7.普通じゃない、かも。
長いです。
あと汚いです。
要注意。
「…にぃ…んおき……」
声が聞こえる。
「お…ちゃ……かい…ちこ……」
さっきより近くで聞こえる。
「んもう。お兄ちゃん起きて〜。会社遅刻するよ〜」
部屋のドアを開けて声の人物が入ってきたようだ。これは…沙奈の声か?いや間違いない、沙奈の声だ!もしかして俺は帰ってきたのか!?
そう思って起き上がろうとするも、体に全く力が入らない。目もつぶったまま開かない。
「ちょっとお兄ちゃんっ?朝ごはん冷めちゃうんだけど…。私も学校遅刻しちゃう。」
沙奈がベットに腰掛けながら言った。
俺は今すぐにでも起き上がって沙奈を抱きしめたいが、いかんせん体が動かない。力を入れようにも、体が力の入れ方を忘れたように反応しない。
「ほ〜い。お兄ちゃ〜ん。起きないんですか〜?まだ寝てるんですか〜…?」
沙奈はだんだん声のトーンを落としながら、顔を俺の耳元に近づけてきた。
「…ん?お兄ちゃんなんだか男臭い?」すんすん。布団を胸元まで剥がす。沙奈は俺の胸に顔お寄せて匂いを確かめている。くんくん。
「すー…はぁー…すぅぅーっ……はぁ〜んー…。」
深呼吸を始めたようだ。
おいおいどうした我が妹よ?何をしているんだ。沙奈は俺のパジャマのボタンに手をかけて、動きを止める。そうだ。そこで止まれ!これ以上は教育に良くないっ!!お前にはまだ加齢臭は早すぎる!引き返すなら今だっ!俺の心の叫びも虚しく、沙奈はむんずとパジャマの襟を掴むと、ボタンをひきちぎるほどの勢いで開き飛ばした。おまっ!ばかっ!!俺のお気に入りの猫ちゃんパジャマが…。
「は〜♪男臭いぃ…。すごいよぉ。はぁ。」
沙奈のボルテージが一段上がったようだ。すするように俺の匂いを嗅ぎ始めた。これはまずい。いくら夢だと言っても、沙奈はこんな破廉恥な女の子ではない。……いや、これぐらいはしてきたな。お尻を振るのはやめなさい。
俺はいつの間にか沙奈のご乱心を部屋の天井あたりから俯瞰で眺めていた。こうしてみると、兄妹のスキンシップを超えていたようなことが多々あったような…。いや、きっと他のご家庭でもこれぐらいのスキンシップはあるだろう。うん。それにうちは仲の良い兄妹なのだから仕方ない。
気がつくとまた寝ている俺の視点に戻っていた。沙奈はいよいよ俺の胸や首に口づけをし、ついには舐め始めた。やばい。妹がやばい。が、相変わらず体に力が入らず、声も出ないので止めようがない。沙奈の息っかいがかなり荒くなっているようだ…。もはや動物の域だ。やばい…沙奈やばい―――
「…おはよう。なねこ。」
胸の上に乗ったなねこが鎖骨あたりに噛み付いた痛みで目覚めた。俺の顔や胸あたりはべちょべちょだった。夢のくんかくんかとぺろぺろはこいつが原因か。
遭難6日目の朝だ。俺は睡眠で忘れていた腹痛にすぐさま襲われた。また、腹を下すのか…。もう何度目かわからないが、このままでは脱水症状で、死ぬ。
どうやら2日目の大雨で貯めた水が、この高温多湿な環境で悪くなったこと、そしてそれに気づかず飲んだことが原因らしい…
3日目。
朝から天気が良く少し蒸し暑い。なねこはいつの間にか俺の足の間で寝ていた。寝相が悪いのか?
今日は朝の身支度をして魚掴みにいく予定だ。その道中で果物もゲットしたい。今日は水源探しと生活環境の整備だ!
朝の支度を手早く済ます。目ヤニを取る・尖った木の破片を爪楊枝に見立てた歯磨き・軽いストレッチだ。 なねこも伸びをして、ぺろぺろ顔を洗っている。可愛らしくて堪らず頭を撫でようとすると、なねこは近づいた俺の手に自ら頭を寄せて撫でられにきた。気持ちよさそうに目を細め撫でられてくれる。俺も撫でれてきもちいいー。
魚掴みと果物探しは首尾よくいった。相変わらず魚たちは警戒心がなく捕りやすい。助かります。なねこは浜辺には近寄らずこちらをじっと見ている。釣果を期待しているのだろうか?
