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とにかく俺は帰りたい!  作者: やま
第1章
16/24

16.森の管理者その3。

お待ちどうさまです。

【恩】

 他人から与えられためぐみ。いつくしみ。なさけ。


 森の管理者は知識として【恩】という言葉のことは知っていたが、その言葉を実感したのはこれが初めてであった。「恩に報いる」という言葉も知識に記録されていたため森の管理者は早速それをなそうと行動した。

 まずは男が己の体に触れることを許した。男の表層意識やイメージを読み取ると、ラルンバル似の動物を手で撫でるなど、よく愛でていたようだ。魚の味に気をやりつつも男が体を撫でる感触に感心していた。彼の手さばきはなかなかに洗練されており、ありていに言えば気持ち良かった。それに対して男の反応は微妙なものだった。理由は感触の期待外れ感だろうと想像がついた。男には魔力がなく「弱い」、ラルンバルの体は魔力があり「強い」。この差が、感触が期待外れだった事、つまり毛並みの硬い感触、ひいては撫で心地の悪さにつながったのだ。

 男は残念な気持ちを感じながらも硬い感触に対してより強く撫で始めた。乱暴になりがちな「力を込める」という行為は、しかし本当に力のみが込められており、先ほどにも増して丁寧な手捌きで、その手練は瞠目に値するものだった。

(なんと巧みな・・・初めて見る私の体をまるで知り尽くしているようだ)

 などと的確な撫でくりに感想を述べていると


「んな~」


(変な音が聞こえた・・・間違いなく私の声帯からだ・・・)

 思わず、といった感じで感嘆の声が森の管理者扮するラルンバルより漏れていた。ばつの悪さを感じ無言で魚を食べ終えた。この感情もまた初めて感じるものであった。


 食後に撫でさせながら森の管理者はラルンバルのチューニングを行っていた。

(決して気持ちよかったからのではない。男の恩に報いるためであるのだ…うん)

 具体的には、彼がイメージする異世界のラルンバル似の動物に、性格や行動を合わせる作業をしていた。男は、森の管理者扮するラルンバルに寄りかかられたり、その尻尾が揺れるさまを見たりするたびに、異世界のラルンバル似の動物の愛らしい行動を次々思い出していた。それをリアルタイムに読み込んでいるのだ。その甲斐あって、後の森の管理者扮するラルンバルの行動は男を大いに満足させた。



『なねこ』という音を男より授けられた。森の管理者が、どうやらあの有名な「名前」というものを付けられたのだと理解するまでにしばらく時間を要した。焦げた魚と異世界の食べ物も体験させてもらったので、名前で縛られるのもまあ悪くはないと考えた。所詮この身は分体だし。この世界の人間種など魔術を使う者達等は「名前」や「名付け」に大げさなほどの重要性を持たせたがるものだと森の管理者は常々考えていた。しかし、魔力のない男に「その気」はなさそうだから、つくづく異世界の人間種だなぁと思った。まあ、これからも魚を食べさせてもらおうと思えばこの名前をありがたく頂いておくべきだろうと言う打算もあった。

 しかしこの鳴き声はなんとかならないのだろうかと森の管理者は試行錯誤していた。ラルンバルはもともと「森」に隣接する外の森の生き物だ。弱さを持つ生き物だ。故に今まで歓迎はしてきたが「調整」はしてこなかった。また森の管理者自身、「森」の外の生物に成り代わることは初めての事なので、勝手も違い声帯を弄りたいだけなのに尻尾が増えたり減ったりしてしまう。

(この男はそもそもラルンバルを知りはしないのだからどんな鳴き声でも問題はないのだが、いささか威厳がない…)

 その後も調整はうまくいかず、森の管理者はほどほどで諦めた。実際は、本体から切り離された、森の管理者の抑えきれない欲求がラルンバルに成った「分体」とも言える存在なので、管理者権限が少し弱まっているのであった。




 男が食中毒に冒されたらしい事を森の管理者は察知していた。確保していた雨水の中で細菌が繁殖し、それに気付かず男が飲用したことが原因だ。

 魔力を持たない男にとって、この世界の細菌はとても太刀打ちできるものではない。魚の弱い種類ならば、魔力せいで多少は硬いが、それを上回る腕力があれば力に任せて殺すことは出来る。しかし体内で蠢く魔力を持つ無数の細菌は、彼の世界の薬を持ってしても勝利することは難しい。整った環境で、正しい対処法で挑まなくてはならない。そのどちらもこの森の中で揃えることは不可能だった。

