5.懐にあったコンパスを見つめる
(が、そうは言っても一つに集中しすぎては重要なこと見逃してしまうこともあろう。たまには少し気分を変えるのも悪くはあるまい。)
男は拠点を出ると今度は山を下り、浜辺へと出る。手槍を取り出すと海へ飛び込み、そのまま海中へと潜っていく。男は日常に新鮮さを入れたりする目的でたまにこうして魚を獲りに海へと来るのだが、この日の海はいつもと違って見えた。いつも通っている魚の隠れ家が、初めて見るような感覚にさせられるのである。そして、目印としていた特徴的な模様に既視感を覚えた。数匹を仕留めた後、火を起こして体を温めながら海中で見たものについて、そこで感じたことについて考える。
(恐らくこの場所は、ここに来てから初めて知った場所だろう。ただ、あの模様はこの時代に来る前、過去の自分が見てきたものかもしれない。思えばこうなる前も、知らずしてあそこに安心感を覚えていたのかもしれぬ。いや、そうだ。過去では見知っていたものだったのかもしれない。まだ全ての記憶が戻った訳ではないから理由や正体は知らぬが、これについて探っていくのも何らかの鍵になるだろう。)
気付けば辺りは暗くなっていた。しかし戻った記憶への興味に任せて動き回っていた疲労が男を縛り付ける。獲ってきた魚を棒に刺して焼き、残りの魚や貝の下処理を進めて保存出来るように加工を始めた。一通り作業が終わると敷いていた葉を広げて横になりながら魚越しに燃え続ける火を見つめる。計画の名前としてではなく、確かに「ネメシス」という単語を聞いたことがある。もっと言えばそれに憧れすら抱いていたのかもしれない。‥‥それなら親と疎遠になっていたと頷けるか?いや、なら最初に見た夢では親と会話すらしなかっただろう。第一あの夢の自分は計画について知らなかった。そうみていい。
(結局謎が増えただけか。でも、これから真実を知る上でこの疑問は役に立つかもしれない。大きな疑問として俺がなぜここに来たのか、それがまずわからない。なぜ俺一人残して消えたのか、もな。それに関わるのが恐らく「ネメシス計画」だろう。そして俺の体が保存され、別の体で俺として生きている理由もまだ謎だ。それに過去の俺が「ネメシス」をどう知ったのか、という謎もある。‥‥今のところ謎ばかり増えていくがどれも関係はあるように思える。‥‥)
暫く考えた後、体を起こして焼いていた魚にかじりつく。焼き過ぎたのか、少し苦くはあったが、マズく感じる味ではなかった。暫くして、重い腰をようやく上げた。獲ったものを肩に下げ焼き魚を空いた手に浜を後にすると、険しい山道を登っていく。月明りを頼りに歩いていくと遠くから何かの声が聞こえてきた。顔を上げて声の方に走りよると先の方に影が見える。明るく手を振りながら呼ぶ影に両手を広げて答え、麦わら帽子を被り直すと少年は自分を呼んだ友人を追った。月は明るく、まるで昼の野山を見ているように景色は鮮明であった。
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