69話 別の選択肢(視点:川瀬添・その他)
今回の話は、前半は川瀬添視点。
後半は三人称視点で進みます。
よろしくお願い致します。
どんより貯まっていた空気が流れる。
花の首元が捕まれる。戸塚が、眉間にシワをよせ、彼女を睨みつけていた。
「それくらいにしとけ」
おふざけ、なんてカケラすらないドスの効いた声。こんな彼女を見るのは随分と久しかった。
「でも戸塚さん。可笑しいって思わないのですか。だって血のつながった相手、なのですよ」
「思わない」
即答する戸塚。そんな彼女に花の口が半開きとなった。
「だって、可笑しいでしょ! 血がつながっているんですよ? そんなの普通、好きになる筈がない」
「普通はな」
そう言って、戸塚は顔を、私へと向けた。
「なぁ添。分かってるだろ。自分の考えが世間一般に言われている普通じゃないって事ぐらい」
「えっ……う、うん」
私の言葉を聞き終わった後、戸塚は花の首元から手を離した。
「私もさ、こんな格好してるから何かと言われる訳よ。不良だとか、もっとしっかりしろとか……普通にしろとか」
戸塚は着くずした制服を見せびらかし、薄く金に染めた長髪を手でかき上げる。
私達の、普通科の高校では、それこそ目立つ格好だった。
「それに私は思う訳よ。普通ってそんなにいいものかって。だってそんなの私以外の誰かが持っている意見にすぎないじゃん」
そう言って彼女は、近くにある机に腰をかける。当然、その机は彼女の席ではない。
空の教室。空の机。そんな環境を彼女は首を回し見渡した。
「なんで、そんなもんに縛らなくちゃいけないの。自分がしたいことをすればいいじゃん」
「でも、戸塚さん。だからといってモラルは守るべきですよ」
「モラル? 人前で発情期の如く、恋だの愛だの言いまくってたアンタが言うこと?」
「それは……」
言葉につまる花、そんな彼女を横目で見つつ、戸塚はため息を吐いた。
「まぁ、言いたいことはわかるよ。みんなが好き勝手やってたら収拾つかなくなるし、面倒くさい世の中になるからね」
「……」
「でも、それでも、そんな世の中で良いと私は思うんだよ。狂っているけど、自分らしさを表現出来る……いい世の中じゃない。ま、最低限、法律みたいなのは守るべきだとは思うけどね」
「意外ですね、戸塚さんがそんな風に思ってたなんて」
「私がそんな風に、考えてたことが?」
「いや、意外と法律とかを律儀に守ってたんだなぁ、て」
「そこ!? 私、タバコとか酒とか、無免とか、万引きとか恫喝とかしてなかったよね?」
笑う戸塚。
淀んていた空気が、朗らかになる。そんな中、私は口を開いた。
「……戸塚は、私の事、気持ち悪く思わないの」
「言ったでしょ、気持ち悪くないって。でも……さっきの花みたいに多くの人が気持ち悪いって言うと思うよ。そしてそれを止める術を私達は持っていない」
「……」
「自分勝手に振る舞うって事は、周りからも好き勝手に言われるってこと。私なら不良のことを他人から言われても仕方がないって思うし、添の場合なら、性癖について言われると思う」
「ならっ……なら、私は、どうすればいいの。どうしたら……いいの」
喉奥から、声を、思いを絞り出す。そんな私に対し、戸塚はあっさりと答えた。
「言っただろ、自分らしくって。自分の気持ちに正直になればいいじゃないか。それこそこいつみたいに、恋だの愛だの叫んでいてもいいんだからさ」
「ちょっと戸塚さん、別に良いじゃないですか、それくらい」
「そう、良いだよ、それで。難しく考えるな。添がしたいことを考えればいいんだよ」
唇を緩め、微笑みかけてくる戸塚。
その微笑みは、見覚えがあった。教助先生、四条先輩、見治先輩、陽先輩、そして……兄さん。
みんな、私に笑いかけてくれた。みんな、後悔なんてしていなかった……全員が、自身の願いを叶えた訳でもないのに。
……理由は分かってた。みんな自分の気持ちを偽らなかったから。自分の気持ちに素直に動いたから。だから、後悔なんてない。
でも、それでも……決断したら、言われる。可笑しいって、気持ち悪いって。それに傷つく人も出てくる。花の軽蔑を示す態度を、先生の奥さんの涙を、脳裏に思い浮かべる。
……胸が痛くなる。思い出したくない。決断したら、こんな思いをこれからもしなくちゃならない。
……じゃあ諦めたら? どんな未来がまっているの?