 森の管理者は対策として、事あるごとに男に触れて少量の魔力を貸与していた。ラルンバルの舌で男の肌を舐め魔力を染み込ませたたり、歯で噛んで皮下に魔力を注入したりなどして行っていた。これで当座の魔力を与え、症状が回復することに期待していた。しかし消極的なこの方法では男の快方は成されなかった。

 森の管理者は魔力のない人間の弱さを甘く見ていた。「森」に特化した魔力を少量与えれば、回復は容易と判断していたが、予想外に男は弱かった。森の管理者は知る由も無いが、男の体脂肪率があまりにも低く、免疫が弱まっていることも関係していた。また、多くの魔力を与える事を森の管理者が躊躇ったことも関係していた。魔力を与えすぎると「森のモノ」になってしまう事を危惧してのことだ。これはこの男を「森」に迎え入れることになってしまうし、海の管理者に嫌われて魚を食べられなくなってしまうリスクも意味していた。あの、とんでもなく美味しい、まるでひと噛みごとに命の循環を感じられるほどの美食こと「魚」を、まだ生で食べたことがないあの魚様を食べられなくなってしまうリスクも意味しているかも知れないのだ!!この予想はかなりの確率で正しいと思われ、森の管理者を悩ませていた。さらに言えば「森」の外の生き物の流入は歓迎しているし、「森」での順応も認めているが、自らが「森」独自の生物に施したように、外の生物を「森のモノ」に変化させたことはなかったのだ。

 しかし事態はここにまで来てしまった。男はもう明日には力尽きてしまうだろう。動くことができるのも今が最後だろう…。森の管理者は己が考えの甘さと欲を恥じ、男の命を救う事を決意した。彼を「森」に迎えると決めた。

 病に体を蝕まれながらも、力つきる寸前まで森の管理者に魚を与えてくれた。この男とは、たった数日の付き合いだが、未知を教えてくれた恩人だ。もしかしたら、魔力を与えれば相棒と呼べる、信頼にたるモノになるかも知れない、そんな予感もあった。

(魚が食えなくなるのは本当に惜しいが、私1人ではなし得なかった事を与えてくれたこの男のために、私はできる事をすべきだ。魚は惜しいが…)

 男の鼻先を強く噛み、意識を取り戻させることと、少しの魔力の注入を行った。そしてジェスチャーによって男を近くの「湖」に誘導して行った。この「森」にしかない特別な「湖」へ。



 森の湖には人間種の世界ではお伽話の域を出ない、彼らの想像の産物が現実のものとして存在していた。人類種は未だ空想の中でしかこの液体の存在にたどり着いてはいない。それは海の管理者が「根本」を覆すものとし、己が「海」への流入を拒絶した液体。森の魔力が液体化してその存在を固定した「エリクサー(森・湖・水)」がそこにはあった。


 この液体は「追熟」によって効果を増すので、森の管理者は一番若いエリクサー、つまり岩から溢れ出るもののみを男に飲ませた。当然男は復調した。それどころか生まれてこのかた最高のコンディションにまで回復・調整されていた。もちろん体の傷ごときは消えて無くなってしまう。持病の腰痛もすっかり治っているし、過去の骨折の跡も真っさらだ。そして男は本人の知らぬ間に「魔力(森)」をその身に宿す事となった。森の管理者に後悔はなかった。これは「海」との決裂、魚との別れと知りながらも、男が命をつなぐ唯一の手段だった。

 男を「森」の一員として受け入れる決定は、男に本当の「森」を見せる事も含まれる。受け入れも公開も段階を経て行うため、先ずは一部の草食動物・非好戦的昆虫・魔力のある木の実を解禁した。

 キャンプ地への帰り道、早速多様な動植物に男は驚いているようだった。森の管理者もそんな男の様子を見て満足感を覚えた。自分の森を、知能あるモノに見せた事は無かったので、男のリアクションがとても嬉しかった。虫の1匹に驚き、動物の形状に考えをめぐらせ、森の音に怯えていた。しかし「森」への嫌悪感はなく、嬉しいようなホッとしたと言う感情が読み取れた。

(この森の良さがわかるとは、やはりなかなか見所のあるやつじゃないか)