森の果物も一度覚えてしまえばその後も見つけやすい。10個ほど取ることができたが周辺にはまだまだ成っているのを確認できる。収穫の最中には黄緑色が微妙に薄い、似たような色味の果実もあったが臭いが全く違っていた。なねこにこの実を近づけるとしっぽで弾き飛ばしていたから多分食べられないのだろう。
キャンプに戻り、捕まえた魚は強火の遠火に当てておいて、焼けるまでの時間で近場に水源探しに出かけた。
もちろん都合よく水源は見つからなかった。というか水源の探し方なんてわからない…。今は雨で手に入った水と食べられる果物から水分を確保するしかない。…この状況かなりまずいよなぁ。
なねこと焼き魚を食べながら考えるがいい案が浮かばない。果物から水分を得るならそれなりの量を食べなければならないし、その分量を毎日探さなくてはならない。なかなかハードだし、果物を確保するために生活圏を変え続けなくてはならないだろう。食べられる他の種類の果物も見つかれば選択肢が増えて良いのだが…。そこでふと思い立つ。
なねこを連れて森のもう少し奥まで探索してみよう。またなねこが食べられる果実など、森の食料を教えてくれるかもしれない。そうと決まれば一番でかい魚をなねこに与えてご機嫌とりだ!量も俺より食べていいぞ!あの小さな体のどこにそんなに入るのか不思議だけどそこはつっこまない!!
なねこ先生作戦はまさかの大・成・功。
たらふく食べてご機嫌ななねこは、探索も森の散歩気分なのか俺の前を先導するように進んでいく。うにゃんな、と独り言を喋りながら進む姿は、俺に森の中を案内している様だった。その道中でヤシの実に似ているが一回り小さくした様な実をつけた樹木が生えているポイントにたどり着いた。キャンプ地から森の徒歩10分といったところ。途中からは下生えの高さが低くなっているところがあり歩きやすい。
なねこは木から実を落としてくれた。数個まとまって成っているのでまとめて落としてきたがなかなかに重い実だった。当たってたらかなり痛かっただろうな…。それはさておき、近くの石でかち割ると中から水分が流れ出した。ひらりと降りてきたなねこは、すぐさま流れ落ちる水分をペロペロと舐めていた。それを確認して俺も割れた隙間からヤシの実(仮)の汁を啜ってみた。味は、家で作った氷入りカルピスを飲み終わった後に、コップに残った氷が全部溶けた極薄カルピス、の様な味。しかもしばらく放置してぬるくなったやつだ。贅沢なこと言えば「マズイ」んだが、実を3〜4個割って飲めばかなりの水分量を摂取できる。これはかなりいい発見だ!なねこにもう数が少なくなったお饅頭を1つあげると喜んで食べていた。
…この饅頭はまだ食べられるらしい。なねこの野生のセンサーは大変優秀だろう。なねこすまん。俺は生き残るためにお前の力を全て活用しなくちゃならないんだ。おそらく、2日目の朝にゲットした雨水はもうダメなのだろう。なねこに与えても飲まなかったし、俺が飲んだ時も少し味が変わっていた感じがする。結構飲んじゃったけど(笑)
この日は生活環境の改善までは手が回らなかった。
4日目。
昨日と変わりのない暮らし。魚をむんずと掴んでは焼き、なねこと果物とヤシの実(仮)を採集しに行く。この日の空は曇りだったが気温が高く少し蒸す様な空気だった。そしてこの日の昼前に自体は急変した。
…なんかお腹が痛いぞ?
