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死ぬ権利

作者: 明純直人

勝手にSpecial Thanks

「ノンユース」というボカロ曲を作ってくださった方


この小説を執筆する契機になりました。

ありがとうございました。




友達の明希(あき)は後ろ向きな性格で、楽しいときに落ち込んで、つらいときに笑っているような子だった。明希が自殺したいと言い出したときなんて、憑き物が落ちてすっきりしたようなさわやかな顔をしていたくらいだ。

「ああ、名津(なつ)もみんなと同じことを言うんだね……」

「別に明希の気持ちを否定しようとは思っていないよ。でも、私は明希に死んで欲しくないよ」

地元から離れた高校に進学した私は、高校に入ってしばらくしてもクラスで話せる人ができなかった。唯一私と同じように一人きりだったのは明希だけで、明希と登下校を一緒にするまでの関係になるのに、時間はかからなかった。今日もその学校からの帰り道。

私もそんなに明るい性格ではなかったけど、彼女より性格が歪んでいるとも思えなかった。少なくとも友達の自殺を必死で止めるくらいの良識は持っていた。

「でも、名津も止めるんでしょう。自殺。他のみんなと同じように。

私が死ぬのなんて私の勝手じゃない。名津も私から死ぬ権利を奪うの?死ぬ権利は生きる権利を放棄すれば得られるものではないの? 」

「権利……? 」

「そう、権利。生きる権利と、死ぬ権利。私が生きていてもいいという権利と、私が死んでいいという権利。自分の生死を選択する権利って、本来みんな持っていて、その行使の自由は他人から認められているものではないの? 」

明希は息巻いて早口にしゃべりだす。

明希はたまに難しいことを言うからついていけないときがある。彼女は頭がいいのだと思う。自分の権利がどうこうなんて、私は考えたこともない。でも、勝手に死ぬのが自分の権利だって言う彼女が、私はなぜだか許せなかった。

「よくわかんないけど、死ぬ権利なんて誰も持ってないよ。多分」

私がそう言うと、明希はピタリと話を辞めてしまった。下を向きながら、何か考えている。しばらく沈黙が続いた。明希も私も、いつもの道をいつも通りに歩いていく。

「…そっか」

明希がポツリと言った。

「確かに、名津の言う通りかもしれないね。

私が勝手に生きることを辞めようとしたって、それは他人にとって迷惑でしかない。私の勝手で駅のホームに飛び込んでも、それはただの迷惑だもの。それに、こんなに沢山の愛情と期待をもらっておいて、それを返さずに簡単に死なれたら、私の家族が働いて私に掛けたお金や時間が全部無駄になってしまう。

私には生きる義務がある。私が生きる権利を勝手に放棄したって私の周りの他人はそれを認めない。そういうことなのね? 」

こちらに振り向く明希の顔は、嬉しそうだった。私は明希の言葉が速いし難しくて、あまり聞き取れなかった。

「いや、私は単に死んで欲しくないだけで……」

「名津、そしたらわかった!私、どうやったら死ぬ権利を得られるのか考えてみる。私はまだ他人から死ぬ権利を認められてないから、死んではいけないのね?よく考えてみれば死にたいと言って簡単に死なせてくれるなんて、そんな甘い話はないもん。誰にも迷惑を掛けずにみんなに認められて死ぬというのは、意外と難しいことかもしれないけど、ちょっと頑張ってみる」

彼女はまだ死ぬ気だった。

「全然わかってないじゃん……」

私は心の中で呆れるしかなかった。しかし、彼女から「頑張る」なんて言葉を聞いたのは出会って始めてのことかもしれない。

それは私が今まで見てきた中で一番明るく前向きな明希の姿だったように思う。





その後の明希の様子から、どうやら明希は、わざと人から失望されるようなことをして、他人からの期待を少しずつ減らそうと努力しているようだった。しかし、明希は元々真面目な性格だから、宿題をサボるのも3日と持たなかったし、化粧は目立つのが怖くてできなかったし、授業も怒られるのが怖くて保健室で仮病を使って一時限分を休むのが関の山だった。彼女はなによりも人から怒られること、軽蔑されること、噂されることを恐れた。彼女はそんな自分の真面目さに絶望して、あっという間に、また元気の無い彼女に戻ってしまっていた。