 この出来事はしばし魚のことを忘れさせた程だ。

 拠点へ戻ると炎蝕蟲(えんしょくちゅう)が焚き火を食べていた。男はその光景に呆けていたが、慌てた様子で枯れ枝を振り回して炎蝕蟲を払い始めた。炎蝕蟲の魔力は男と比べて多く、また質も良いので、駆除にかなり苦労をしていた。森の管理者も焚き火が失われてしまえば男の生活に支障をきたすと考え、昆虫が寄り付かなくなる「結界・劣(草)」をサービスのつもりで焚き火の周りに展開した。男はそれを見て何かを察したようで、表層意識に感謝を表しラルンバルの頭を撫でた。

 男は空腹を改めて自覚し、魚を食べる様を思い浮かべた。森の管理者は自身が魚をたべれないこともそうだが、この男もまた同様に魚にありつけないことを申し訳無く思った。森の魔力を身につけた以上「海」からは自身と同様に嫌われて、侵入を拒まれるだろう事は明白だ。海への道中は己の落胆を隠すことができなかった。




 奇跡だ。

 奇跡が起きた。

 海面よりスローモーションで突き出てくる男の左腕には、丸々と太った魚が鷲掴みにされている。男の手は天を割らんばかりの力強さで、海水の飛沫を撒き散らせながら突きき上げられた。遅れて水面より現れた岩のように切り立った太い右手にも魚が握られている。男の筋骨隆々とした体は人間とは思えない高貴さで、堂々と立ち強い陽射しを受け光り輝いている。それはまるで「千の鑿を持つ獣神」に愛された芸術家が一生涯をかけて掘り出した彫像のようにラルンバルの眼には見えた。森の管理者扮するラルンバルは、多寡な喜びの感情に体を侵され、どこへなりとも走り出してしまいたい衝動を、回転運動に変換して忙しかった。

(なんたるっ……!幸運っ!……少なくともっ……あの手に握られた魚はっ………っ喰えるっ!!さすが私が認めた男だっ!!)

 結局、男はもう5匹の魚を獲って見せた。森の管理者は感情が振り切ってしまい、焚き火のあるキャンプ地まで駆け出していった。そこで炎蝕蟲が焚き火に群がっている光景を目の当たりにするまで興奮は冷めなかった。

 その後も魚は食べ続けられているが、男の森の魔力が増えていくにつれ、魚たちは男を徐々に警戒し始めた。



 男との共同生活は規則正しいものだった。日の出と共に起きて、月に想いを託して寝る。水汲みは1日3回行って、狩は水汲みの間に行い1日2回。水汲みの朝と夜の回には体を洗っている。食事は1日3食。昼寝は昼食後1回。これらが生活のリズムとなっていた。また、寝起きには体をほぐす体操と、口腔内を清潔に保つための掃除を行なっている。森の管理者が分体と知って舐めた態度を取ってきた炎蝕蟲の毎朝の駆除も慣れたようだ。

 食事は素晴らしいものだった。知り尽くしたはずの「森」の動物たちも焼いて食べるとまた違った味わいになった。魔力の補充はほぼ出来なくなるが、体に栄養を与え、空腹を満たし、舌を喜ばせることが出来る。食べるという行為はなんと素晴らしいのだろうと森の管理者はこの短い間にしみじみ感じていた。もちろん焼き魚は最高だ。薄いオレンジでトゲのある魚は油がうまい。小ぶりなくせに鱗がやたら多いひれが4つある魚は皮がパリパリとしていてうまい。銀色に輝く細長い魚は、はらわたを取らずに焼いたものが独特の苦味がアクセントになってうまい。うまいものだらけだ。もちろん「森」の動物もうまい。森の管理者は干し肉を始めて食べたが異次元の美味しさだったし、特に「薫製肉」は魚に匹敵する程の衝撃を受けた。「森」の動物を「森」の木材で燻す。こんな方法があったのかと森の管理者は衝撃を受けた。しかしなぜか、魚は全く飽きないのに、森の動物の味は数回食べると衝撃が薄れてしまう。どんなに味が変わろうとも本質的に「森」のモノに変わりがないからだろうかと森の管理者は考えていた。

