新しい女王様
「ほらほら醜く泣き叫びなさい。この駄犬。泣き叫ぶことしかできない役立たず! 女王たる私をその情けない鳴き声で満足させてみなさい」
鋭い目が軽蔑に歪み、木の棒で容赦なく叩きつけられる。
「いい! もっとだ。もっと!」
「女王様に、おねだりするなんていい身分になったものね!」
エムドは蹴られ、地面に倒れ伏し、顔を踏まれる。それが耐え難い程の快楽を与える。
自分でだってわかっている。こんなの異常だ。傍から見れば気持ち悪い。だけど、気持ちいものは気持ちいいのだからしょうがないじゃないか。
「すいません!」
「今日はお客様もいるんだから、さっさと終わらせなきゃいけないのよ!」
それに今日は村娘という特別ゲストがいる。
呆然とした顔だ。
それも無理はないだろう。魔王を倒す勇者の仲間。全人類の希望がこんな変態なのだ。失望させて悪いとは思う。けど、その村娘に見られているだけでいつもと違う。他人に見られている。それだけで段違いの快楽だ。
我ながらどうしようもないド変態である。
「待ってください!」
村娘が近づいてくる。
桃色のきれいな髪をした少女だ。正直、見惚れてしまった。
「やめなさい。危険よ。このSMプレイで溜まった欲望を発散させてる途中だから。このプレイが終るまでここのド変態は理性が壊れてるから何されるかわからないわよ」
それでも村娘は、歩みを止めない。
こんなド変態に近づくとはもしや彼女もド変態では?
「あの、わたしのこと覚えてますか?」
見覚えはある。だけど、思い出せない。
「わかりましぇん」
ありえない程の快楽で情けない声な上に、噛んでしまった。
「そうですか」
思い出した、サディだ。五年前の街で魔族に襲われていた少女。名前を聞かれたから印象に残っている。
合点がいった。五年前命を助けられたお礼に来たのだろう。
そして偶然この場を目撃してしまった。
サディは明らかに落胆の表情をしている。
「ごめんなしゃい」
なけなしの理性で謝った。これが今のエムドの精一杯だ。
命を救われた英雄はドMのド変態だった。その落胆は凄まじい物だろう。だから、名前は思い出したがあえて言わなかった。
このまま離れていってしまえばいい。こんなド変態に関っていいことはないのだから。
……それにサディが怒って蔑んだ目をしてくれれば、うれしい。なんてことは口に出せないけど、ノーマにはバレてるな。軽蔑の視線が強くなって気持ちいい。
「そうですか……」
意外とショックは受けていないようだ。怒ってくれなくて残念だ。
と、思ったら強烈なビンタが飛んできた。
エムドの頬からパチンと小気味のいい音がする。痛みは木の棒に比べれば全くない。けど、襲ってきた快楽はそれ以上だった。
「んほぉぉぉぉぉ!」
その突然の痛み(快楽)に思わず声を上げてしまう。
「ちょっ、なにしてるのよ? そんなことしたら、そのド変態に何要求されるかわかんないわよ!」
ノーマが動揺して、サディを止める。
しかし、止まらない。
何度も何度もビンタを繰り返す。
意味が分からない。普通なら、こんなド変態からは距離を取るだろう。しかし、サディはビンタした。
「思い出しましたか?」
わからない。サディはどうしてこんなことをするのだろう。快楽で頭がマヒしてきた。もう何も考えられない。
もう、どうにでもなぁれ。
「わかりましぇん」
本当はもう思い出しているのにあえて、隠した。
だってそうしたほうが、もっとビンタしてもらえそうだから。
「そうですか。なら思い出すまで繰り返します」
「あひゃひゃひゃひゃ!」
こうして、エムドの意識はあり得ない程の快楽の海に溺れていってしまった。
※※※※
「やっと正気を取り戻したようね」
「誠に申し訳ありませんでした!」
エムドはサディとノーマに絶賛土下座中である。これはプレイではない。
その証拠に、もう服は着ているしエムドは正気に戻っているし、今は森の中ではなくノーマの部屋の中だ。
「もういいんですか?」
「うん。とりあえず、『今日は』発散できたんで十分だよ」
「今日は、ってどういうことですか?」
サディが不思議そうに聞いた。
「こいつのギフトカードに記されてる称号は知ってる?」
