65話 もっと自由でいいと思うんだよ(視点:川瀬添)
先生は一歩を踏み出した。
優しかった面はそのままに、弱かった面を捨てて。
私もそうなりたいと思った。先生に追いつきたいとか、そう言うんじゃなくて、ただあの屋上にいた先生のように、笑いたかった。
ーーーーーーー
兄は変わらなかった。朝鉢合えば挨拶してくるし、普通に話も振ってくるし、冗談も言ってくる。
そんな兄から私は距離を置いている。少なくとも今、まともに兄と話す事など出来そうにない。
気持ちの整理もつかない状況で、兄と話したら、何が起きるのか……私自身怖かった。
そんな中私は学校に通い続けた。花や戸塚たちと一緒に授業を受け、部活動に精を出す。
先生は、良く部活に顔を出すようになった……さすがにいつもじゃないけど、でも前よりは良く来ている。
それに先生は良く笑うようになった。些細な事でも頬を緩めるし、声を上げて笑う事もある。生徒の冗談に返す所も。
そんな先生への評価は様々だ。前より親しみ安くなって良いという人もいれば、生真面目な性格が薄くなって嫌だって人もいる。
私は、今の先生の方が好きだ。先生の笑顔が本心だと分かるしそれに……私自身無理しなくていいから。だから、先生が部活動に来てくれる日はホントに嬉しい。楽しいし、写真についても意見をくれるから。
でも……やっぱり、そんな先生を見て少し眩しく感じる私がいる。私も先生のようになりたい。先生のように自分の気持ちに素直になりたい。でも、それが怖い私がいる。
怖さを払拭するにはどうすればいいのか。それを知らなない私は日々を繰り返していく。
そんな代わり映えのしない、とある日の放課後、廊下を歩いていた私は声をかけられた。
「おっ、川瀬くんの妹じゃん」
振り返ると、そこには一人の女子生徒が立っていた。背は私より少し大きく、キリとした目つきは戸塚を思い起こさせるけど、彼女ように棘さすような雰囲気じゃない。恐らく、クリーム色の癖っ毛と小顔が彼女の雰囲気を和らげていた。
だからって訳じゃないけど、彼女の顔をまじまじと見つめてしまった。
「……えっと、もしかして覚えてない?」
「えっ、あ、すみません。突然話しかけられたもので……どなた、でしたっけ?」
「四条結、といっても忘れても仕方がないか。妹さんと会ったの夏休み明けの時だし」
「夏休みが明けて……あ、陽先輩の友達の」
「そうそう、その陽の友達の、四条結」
「すみません、その、忘れてた訳じゃないんです。ただ最近色々あってゴタゴタしてて」
「いいよ、落ち着かない時は誰だってあるし」
そういって、四条先輩は笑う。快活な、眩しい笑顔で。陽先輩が月だとしたら、四条先輩は太陽のような人だった。何となく、陽先輩が、四条先輩の事を好いていたのが理解できた。
「それで、先輩、私に声をかけてきたのは何でですか」
陽先輩の姿を脳裏に思い出しながら、私は質問した。
それに対し、目の前にいる四条先輩は、私の視点を現実へと引き戻す言葉を口にする。
「んーとねぇ、妹ちゃんと話したいなって思って」
「私と?」
「そっ、貴方と」
そう言って、四条先輩を指差す。微笑を浮かべているのに、獲物を捉えたハンターのように、逃げ場を塞ぐ物言わぬ圧がそこにはあった。
「時間ある?」
「今日部活休みなんでありますけど……」
「じゃ、決まり」
そう言って、四条先輩は私の手を取り、歩きだす。それがあまりにも自然にかつ強引だったもので、私は思わず声を上げた。
「ちょっ四条先輩」
「いいのいいの先輩に任せなさい」
「任せるって何を!?」
脇目を振らず、進む四条先輩。そんな先輩を見て、何で陽先輩が彼女と友達でいられるのか、また分からなくなった。
ーーーーーーー
「うーん、美味しい〜」
そう言って四条先輩は、目の前のテーブルにあるショートケーキを頬張った……ついでにモンブランも、あとマスカットのタルトも。あとは、バナナパフェに、シュークリームと……
て、どれだけ食うつもりなんだろうこの人は。
