陰間と女医
人物
蛍火(17)陰間
胡蝶(17)陰間
木藤せみ音(21)女医
店主(54)
客(45)
おりん(11)おゆきの娘
おゆき(30)おりんの母
〇陰間屋の部屋(朝)
半身裸の蛍火(17)が横たわっている。
着崩れた着物の袷を揃える客(45)。
蛍火もゆっくり起き上がり、床に広がっていた着物を肩に片方かけ、着直す。
客「じゃあな蛍火。また来るぜ」
客、手をひらひらと振り背を蛍火に向けたまま部屋を出ていく。
蛍火、客の方は見ず窓の外を見ている。
窓の外は雪が降っている。
その雪を虚ろな瞳で見ている。
外に立ち、陰間屋を見つめている木藤せみ音に気づく。
蛍火「あの女……」
せみ音の姿。
蛍火「あの女、先週オレを買った女だ。オレを買って、一晩中酒を飲みながら、論語や漢学の話をして、オ
レを抱かなかった女だ……」
蛍火、訝し気な顔でせみ音を見ている。
蛍火「何であいつがここに……」
せみ音、陰間屋に入っていく。
窓から視線を移し、着物を完全に着直すと目を閉じ息をつく。
胡蝶「蛍火、店主が呼んでいるでありんす」
部屋の扉の前に胡蝶(17)が立っている。
胡蝶「お前をご指名の客が来たとよ」
親指を立て、階段下を示す。
目を見開く蛍火。
胡蝶「おら行けよ。見受け話かもしんねえぜ」
立ち上がり、ゆっくりと階段を降りる蛍火。
胡蝶がその後ろ姿を流し目で見ている。
階段を降りている最中に店主とせみ音の声が聞こえてくる。
店主「お客様……それは何でも急な話では……」
せみ音「今日よ、今日見受けしたいの!今日じゃなきゃダメ!早くしたいのよ」
蛍火の心の声「今日……見受け……?」
目を見開き驚く蛍火。こめかみに一筋汗が流れる。
階段を完全に降りる。
店主「蛍火!」
店主、蛍火に駆け寄り、両手を握る。
店主「お前、このお方を覚えていらっしゃるか?なんでもお前のことを気に入り、今日見受けして持ち帰り
たいと言っている」
蛍火「私を……?」
店主「お客様、この蛍火は当店一番人気のある子でして、はした金で買えるような子ではないのですよ」
蛍火、せみ音を見る。
せみ音、店主のほうは見ずに蛍火を見ている。
せみ音「百両出す」
店主「ひゃっ……百両!?」
せみ音、担いでいた風呂敷をほどき、百両の金を床に置く。
蛍火の心の声「百両……」
唖然とする店主。
せみ音「ね? だからいいでしょ? この子、あたしにちょーだい、おじさん♡」
満面の笑顔のせみ音。
〇江戸の街・通り(夜)
鼻歌を歌いながら道を歩くせみ音。
その後ろに蛍火が距離を空けながらついていく。
蛍火「……この女、オレをどうする気だ。何を考えている」
せみ音の背を睨む蛍火。
せみ音「いや~、買えて良かったよ。あんたがいいと思ったのよね。あたし急いでてさぁ。あ、あたしはせ
み音ってぇの。せみ音って呼んで」
軽く飛び跳ね、満面の笑顔で後ろを向く。
虚ろな瞳でせみ音を見ていると、息を吸うように言葉を吐く。
蛍火「……それで、どうしてほしいのです」
せみ音「は?」
早足でせみ音に駆け寄り、せみ音の背後に回るとせみ音の耳元に口を近づけ囁く。
蛍火「人を悦ばせる手練手管ならばあの場所で如何様にも学ばせていただきました。何がお望みなのです。
貴女の望むように何でもして差し上げますよ。丁度そこに茶屋もあることですし……」
せみ音「あたしに触るんじゃねえよ……」
蛍火「……?」
せみ音「てめえごときが、気安くあたしに触ってんじゃねえよ、玉斬られてえか、この餓鬼‼」
拳で蛍火に拳骨を食らわせる。
蛍火「ぎゃんっ‼」
赤く膨れる蛍火の顔、涙目でたんこぶを押さえ、しゃがむとせみ音を見上げる。
せみ音「あんたを買ったのには理由がある」
右腕を横に突き出すと着物の袖を肩まで捲り上げる。
蛍火の驚いた顔。
自分の腕に冷たい瞳を落とす蛍火。