その事を考えた時、私の手は、自然と自らの心臓へと当てていた。
「……やっぱり、私、兄さんの事が好きみたい」
心から、答えが出てくる。
今更ながら、あの日、告白した兄さんの気持ちが分かった。
私の言葉を受け、戸塚はゆっくりと、目を閉じる。そして、小さく頷いた。
「そうか……まっ、私は分かってたけどね。昔からアンタが兄貴に惹かれてたことくらい」
「ほんと?」
「ほんとだよ。まっ、だからこそ、アンタが教助の野郎に近づいて行った時は、私の勘違いかと思ったんだけどさ」
「よく見てたんですね私のこと」
「幼馴染だからさ。私は昔も、そしてこれからもあんたの側にいるよ」
「……私もいますよ戸塚の側にずっと」
静かな校舎。静かな教室。私達の言葉は壁に、床に、天井に、染み渡っていく。
戸塚は、口を開く。でも、直ぐに言葉として形にせず、唇を少しばかり歪めた後、言葉にして出した。
「私は、添。あんたに幸せになってほしいんだよ。だから……これからも笑い続けてくれ」
「うん、そうするよ」
私は笑った。戸塚に言われたからじゃなくて、ただ、自然とそんな気持ちになったから。
そんな折、私の目は花を捉える。彼女は、気まずそうに、目を伏せていた。
「……すみません、添さん、さっきは言い過ぎました……でもやっぱり私は……添さんの選択を応援する気にはなれません」
「……良いよ別に。それに……言ってくれてありがとう。お陰で覚悟する事ができたよ」
「添さん……」
「花は普通の恋が好きでいいんだよ。私の事を理解しなくてもいい……でも、私としては変わらず花と友達でいたいな」
私は口にする、友達という間柄を。
思想や考えが違っても、人は分かり会える……なんて高尚な事を言ったつもりじゃない。ただ私は……変わらず花と仲よく居続けたかった。
本当に、そう思っただけ。
私の言葉に、花は伏せていた目を上げる。彼女の瞳は、未だ混沌の中にいた。
「……少し時間をください」
花の言葉。それは、私の望むものじゃなかった。
友人さえ、私を否定する。だからこそ、決めた私の道はきっと険しいものに違いない。でも……目を背けることは、もう嫌だった。
「良いよそれで……急にこんな事言われたら、混乱しちゃうよね……それが当たり前だと思う」
「……」
「でも、私はさっきも言ったけど花と友達で居続けたい。それは本当だよ」
私の言葉に、花は目を背ける。
そんな彼女の仕草を目に入れた後、私は鞄を手にとる。それを見て戸塚は口を開いた。
「……行くのか」
「うん、行ってくる」
「そっか……じゃあ……」
「また、明日な」
戸塚の言葉に、私は頬を緩ます。そして、私は戸塚から顔を外した。
体が軽い。今なら何処までも走り続ける事が出来る気がした。湧いた想い、その思いに動かされ、私は教室を出た。
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二人っきりとなった教室。
そのうちの一人である花は、手を片方の腕に当てつつ、暫く沈黙を保っていた。
しかし、暫くたっても花は、友人の告白を整理することは出来なかった。いつまでたっても、自らの考えは、落ち着く事なく動き蠢く。一度決めていた筈の考えも、直ぐに形を変えていく。
揺るぎない確固としたものなど、ほとんど無い。だからこそ、彼女は、もう一人に、答えを求めた。
「……何で止めなかったんですか」
「何でって?」
分かっているくせに、聞き返す。
その事に少しばかり、花は彼女に対し苛立ちを抱く。花は口を開いた。
「だって……あんなの……幸せになれるはずがない」
苦々しい声で、花は言い終わる。そんな花を戸塚は、口を噤んだまま見つめ続けていた。
「……」
「なに、軽蔑しているんですか」
「いや、思ったより心配してるんだなって」
要点が掴めず、花は不満げな瞳を戸塚に返す。それを意に返さず、戸塚は口を再度開いた。
「だって、添のことを思ってなければ、そんな言葉でないだろ?……大丈夫、もとの関係に戻れるよ」
「何を見透かすようなことを……」
花は、戸塚から顔を外す。花の視界は、教室内に点在する空席の机を捉えていた。
「……わたしは、幸せになってほしいだけですよ」
「それを友達っていうんだよ」
「……でも、そんな彼女を世間は許さない」
教室内に点在する机。それを見ながら花は口を開いた。
「……本当にそれ以外の選択肢はなかったのでしょうか。だって、恋がいつも実るとは限らないでしょう」
「あんたらしいね……私は、あると思うよ。それ以外の選択肢」
「なら、何で反対しなかったんですか。戸塚さんの言葉なら添さんだって、聞き入れたかもしれないのに」
「添が選択したからだよ」
戸塚は息を吐く。長く、深呼吸をするように、彼女は息を吐ききった。
「私達には、多くの選択肢がある。その中から一つを、私達は選択するんだよ……自分自身の手で」
言葉を吐き切る戸塚。そんな彼女を見て花は、ゆっくりと言葉を出した。
「……戸塚さんもその中の一つを選択したんですか?」
「私?」
「だって、今の戸塚さん、何だか悲しそうな顔をしています」
花の言葉。それに、戸塚は直ぐには答えなかった。
夕焼け空から、夜の黒へと変わりつつある教室。花の目から見て、戸塚の顔は影の色合いが強くなり、正確な表情は読み取れない。
しかし、この時の花には、戸塚の心情が、教室の風景と重なって見えた。
その中で、戸塚は口を開いた。
「あはは……私、今そんな顔しているのか」
「戸塚さん……?」
「……言わない選択肢もあるんだと、思うんだよ」
戸塚の言葉。それに花は返さず、黙ってまま、戸塚を見つめる。
そして、花は小さく、口を開いた。
「……カラオケでもいきます?」
「いく」
花の言葉に、戸塚は即答した。
(川瀬添視点:完)
変化を恐れ、現状を彷徨っていた彼女の視点は今回で、最後となります。
彼女は今の関係性を変える選択を選びましたが、戸塚の言うとおり、関係性を変えない選択もあるのだと思います。
隠した想いを打ち明けるのか、それとも隠し続けるのか。その違いは各々の幸福の捉え方によるのでしょう。兄への気持ちを認めた添が、どのような行動に移るか、次回の話をお楽しみ下さい。
投稿から、早二年。
想定より長くなりましたが、次は、別視点かつ最終回です。
よろしくお願い致します。




