良希6歳 静夜8歳
まだお子ちゃま
「兄ちゃん。兄ちゃん」
良希は二つ上の兄を呼ぶと兄は不機嫌そうに舌打ちをして、持っていた竹刀を片付ける。
「稽古中にくんじゃねえ。チビ」
悪態をついているが、それでも話を聞いてくれるつもりで片づけてくれる兄の事は良希は好きだった。
そして、兄も自分の事を嫌っていないのを知っている。
………そんな事を言われたら兄は嫌がるだろうけど。
「あのね。俺。信之のコンヤクシャだって。コンヤクシャって何?」
信之は向かいのパン屋の長男だ。妹弟想いでお手伝いも率先して行う近所でも評判だ。
その信之と遊んでいたら仲がいいねとよく信之の家のお店にパンを買いに来るおばちゃんに声を掛けられて、嬉しくて顔をほころばせていたら信之が、
「仲いいのは当然です!! だって、良希と俺はコンヤクシャだから!!」
と叫んだのだ。
その時おばちゃんから変な感覚がしたのだ。
気味が悪いというかのような冷たい音。
「………コンヤクシャって悪いもの?」
「あの糞餓鬼!!」
兄ちゃんは片付けた竹刀を手に取って怒った音をさせて外に出ようとする。
「兄ちゃん!!」
何かよく分からないけど、信之に酷い事をしようとしてるのだけは理解できた。
「離せ!! あの糞餓鬼にはしっかり教え込まない事があるからな!!」
教え込むってそれは……。
言葉通り教え込むじゃないんだと気付いた。
いや、教え込むというのは間違っていないか。
………………これは教育だから。躾だからと暴力を振るった人がいた。
思い出す。
黒い黒い人。
何か怒鳴っていて、いつもいつもその人から兄ちゃんは俺を守っていた。
赤い赤い血を流して………。
痛い痛いと心が悲鳴を上げていた。
ぼろぼろぼろ
それを思い出して、涙を流す。
「痛いのは嫌だよぉ~!!」
誰かが傷つくのは嫌。痛いのは嫌。
痛い痛いと心が言ってるのに。
『いたくねえ』
と鼻で嗤った人を見るのは嫌。
「臆病な事言ってんじゃねえ」
邪魔すんな。
兄ちゃんが止めようとして、抱くつく俺を無理やり引き離そうとするが、それよりも先に。
「竹刀を暴力に使うんじゃない!!」
ぽかっ
兄ちゃんの頭に拳骨が落ちた。
「ったく。剣道をする者がそんな態度でどうするんだ!!」
兄ちゃんの頭に拳骨を落とすのはじいちゃん。
「だってよ~」
不貞腐れた兄ちゃんはそう反論をしようとするが。
「静夜!!」
じいちゃんに怒鳴られて兄ちゃんは黙る。
「じいちゃん」
「じじいの拳骨は暴力じゃねえのかよ!!」
兄ちゃんが文句を言うけど、じいちゃんの拳骨を兄ちゃんが少し嬉しそうにしているのを知っている。弾むような心の音がするのだ。
兄ちゃんはなんだかんだ言って、じいちゃんの事が好きだからそんな音をさせている。
俺には昔から人の感情が音として届く。
嬉しい時に弾むような音。
悲しい時にぷつぷつと途切れるような音。
怒っている時の激しい音。
寂しい時の低い音。
すべて音として届く。
「で、何の騒ぎだったんだ?」
「あのね」
じいちゃんに話をする。
最初は嬉しそうな音をさせて、おばさんの辺りでやや怖い音をさせていたが。
「で、コンヤクシャというのは何?」
じいちゃん知ってる?
「ああ。もちろんじゃ」
じいちゃんは頭を撫でてくれる。
「婚約者というのはな。良希と信之くんが大人になったら家族になるという約束なんじゃ」
家族………。
「家族っ!? 家族って、じゃあ、信之と小夜子ちゃんと尊くんと!?」
「そうじゃぞ」
じいちゃんは少し困りつつもそう答えてくれる。嘘じゃない。
「おじさんとおばさんもッ!?」
「もちろんじゃ」
じいちゃんが何度も何度も頷いて教えてくれる。
ぱぁぁぁぁぁ
「すごい!! すごい!! じいちゃんすごいね!!」
嬉しくて嬉しくてじいちゃんの足に抱き付く。
「じいちゃんはマホーツカイみたいだね!! じいちゃんの家族になったら家族が増えたよっ!!」
じいちゃんすごい!!
手放しで喜んで声をあげるとじいちゃんは静かに目を合わせる。
「そうかそうか」
真っ直ぐな優しい目。
初めて会った時と同じ目。
「…………良希は儂の孫になって嬉しいか?」
幸せか?
「うんっ!!」
もちろん。
「そうか。……静夜は?」
不安げな声
「と、当然だろ!!」
そっぽ向いて、顔を赤らめて答える兄ちゃんに。
「そうか……」
じいちゃんは安心したように微笑む。
「儂もお前たちのような孫をもてて幸せじゃ。お前たちは儂の宝じゃ」
そう言って兄ちゃんと一緒に抱きしめてくれる優しい手。
優しいぬくもり。
痛くない感覚。
大好きだと伝えてくれる。
「へへっ……」
嬉しいな。
じいちゃんの家族になったらたくさんあったかいものが増えてくる。
じいちゃんに会えたから信之にも小夜子ちゃんにも尊くんにもおじさんやおばさんにも会えた。
あっ。
「あと、あとっ、今度生まれてくる赤ちゃんもッ!?」
「今度生まれてくる?」
「うんっ!! おばさんからね。音が二つ聞こえるんだっ!!」
爺ちゃんが首を傾げているので、そう教えてあげると。
「良希!!」
兄ちゃんが怒鳴ってくる。
それを聞いて言っちゃいけない事だったのかと思う前に。
「そうか。音が二つ聞こえるのか」
「うん!!」
「良希は耳がいいんじゃな」
良い耳を持ったものじゃと褒められる。
「へへっ」
良かった教えてあげて、喜んでくれた。
「馬鹿か」
兄ちゃんはそんな俺に叱りつける。
「そんな事ペラペラしゃべんじゃねえ!!」
そう怒鳴ってくるので何で怒鳴られたのか分からなかったので泣きそうになる。
「――良希」
じいちゃんが名前を呼ぶ。
「なあに。じいちゃん?」
首を傾げる。
「お前の耳は素敵な耳じゃが、その耳の話はじいちゃんと兄ちゃんと良希の内緒にしておくんだぞ」
内緒?
「どうして?」
「そうじゃな。……人は自分と違うものを持っていると違うと言うだけで悪さをするものだからな」
くしゃくしゃ
「良希と信之君の婚約の話も人にとっては自分と違うからと言って悪い事だというものもいるからな」
「………会ったおばちゃんもそうだったの?」
「ああ。――そうじゃ」
コンヤクシャは家族になる約束。
でも、悪い事だという人もいる。
「分かった」
じゃあ、言わないでいた方がいいんだね。
頷くと。いい子じゃと褒めてくれる。
「どうせ婚約者と言っても一時的だろう。まだチビもあのガキも子供の戯言で決まっていないんだしな」
これであいつのせいでチビが酷い目に合わされたらただじゃ置かねえ。
そんな事を言っている兄ちゃんの言葉の意味をまだ知らなかった。
静夜兄ちゃんは口が悪いけど弟想いです(笑)