腕全体に紫色の斑紋散っている。
ふっと笑みを漏らすせみ音。
せみ音「あたし、もうすぐ死んじゃうからさ。あたしが今まで生きてきた時間の中で学んできた知識をすべ
て吸収してくれそうな子を探してたのよ。アンタと喋ってて思った。アンタなら、あたしの知識をこの世
に残してくれるって」
袖を元に戻す。
蛍火「……せみ音さん」
せみ音「あたしは……」
せみ音、蛍火、口を噤む。
おりん(10)の声が聞こえてくる。
おりん「おっかちゃん……。しっかり……。誰かおっかちゃんを助けて‼」
せみ音、走り出す。
蛍火「せみ音さん‼」
〇長屋
せみ音が戸を開ける。長屋の中に失神した状態のおゆき(30)に、おりんが寄り添っている。
おりん「お姉さん……」
鼻水を垂らし大粒の涙を流すおりん。
せみ音、おゆきに寄り添う。蛍火も追いつき、長屋の状態を確認する。
蛍火「これは……」
せみ音「おっかさん、どうしちまったんだい」
おりん「……うっ、うっ……おっかちゃん、今お腹に赤ちゃんがいるの。先週から悪阻が酷くて。今
日も気持ち悪そうだったんだ。でもあたしが寺子屋行く時は笑顔で見送ってくれてた……。帰ってきたらこ
んなことに……」
おりん、泣きだす。
蛍火、おりんに寄り添う。せみ音、母親の手首と首筋に手を当て頷く。
せみ音「脈はある」
背中の風呂敷から竹筒を取り出すと、中から注射器を出す。
驚く蛍火。
蛍火「それは……」
せみ音「日本じゃ見慣れねえモンだろうけどよ」
にやりと笑うせみ音。
陶器の瓶の蓋を開け、深緑色の液体を注射器に入れ、母親の手首を握り、ゆっくり
と注射する。
おりん「おっかちゃん……?」
せみ音「安心しな。人を殺す刃物じゃねえからよ。こいつは、人を生かす刃物さ。おっかさんね。アンタこ
の子の妹か弟を産んで育てんだろ?まだ死んだらダメじゃねえか」
脂汗が浮き、眉をしかめ苦しんでいた母親の表情が徐々に和らいでいく。
せみ音「ここまで来ればもう大丈夫さね」
おりん「おっかちゃん‼」
母に抱き着くおりん。
せみ音「あとは布団を敷いて寝かしといてやりゃあ朝ンなれば元通りよ。一応近所のかかりつけの医者に見
せてやんな。あばよ」
背を向け、片手をひらりと振る。
戸から出ていくせみ音。
親子の様子を確認し、せみ音を追う蛍火。
道を一人歩いているせみ音。
せみ音「う~。今夜も冷えるぜ」
小雪が降る暗い空。その空が反転する。
倒れたせみ音を抱きかかえる蛍火。
せみ音「蛍火…アンタ」
薄く瞳を開け、蛍火を見るせみ音。
蛍火「せみ音さん……。貴女、医者だったんですね」
ふっと笑うせみ音。
せみ音「悪ぃ、久々に走ったからさ。まったくこんな体になっちまって」
蛍火から体を離し起き上がる。
せみ音「死にかけの医者が、人に生きろなんて言ってて笑えただろ?おかしいよね」
悲し気に眉をしかめ笑う。
せみ音を見つめている蛍火。
蛍火「……私の本当の名前は一橋十護郎と申します。江戸から離れた村の農民でしたが、父が武士に斬られ、
おかしくなった母が私と弟を江戸の屋敷に売りました。屋敷では夜な夜な女装させられ、主の相手をさせ
られていました……。ある夜に眠っていた弟を別の長屋に託し、屋敷を抜け出した私に生活するすべはあり
ません。主にしていたように女装して陰間として生きるしかなかったのです。たった一人の弟であった葉
生き別れた弟の葉牙助に会いたい……。その想いだけを強く抱きながら、様々な男に抱かれていく日々を耐
え抜いてきました」
せみ音「蛍……、十護郎」
目を見開くせみ音。
せみ音の目を見つめた後、跪き目を閉じる蛍火。
せみ音「おい!」
蛍火「せみ音さま、このただの陰間であった私を選んでくださってありがとうございます。私を……貴女の弟
子にしてください。貴女が学んできた手練手管を、私にお教えくだされ」