寄坐体質なので邪神の使途に毎度毎度付け狙われていますが、うまく召喚できた試しは見たこと無いですね!
「痛って!」
右腕にビリッとした痛みが走って、俺は思わずその場にしゃがみ込んだ。
半袖で剥き出しになっている肘の下辺りから、手首に掛けて突然禍々しい文様が刻みつけられていた。もちろんそれはただの線ではなくて、じわりと血がにじみ出しつつある。痛い。剃刀で切った系の痛さだ。ピリピリしてじわじわ痛い。
ふっざけんなよ、こんなの、あんまり生えない髭をたまーに剃ろうとして失敗したときだけで充分だろ。
素早く周囲を見回すと、明らかに異様な気配が路地裏から放たれていた。悪意のある粘つくような視線も感じる。俺は二桁以上似たような経験をしたことあるから、この手の感覚はかなり鋭い。
「いたぞ! あの男を捕らえろ!」
「おお、あれはまさにガスティア神の紋章! これで我らの長年の悲願が!」
うずくまってる俺に向かって、暗灰色のローブに身を包んだ男たちが数人駆け寄ってきた。
凄い。怪しさを隠すつもりがひとかけらもない。俺の周囲にいた一般市民は、その姿を見てぎょっとして離れていく。
痛む右腕を押さえながらそいつらを睨んでいるだけの俺に、荒っぽく手が伸ばされる。彼らのローブは暗灰色……じゃなくて、近くで見たら埃で白っぽさが増した黒ローブだった。汚えなー。
逃げることもできたし、俺を拘束しようとする奴らを叩きのめすこともやろうと思えば出来た。何せ、生まれついての寄坐体質のせいで、これまで「どうです? うちの神の寄坐に」と口頭での勧誘から物理的強制手段まで、ありとあらゆる勧誘を味わってきたのだ。
けれど、今回のこのやり方――本人の意思を問わずに力尽くで寄坐にしようとする奴らは、放っておくと同じことを繰り返す。右腕に紋章が刻み込まれている限り奴らから逃げ切ることはかなり難しいし、俺が仮に逃げ切っても、奴らは「長年の悲願」の為に他の寄坐を探すだろう。
「おい、おまえら! ちょっと俺の話を聞……むぐっ」
狙われてるのは重々承知。せめてこれ以上痛い目には遭いたくないと、俺は会話による説得を試みた。だが、そもそも向こうは無理矢理拉致する以外の方法は考えていなかったのだろう。口にきつい匂いのする布があてられ、そこでストンと俺の意識は落ちた。
歌声が、聞こえた。
重々しく、奇妙に響き渡る歌声は、神を讃えこの場に喚ぶためのもの。低い男の声が何人分も重なり合って、それだけはちょっと意識を飲まれそうなくらい迫力があった。
意識を取り戻した俺がうっすらと目を開けると、洞窟のような狭くて暗い場所に転がされているのがわかった。篝火は二カ所に灯されているのみ。感触的に地面に直接転がされているわけではなくて、何か平らなものの上に寝かされているらしい。ただ、視界が地面と変わらないことを見ると、確実に仰々しい台座とかではない。
暗いので、地面に描かれた魔方陣の微かな輝きがやけに目立つ。魔方陣の外周部には、転々と何かが置かれていた。いや、何かといっても、この場合供物になるような宝石でしかあり得ないわけで、篝火に照らされて金色に輝くそれは……小さな琥珀だった。俺がいるのが魔方陣の側なので、それは目で確認できる。結構顔の近くにある。小指の先ほどの小さい琥珀が。うわぁ、やる気ねえな……。
それに、ちょっと鼻がむずむずとするような、なにかの香が焚かれている。香に宝玉、そして生け贄。これが基本的な神の召喚に使われるみっつの供物な訳だけども……さっきから微かに聞こえる、「クックック」という声、なんかニワトリっぽいんだよなあ。まさか、供物にニワトリ?