魚とヤシの実(仮)で食事を終えた俺は、デザートがわりに饅頭をなねこと頂いていた。少し腹が痛い。これはちょっと「大」かも、と一応なねこにトイレだと声をかけ海の方に向かって移動。なねこはんなぁ、と返事した。あいつ言葉を理解してそうだよなぁ…。
大自然に包まれての「大」も慣れたもんだ。柔らかそうな葉をその辺からちぎり下着を下ろす、少し遠くに見える海を眺めながらしゃがむ。これで準備は完了。我がぼろアパートに備え付けられたジャパニーズスタイルの「大」で鍛え上げられた俺の下半身はビクともしない。例えどれだけの時間しゃがんでいても、再度立ち上がる際も全く問題ない筋肉が備わっている。ふふふ、最近の若いもんは和式に慣れてないから下半身が弱いのだよ。
などと余裕をかましていたのはここまで。腹の痛みは増すばかり。「大」の状態ももはや水。痛みの強さに波はあるが基本的にすごく痛い。腹からはアニメの効果音みたいな音量でごろごろと音がしている。内臓からこんなボリュームで音が出ることを始めて知ったし、この痛み方はやばいなと感じた。
おそらく1時間ほど痛みと格闘しただろうか。脂汗で全身がびっしょりだ。喉もからからだ…。後ろからなねこのうな〜ん?と言う声が聞こえた。しかし俺にはそれに返事をする余裕はない。なねこは俺の状態をブツの匂いから判断したらしい苦い表情をしている。
なねこはさっと俺の肩に登った。にゃむにゃむ言いながら俺の頬を舐め始めた。くすぐったさに気を取られていると、腹の山場が終わったらしく立ち上がれそうな状態まで戻った。心配してくれるなねこに礼を言って立ち上がると俺は海に向かった。流石に葉っぱごときでは処理しきれないから…。ウォシュレットが恋しい…間欠泉でも可。
腹痛に苛まれながらもなんとか昼餉の魚を焼く。なねこのおかげでヤシの実(仮)を5つ確保できた。寄せては返す腹痛はまた徐々に強くなっている。青空トイレにはあの後3度世話になった。尻から地獄を産む苦行がまだこれからもある可能性を考えると怖い。さらにはなんだか体もだるくなってきた。
食欲が無いが薬を飲むためにと魚を半分食べる。なねこは座る俺に体を寄せてくる。きっと心配してくれているのだろう。足を投げ出しての転がり尻尾を足に絡めてくる。すごくかわいいが、腹が痛い。いいかげん薬を飲もうとおもいふと気がつく。
これが腐った水を飲んだことによる食中毒ならもろもろ出し切ったほうがいいのでは…?
悪さしている細菌を体内に留めてしまえば症状はより悪化する可能性がある。うん。腹は痛いし体はだるいが、鍛えに鍛えた自分の体を信じて出しまくろう。そうだとしても水分は取らないといけない。脱水症状で死んでしまう。体がだるいとは言えヤシの実(仮)を破る力はまだある。体が水分を求めていたのか、薄すぎるカリピスがやたらにうまい。2つ分ほど飲んで、薬はやめて寝ることにする。体のだるさは熱から来ていそうな感じがするので火の近くで大きな葉をかぶって横になる。体へのせめてもの栄養のため果物をひとつだけかじる。
5日目。
痛みは全く無くならない。夜も何度となく痛みで目が覚めた。相変わらず生き物の気配を感じない真っ暗な夜は俺の不安を加速させる。なねこがいてくれて本当に良かった。体がやられて精神的にも厳しい。その上朝から発熱による体のだるさや吐き気も手伝って、起き抜け満身☆創痍だ。目の前にはなねこの心配そうな顔。鼻をぺろりひと舐めされる。自分から舐めといてしかめつらとうめき声はやめてくれ。
起きて早速トイレへ。もう痛みへの恐怖がすごいが、出さないとまずい。固形物を食べていないので出すものも無いのだからいい加減治まって欲しい…。
なねこに饅頭を出したが食べなかった。きっともう饅頭もダメになっているのだろう。いよいよ地球の食料は無くなったか…。暗い気持ちになりながらも体力温存のために横になる。