「名津、私は死ぬ才能が無いのかな? 」

明希が学校の帰り道を歩きながらそんなことをボソッと言ったとき、私は死ぬことにさえもネガティブになっている明希が滑稽に見えて、でもそれが彼女らしくて、なんだか可笑しな気持ちになった。

「死ぬ才能が無いということは生きる才能があるってことじゃない? 」

私は励ましのつもりで言った一言にしまったと感じた。

「何か才能があることは嬉しいことだけども、その才能は、今はちょっと邪魔かな・・・」

明希はへへへと苦笑いをした。彼女は傷ついたとき、つらいときによく笑う。でも、私は彼女の諦めたような笑い方がちょっと変で好きでもあった。

「名津はどっちの才能があるんだろう? 」

明希がちょっと考え込む。

「名津にもし死ぬ才能があったら、私に分けて欲しいな」

「そんな才能、私はないよ……」

「じゃあ生きる才能は? 」

その才能を持っている自信も私にはなかった。

「なんか、ごめん」

私はバツが悪くなって明希に謝っていた。

「え、私、名津を傷つけた? 」

「ううん。なんだろう。なんとなく」

明希はオロオロして私の顔色を覗く。彼女が自分の言った皮肉に気付いているのか、いないのか、私はいつもわからない。

「こちらこそ、ごめん」

「別に、何も傷ついてないよ。むしろこっちが傷つけたのかなって思って。明希も心当たりが無いなら気にしなくても大丈夫だよ」

こう言うと明希は私の顔を見て安心したような笑みを見せる。

彼女は自分が傷つくことよりも、相手を傷つけたという結果のほうが怖いのだ。だからこう言うと、彼女はとても安心する。

「ごめんね。ありがとうね」

そして、明希はこの気遣いには気づくことができて、『ありがとう』と言ってくる。彼女が何に気づいていて、何に気づいていないか、いつも底が知れない。だから、迂闊に軽蔑できない。

「でも私は、どちらかというと、名津には生きる才能の方があると思うよ」

明希は先ほどの話を蒸し返した。

「そうかな」

明希の言葉が嘘っぽく聞こえた。

「生きる才能なんて私には無いよ。別に何が出来るわけでもないし、まともな友達も明希だけだし。生きる才能って、どんなのかわからないけど、多分いつも明るくて笑顔で、周りに友達がたくさん居て、いつも楽しそうで、いろんなことを乗り越えられる人のことを言うんじゃない?『生き抜く力が強い』的な、『どんな困難も乗り越えられる』みたいな。そんな人のことを言うと思うんだけど」

私がそんな風になれるとは思わない。そんな人にもなりたくないともなんとなく思った。

「でも、場合によっては、名津はそういう人より才能あるんじゃないかって思う」

明希は急に歩くのをやめる。私もそれに気づいて、後ろを振り向く。

「なんで? 」

「名津は、自分の生きている意味と、死にたい理由、人生の中でどっちのほうが考えている時間が長そう? 」

「……生きている意味のほう、かな」

確かに、時折りそんなことを考えるときが私にだってある。私はこの世界で意味のある人間なのか、私は生きているに値する人間なのかどうか。でも、そんなことは誰しもが考えることで、それが生きる才能だとは思えなかった。

「そうだよね?!何となくそう思ったんだ。自分の生きている意味を考えられるのは、自分の生に執着があるってことだよ。私なんて、生きている意味より、死ぬ理由と方法ばかり考えているよ。だから私は死ぬ才能もないみたいだけど、生きる才能もない」

「明希は自分の生きている意味とかって考えないの? 」

「考えないかな。あんまり考えない」

意外だった。明希のことだからこの手の話題については何か自分の意見があるものだと思っていたし、彼女の死にたい理由も生きる意味を感じられないとか、そういう「諦め」みたいなものだと思っていたからだ。

