり、頰を手で扇いで熱を逃しながらうんうん唸っていると、突然厨房が騒がしくなった。険しい顔をした騎士が数名、全員手を止めるように鋭い声で命令する。そして困惑する料理人たちを押しのけるように、厨房を荒らしはじめた。
わけがわからないまま厨房から追い出された同僚たちと一緒に外でしばらく待機していると、ようやく騎士のひとりから事情の説明を受けることができた。
だがそれは、思っていたよりもずっと深刻な話だった。
「つい今しがた、王太子殿下の食事に毒が盛られていたことが判明した」
その場にいた全員が息を呑んだ。それはそうだろう、もし間違って毒のある食材を使ってしまったのならば、関わった者はすべて首が飛ぶ。比喩的な意味ではなく。
しかし、ここにそんなうっかりをしでかすような料理人はいない。わたしが保証する。なんの保証にもならなくとも。
となると考えられるのは、ひとつ。誰かが故意に毒を盛った、ということになる。
みんな概ねその結論に達していたが、不安が拭い去れない料理人たちに、その騎士はもう少し詳しい情報を教えてくれた。
「実行犯はすでに捕まった。が、直後自害した。そのため、念のために厨房を調べさせてもらう。もしものことがあってはならないからな」
そういうことなら……と、料理人たちは率先して、食材や調理道具、普段使わない戸棚から引き出しの隅の隅っこ、流し台の下までもをくまなく徹底的に調べてもらうよう願い出た。
結果として使われた毒に該当するものは見つからず、よかったねと緊張の糸をほどいて、みんなその場にへたり込んだ。
みんなの身の潔白が証明できてよかったはよかったが、王太子殿下の暗殺なんて恐ろしいことを実行した人がいるのだという事実に震えた。そして犯人は死んでいる。ことがことなだけにどの道処刑されていただろうが、自ら死を選ぶなんて……。
いやそもそも、王太子殿下に毒を盛るとか……。
相手はまだ十二歳の子供なのに。
しかも騎士たちはその犯人のことを、実行犯と呼んだ。
まるでほかに黒幕がいるかのように。
……はっ! そういえば、兄様は!?
わたしは血相を変えて撤収しかけていた騎士のひとりへと飛びついた。
「あのっ、うちの兄様……じゃなくて! レオナルド・カレン! レオナルド・カレンはどうなっているのでしょうか!?」
王太子の食事に毒が入っていることを見抜けなかったことでなにか罰があるのかもしれない。
彼は兄様の妹が厨房で働いていたことを思い出したのか、わたしを見下ろし、やや怪訝そうにしながらも答えてくれた。
「カレン近衛隊長は今、通常通り王太子殿下の警護に当たっている」
「じゃあ、兄様は無事、なんですよね?」
「無事もなにも……カレン近衛隊長が毒見係の娘の様子を不審に思い、食事を改めたおかげで今回の件は未然に防げたんだ。だいたい、あの人が失態を犯すはずがないじゃないか」
兄様に対する騎士たちの絶大な信頼にちょっと引く。
だけど兄様だって人間だ。ミスすることだって……たぶん……い、今はちょっと思い浮かばないけども!
迷惑そうな騎士の様子に気づかずホールドしたままでいると、背後から、やたらとあまーい声音でアリッサと名前を呼ばれ、肩を跳ね上げた。
「ひっ!」
悲鳴を上げたのは、あいにくわたしではない。わたしが引き止めていた騎士が、顔面蒼白で飛び退るのと同時に、背後からするりと腕が回ってきた。蛇のように絡みつく腕は、安定のセオ様。
「んー? アリッサ?」
再度名前を呼ばれたが、たぶん、今は後ろを振り向くべきではない。
おそらく、いや、確実に、怒っていらっしゃる。
え……なんで?