いつのまにか寝ていたのかなねこの鳴き声で起きた。なねこがうにゃうにゃ鳴き俺に体を擦り付けてくる。かわいい行動なのだか今までにない雰囲気。何かアピールされているのを感じる。ふと時計を見ると15時。全く正確ではないが、起きたのが日の出頃の6時なので、もう9時間も寝たことになる。途中痛みで目が覚めずに良かったが汗びっしょりで気持ち悪い。それ以上に体に水が足りない。ヤシの実(仮)を2つ分飲んだ。生き返る心地だ。割る力が弱まっているのを感じる。体調不良で自慢の筋肉が泣いているぜ。
なねこは相変わらず変な雰囲気。あ、飯2食食べてないんだ。すまんなねこ!そう気が付いてすぐに行動を開始する。しかし体はダメージによってもうボロボロだ。ふらつきながら海に一歩一歩向かう。途中で1度尻が決壊した。
魚を簡単に掴んで、果実をなねこが落としてと短縮版でこなした。実際に食べれるようになるまでは、森の奥に入ってヤシの実(仮)を7つ確保できた。なんとか準備は進んでいるが、腹の痛みのためスピードは遅いし、体調も悪くなる一方だ…。
果物を少し食べ、ヤシの実を割りまた横になる。割る力が入りづらいので、割るのに使う石を大きくした。そうこうしていると、いつのまにかもう18時を過ぎて日が傾きはじめていた。
6日目。
変な夢から覚め、朝のトイレと戦い、俺は力尽きた。力尽きてしまった。
意識は朦朧として足元はおぼつかず、体には寒気が出ている。果物を口にしたが戻してしまった。胃液しか出すものがないのにこの反応、吐くだけで命が削られるのを感じる。ヤシの実(仮)を割ることももう出来ない。力が出ずに寝床に倒れこむ。
食中毒、なのだろう。高温多湿な環境で雨水を約2日保存したものを口にしてしまったことが原因だろう。これは死んだかな、そう脳裏に浮かんだ。腹を痛めてからわずか2日。色々な悪い偶然が重なったのか、たった2日でここまで追い込まれてしまった。命運尽きてしまったようだ。それとも人間っていうのは本来はこんなにも弱いものなのだろうか。
沙奈とは最後に夢であっただけだったが、今どうしているだろうか心配だ。あの子はしっかりしているから泣いたりせずに気を張っていることだろう。…申し訳ないなぁ。まだ小学生だぜ…?本当に悪いことをした。生きて帰りたかったなぁ……
目の前が暗くなり、いよいよかと思った瞬間、鼻に激痛が走った。体は痛みに反応して首を動かすが、鼻を引っ張られる感覚。なねこの野郎だ…。目の前が暗くなったんじゃなくてなねこが視界を埋め尽くしたんだ。しかしあいつ、俺が死んだと思って食おうとしたのか?
なねこはひらりと俺の頭を飛び越えると、
にゃ〜ん
と鳴いて見せた。
あいつ猫みたいに鳴けるのか…。最後の最後に取って置きのネタを見せたかったのだろうか。視線をなねこに向ける。なねこはお尻をこちらに向け顔だけで振り向いて、尻尾を何度も前後に振っている。聡明ななねこの事だ、なにかを表しているのだろうが、俺には「行くぞ。こっち来い」と呼んでいるように見える。
なぜか先程より力の入る体を起こしてみる。それを見たなねこは数歩進んで、振り向いて尻尾で来い来いとジェスチャーしている、ように見える。俺は立ち上がり、ふらつきながらもなねこに近づく。途中、薪用と考えていた長い枝を杖代わりとして歩いた。
なねこは少し歩いては振り向いて、少し俺と距離をとってはちらり確認と、俺が追っていることを確かめながら先を歩いて行った。どうやら間違ってないようだ。
なねこは薮が深いところも御構い無しに進み、姿が見えなくなればにゃーにゃー鳴いて呼んできた。俺はやはり体が限界なのか、歩みは遅く足はふらついた。腹痛ももちろん襲ってくる。その度にジャパニーズスタイルをしなくてはならない。どこかに洋式トイレはないものか。立ち上がる動作で死にそうだ…。こんな体で歩いていれば当然危険は多い。足元が悪く倒れそうになり木に抱きついたり、足を滑らせて咄嗟に垂れ下がる蔓を掴んだりしてなんとか進んだ。おぼつかない足取りを見たなねこはその都度足にすり寄って励ましてくれていた。たまにぺろぺろもあった。
もうどれぐらいの距離と時間を歩いただろうか。度重なる腹痛、吐き気、相変わらずの悪寒。頭は考えることをやめたように、意識の切れ間が出てきた。これがゲームなら瀕死のステータスだろうな。と考えていたら、前方に明るい光が見えてきた。自由気ままに生える樹々の間を通って力強い光がまるで光線のようにあふれている。