「じゃあ、何で死にたいの?生きるのがつらいから?楽しくないから?何か嫌なことがあるから?それとも、ただ死にたいだけ? 」

「……人の一生を生ききれる自信が無いから、かな。だから死にたいの」

およそ考えたことも無い答えだった。正直、意味がわからなかった。生きることに自信のあるなしが関わってくるとは思わなかった。

「どういうことなの?意味が……、わからないんだけど」

「一生を、生きていける自信がないの。私って、こんな性格でしょ?周りがすごく気になるくせに、周りに合わせられないの。みんなと同じもので一緒に笑うこともできないし、みんなと同じもので一緒に泣くこともできない。同じになれない人って、どうなるか知ってるよね?みんなどこかに連れて行かれて誰かにいじめられるの。私それが怖くて……、どこかに連れて行かれないためになんとか取り繕って、何かにしがみついて生きている……。でも、こんなのが一生続くのかと思うと、私はとても不安になるの。私はこのまま流されずにこの場所にいられるのかどうか……。もう無理だなって気がしてくると、急に掴まっているものから手を離したくなるの」

「・・・だから自殺したいの? 」

「そうなの。もう、そうしないと、身体の内側から引っ張られるこの重力に胸を潰されて、私の中身が全部外に出てきて、多分何もかも全部傷つけることになる」

彼女は自分の胸の真ん中部分の服を片手で握っていた。明希は私を真っ直ぐに見つめる。いつもはオドオドしている癖に、こんなに堂々とできる自信があるなら、一生を生ききれないわけはないはずなのに・・・。

「私は、明希は自分の一生を生きていけると思うよ」

「私はそう思わない」

「明希は私の大事な友達だから、私は生きていて欲しいよ。それじゃ生きていけない?生きていく自信にはならない? 」

「そういうことじゃないの……」

私の言葉は全部的外れのようだった。実行の可否については置いておいても、明希の自殺への意志を曲げるのは、もう手遅れなのが伝わった。ただの思いつきや勢いでもなかったのだ。

「私があなたにできることって何? 」

「できるなら・・・、私のために私を殺してほしい」

私はつらくて笑いそうになった。

「私は明希に死んで欲しくない」

「そうだよね。ごめんね」

明希はニコニコ笑っていた。本当に悲しそうだった。

それからしばらく、彼女の自殺についての話は話題にあがらなかった。





明希が学校に来なくなった。自室で自殺未遂を起こして、その後は自宅に引きこもっているらしい。私や両親に事前予告も何もなかった。別に私に自殺予告しないといけないという義務は彼女に無いが、私くらいには何らかのアクションがあってもよかったんじゃないかと、心のどこかで怒っていた。

私は明希の家に通う日々をしばらく続けた。部屋の前まで来られるのはさすがにうっとおしいと思ったので、基本的に玄関までしか入らず、その日のノートやプリントを明希のお母さんに渡していた。明希の家は大きな家だった。夕方に行くと小さな庭の芝生が夕焼けを照り返していてとてもきれいだった。明希のお母さんはとても優しい人だったが、娘の部屋をこじ開けて無理やり話そうとできるほどの強さを持った人には見えなかった。玄関から先の家の廊下はいつも暗く、明希の篭っている2階への階段はいつも先の見えない暗い洞窟のような暗闇で覆われていた。

明希が家に引きこもってしまい、私は学校で一人になってしまった。学校という社会には孤独な人間を疎外するようなシステムが組み込まれている。昼休みの食事場所、体育のチーム決め、授業の合間の10分休み。私はあっという間に学校社会から排斥された。居場所が無くなると、途端に私の存在の理由や意味も同時に喪失していることがわかった。私の存在理由がこんなにもあっけなく無くなってしまうものだと知らなかった。そして私は、私のものだと思っていた私の存在理由が実は誰かから与えられた借り物であったことに気づいた。私は自分の存在の透明さに戦慄した。そしてこれまで生きてきた中で大事だと思っていた人全員に裏切られたような気分になってひどく傷ついた。なぜ、私の両親も、明希も、学校の先生も、それぞれの本人の主観的には、私はとても大事な存在だったろうけど、客観的にはただのどこにでもいる高校生でそれ以上に何の価値もない人間であることを隠していたのだろう。いや、彼らもそのことに気付いてなかったのだ。私が明希を無条件に大事な友達と言い切ったのと同じように。この真実が自分の大事な人にも当てはまるという事実を重要視していないのだ。私は無価値だった。では、私の価値を認めてくれるのは一体誰で、何をすれば価値を得られるのだろうか?

