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良希16歳 牙をむく獣

一番怒らせていけない相手です。

「――ホントお人よしさで馬鹿を見るな」

 あんな見え見えの手に引っ掛かって。


 静夜が苛立つのも無理もない。

 今日は良希の誕生日で良希の家に向かっているのもそこで良希の身内である静夜と話をしているのも見えているはずなのに割り込んで話があると告げてくる子のどこが一歩引いた大人しい子だ。

 

 そんな子の話にわざわざ持ってきたプレゼントを静夜に渡してまで付いて行くなんて何を考えているのやら。


 ましてや、ここは信之の家の近くであり、良希の家の近くでもある。

 ご近所さんの目が当然あるのだ。


 ご近所さんから見れば信之が女の子に誘われてホイホイ付いて行ったようにしか見えない。

 誕生日の良希を置いて女の子を選んだとしか言えない状況なのだ。


「で、どうするんだ?」

 あの鈍すぎる婚約者。


 静夜は家の中で信之が来るのを待っていた良希に尋ねる。


「聞こえてんだろう。悪意」

「…………」

 静夜は知っている。良希の特殊な能力を。


「――回収してくるよ」

 信之の意思を尊重したいけど、そうも言っていられないしね。

 

「そうしろ。――ああ、これ渡しておく」

 ほいっ


「? スプレー缶?」

「フェロモン中和スプレー」

「へぇッ!?」

 何それ?


「あの女。Ωだぞ」

 しかも発情寸前だ。


「はいッ!? って、何それッ!?」

 発情寸前とか。Ωとか。


「たまにいるんだ。発情期を狙って意中のαを落とすΩと言うのがな。逆に強制的に発情させて既成事実を作るαもいるけど」

 いわゆるハニトラだ。


「フェロモン対策に研究されたスプレーだ」

 防衛的意味で持っていたから貸してやる。


「――分かった」

 借りていく。


 良希は走りだす。


「あ~あ」

 その後姿を静夜は見つめる。


「眠っていた獣を叩き起こしたな」

 ご愁傷さま。




 真っ直ぐに公園に向かう。

 

 音がするのだ。

 信之の音が。


 昔から人の感情が音として聞こえた。


 最初は殴られるままだった。

 静夜が守ってくれるのを泣きながら見る事しか出来なかった。


 だけど、そんな生活の中にあの人の苛立った音が聞こえるようになってから静夜と共にこっそり外に出て、身を隠した。


 静夜と二人であの人が静かになるのを待った。


 そんな日々の中。

 何時しかあの人の姿を見なくなった。


 居ない方がいい人だったからいなくなってほっとした。


 二人だけで暮らしていくにもどう暮らせばいいのか分からない時に爺ちゃんが目の前に現れた。

 静夜が食べ物を探して、爺ちゃんの持っていた弁当を盗もうとして捕まったのだと聞かされて、爺ちゃんは静夜の身体が細い事に違和感を感じて家まで強制的に案内させたのだと後で知った。


 その時知った。

 こんな優しい音もあるのだと。


 あの人に殴られても蹴られても知っていて気付かないふりをしている人の音。

 見るのが不快だという音を立てている人ばかりだと思っていた。

 

 それ以外の音を知らないかった。


 爺ちゃんが家族になろうと手を差し出してくれたあの時はいまだに輝いて色あせない記憶だ。


 そんな爺ちゃんに会って、すぐに事件が起きた。

 鈴のように軽やかな音がする女の子に会って、その後包み込むような音の少年に会ったのだ。


 その少年――信之の顔を見る前に噛みつかれたのはびっくりしたけど。


 最初は驚いたけど、信之を知れば好きになるのは当然だった。


『綺麗だね』

 親ですら嫌っていたこの髪を褒めてくれた。


『一緒に行こう』

 静夜以外触れようとしなかった自分に触れてくれた。


 その手は殴るものではなく、優しく包んでくれる手だと思ったらもう駄目だった。


 手放したくないと思えた。


 だからこそ、守ると決めた。

 その優しさが損なわれないように。


 優しい世界が脆いのを知っているからこそそれが消えないように守ると決めた。


 優しさが裏切られない様に――。

 側に居ていいよと言われている間だけでも――。




 公園に広がっている悪臭。

 いや、悪臭だと表現してしまったけど、本来なら魅力的な誘発する代物だろう。


 想いが通じ合っているのなら。


「人の婚約者に何をしてくれるのかね」

 悪臭の元凶とその悪臭で苦しんでいる信之に向かって。


 ぶしゅぅぅぅぅう

 思いっきり、スプレーをかける。


「何すんのよっ!!」

 匂いを霧散させられてそいつが文句を言ってくる。


「――それはこっちの台詞だ」

 冷たい声が出せるんだな。


 睨む。

 女が怯えて一歩後ろに下がる。


 そんな怖い顔しているのかな。自覚ないけど。


「おいたは駄目だよ」

 告げると同時に身体が動く。


 もしかして、いつか来るはずだと期待して持っているΩ専用の抑制剤。

 それを無理やり女の口に突っ込んで、吐き出させないように手で抑え込む。


 ごっくん

 

 飲み込む音がする。


「さて」

 怯えて、身体を震わせてこちらを見ている女を安心させるように笑っているつもりなのに何でますます怯えるんだろうな。


「しばらくしたら効いてくるから聞いてきたらお家に帰るんだよ」

 送ってもらうのを期待した?

 するわけないじゃん。


「俺は信之ほど優しくないよ」

 まあ、効果が出るまで安全な場所に置いてあげるだけでも感謝しなよ。


 公園にあるトイレに無理やり押し込む。


「よかったね。――信之が居て」

 ふふっ


「そこら辺の裏道に放り投げて放置してあげてもよかったけど勘弁してあげる」

 これに懲りたらもうこんな真似しないんだよ。

 

 以前、伊織が言っていた。

 良希は獣の優しさだと。


 守る存在のためにまず自分を優先させて、強くなって、徹底的に敵を潰す。

 もう二度と手出ししないように牙を折る。


 獣とかかっこいい言い方をしているけど、

(俺からしたら卑怯者のやり方だけどね)

 誰かを守るつもりなら容赦なく攻撃をする。


「お~い。無事か?」

「なっ、何とか……」

 フェロモンでふらふらになっているけど、理性はぶっ飛ばしていないな。

 安心安心。


「良希」

 名前を呼ばれる。


「うん。良希の匂いはやっぱりいいな」

 力いっぱい抱き付かれて、意識を失ってくれる。


「限界まで耐えていたんだな」

 お疲れさま。


 でもさ。

「家まで運べるかな…………」

 ここに放置しておきたくないので引き摺って家に戻る。







 次の日腰を痛めて接骨院に行くはめになった。

 爺ちゃんに若いのにだらしないと叱られた。


 



こういう動きをするから余計自分がΩだと思っていない。

だけど、βでもないよね。



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