そんな考えが、顔に出ていたのか、四条先輩は、デザートを頬張る手を止め、口を開いた。
「妹ちゃん、嫌だった? ケーキバイキング」
「えっ、いや、嫌いでは無いですが……」
何で私、ここにいるんだろうとは思うけど……。
今私達は、ケーキバイキングのお店に来ていた。色とりどりのデザートに、木材を中心とした温かみのある内装は、女子に人気であり、うちの学校の生徒も良く来ているお店だ。
そんなお店に来た理由は、ひとえに先輩に連れてこられたから。そう答えるのは簡単。
でもそれは正解ではない気がどこかでした。
ケーキバイキングのお店とかじゃなくて、自分の立ち位置というか、気持ちとか、そういった自分の場所が分からなくなる。
でも、そんなこと四条先輩に言っても迷惑に違いない。だから、ここではひとまず思っていた疑問を口にする事にした。
「ただ、少し分からなくて」
「分からないって?」
「何で四条先輩は、私の事川瀬さんじゃなく、妹ちゃんって言うのかなって」
「あぁそのこと」
そう言って四条先輩は、テーブルにあるコーラをストローを使うことなく一気飲みした。多分、口の中をスッキリさせたかったのだと思う。
そんな先輩を見て、男らしいと思う反面、陽先輩と違い女子らしくはないなと、心の奥底で思った。
「理由は簡単だよ、ただ君のお兄さんを川瀬くんって読んでる以上、川瀬さんとは呼びづらいでしょ」
「そうですか? 先生方の多くはは、川瀬くん、さん呼びでわけていますよ」
「そうなの?……あぁでも私には無理かも。今度川瀬くん呼ぶとき、さん呼びしそうになると思うから」
そう言って目の前にいる四条先輩は小さく笑った。そんな先輩は、何処か余裕があるような、大人な感じがした。
1学年年上だから、て理由じゃなくて、何となく中身が私とは違う気がする
そして私は、もう一つ先輩に対し、質問した。
「先輩は兄と仲がいいんですか?」
「ん、どうしてそう思う?」
「いや、なんとなく……ですけど」
けど、仲がよくなければ、あんな穏やかに笑わないと思う。
表の、私の言葉に、四条先輩は口を開いた。
「あぁ〜そうだね……」
そう言いながら、四条先輩は、手に持っているフォークを指揮棒のように振る。
そうして、しばらくした後、四条先輩は口を開いた。
「最初は嫌いだったけど、今は友達だよ」
「……嫌い?」
直情的な性格だとは思ってたけど、嫌いという言葉に、思わず反応してしまう。
オウム返しになってしまった私に対し、四条先輩は口を再度開いた。
「そっ、嫌い……意外だった? 私がそんなこと言うなんて」
「いや、それは別に……四条先輩って思ったこと直ぐ言うタイプですよね、多分」
「えぇ〜ひっどい。ま、自分でも自覚してるけどね。じゃあ、どうして驚いたような反応したの」
それは……兄さんの事を貶されたから。とは、言えなかった。兄妹なら、怒るのが普通なのかな、でも今の私の気持ちが普通なのかどうかもう分からない。だから、今の私には話題を逸らす事しか出来なかった。
「いや、嫌いになる程四条先輩と、兄って関係性あるのかなって思って」
「う〜ん、まぁ間接的にね」
「間接的?」
「陽つながり。ほら、陽って貴方のお兄さんの事好いていたじゃない」
あっさり言った四条先輩に私は面食らう。言うのかと、それを……いや、私が陽先輩の恋心を知っている前提で言っているんだ。情報の共有のように。それなら……分からなくもない。陽先輩は、分かりやすい面があるから。
でも……陽先輩の事を聞くと少し、胸がざわめく。
「そうですけど……それが兄を嫌うことの理由になるんですか」
「だって、思わない? あんな美少女が好いているというのに、気持ちに答えないなんて。そんな彼女の側にいた身としては物申したくなるよ」
「……それが兄と関わるようになったきっかけですか」
「そっ、あんなに陽が好いている相手がどんな奴だと思って、それで話しかけたんだ」
「それで……うちの兄はどうでしたか」