私は深夜、唐突に明希の携帯に電話を掛けた。繋がらないと思っていた回線に、明希が出た。

「久しぶり。名津だよ。……元気? 」

向こう側から声は聞こえなかった。

「私ね、もう明希に生きていて欲しいって思わないことにしたよ。それは私のエゴだって思ったの。誰かに生きていて欲しいって思うことは多分、他人の勝手なエゴなんだね。自分の価値は他人が決めるものじゃない。自分の価値は自分で決めるものだもの。他人が決めた価値なんて、どうせ他人の都合で決めたものなんだし。価値を認めてもらうことはとても得がたいことなんだろうけど、それに振り回されるのも、馬鹿らしい。だから明希が自分のことを意味無い人間だって思うなら、あなたは意味のない人間であることに間違いないだろうし、生きていく自信がないと思うなら、生きていけないんだと思うよ。意味が無いから、自信が無いから死ななきゃいけないなんてことはないと思うけど、そんな自分は死んだほうが良いと思うなら、私はそれでいいんじゃないかって考えるようになっちゃった」

私はそんな独り言を長々と電話越しにしゃべってから、本題に入った。

「今度、部屋に行ってもいい? 」





薄暗い階段を一段一段上っていく。身体が徐々に暗闇に溶けていくような気がして、カバンを持つ手が少し震えた。明希の家の2階に上がりきったときには、私はどこに立っているのかわからなくなった。廊下の先の部屋の扉から明かりが漏れている。私は光が漏れる部屋の前まで行き、座り込んで、ドアに耳をそばだてた。布と布の擦れる音が聞こえる。私は意を決して、ゆっくりと扉をノックした。

「明希、私だよ。名津だよ。入ってもいい? 」

布の擦れる音が止んだ。音が無くなった。

「……入るよ」

私は半開きの扉をしゃがんだまま、ゆっくりと開いて部屋に入る。

中はとても埃っぽかった。煙のように塵が空を舞っていて、カーテンから漏れる日光が部屋を余計に煙たく見せていた。

明希はベッドの上にいた。寝ているように見えるけど、膝を抱えるようにうずくまっているのがわかった。顔は布団で見えなかった。

「『来ていい』って言ってくれて、ありがとう。私も心の準備ができたから、今日来たよ。でも、その前に、一つ聞きたいことがあるの」

明希は少し動くだけで返事をしない。私はそのまま続ける。

「明希は、どうして自分が死んだら迷惑だと考えられるの?あなたが死んでも私が死んでも、別に意味なんてないじゃない。私が死んでも生きている意味なんてないから多分誰も悲しまないけど、どうしてあなたは自分の死が、他人から迷惑がられ悲しまれるほどに意味あるもの、価値あるものだと信じられるの?自分が生きていることに価値を見出せているのに、なんで死のうとしているの?なんで? 」

それだけが私にはわからなかった。自殺と言い始めた時に言った、『死ぬ権利』の話。振り返ってみると、明希は自分の生きている意味の大きさを理解していたのだ。そして、その意味を大事にしているのに、死のうとしている。

「両親の恩とか、誰かからの期待は確かに得難いものだけど、どうしてそれらのために自分を犠牲にしようとしているの?私はそれらの期待は無価値だと思った。他人からもらった私の価値なんて、他人が勝手に押し付けてきたエゴだよ。それをあなたはどうして大事にするの? 」