「はい。守護者、ですよね?」
エムドのギフトカードには守護者と刻まれている。だが、それでは不十分だ。
「そうだけど、それじゃ、足りないんだ」
「どういうことですか?」
通常、神から与えられたギフトカードは、その者の未来や能力を示している。ノーマなら勇
者。エムドは守護者。
ただし例外がいる。
「あの、その……。称号の前に一つ言葉が入るんだよ」
言いたくない。この秘密がばれて、受け入れてくれたのはノーマだけだった。きっとサディにも軽蔑されてしまう。
「今更、躊躇したってしょうがないでしょ? もうばれてるんだから」
「……称号の前に、ドMってつくんだ」
「ドMってたしか罵られたり、暴力を振るわれるのが好きな人のことですよね?」
「そうよ。だからエムドは、正確には守護者じゃないのよ。『ドMの守護者』」
「そ、そんなのってありえるんですか……?」
「僕も最初は信じたくなかったよ。けど、痛めつけられる度に否が応でも気持ちよくなっちゃうんだ。ある程度は我慢できる。けど、どうしても我慢できない時はさっきみたいにノーマに協力してもらって人目を盗んで発散させてる。定期的にやらないと人前でこの醜態をさらしちゃうからね」
魔王を倒す救世主。その一人がこんな変態だと知られるのは色々不味い。
何より恥ずかしいし、死にたくなる。
現に今だって穴があったら入りたいし、消えられるなら消えたい。
「だから、お二人で夜の森に入って行ってたんですね」
サディは戸惑いながらも、事情は理解してくれたようだ。
「さて、こっちの事情は話したわ。今度はあなたの番。あんたはどうしてこそこそと私たちの跡をつけてたわけ?」
「え、と。あの、それは……」
ノーマの鋭い視線でサディがたじろぐ。
「ノーマ。そんなに責めるような言い方したら話せるものも話せなくなっちゃうよ」
「明らかに怪しいじゃない。茂みの中で隠れて様子を伺うなんて。この村を裏から支配している女王気取りの魔族っていう可能性もあるわ」
ノーマの気持ちもわかる。
正直怪しい。用があるのなら普通に声をかければいい。
ただ、ノーマの視線でたじろぐサディは普通の村娘にしか見えない。
それがこの村を裏から支配している女王なんてありえないだろう。
「この村を支配する女王気取りの魔族、ですか?」
「勇者と守護者が何の用もなく、こんな辺鄙な村に来るわけないでしょ。この村を裏から支配する魔族がいるから倒しに来たの!」
「そう、だったんですね」
サディが何か考え込むような素振りをする。何か知っているのかもしれないけど、今はそれは後回しだ。
「ねぇ、どうして茂みになんか隠れてたのかな? 何か事情があったんだよね?」
「それは……」
露骨に目線を逸らしてきた。顔も真っ赤だ。
「黙ってるってことは、やっぱり後ろめたいことがあるのね!」
「少しは待ってあげなよ。どうしてサディに対してそこまで当たるんだ? いつものノーマらしくないよ」
そう指摘されるとノーマも黙り込んだ。
エムドが優しく微笑みかけたら、安堵したのかサディは口を開き始める。
「初めは、エムド様とお話がしたくてお部屋にお伺いしました。けど、部屋にいらっしゃらなくて。そうしたら、お二人が暗い森の中に入っていくのを見たんです。声をかけようとしたら、怪しい会話が聞こえてきて。『もう我慢できない』とか。ノーマ様がエムド様に服を脱ぐよう指示したり。しかも暗い森の中で男女が二人っきり。私、とんでもない勘違いをしちゃって」
話してくうちにサディの顔が羞恥で真っ赤になっていく。
しかし、これでエムドも理解した。
ノーマとエムドが男女の関係で刺激を求めて野外で楽しんでいるように見えた、と。
たしかに、そんな勘違いをしていたら恥ずかしくて言いにくい。
「そんなわけ、ないでしょ! こんな気持ち悪い男ありえないから! パーティメンバーとしては優秀だから仕方なく付き合ってるだけだし。その勘違いだけはない!」
「ひどいな。そこまで言わなくてもいいじゃないか。また気持ちよくなっちゃうだろ」
ノーマがゴミを見るような目をしてる。
サディは可哀そうな人を見るような目だ。
何か変なことを言っただろうか?