「ガスティア神よ! 偉大なるいにしえの邪神よ! 永き眠りから目覚めたまえ! 器を得てこの世界に君臨する時が、とうとうやってまいりましたぞ!」
一番偉そうな埃被りローブのジジイが、魔方陣に向かって仰々しく手を広げ、訴えかけている。淡く光っている魔方陣が、ほんの少しだけその声に応えるように輝きを増した。
そして、ひとりの黒ローブが白いニワトリを……やっぱりニワトリなんだなあ! 暴れるニワトリを抱え込み、その首をざっくりと切って、魔方陣にだらだらと血を垂らす。
「ちょっ! まっ!! 待て、儀式やめろ!」
俺が慌てて声を上げても、奴らは一顧だにしない。そりゃそうだ。俺は神を降ろす寄坐であって、いわば奴らにとっては儀式の道具のひとつ。そのガスティア神とかいう神が降りた後ならともかく、縛って雑に転がしておく程度の存在だ。
俺は息を大きく吸うと、力一杯声を張った。
「おい! てめえらやる気あんのか!? そんなちっぽけな琥珀程度でてめえらの神って召喚できるのかよ!? 本気でやるなら拳大のサファイアくらいは用意しろっての! それになんだよ、この安っぽい香! こんなの下町の100イェン雑貨店の芳香剤と同程度じゃねえか! 全く効果無し! 没薬の最高級品とまで言わねえけど、もうちょっとマシなの用意しろよ! それにニワトリとか、生け贄的に安すぎるにも程があるだろ! 邪神喚ぶなら鉄板は儀式する奴の血縁の赤ん坊だろうが! 貢ぎ物ってのはな、それ相応の物を用意しねえと意味がねえんだよ!!」
豊富な寄坐経験からの助言でもある俺の罵声に、何人かがうつむいた。ひとりなんか膝から崩れ落ちて床に手を付いたまま嗚咽を漏らし始めた。……やべえ、もしかして本当に100イェン雑貨店の香だったのか……?
「くぅ……ガスティア神を崇め、迫害を受けながら苦しい暮らしを強いられて幾星霜……我らの、我らにとっての最上級の供物を安物呼ばわりするとは……なんたる、なんたる!!」
儀式の中心だったジジイが地面に拳を何度も打ち付けながら慟哭する。周囲の男たちは集まってきてジジイを支えながら、涙声で互いを励まし合っていた。
「長様、このような愚弄は聞き流すべきです! 長様の仰るとおり、これが! 我らの! ガスティア神への最大限の忠誠を捧げた供物なのですから!」
「ううっ……このニワトリだって……子供らに食べさせてあげられれば……くっ……」
……うわ、やっば、ガチの貧乏だった……。
思わず俺は彼らからそっと目を逸らす。
「おおおおお! ガスティア神よ! 我らの悲嘆を受け取りたまえ! 我が命を捧げても構いませぬ! どうか! 降臨を!」
血を吐くような叫びに反応したのか、魔方陣が禍々しく赤い光を放ち始めた。
「おお!?」
「門が開くぞ!」
「我らの悲願が、遂に……」
描かれた魔方陣の内側の図形が、ずん、と沈み込む。ぞわりと背筋に寒気が走って、俺は縛られている腕を何とかしようと準備を始めた。幸い、足は普通に動く。手の拘束さえ解ければいい。
一度は止んでいた邪神を讃える歌が、再び始まる。それに合わせて中心に黒い塊がぽつりと出来て、声の高まりと共にどんどん成長していった。
やがて魔方陣と同じ大きさまで育ったそれは、桔梗の花が咲くように内側から五枚の黒い花弁を開いた。
「ガス、ティア神?」
「これが……?」
「伝承とは全く違……ぐはっ!」
