9話 女子の特権(視点:高城見治)
第三校舎北側の裏手。
ここは、人気のないことで有名な場所だ。
クラスの教室や多くの講義室がある第一や第二とは違い、第三校舎は、あまり使う機会がない。その上、他の校舎からは死角となる第三校舎の北側は、絶好の秘密を打ち明ける場所と言えよう。
校舎が壁となり、光よりも影の色合いが強くなる。薄暗く活気とは無縁の場所。
そんな場所に俺は立っている。一人の女子を前にして。
そして、目の前に立っている彼女は、俺に向かって頭を下げてきた。
「好きです、付き合って下さい!」
言い終わってもなお、頭を上げず、下げ続ける彼女。
特殊な状況。恐らくは殆どの男子が経験がないだろう。けど、そんな場面でも、俺は何時もと変わらずにいられる。
「ごめん、そのお願いを聞くことは出来ない」
声が揺らいでない事が自分でも分かる。そしてその事を少し残酷だなと思う俺がいる。だが、これは仕方がないこと。揺らぐはずがないのだから。
そんな俺の言葉を受け、頭を下げ続けていた彼女は顔を上げる。
彼女の表情には、やっぱりな、といった文字が刻まれていた。
だだ、彼女は顔に浮かんでいた文字を直ぐにかき消すと、別の表情へと移り変わる。
「……私じゃ役不足ですか」
顔に影を落としつつ、片手で片腕を擦り、尋ねてくる彼女。こんな彼女を前にしても、やはり俺の気持ちは動かない。
「役不足という訳じゃないんだ。ただ、今の俺は彼女を作るつもりがない、というだけなんだ」
「今は?」
「うん、今のこの学校生活が好きだから。だから、俺は特に彼女を作りたいとかそう言う、気持ちはないんだ」
「そうですか……わかりました。私の告白聞いてくれてどうもありがとうございました!」
そんな捨て台詞を吐くと、彼女は足早に俺の元を去っていく。
後に残るは俺一人。
告白を受けるのは初めてじゃない。中学の時も、そして今みたいに高校に入ってもそうだ。校舎裏とか、屋上、放課後の教室で受けることもある。
告白してくる人達も場所と同じようにそれぞれ違う。後輩となる一年や同学年、はたまた先輩まで。性格も大人しいから活発まで色々な人達の告白を受けてきた。
けど、そんな告白してくれた人達には決まって、一つの共通点がある。それは、俺が告白を断ると皆、予定調和のような、安堵したような顔となるのだ。そこには意外や、驚き、悲しみといった要素は一欠片もない。
皆、俺に告白を断られると思ってるのに、告白してくる。
けど、その事に俺は疑問を持たない。何故なら、分かるから。その人達の思いが。
告白を断られたら、これ以上恋に思い悩む事はなくなる。不必要に思い悩まずにすむ。
けど、それは告白を断られても、然したるデメリットが発生しないからこそ出来る芸当。告白する人との関係性が薄いからこそ出来る芸当。深ければ出来ない芸当。
だから、俺には出来ない。けど、その事を俺は羨ましいとは思わなかった。
ーーーーーーー
翌日の朝の教室。朝練をやり終わり入った教室は、いまだ全員いる訳でなく、生徒が疎らであった。それでも陽や、広がいることは確認できる。
そんな教室へ俺は入ると、自身の席へ着こうと、広の前の席へ向かう。
広とホームルームが始まるまでの間、一言、二言会話をする。それが俺のいつもの学校生活の始まりであった。だからこそ、自身の席へ向かおうとしたのだが、そんな俺に話しかけてくる奴がいた。
「おっはよう、高城。昨日は良いことあったな」
明るげな声を出しつつ、クラスメイトである男子が近づくと俺の肩に手を回してきた。そんな彼に対し、内心眉をひそめる思いであるが、それを表に出すわけにはいかない。
俺は彼の手をなるべく丁寧に払うと、教室のど真ん中で彼と対峙した。
「おはよう青木。それで、昨日とはどういうことかな?」
半ば分かりつつも俺は尋ねた。こうしないと自意識過剰と思われかねない。
それに対して、青木と言えば、ニヤニヤとした、あまり人柄が良いとは言えない笑顔でこちらを捉えている。
「良いことは、良いことさ。分からないとは言わせないよ」
「……分かったよ、あれだろ。告白の件……だろ」
「あったりぃ!さっすが高城さん。モテる男は辛いですなぁ」
そこで、再度青木は俺の肩を組むと、握りこぶしで俺の胸をグリグリと押してきた。
そんな彼の行動に思わず苦笑いになる。
「それで、昨日の今日でもう、広まっているっていうのか?」
「広まってるよ。隣のクラスの女子がお前に告白し、振られたってな」
「早くないか、幾らなんでも。誰にも見られてない筈だけど」
「見られてなくても、お前が言ってなくても、いつも広まってたろ。女子っていうのは恋バナが大好物だからな」