 日に何度も行われる男の撫でくりもそれは素晴らしいものだった。頭、背中、のど、腹、足先とどこもかしこも気持ちいい。ときに激しく、ときにフェザータッチで、こちらが「撫でれ」と寄らば全力で対応してくれる。こちらも撫でられて気持ちい、あちらも撫でれて嬉しい、これが世に言う「win-winの関係」かと、改めて男との出会いを噛み締めた。食事も大切だが、このようなコミュニケーションも知性ある生き物同士では必要なものなのだと実感しきりだった。

 また、男の数少ない持ち物は森の管理者の興味を引くものだった。例えば、この世界には無い素材で出来た宝石のような丸いモノ。キラキラと金色に光る布地のようなモノ。これらが透かし彫りを施したような黒い三角の布地に縫い付けられている。男の持つ、異世界から男と一緒に転移して来た他のどんな物と比べても異彩かつ使用目的がわからない。森の管理者はよくよくこの玉パンを何に使うものか観察して、考察して遊んでいた。



 男とのいつもの日課の帰り道だった。洞窟は突然「森」に出現した。もちろん森の管理者は即座に気がついた。しかし驚きは隠せない。あまりにも強力な干渉が、一瞬にして行われ、それを「森」がテリトリーの自分に隠しおおせた事実に。しかも入り口から先、洞窟の内部は一切窺えないように作られている。この森の()()()を差し置いて、である。間違いなく上位者の仕業だ。

 上位者が異世界より転移者を運んでくる場合、人間種などの知能あるモノにして一瞬の時間で事がなされる。しかしそれは管理者からすれば、気づくことから観測を始めるまで十分な時間がある事象だ。洞窟の出現は全く観測できなかった。それと比べてもこの洞窟は異常だ。衝撃的な事態に無様を晒し、そのせいで男も洞窟に気がついてしまった。

 この洞窟は上位者のなにかしらの「仕掛け」なのだろうとは予想がついたが、その考えを深める時間はなかった。男が早々に洞窟に入る決意をしてしまったからだ。長く「森」を管理している管理者をして、上位者からのテリトリーの侵害は初めての事態で、これは最上級に警戒すべき案件あることは明白だった。この唐突さ、管理者ですら中が見通せない洞窟の怪しさ、おそらく男に向けて出現したであろう事を含めて関わり合いたくない出来事だ。しかしそんな管理者の警戒心も知らず、男はあれで気をつけているつもりなのか、体勢は低くしているが軽い足取りできょろきょろと洞窟の入り口を検分している。いや、「検分」なんて上等なものじゃない。無防備で!無頓着に!「見て」いるだけ。森の管理者は男に警告するため近づこうとした。すると草木がなくなる境目で体が動かなくなった。何か外部からの力で動けなくされているわけでは無いのに、動かない。前にはもちろん右にも左にも動けない。上も駄目。地面を掘るという選択肢を思い付いていれば、それもまた出来ないという事を思い知らされただろう。後退するしかなかった森の管理者は、未だ気軽な感じで洞窟の入り口を「見ている」だけの男にとびっきり強い声で呼びかけた。


「ま〜〜お」

 と。


(なぜ私の鳴き声はこんなにも、こんなにも威厳がないのか…)

 森の管理者は落ち込みそうになったが、男から読み取った情報によればこの音の鳴き声は「怒り」・「威圧」を含んだ、ラルンバルに似た異世界の動物の鳴き声らしいから仕方がない。

 声に気がつき振り返った男にさらに強く鳴いて聞かせる。表情や体の強張りで怒りのそれを作り男に知らせる。

(せめてもう少し真面目にやれ!!)

 不幸にも、男にその助言が伝わることはなかったが、男は何かを察した様子で森の管理者のところまで戻り、スペシャルコースでからだ撫で回してご機嫌とを取った事は筆舌に尽くしがたい幸せだった。


(うにゃうにゃ〜ん……ごろごろ……んなぁ〜ん…………はっ!!な、なんたる気持ち良さっ!…馬鹿になってしまうっ!!…もはや本当に手で撫でられているのか怪しいほどだ…)

 森の管理者はすっかり懐柔され男の洞窟探検を「…んなっ」っと渋々許した。



 男が洞窟に入り丸一日経ったがまだ帰らない。森の管理者はまさかこんなに時間がかかるとは思っておらず、初めて感じる不安と後悔が膨れ上がり、落ち着かない様子で境目をウロウロしていた。

(なんたる事だ…。わたしは判断を誤ったかもしれない)