しばらく、明希は無言だった。しかしいきなり、

「……ぅぅぅううあああああああぁあぁぁ」

と、呻く声が、布団の中から聞こえた。

「明希」

私がもう一度声を掛けようとしたとき、急に明希が話し出した。

「私は、自分の生きている意味なんて、考えないよ。だって、意味も、価値も、とっくに、マイナスなんだもん。自分の借金なんて、誰も数えたくないでしょう?私は期待を幻滅に変えたくないんじゃなくて、これ以上幻滅されない方法を探しているの」

明希の声は徐々に膨れ上がっていって、部屋の中が洪水のように言葉で溢れていく。

「生きる才能とは生きている意味を考えられるかどうかなぜならそれは生きる価値を自分で生産できるから、意味を見つければ価値を自分で見出すことが出来る自分に期待を持てるでもそれができないと減った期待を元に戻すことができない、消費するしかできないの。

ほら、だから、私は、生きる才能がない」

明希の言葉が止まった。そして、ゆっくりと明希が起き上がる。髪はボサボサで、来ていたTシャツがところどころ破れているのがわかった。明希は体をだるそうにこちらに向ける。前髪が垂れて、顔は見えなかった。

「私には生きる才能が無い。自分の生きる価値を増やすことができない。今私たちに掛かっている価値というのは結局のところ期待で、私にかかっているなけなしの期待は、私の拙い将来性を担保に残っているだけ。それさえなくなってしまえば、私は生きることへの承認を全て失って、死ぬ権利を得る。得られると思ったけど、それも無理だった。だって、これ以上人の迷惑になることなんて、できないんだもん。私はもうこれ以上誰かに幻滅されるのは、自分に幻滅するのはいや。だからどうしようもなくなって、最後にあなたに頼むしかなかったの。最初は手伝わせるつもりはなかったんだけど、そうも言っていられない。あなたも私に期待をしてくれていたのよ。だから死にたいなんていいたくなかった。私、どうすればいいの?早くこの重い責任から逃れたいの。私はまだ、立ち向かわなくてはいけないの?まだ……、もう……、無理……」

吐しゃ物のように吐き出される言葉は次第に枯れ、明希は咳を込みながら両手をベッドについた。明希をこれ以上否定する気には、もうなれなかった。代わりに、私は明希のためにできることを考えたかった。

「明希は他人に認められた死が欲しいの? 」

「そうだよ。誰にも迷惑が掛かっていない、もし迷惑が掛かっていても、それを帳消しにするような価値で、他人が認めざる負えないような死が欲しい。その死を受け取れる権利が、きっと死ぬ権利」

明希の言葉を聞いて、突然、私の口から、変な疑問が出てきた。

「……誰かを殺したら、私は意味のある人間になれると思う? 」

唐突に出た疑問は、まるで少し前の明希のような口調になっていた。

「私が背負ってあげることって、できる?あなたのその期待を。あなたの価値を。それを私がもらったら、あなたは自由になれるんでしょう?そして私は私として生きている意味が欲しい。そしたら私も、あなたも、助かるし、救われる。

言ってたよね。私を殺してって。私が、明希を殺すよ。物語はこう。明希が自殺が止められることを怒って私が買ってきた包丁で殺そうとするけど、私が自己防衛して明希を殺したってことにする。包丁には二人分の指紋がついていて、私も明希もお腹から血を流して二人で倒れている。私は明希を殺してしまったことを後悔するけど、最後には『明希が死んでしまったから今の自分がある。明希の分まで生きる』みたいなことを他人に言って、明希の死を正当化するの。そして私はそれを他人に認めさせるような行動をし続ける。それを見た他人は心の中で『明希が死んでくれたおかげで今の名津がある』って思ってくれるようになる。そうなったら明希は、みんな口には言わないだろうけど『明希は死んでよかったんだ』という結論になって、明希は死んだ後に死ぬ権利を得ることができる。