「すいません! とんでもない勘違いをしてしまって!」
「いいよ。けど、夜の森は危ないからこんなことしちゃだめだよ。それにもう僕たちに近づくのもやめてくれ」
「え?」
エムドの突然の拒絶にサディが絶句した。
「君のような真っ当な女の子が僕に近づくべきじゃないよ。なんの用があったかはわからないけどね」
予想はできる。
五年前に助けられたことへのお礼だろう。
それにエムドを見る目があまりにも盲目的だ。あの目をしている女の子をエムドはよく知っている。その誰もが、エムドの本性を知って数日後には付き合いきれないと去っていく。
罵られるのは控えめに言って大好きだ。けど、去り際の罵倒はなぜか心が痛かった。
「どんな用があったかは知らないけど、もう家へお帰り。ご両親が心配してるよ」
かわいそうだけど、仕方がない。
「好きなんです。五年前に助けられたあの日から、ずっと」
やっぱり、か。
今付き合っている人はいないし、好きな人もいない。だから友達から始める、くらいならいいんだけど……。
「ありがとう。でもごめん」
エムドの傍にいるということはそれだけサディを危険にさらしてしまうことになる。
それに、どうせサディもエムドの性癖に耐えきれないだろう。なら、最初から拒絶するべきだ。傷つけられるのはいいけど、傷つけるのはつらい。
「納得いきません。私たちの相性は絶対に抜群です。運命の赤い糸でつながってます! だから……!」
必死の表情で食い下がってくるサディにエムドは困ったように笑みを浮かべる。
「無理よ。例え、あんたの想いをエムドが受け入れたとしても魔王討伐の旅にただの村娘がついて来られるとは思えないわ。死ぬわよ。その覚悟ある?」
厳しいようだが仕方がない。
ノーマに嫌な役目を押し付けてしまったな。後で謝らないと。
けど、これで諦めてくれるだろう。
俯いたままプルプルと震えている。
「ふふ、あははははは!」
サディが突然笑い始めた。突然の豹変にノーマは戸惑っている。
失恋しておかしくなっちゃったのか?
「どうしたの? 大丈夫?」
「五年前から好きって言ってましたよね? それくらいの準備、してないわけないじゃないですか」
サディが懐に手を入れた。次の瞬間、耐えがたい快楽がエムドの太ももを襲う。
「あふん!」
サディが手にしていたのは鞭だ。
エムドの太ももを鞭で叩いたのだ。
さっき欲望を発散させたばかりだというのに、なんて快楽だ。ノーマのお尻ぺんぺんもなかなかのものだが、サディの鞭捌きは別格だ。
「どういうつもり? やっぱり魔王の手下だったってわけ?」
突然鞭を手にしたサディを警戒してノーマが剣は抜いた。
「いいえ。私はこの五年間必死に研鑽を重ねました。おかげで、勇者様と守護者様の目の前で不意を突いて攻撃できる程度の鞭捌きになりました。それでも、魔王討伐の旅について行くのは不十分ですか?」
さっきまでの弱気な村娘はもういない。
確かな実力に裏付けられた自信満々の笑みを浮かべていた。
「む、無理よ! だってこんな気持ち悪い男と一緒にいるなんて耐えられるはずがない! それに耐えたとしてもこいつを満足させられるのは私だけよ!」
「本当にそうでしょうか?」
サディがエムドに意味ありげな視線を送る。
「あんたなんて顔してんのよ!」
「おっと」
どうやら規格外の気持ち良さで、顔が緩んでいたようだ。エムドは慌ててだらしなく垂れていた涎を拭った。
そんな様子に、サディは満足そうにうなずいた。
「どんなにエムド様が気持ち悪かろうが、構いません。私は受け入れられます。誰が何と言おうと私たちの相性は最高です!」
「あんた、正気?」
「ええ。以前書物で呼んだのですが、SMプレイにおいてMな男性は女性に対して、女王様と呼ぶそうですね」
「はい、女王様!」
反射的に返事してしまった。なんて女王様力だ……!
「は?」
「すいません」
ノーマに睨まれて、正気に戻った。
「いいえ、エムド様。女王様で構いません。今日から私があなたの女王様です」
この衝撃的な言葉が真実だったなんて、この時のエムドとノーマは思いもしなかったのである。