 上位者。管理者を配した存在。恐らくこの世界を創造した「何か」。人間種達が言うところの「創造主」や「神」などど呼ばれる者に当たるだろう。森の管理者は上位者のやりたいことがわからなかった。この世界は素晴らしく、己の「森」はその中でもさらに最高だ。これだけの作品を作り出したにも関わらず、突如として立ち止まってしまったように感じるのだ。管理者が配置されて以降、様々な生き物が誕生した。陸海空全てを生き物が行き来している。知性ある者達も生まれた。しかし、そこで世界はそこで止まってしまい、それまでに造ったモノで世界が動き出してしまった。動植物達の新種はただの突然変異だ。自然界には存在しない物は人間種達によって作られた。そうなって久しい世界には新しい要素はもう産まれないように思われたのだ。管理者が配置される以前の世界から、連綿と続いてきたこの世界の進化と深化は、人間種の出現を最後に止まってしまったと森の管理者は感じていたのだ。しかし上位者の影はまた現れた。異世界の人間達に関わるという限定的な内容でのみ。上位者が何を目的として行動しているのが、森の管理者には全くわからなかった。


 管理者の感覚にうっすら男()()()反応が感じられた。洞窟の入り口奥にぼんやり現れて、徐々にこちらへ近づいているようだ。探りを入れても今までは全く分からなかった洞窟内部の様子が、入り口付近ではあるがはっきりわかるようになっていた。森の管理者はそれを不思議に感じながらも、男の反応に違和感を感じていた。違うのだ。洞窟に入る前とは、決定的に。森の管理者は不安と恐怖を覚えた。

(わたしに貴重な体験を与えてくれたあの男が変質させられてしまったのかっ!?)

 いよいよ洞窟より男の姿が見え始め、森の管理者は焦燥に駆られて飛び出していった。男が変えられてしまったことは確実だ。何が、どのように、どれだけ変わってしまったのかはここではわからない。致命的な変化が起きてしまっていないか不安は募る。

(上位者めっ!許さないっ!!)

 何故かラルンバルの体は草木の境目を越えていた。洞窟より出てきた男は見た目には全く変化がなかった。表情や仕草にも違和感はない。外見や精神ではない「中身」が変わっている様子だ。森の管理者は男に飛びつくどさくさに紛れて、皮膚に爪を立て少量の血を舐めとった。

(魔力が変質している!?)

 男の魔力が「森」由来のもの()()ではなくなっていた。血液からそれは判明したが、それ以外の変化は全くなかった。

(一体何があったと言うんだ…)

 森の管理者の困惑をよそに、男は洞窟内で拾った戦利品を見せびらかした。やけに錆びた刃がついている以外は、人間種が使うようなどこにでもあるナイフ。森の管理者はすぐさま男の表層意識を読んだ。薄暗い人工的な洞窟内部、広い部屋と3本の塔、地底湖、復路で拾ったナイフ…。どうやら洞窟は「森」から「地」の領域に半分降った辺りのようだと当たりをつけた。しかし洞窟の入り口から先はこの世界の()()()()()()ように感じた。いずれにせよ男の表層意識と「己の管理の目が届かない場所」と言う情報だけでは判断がつかない。

 森の管理者が考え事をするその間にも、男は嬉々としてナイフを横一文字に振っている最中だった。少ない情報からの推察、考察に夢中になっていたため森の管理者は気がつかなかった。「森」の大木が3本切られたその瞬間まで。

 森の管理者は一瞬にして男と倒れ行く大木の間に陣取って警戒の「眼」を広げた。

(はぐれターナトム・ラか!?いや、カルナ・ナルア・アルカの幼体か!?)

 大木をまとめて切り倒せる事、その際の力を極限まで秘匿出来る事を考慮して警戒をするが「眼」には何も掛からない。

(いや、ヤツらはこんなところまでやってはこない…。上位者の仕業か?)