黒い蕾から現れたのは、ヘドロのような濁った緑色をした巨大な植物だった。植物というか、触手というか、色んな物が混ざっていて、とりあえずウゴウゴしていて気持ち悪いのは確かだ。幅広の葉のような物が何枚も伸びて縦横無尽に動き回り、厚みのある部分で人を薙ぎ倒し、あるいは尖った先端で貫いて自らを喚びだした人間の命をすすっている。ただの植物ではない。――そして、邪神ですらない。それは、真っ当な魔物でもない邪神もどきだった。
「やっぱり失敗してるじゃねえか……」
動く物を狙っているのか、儀式をしていた男たちが次々と血祭りに上げられていく。俺は溜めていた魔力を使って、手を縛る縄を焼き切った。
こんなんじゃまともな召喚はできねえよ、と警告はした。でも奴らは強行し、失敗した。居合わせた以上、片付けるのは俺の役割だ。
「武神の槍よ、この手に来たれ。裁定の女神の青き炎よ、刃に宿りて魔を滅っさん!」
それは呪文ではない。ただの言葉だ。だが、そう宣言すれば俺の背丈ほどの槍が右手に現れた。本来なら朱金の穂先を持つ槍には、青白く燃える炎がまとわりついている。槍だけでも相当の威力があるんだが――まあ、俺非力だから。
「っしゃ、消えろ!」
向かってくる触手もどきの葉は、俺が振るう槍に触れる前に黒焦げになって落ちていく。女神の炎は超高温だ。さすがに俺に害は及ばないけども、植物の要素があるなら恐れおののくのは当然だった。
魔方陣の中心から生えた株の茂る葉を次々と焼いていくと、その合間から巨大な目玉がギロリとこちらを睨んでいた。だが、焼き尽くされた葉を再生する力はないのだろう。あっさりとそのでかい目玉を槍で貫くと、空気がビリビリと震えた。微かにだけども、高い音が出ている気もしないではない。
槍で貫かれた場所から一気に邪神もどきに炎が広がっていく。煙も上がらず、空気も別に熱くなったりはしないのはそれが邪なる物だけを焼き尽くす炎だからだ。――多分。詳しいことは知らんけど。
それほど時間も掛からずに邪神もどきが燃え尽きると、魔方陣に宿っていた光も消えて、辺りは静けさに包まれた。
「成功するとは毛先ほども思ってなかったけど、こうも見事に焼け野原だと清々しいな……」
右腕にあった紋章が乾いた血を残して消えていることを確認して、俺は周囲を見回す。
俺を捕らえ、邪神の寄坐にしようとしていた男たちは全滅していた。中には幼い子供を持つ父もいたんだろう。話の内容的にそれはわかる。でも、邪神を呼び出すっていうのは、何十万、何百万の人々を死に至らしめ、世界をひっくり返すような企てなのだ。……本来は。
ほんとに、小さい琥珀が数個に100イェン雑貨店の安物の香に、生け贄のニワトリとかで出来ることじゃない。だいたい、他の邪神系にも何度か寄坐候補にされたことがあるけど、もっと豪華に供物を用意してもことごとく失敗してるんだ。その度に邪神の使徒は皆殺し、俺は巻き込まれて仕方なく、ほんっとーに仕方なく現場を始末してる。
「しかし……そんな寄坐に最適な人間が、既に他の神と寄坐契約してないとでも思ったのかねえ……」
右手にある炎を纏った槍がシュンと音を立てて消える。槍は武神アーズルの武具のひとつ。青い炎は、正義を司る裁定の女神ヴィスラダの力だ。他にも万が一の時この体を使わせてやるという契約を、邪神ではない何柱かの神と結んでいた。神はこの体に常駐はしていないが、時々助言をくれたり、力の一片を貸してくれたりする。
「ところで、この洞窟どこだ? 王都の側にこんないかにもな洞窟ってあったっけ? やっべ、もしかして凄い遠くに運ばれたんじゃ……」
転がった死体には目もくれず、俺はため息をついて空気の流れを頼りに洞窟から出ようと歩き始めた。
邪神召喚から失敗の流れは、慣れすぎてもはや同情すら出来ない。
これが寄坐体質の俺の日常だった。