恋バナが好きなのはお前もだろ、と突っ込みをするかどうか少し悩んだが、結局止めにした。突っ込んでしまうと長くなってしまうように思えたから。
恋ばな云々話した青木は俺の肩を組ながら教室を見渡す。きっと、教室内にいる女子を見ているのだろう。
俺も一緒となって教室内を見渡すと、クラスにいる女子たちは友達と一緒に、俺たちを見ている事に気づいた。もちろん読書をしている陽を除いて。
「ほら、クラスの皆も聞きたがってるぞ、どうしてお前が女子からの告白を蹴るのかを」
「それは、今はそう言ったものに興味がないからだよ」
「興味がない?健全な男子高校生とは思えない発言ですなぁ」
「お前みたいに、ガツガツしてる訳じゃないからさっ」
長く拘束されている状況を打破するため、俺は行動に出た。
空いている手を使い、青木の脇を擽ったのだ。すると青木は俺の肩を組んでいた手を離した。
「やめろってましで、ちょっ」
「観念したか?」
「ちょっ、アハハハハッ。悪かった、少しからかいすぎた」
青木がキブアップしたので、俺は擽っていた手を止める。全くこうでもしないと、彼は離してくれない。無理に突っぱねることは、今の俺には合わない行動だ。
そんな青木であるが、擽っていた感覚が残っているのか、彼が息を整え直すまで、暫く時間がかかった。
「はぁ、でもさ、少しはガッツいた方がいいと思うぞ」
「まだ言うか?」
「本当に、だってさ……」
そこで、青木は言葉を切る。そして、頭を動かし、教室内のとある一点を青木は見た。
そこにいるのは読書に勤しんでいる陽である。何故青木が彼女を見たのか、俺には分からない。けど彼が俺の肩を叩き、場所を移動しようとする旨を示したので、俺は疑問を抱きつつも素直に従うことにした。
移動といっても、同じ教室内である。先程いた教室の中央から、教室隅の黒板近くの窓際へと俺たちは移動した。そこは同じ窓際一番後ろに座る陽から離れつつも、彼女の事を見やすい場所である。
「で、何が言いたいんだお前は」
二人して、窓へと寄りかかりながら、俺は右隣にいる青木に尋ねる。彼が一体何をしたいのか俺には分からなかった。
俺は先程と変わらぬ声量で尋ねたのだが、青木は違う。青木は先程よりも幾分声を小さくして、それこそこの話を聞かれているのを恐れているような声量だった。
「聞いてないのか?」
「聞いたって何を?てかっ、声小さっ」
「お前の事を思って小さくしてやってるんだぞ」
「俺のこと?」
そこで、青木は小さく首肯した。
「そう、お前の事だ。お前の青春が危ないってことを伝えたいんだよ」
「青春が危ないって。何だよその言い方。俺の青春はこう言ってはなんだけど順風満帆だ」
「陽が男と出掛けたと聞いてもか」
青木の言葉に、自身の表情筋が動かなくなるのが分かった。
音が消えて時間がゆっくりと流れる。さながら事故に会う直前のような、走馬灯のような感覚。
物理的とは違う危険が、自身の脳内にあるサイレンを鳴らした。
「その感じだと聞いてないか」
ため息混じりの声で青木が再度言葉を告げてくる。彼の声で、走馬灯の感覚も、脳内に鳴り響いていたサイレンも鳴りを潜め、現実へと舞い戻る。
「聞いてない……な。誰に聞いたんだ、その話」
「おっ、興味を持ってくれたか」
「多少はな、で答えはどうなんだ」
青木の顔色を疑いつつ、尋ねる。いつの間にか俺自身の声も青木と同じくらい小さくなっていた。
「俺が聞いたのは、同じ部活仲間の奴でよ。そいつがな、前の土曜日に、男と歩く愛梨を見たっていうんだ。それもよ、そいつが言うには愛梨の奴、相当オシャレしてたらしいぜ。それに加え一緒にいた男と仲睦まじい感じだったらしい」
「それで、ご丁寧に俺に教えてくれたと」
「ご明察。お前に競争相手が出来たっていち早く知らせたくてな」
小さな声ながらも、青木はことさら明るげな声を出す。
きっと、親切とからかいの成分で出来ているのだろう。そんな青木に向かい、俺もまた小さいながらも明るげな声で、返事をした。彼の誤解とも言える部分を解くために。
「それなら、心配ないよ」
「心配ない?どうしてさ」
「きっと、陽と一緒にいたのは広だからさ」
「川瀬が?」
そこで、青木は教室内にいる広を見る。このとき、広は宿題が終わっていないのか、教科書を見ながらプリントらしきものにペンを走らせていた。
「陽が男と出掛けるなら相手は広だ。それに付け加えるなら俺と陽はただの幼馴染み、だからな」
「あぁそうか、川瀬もまた陽の幼馴染みだっけか」
「そう言うこと、だから陽に彼氏が出来たとかそう言う話じゃないよ」
無理に明るく努めるのは、一苦労だ。昔の俺なら動揺していたところである。でも、今の俺にはそれは出来ないし、しようとも思わない。
