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 きっかけは兄様の一言、だったらしい。



 らしい、というのは、この時点でのわたしことアリッサ・カレンは、事情をなにひとつ知らなかったからだ。





 その日、わたしは屈強な猛獣たちに取り囲まれていた。いや、獰猛な顔つきの騎士たちに包囲されていたの間違いだった。


 騎士団の黒い制服を着た彼らはまるで黒い狼の群れのようで、わたしは生贄の羊のような悲壮な心境で震えていた。


 彼らは、壁を背に身動き取れないわたしを品定めするかのように、一様に目をギラギラさせて覗き込んでくる。


「おまえが、カレン隊長の妹か?」


 ひとりに凄まれて、早々に腰が抜けた。


「ひ、ひぃっ……!」


 わた、わたしが、なにをしたと言うの!


 下働きの合間に、好奇心からこっそり兄様の様子を見に来たのが間違いだったのか。


 普段からそっけない態度の兄様だが、部下をけしかけて追い返そうとするほど妹を疎ましく思っていたのだろうか。だとしたらショックが大きい。こんなに兄様を尊敬して慕っているというのに。


 彼らの言うカレン隊長――レオナルド・カレンは、妹のわたしが言うのも身内びいきに聞こえるかも知れないが、昔からなにをさせても優秀な人だった。


 吹けば飛ぶような貧乏男爵家の出ながら、王太子殿下の近衛隊長にまでのし上がった実力者だ。


 それに加えて容姿も優れている。癖のない黒髪はため息がでるほど麗しく、端正な顔立ちはひとつひとつのパーツが完璧な配置で並んでいる。なにより、印象的なのはその切れ長の青い瞳だ。ひとたび狙いを定め見据えられたら、血の繋がったわたしでさえも身動きさえままならないほどで。


 騎士になるべくして生まれたかのような優れた体格を持ち、魅力を引き立てるような近衛騎士の制服姿に見惚れる令嬢は呆れるほど多いと聞く。


 天は兄様に二物を与えた。


 だからなのか、その代わりに、わたしにはなにもくれなかった。


 わたしは兄様と似ても似つかない、いかにも平凡な容姿の田舎娘だ。瞳の色こそ兄様と同じだが、目の形はタヌキのようなタレ目がち。鼻には薄らとそばかすが散り、この国の大半がそうである茶色の髪は、中途半端にウェーブがかっている。


 中身にしても、これといって取り柄と呼べるものもなく、十七歳になった今でもどこからも縁談の話が来ないので、家族に迷惑かけまいと城の下働きとして毎日忙しなく過ごしていた。


 一応は男爵令嬢なのだが、コネがなく、わたしが働くことを快く思っていないらしい兄に頼るわけにもいかず、勢いのまま出て来た王都でなんとか得た仕事が城の下働き。そこしか働き口がないという悲しい現実。


 わたしの一日は、じゃがいもの皮むきからはじまり、皮むきに終わる。じゃがいもの皮をむかせたらたぶん国でわたしの右に出る者はいないくらい、無駄に上達した。


 そんなわたしなので、これまで誰かの目に留まることもなかった。


 ――そう、今の今までは。


「本当に……妹、なのか?」


 困惑混じりの顔で真偽を問う男のその質問に、怯えつつも、こくこくと何度も頷いた。


 これまでの人生で、もう何度聞かれただろう。


 本当にあのレオナルド・カレンの妹なのか、と。


 それこそ耳がタコになるくらいに、会う人会う人、同じことの繰り返し。


 彼らはわたしの予想通りの反応を見せた。怪訝そうに仲間同士目配せし合い、そして、期待外れ、というあからさまにがっかりとした顔をする。地味、と誰かがつぶやくのが聞こえた。事実だが、わざわざ聞こえるように言わなくてもいいのに……。


 興味を失ったとばかりに、驚かせて悪かったなと形ばかりの謝罪をして去っていく彼らに、わたしは呆れて文句すら出なかった。


 きっとなにかの弾みに、城で働く妹の存在が漏れたのだろう。しかもあの兄様の妹だ。とんでもない美女に違いないと、彼らが期待に胸膨らませたのもわからなくはない。


 兄様に嫌われていたわけじゃなかったのはよかったが、わたしだってこう見えて年頃の娘だ。慣れっことはいえ、地味と謗られ傷つかないわけじゃない。


 誰かに見初められるとか、分不相応なことは考えていない。それでも彼らの態度はひどいと言えた。人を脅かすだけ脅かして、勝手にがっかりして。


 なにが崇高な騎士だ。腰が抜けてへたり込んだわたしに手さえ貸してくれない。怒りやら悲しみやらで視界が滲んだとき、再び頭上に影が差して、慌てて顔を上げた。薄く張った涙の膜の向こうに見えたのは、兄様と同じ黒い近衛騎士の制服。


 さっきの集団にこんな人いただろうかと考えるが、その目立つ金髪に見覚えはなく、ただの通りすがっただけの人だとわかると強張っていた肩の力が少しだけ抜けた。


 兄様と同年代くらいだろうか、その青年はわたしの前で少しかがむと、こちらへと手を差し伸べてくれた。


「きみ、大丈夫? うちの連中が驚かせてごめんね」


 眩しい。後光が差して見える。


 その手を取るかで逡巡したが、わたしはまだ、親切を断るほどひねくれていない。手を重ねると、思いのほか力強く引き上げられ、勢いあまって胸に飛び込んでしまった。


「ごめんなさいっ……」


 慌てて身を離そうと間近で見上げた彼は、思いがけずあまい端正な顔立ちをしていて、その宝石のような翠色の瞳を見上げて、ぽかんと口を半開きにしたまま見惚れてしまった。


 わたしとは正反対のさらっさらの絹糸のような髪が、男性らしいシャープなラインの頰へとかかっている。騎士としては少し長めの髪も、彼にはとてもよく似合っていた。


 ちょっと微笑むだけで大輪の薔薇のような華やかさ。羨ましい……。


 これはまた、兄様とは真逆のタイプの人だ。


 騎士団にはこんな人もいるのかと、思わず感心してしまった。騎士というより、まるで絵本の中に出て来る王子様だ。


 とはいえ、この国の王子様は王太子ひとり。しかもまだ十二歳の子供だ。彼が王子様ということはない。


 ということは……高位の貴族様かな?