南国感のある深い原生林の奥に光があることを不思議に思いつつも頭の回転は遅く、ただふらふらと歩くばかり。なねこは光の中に飛び込んでいったようだ。近づくにつれ強い光に目が痛む。こんな深い森の中から一体どうしたら光が溢れるなんてことになるのだろう。しかもこの光は太陽の光のようだ。目を細めながら俺も光の中へ進んだ。
体に触れる、肺に吸い込む空気が一変した。
俺は森を切り取る広大な湖の前に立っていた。
そこは別世界だった。その自然界にあるまじき厳粛な雰囲気には、ここは普通の湖じゃないと理解させる力があった。あまりにも不自然なのだ。
湖のヘリから10メートルほどの幅でぐるっと一周樹木がなく、その部分には短い芝が綺麗に生え揃っている。湖に面している木々も変だ。今まで鬱蒼とした熱帯の原生林を突き進んできたのに、この周辺だけは針葉樹しか生えていない。湖から森を見たらヨーロッパのどこかにきちゃったかな?と思うほどだ。しかし人の手が入っているようにはなぜか見えない。絶妙な不自然さだ。また、湖の透明度は異常なほどに高く、もし水面が風に揺れていなかったら、周囲の景色を映し出す巨大な鏡と見間違えただろう。風が運んでくる空気は涼やかで湿度もちょうどいい。熱帯の森の只中でこの清涼感は普通じゃない。
神秘的で不自然。しかし圧倒的な光景が目の前に広がっている。南国リゾートとの落差もすごい衝撃となっている。ここでなら死んでもいいかも、この風景の肥やしになれるなら悪くないかなと思えてしまう。なねこは最後に粋な計らいをしてくれたぜと視線を向けると、黒い塊が顔面に飛び込んできた。そのままバリバリ引っ掻かれた。咄嗟に顔を覆う。顔から華麗に着地したなねこが睨んでいる。にゃーにゃーと文句らしきものをいいながら湖畔を乱暴な足取りで進んでいってしまった。俺は謝りながらそれについていく。顔を覆った手のひらには少し血が付いていた。
気がつくと朦朧としていた意識はいくらかはっきりしていた。この空間に流れる清涼な空気のおかげだろうか。吐き気も我慢できる程度だし、腹の痛みも少しだけ引いている。芝は歩きやすいので前を進むなねこも森の中よりペースが早い。急いでいるようにも感じる。おそらく目的地は目の前に見えている大きな岩だろう。そこに俺を連れて行きたいのだと思う。
その岩は軽自動車ほどもある大きなものだが、いたるところに亀裂が入り、なぜかそこから水のような液体が懇々と溢れ出ていた。岩から液体が溢れ出ているとかなんだか怪しい。その液体は湖へと流れ込んでいる。なねこは器用に岩に前足をかけで、亀裂より溢れ出る液体をぺろぺろと飲んでいる。そして俺をチラ見する。
分かっているぜなねこ。俺にこの水を飲ませてたかったんだろう?この液体はただの水じゃなさそうだ。なねこに習って、岩に体を寄せて溢れ出る液体に口をつける、喉を潤す、体に水分を補給する。
!?旨い、旨すぎるっ!!
これは間違いなく水だ!だが舌で感じるだけじゃない、魂に響く旨さが体全体で感じられた。こんな衝撃的な味がこの世にあったのか!!
溢れ出る量ではもの足りず、たまらず吸い出そうとするが口内への流量は変わらない。はっと気がついて湖から直接飲もうと体を翻す。即、なねこに顔を引っ掻かれた。にゃんにゃんにゃんにゃんと怒っているような鳴き方をし、岩の水をひと舐めしては俺に視線を向けた。OKわかったぜなね公。この岩からの水を飲むんだな?と岩に抱きついて水飲みを再開した。
どれぐらい飲んだだろうか、いい感じに冷たい岩の水を飲みすぎてお腹痛くなったらやだなぁと思い、はたと気がついた。
腹痛が全くない。
吐き気もない。
体の寒気も感じない。
抱きつくように岩にすがりつく両手は岩をしっかりと掴んでいる。変な体勢で踏ん張る足は大地をしっかりと踏みしめている。体は全くの本調子に戻っているのだ。驚いて岩から飛び退いたが、こんな動き方は湖に到着した時には絶対にできなかった。この岩の水を飲んだことで体が「治った」のだ。その証拠か、驚き固まる俺の腹から、空腹を訴える内臓からのクレームの音が辺りに響き渡った。