本当なら、直ぐに広の元へ行って聞きたかった。陽と本当に二人して出掛けたのかと。
でも、今は出来ない、したくても出来ない。
「けど、良いのかそれで?」
「どう言うことだよ」
「本当に陽を取られていいのかって事だよ」
青木は広から再度俺へと視線を戻す。彼の声は、先程のような明るさを失っていた。
こうして、青木との会話は続いていく。俺の思いに反して。
「考えてみろよ、あの愛梨と幼馴染みとは言え、一緒に出掛けるとかそんな共同のイベントを起こしてきたらどうなるか」
「どうなるっていうんだよ」
「惚れるに決まっているだろ。あんな綺麗な女子と釣り合うのはお前位だ。そんな女子前には俺や川瀬のような一般人は光に群がる虫のようになっちまうんだよ」
「何だ、その例え」
「笑うな。本当に良いのか、愛梨を取られるかも知れないんだぞ。幾ら同じ幼馴染みの川瀬が相手としてもな」
いつになく真剣な青木。
けど、そんな青木には悪いが、俺は彼から視線を外していた。
視界に入るは、教科書を見ながらペンを走らす広の姿。
そんな彼に対して、俺は想像してしまう。大人になった彼が陽と仲睦まじく歩いていく姿を。そして、それを後ろから見る己の姿を。
「分かってるよ……それくらい」
思わず、呟いてしまう。その呟きには聞かれたら困るほど、思いが籠っていた。
今の俺にしては珍しい失態、けど幸運な事にその呟きは小さすぎた。
「ん、何か言ったか?」
首を傾げる青木。そんな彼に俺は安堵しつつ首を振った。
「何でもない、大丈夫、俺は陽には、そう言った思いは抱いていないよ」
「川瀬が取ってもか?」
「……広が取ってもだ」
その時、チャイムがなった。朝のホームルームの時間である。ほどなく教助先生が教室に入ってきた。
「ホームルーム始めますから、皆さん席に着いてください。青木君と高城君もですよ」
教卓についた先生は、近くにいた俺達の方へ向く。そんな先生に対し青木は、はぁいと間延びした声で返事をすると、自身の席に戻っていった。
俺も、分かりましたと答えると、広の前にある自分の席と向かう。
しかし、席へと向かう最中、俺の心は穏やかではいられなかった。どうしても考えてしまう、広と陽の関係。
青木に言われたことが、楔となって、心を縛り続けている。
ーーーーーーー
何事もなくホームルームは終わった。
一限目は数学である。周りの生徒達は授業の準備を始める者もあれば、廊下へと出てトイレや他クラスへと行くものもいる。
そんななか俺は、席に座りながら後ろへと振り向いた。
「広ちょっといいか」
「ん、なんだい見治」
後ろの席にいる広は、声をかけてもこちらを見ず、プリントに数式を書いていく。どうやら数学の課題がまだ終わってないらしい。
「土日で終わらなかったのか、それ」
「うん、少しあってね」
少しあった、その言葉に反応してしまう。眉を僅かにひそめてしまったが、この時、広がこちらを見ていないのが救いであった。
それに、広が土日の事を尋ねやすくする切っ掛けを作ってくれたのもまた助かった。
「土日に何かあったのか」
俺は尋ねた。先程からずっと聞きたかった問いかけ。同時に聞きたくもなかった問いかけ。矛盾した思いのまま俺は突き進んでいく。
「何かあった……というほどでも無いけど、陽と一緒にヤオンに行ったよ」
「陽と一緒に……」
「うん。見治も誘おうかなって思ったけど、見治部活だろ。それに陽から一緒に行こうって頼まれた事柄だから、二人で行くのが筋かなって思って」
「陽から誘われた?」
「うん、陽から」
何事もないように答える広。
でも俺は考えずにはいられない。普段消極的な陽が誘ったというこの事実を。
陽が広の事を好きなのは分かっている。お祭りの時のようなアピールをしてくることはあった。でも、二人で遊びに誘うというアグレッシブさは彼女は今まで持ち合わせていなかった。
陽は、迷わなくなったのか。広への想いに。
俺は窓際へと視線を移す。そこには、何時もと変わらず本に勤しむ彼女がいた。これまでと変わらずに、彼女は本のページを捲っていく。
陽は女子だ。だからこそ、可笑しくはない。好きな男子に積極的になることも。昨日のあの子のように、思いを告げることも。
女子だから可笑しくない。
俺は男子だ。だから可笑しい。でもその事を悔やんだことはない。男子じゃなければ、ここまで広と仲良くなれなかった。広と些細なことで話をすることも出来なかった。広と親友になることも出来なかった。
でも、そんな俺でも、自由に出来る陽を羨ましいと思ってしまう。
そして、そんな自由な彼女に、広がどう思うか。
『惚れるに決まっている』
先程の青木が言ったその言葉を、俺は頭から追い出した。