男の安否を肉眼で確認するために振り向くと、男は腰を抜かして座り込んでいた。そして男の向こう、突然現れた洞窟は、やはり突然消えていた。

(勘弁してくれ…こう、立て続けにはやめてくれ……)



 それからの生活は大きく変わった。男はラルンバルの再三の廃棄要請を聞き流し、ナイフの性能を確かめる実験を行った。その結果、ナイフは生物を傷付けられないということがわかった。森の管理者はそこからさらに、生命活動をしている魔力の持ち主を斬れないという事まで見抜いていた。この「森」の中心部に生息している移動性植物の()()()は果たして斬れるのだろうかと余計なことも考えた。

 男は様々な素材をナイフで切り、削り、くり抜き道具を作った。拠点となる場所の住環境を整えたり、体を鍛えるための器具をいくつも作ったりして、日々環境改善とトレーニングに勤しんでいる。その中でも特に調理器具の製作は森の管理者にまたも大きな衝撃を与えた。

「スープ」や「シルモノ」と音で表すらしい、魚介をエリクサーで煮たものはとてつもない味の経験だった。数種類の魚と貝を煮込んで、そこに海水を煮詰めて取り出した「シオ」と音で表現する白い粉を入れるのだがこれが旨い。魚介の「ダシ」と「シオ」が奏でる天上のハーモニーがこの料理には顕現している。食べていると何故か溺れそうになるのだがやめられない味なのだ。


 ナイフを手に入れて以降生活も変わったが、男もまた変化している。主に魔力に関して。

 森の魔力のみを宿していた男の体に、あの洞窟から帰還して以降別の種類の魔力が確認できるようになった。それは最初、微量すぎたため森の魔力に隠れてしまっていた。しかし森の管理者の感覚には引っかかっており、何かが混ざってしまった事は分かっていた。その「何か」は日に日に主張し始め

「魔力(地)」

「魔力(空)」

「魔力(海)」

 である事が判明した。

 これはもちろん異常である。ありえない話なのだ。人間種であれば「魔力(人)」を持っていて当然なところ、男は魔力のない世界の異世界人なのでこれを持たない。これは納得できる。また、「森」の魔力を直接口にし続けているので「魔力(森)」を持つに至った事も理解できる。そうなるように仕向けたのだから…。しかし、そのほかの魔力を獲得するに至った出来事は、無い。皆無だ。あるとすれば、やはりあの洞窟だ。男の表層意識を読んでも、行って、調べて、帰ってきて、ナイフを拾っただけ。男が気がつかないうちに何かされた事は明白だ。ただ生きているだけで日に日に森以外の魔力を獲得していく男を、森の管理者は持てる全ての管理権限を持って「観察」したが何一つわかる事はなかった。つまり、自身より上位の存在が、管理者権限以上の力をもって、この事態を仕向けている事と推察出来た。ただ増えたといっても、魔力量は未だこの世界の人間種の乳飲児にも及ばない程度だ。質は飛び切り良いが量が少なすぎる。

 ちなみに男が睡眠中でさえ、魔力の増大が見られるので、森の管理者は怪しまれることがわかっていても「観察」せずにはいられない。そして朝、訝しげな男の寝ぼけ顔と対面してしまうのだ。

(わたしの心配もよそに何と呑気な顔だこと…)


 男は魔力を自分の意思で使えていない。動物を絞める時、森の管理者扮するラルンバルを撫でる時には無意識に魔力を使っているが、走る時や獲物からの反撃を防御する時には上手く使えていない。相手の魔力の動きを読む事も当然できていない。故に狩はかなり力と運任せだ。森の管理者は男をよく「観察」していたからこそ、運任せの狩がもどかしく、歯がゆく、気が気じゃない思いが募っていた。肉体の能力と狩の行動が一致していないのだ。もったいない!

 この「森」の動物たちの狩は、相手の動きを目で見て、魔力の動きを眼で読んで、力技や魔法や騙し合い、時に罠を張って行われる。もともと魔力がない、その後「異常に少ない」にランクアップした男は「森」や「海」の生き物から「でかく分厚い、動く枯れた植物」ぐらいにしか思われていなかったので、動物たちは油断し、捕らえられても混乱のまま絞められていた。それが男の魔力の量と質が高まるにつれ状況が変わってきた。無害な「動く枯れ木」から「生き物かもしれないもの」へ。さらに「でかいが異常に魔力の弱生き物」から「魔力は弱いが力が強く警戒すべき生き物」へと変遷し今では「敵」と認識されている。魚は「釣り」によって安定供給されており森の管理者もご満悦だが…

(わたしに名前を与えたこの男の、狩の能力が低い事はわたしの沽券にかかわる)