「うん、もういいよ、きみ。仕事に戻って」
セオ様はわたしが引き留めていた騎士の人にそう言い、彼は顔を引きつらせながら素早くその場を離れた。
残されたわたしは、直立不動のまま、現実逃避する。
「きょ、今日はすごくいい天気、です、ね? あ、今度の休み、お弁当でも持って、ピクニックに行きませんか……?」
「行く」
意外と即答だった。話が逸らせたと気持ちを持ち直したとき、セオ様の唇が戒めるようにわたしの耳たぶを食み、危うく心停止しかけた。
「アリッサはさぁ、今は、僕の恋人だよね?」
今は、と強調されたことに気分が沈んだが、答えないとこのまま首を絞められそうだったので、余計な弁解はせず素直にうなずいた。
「……はい」
「だったらほかの男に抱きつくのは、違うよね?」
「わたし、抱きついて……ました、か?」
兄様のことで頭がいっぱいで、正直、覚えていなかった。
「うん。セミみたいにくっついてた」
たとえがひどい。
だけど声の調子は、怒っているというよりかは、拗ねているという感じだ。
逡巡してから、わたしの体に巻きついているセオ様の手の位置を、少しだけずらした。わたしの心臓の上へと。
「……なに?」
戸惑った様子のセオ様に、恥ずかしいのを我慢して言った。
「こんな風にどきどきするのは、その……セオ様にだけ、ですから」
さっきの騎士には異性としてまったく意識していなかったから平気で飛びつけたのだ。
今のところこうなるのは、彼にだけ。
なにか言ってくれるのを真っ赤な顔で待っていると、セオ様の額がわたしの肩にぐいっと押しつけられた。触れている部分が妙に熱い。
「……それ、反則」
「あ、あの」
「……ううん、ごめん。アリッサのこと心配して急いで来たのに、ほかの男に抱きついていたから……」
もしかして、嫉妬してくれたのだろうか。
こんなときだというのに、ぱああ、と花が開けたように笑顔になる。
やっぱり兄様とか関係なく、本当に本当に、わたしのことを、好き……?
ずっと疑いしかなかったが、真実はもっとシンプルだったのかもしれない。
「アリッサ」
「は、はい!」
「僕以外の人間と話すの禁止」
「え……」
なんか、無理難題がふっかけられた。
「それは……難しいかと」
「仕事の内容ならいいよ。だけど職務外ではだめ。なにかに誘われても断って。仕事が終わったらすぐに帰宅」
特に親しい友達がいるわけではないので、できなくはないが、まるで門限破った子供に与える罰のようだ。
「いつまでですか……?」
「僕がいいって言うまで」
この条件を呑まないと、どうなるのだろうか。怖くて聞けない。
「……はい」
「うん。いい子」
ようやく解放されて、頭をぽんとされる。見上げたセオ様は優しい顔をしていたが、その目はわたしを見ていないようだった。
そういえば、王太子殿下って、セオ様の妹さんの……。
実はこんなところに来ている場合じゃなかったのかもしれない。
それでも、わたしを気にして時間を見つけて来てくれたのなら。
それだけで充分なくらいに、嬉しいとはにかんだ。
「事後処理とか、まだ忙しいんじゃないですか?」
「うん、まあ……。詳しいことは言えないけど」
「わたしは大丈夫です。だから早く戻った方が」
「……ごめんね。正直、忙しい」
そうだと思った。
セオ様は王女殿下の護衛のひとりだし、犯人が誰かはわからないが、まだ幼い彼女を狙わないとも限らない。
後ろ髪引かれるように何度もこちらを振り返るセオ様に手を振る。
「ちゃんといい子にしてますから!」
物分かりよくそう言うと、セオ様はようやくにっこりと笑って、走り去って行った。
補足
アリッサが働いている厨房は王族専用の調理場
周りは宮廷料理人で、アリッサは下働きだが、一応厨房つき見習いの位置づけ
二年くらいじゃがいもと真剣に向き合い、じゃがいもと対話できるようになったら料理人見習いに昇格する予定
なお本人はただの下働きだと思っている