 どちらにしろ、見た目通りに堅物の兄様とは、あまりソリが合わなそうかなと思っていると、彼は愉快そうにわたしを眺めながら言った。


「そんなに熱心に見つめられると、さすがに照れるかな?」


「あっ、ご、ごごごめんなさい!」


 不躾に顔を見続けていただけでなく、まだしがみついたままだった。


 なんという無礼を! 顔を真っ赤にして飛び退いた。


「別に怒ってはないんだけど。むしろ怒るべきなのはきみの方だよね? さっきのあいつらの態度なんて、騎士団に厳重に抗議されてもおかしくないものだったし」


「いえ、そんな、滅相もない! わたしみたいな下っ端が、騎士の方々に抗議なんて」


 立場的にできるわけない。なにより兄様の顔に泥はぬれない。それにこっそりのぞきに来ていたことがバレると困る。


「だけどきみ、カレンの妹なんだろう? ひどい扱いを受けたって兄貴に告げ口しようとか思わないの?」


「いえ、兄様は……。わたしのことをあまり好ましく思っていないので、こんなことで煩わせるわけには……」


「は? 好ましく思っていないって……それはまた、どうして?」


 一瞬怪訝そうに声を上げたが、すぐに優しげな口調へと変わる。さっきの人たちとの落差に、つい本音がこぼれた。


「あの、わたしたち、似ていないでしょう? 昔から散々からかわれて、きっと兄様も嫌気が差したんだと思います。最近は特に外で見かけても他人のふりでして……」


 こんな話を他人に、しかも初対面の人にしてもいいのだろうか。しかもこの言い方だと、兄様が冷たい人みたいに聞こえる。そう気づくと慌ててつけ加えた。


「あ、でも! 本当はすごく家族思いで! 実家に帰って来るときなんかは、わたしにたくさんのお菓子を買ってきてくれるんですよ?」


 そう。だから、嫌われているわけではない、はず。お菓子をくれるときも、「……菓子だ」しか言わないにしても。


「お菓子……? カレンが? お菓子を憎んでさえいそうな、あの顔で?」


「いえ……さすがに、お菓子を憎んではいないと思います……よ?」


 たぶん、だが。


「確かカレンはあまいものが苦手だったと思ったけど」


「苦手かもしれませんけど……」


 確かに兄様があまいお菓子を口にするところを、どれだけ昔に遡っても見た記憶がない。苦手なのか、嫌いなのか、それとも単に食べないだけなのか、よくわからない。兄様はあまり自分を語らない、孤高の狼のような人なのだ。


 目の前の彼は心底不思議そうに、腕組みをして首をひねっている。


「どんな顔で菓子屋に並んでるのか……。ちょっと、興味あるな」


 仏頂面……じゃないかな。


 それか無表情か。


 兄様は人の目を気にするような人でもない。見た目に無頓着のくせに、容姿が優れているというだけでなにを着ても様になる。立っているだけで絵になる人だ。


 まあ、それはこの目の前の青年にも言えることだが。


「あの、あなたは兄様の……同僚の方ですか?」


 今さらだが、まだ自己紹介すらしていない。兄様の友達ではないだろう。兄様にはたぶん友達はいない。どうやら頭ひとつもふたつも抜きん出た相手に、友情は抱けないらしい。


 けれども上司からの信頼も厚く、部下の人たちからはとても慕われているらしい。さすがはわたしの自慢の兄様だ。


 彼はわたしの質問に、にこりと微笑んで答えた。それはうぶな娘を一瞬で十人ほどめまいで倒せそうなあまい笑みで、例に漏れず、わたしも思わず頰を赤らめてしまった。


「うん、そうだよ。僕らはね、同期なんだ」


 同期。ということは、騎士学校時代を共に過ごしたということだ。わたしが知らないだけで、親しい仲なのかもしれない。親近感が湧き警戒心が一気に薄まった。


「そうなんですね!」


「うん、そうなんだよ。僕の名前はセオ。もしよかったら、きみのお兄さんの仕事ぶりや逸話なんかを教えてあげようか? もうしばらく一緒に暮らしてはいないでしょう? 一緒に夕食でもしながら、どうかな?」


 兄様は騎士になるために数年前に家を出たので、最近の兄については噂話程度しか知らない。


 それにこんなに素敵な人に食事に誘われたことに舞い上がって、わたしは喜んでその誘いに乗った。


 田舎娘よろしく、なんの疑いも持たず。



 すっかりと忘れていたのだ。



 兄様の同期に、兄様のことを目の敵にする、ライバルがいたことを――。






*アリッサがもらった兄様からのお土産*

王室御用達老舗洋菓子店の洋酒とドライフルーツたっぷりのパウンドケーキ

宝石みたいなカラフルなフルーツのキャンディー

薔薇とすみれの砂糖漬け詰め合わせ

二度見されながら並んで買いました

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