 と考えていた。しかし、魂で通じ合うモノと言葉で理解しようとする者ではレクチャーなど容易にはできない。毎日の狩の中で偶然に二手に別れて狩をするコンビネーションが確立されたが、より弱い魔力を持つ男の方を獲物が追いかけてしまうため、攻撃する役がラルンバルになってしまい男の教育にならない。そこで森の管理者は思いついた。「森」の好戦的な肉食獣に協力させて、ギリギリの狩を経験させて成長を促そうと。


 結果は酷いものだった。森の管理者も流石に設定を間違えたと反省したぐらいだ。見た目の割に耐久性が低いからとらエ=イルカバネスをけしかけたのはやりすぎだった。

 まず、男は敵前逃亡をした。囮を使うコンビネーションから男に攻撃の機会を与えたつもりが、それを「逃走」のための時間稼ぎと解釈された。それに気がつかずキャンプ地で迎え撃つのかと思い道案内したが、まさかの本当に逃げただけだった。

 次に、判断ミスもあった。夜寝る頃には腹を決めたようだったのでエ=イルカバネスを呼び寄せたのだが、軽いパニックに陥ったようだ。男は倒すための算段を組んでいたようだがそれに固執し、故に身近な大木を見逃し次なる判断ミスへ。レッメリの群れに鉢合わせた際には、群れが密集していない方へ走り抜ければよかったものの、「湖へ!」と思うばかりに密度の濃い方へ飛び込んでしまい奴らの体当たりを2発ももらい、敢えなくダウン。最終的にはなんやかんやで湖にて回復し、当初の計画通り、湖の大木ごとエ=イルカバネスを斬りふせる事に成功。

 しかし、狩としては0点だ。0点だった…。

 エ=イルカバネスの焼いた肉を男はとても気に入り、より効率的な狩の方法を積極的に研究した。森林破壊に心を痛めつつも、食いでもあるし味もうまいしと魅力たっぷり。ついにはナイフの成長も手伝って、ばったり鉢合わせても難なく対応できるようになっていった。狩の方法がナイフに寄るところが大きすぎ釈然としないが、男の狩は高得点を与えても良いものになっていった。

 このように男のと生活は、森の管理者に新しい「共同生活」という経験を与えた。「1人ではない」という事は刺激があった。時間を重ねるごとに、森の管理者にも男の方にも仲間意識や絆といえるようなものも生まれた。

 しかし森の管理者は知っている。表層意識を読んで理解している。男が今の生活に全く満足していないことを。他の人間種との接触を考えている事を。森から脱出したがっていることを…。それは仕方がないことだ。人間種は基本的に群れで行動する生き物だ。森の中に一人きりでいる事は決して良い事ではない。



 ナイフの性能が高まって以来、準備はよく進んでいる。「森」のより奥へ分け入ると香辛料やハーブが取れる。男はそれを使って保存のきく食料を作り貯めしている。水を持ち運ぶ異世界の道具は劣化が激しいので、「森」の木材をナイフでくり抜いて同等の道具を製造していた。また、それらをまとめて運べる袋も「森」の植物や動物を素材としてうまく使い作り上げていた。森の探索も順調で、山に登る大河も発見済みだ。森の管理者は肉や魚以外の食べられる物を、実際に自ら食べて見せて教えて行った。果物・木の実・山菜・野菜・虫…森の中で食べるものに困らないようにと。

 食料・水の確保の目処がたち、怪しいナイフと森の管理者たるラルンバルとともに「森」の深部へと旅立つ。山を越へ、外なる森へ入り、一番近い村へと抜ける。時間はかかるが、簡単なことだ。「森」の中心部には人間種から見ればもはや自然災害ともいえる超級な怪物がひしめき合っているが、森の管理者たる己を輩に進むのであれば全く問題ないと考えていた。

(最後の「恩返し」としてわたしの森の外、いや、直接人里にまで案内してやろう)



 しかし、森の管理者の恩返しは果たされなかった。

 上機嫌に出発した初日の夜。()()()()に目を覚ますと、相棒たる男は連れ去られた後だった。


 森の管理者は激怒した。自身のテリトリーでここまで虚仮にされた事にも、相棒たる男に2度も手出しされた事にも。

(よくも上位者め…。相棒への恩返しの機会を奪った罪は重いぞっ!)

 森の管理者は走り出した。地面は平らになり、木々は進路を開け、風は全て追い風となった。

 森の管理者は行く、相棒の行方を捜して外の世界へ――

新章に続きます。

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