「普通!」
はっきりそう言い切ってしまう四条先輩に、私はなんとかつくり笑いをして、反応する。
それに、恐らく気づいた上で、四条先輩は話を続けた。
「普通だよ、貴方のお兄さんは……喜び、怒り、楽しみ、そして……哀しむ。普通の人」
「……」
場面が、思い浮かぶ。暗い部屋の中、思い悩む兄。そして、日が暮れた中、兄のあの言葉。
脳裏に浮かぶ場面と重なるように、四条先輩が言葉を続ける。
「貴方のお兄さんを見て分かったんだよ。何て、私……私達は身勝手なんだろうって」
「身勝手……?」
「そう、身勝手」
四条先輩は言葉を続ける。
「勝手に型を作って、人の思いをその型をにはめて……押し付けて……矯正して……ほんと、勝手」
だんだんと声を弱めていく四条先輩。昔の私なら何を言っているのだろうと思っただろう。でも今は、意味が分かる。先輩が何を伝えたいのか。
「……それで、先輩はどうしたんですか。他人の気持ちを推し図らずして、どうやって兄と友達となったんですか」
「素直になったんだよ」
「素直?」
「そっ素直。自分の気持ちに素直に、偽らず、ありのままに行動する。それで、貴方のお兄さんも、陽とも仲良くなれた」
「……」
「納得出来ない?」
「いや……そんなこと……」
「いいよいいよ、これは私が出した結論だから」
そう言ってカラカラと四条先輩は笑う。先輩のこと、太陽のような人だと思ったけど、それは、天然じゃなくて後天的なものだったかもしれない。
でも……やっぱり何処か釈然としない。私は口を開いた。
「でも、それだと、迷惑になりませんか。全員が全員、思い思いに行動したら」
「そうだね、だから素直っていってもある程度はブレーキをかける必要はあると思う……けどね」
そこで、四条先輩はひと呼吸おいた。
「私としてはもっと自由でいいと思うんだよ。傷つくかもしれないけど……それでも、自分が望むこと、したいこと。それを正直に表現してもいいと思うんだよ」
「……」
思い出すのは、あの人の涙。
私は傷つけた。間違いなく、先生の奥さんを傷つけた。
……けど、もしかしたら、道は続いていたかもしれない。傷つく人がいると分かった上で、進む道が……いや、あったとしても私はその時、その道を選択しなかった。
なら次は? 同じ道が現れた時、私は……どうするの?
「まっ、つまり言いたいことは今の気持ちが大事ってこと。過去とか、周りのこととか関係なく、今の自分がどうしたいのか。それがきっと大事だと思うな」
続いていく四条先輩の言葉。
私はひとまず、今の思いを閉じ込める。じゃないと、口を開けそうになかった。
「……兄と仲良くなれたのも自分の気持ちに素直になれたから?」
「えーと、貴方のお兄さんに関しては実の所、少し違うけどね。でも、陽とはそうやって仲良くなれた」
「陽先輩ですか……?」
「うん、最初の時よりもずっと、仲良くなれた」
四条先輩の言葉には実感がこもっていた。
そんな彼女に対し、私は口を開く。
「陽先輩と何かあったんですか」
「何かあったって、陽から聞いてない?」
「聞いたって何をですか?」
「それは……あぁこれは本人から聞いた方がいいか」
「?」
「陽のお見舞いに行ってあげて。その方が彼女も喜ぶと思うから」
「……分かり、ました」
何かを含んだ言い方。気になったけど、追求しても答えてはくれないような気がした。
その後、四条先輩とデザートを挟みながら話した後、私達は別れた。
結局、四条先輩がどうして私を誘ったのかは分からなかった。でも、多分、先輩の性格を思い起こしてみると、ただ私と話したかっただけのように思えた。友達の妹として、興味があった、だから私を誘った。
川瀬広の妹。それが私。その型を外すことは出来ない。周りからもそう見られる、そう振る舞うように期待される。それを、裏切ることは出来ない。
でも……
「もっと、自由で、素直で、正直に……か」
一人になった後、私は独り言を、呟いた。