明希は誰にも咎められることなく死ぬことができるし、私はあなたの分まで生きるという人生の意味を持つことができる」

私はカバンの中から、ホームセンターで買ってきた包丁を取り出した。明希の視線はじっと包丁の刃先に注がれていた。

「必要になるかもしれないと思って」

包丁の柄が冷たくて腕が震えた。私の腕の体温は全て包丁の刃先に吸い取られて、肩から下の感覚があまりなかった。

「どこまでが名津の本当の気持ちなの? 」

明希の口調は今まで聞いたことのない、優しいものだった。

「本当は、明希を殺してまで生きる意味を欲しいとは思わない。でも、明希が死ぬことを私が認めることで明希が救われるのなら、そうしてあげたい」

私は声が震えないように、明希のような優しい口調になるように答えた。

「何で、私にそこまでしてくれるの? 」

明希と私の視線がぶつかる。明希は私を怖がってなかった。その姿を見て、明希が死にたいのは本当に本当なのだと、確信した。

それなら、もう迷わない。

「だって私はあなたの友達だから。って、こう言った方が明希は楽でしょ? 」

私が少し笑うと、明希も笑った。

「名津は、優しいね」

明希は笑顔だった。

「私は、臆病だから、名津に刺されたくないし、できれば名津に、私を刺させたくない。ごめんね。ごめんね。だって、あなたの重荷になってしまうもの。でも、もしあなたが言った通りにして、私の重荷を代わりに背負ってくれるのを笑って許してくれるのなら、私はあなたにずっと感謝する。あなたが幸せになることを、ずっと、ずっと、願っている。わたしに代わってこのつらい『生きる』ということをしてくれることに、私は一生『ごめんね』と『ありがとう』を言うよ」

それからのことは、あまり覚えていない。

明希がベッドからゆっくりと立ち上がって、そしてどんな手順でどうするかを少し相談し、全てを決め終えて、私と明希は事を始めようとしていた。

私が明希を包丁で刺そうとしたとき、扉の方から物が落ちる音が聞こえた。

振り返ると、明希のお母さんがいた。

見つかった。

部屋の時間が、一瞬止まった。

「ごめんね」

耳元で明希の声が聞こえた気がした。

振り返ってみると、明希が悲鳴をあげて私のお腹に何かを押し付けてきた。私は持っている包丁で刺し返そうとしたが、手の平には何もなくて、そのまま倒れた。私のお腹に刺さっているものが私の持っていた包丁だとわかったとき、急に私の前身は熱くなり、頭が冷え始めて、それ以降の記憶を無くしていた。





私は病院を退院して、久しぶりに学校に登校した。明希はもう学校にはいなかった。そして、明希はまだ死んでいなかった。

明希は、私を守ってくれたのだ。私を刺した後、明希は半狂乱になってしばらく暴れまわり、母親と騒ぎを聞きつけた近所の人が呼んだ警察に取り押さえられた。明希は事情聴取で

「友達に自殺を止めるよう説得されて、怒って刺した」

「包丁は自殺のために友達に買わせたもの」

と話していて、それ以外は黙秘を続けているらしい。

あの時明希が私を刺してくれなかったら、私は殺人未遂で掴まっていただろう。そして、取り調べを受けていたのはきっと明希ではなく私になっていただろう。

結局、私は明希に何もしてあげられなかった。

自分で臆病とか言っていたくせに、他人のことになると何でもできてしまうのだから、確かに明希は自分の人生を生きるのに向いていなかった。もう彼女は社会的に死んでいて、彼女に期待する人など、誰もいなくなるだろう。それはほぼ死に近い。そして今、彼女は周りの人に多大な迷惑を掛けて死んだことになっている。それを帳消しにするためには、私が明希の分まで生きて、彼女との事件、彼女の死を肯定しないといけない。

そのことが、私のこれからの生きる意味になる。

私に、できるだろうか。


退院後、私はいろんな人から心配され、同情され、励まされた。明希は周りから批判され、私は心配されてチヤホヤされる。これが明希の一番大事にしていた他人からの期待というものなら、なんてくだらないものなのだろう。でも、そんなくだらないものでも、明希のために受け取る必要があるのなら、喜んで受け取りたいと思った。


この小説はフィクションです。

実在の人物や団体などとは関係ありません。

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