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62話 変わっていってほしくない 〃

 自分を知りたい。

 その思いは本物だ。だが、未だ私はそれを知るための術を見いだせなかった。


ーーーーーーー


 我が高校は月曜日は基本どの部活動も休みとなっている。その為、月曜の放課後の校舎は、他の曜日と比べ静かである。

 廊下は静寂そのものだった。自身の足音がよく響く。そんな中、響く他の足音。後ろ側から。

 通り過ぎるかと思った。だからこそ、声をかけられた時は驚いた。


「先生っ」


 明るく活発な声。頭に浮かぶのは彼女の姿。

 だが、振り返って目に入ってきたのは浮かんできた彼女ではなかった。


「……四条さん」


 私は、声をかけてきた生徒の名を呼ぶ。

 私は彼女の担任ではない。だが、それでも彼女の名を知っていたのは、ひとえに愛梨さん繋がりだった。愛梨さんにとって、珍しい同性の友達。気にはなってはいたが、これまで関わりを持つことはなかった。

 だからこそ、声をかけてきたのが彼女だと言うことにも少なからず驚いたし、また周りにいる人達も私の興味を引き立てた。


「川瀬さんも、高城さんも」


 私は四条さんの両隣に立つ、二人に声をかける。彼女は一人では無かった。

 川瀬さんに高城さん。二人とも私が受け持つクラスの生徒だ。二人は愛梨さんとは確か幼馴染のはずであり、それこそ二人が一緒にいるところはよく見かける。

 だが、四条さんを含めた三人というのは、珍しい。それこそ初めてかもしれなかった。


 そんな思いが、態度に出ていたかもしれない。川瀬さんが口を開いた。


「先生、何か気になる事でもあるんですか」


 目を細め、訝しむ川瀬さん。だが、そんな不穏な空気を打ち破るかのように、四条さんが手を上げながら殊更大きな声を出してきた。


「そんなことより、先生一緒に行きましょう!」

「そんなことって……、何処にいくか言わないと分からないでしょ」

「あっ、それもそうか。先生一緒に見舞いに行きましょうよ!」

「それも分からないだろ……」


 三人が仲睦まじく会話をひろげる。偽らない、自己という姿を持っている彼女達。

 なんだか、それがひどく……輝いて見えた。


「見舞い、というのは愛梨さんのですか」


 湧いてきた感情を押し込め、私は湧いた疑問を口にする。愛梨、その名を口にした時、四条さんの瞳が煌めいた。


「はい! 陽の見舞いにこれから三人で行く予定なんです。先生もご一緒にどうですか」

「私……ですか。行きたいのですが、残念ながら今日の授業の纏めが終わっていないもので」

「えぇ〜そうですか……あっ、何なら待っていましょうか。少しくらいなら構いませんよ」

「それが、まだ時間がかかる上、明日の準備もしなければなりませんから、面会時間には間に合いませんね……」

「そっか、それは残念です」

「ですから、私のことは構わず三人でいって上げてください。愛梨さんも皆さんに会えて嬉しいでしょうから」

「分かりました、そうしますね」


 川瀬さんが返事をする。一方四条さんは私に断れたのが、ショックだったのか肩を落とし、露骨に残念がっている。

 分かりやすい彼女。そんな感情をハッキリ示す彼女が、奥手である愛梨さんと仲が良いのは、少し意外に感じる。

 だが、それ以上に私の目を惹いたのは、彼の方だった。川瀬広。あの……川瀬添の兄。先週の、彼女との記憶が蘇る。


 彼女とは、あれ以来会っていない。部活も顧問として顔を出していない以上他学年の生徒との交流は、極端に少ない。

 だからこそ、私は今の彼女がどうなのか、そんな疑問が頭を過ぎった。


「少し話は変わりますが、川瀬さん、妹さんの調子はどうですか。最近会えていないもので」


 努めて平静に、疑いを持たれないように、理由を添えて発言する。

 注意を払ったつもりだった。

 だからこそ、場の空気が変わった事に、少なからず私は動揺した。

 安心できる静けさではなく、不安ないたたまれなくなるような静けさ。


 四条さんは目を右往左往し、高城さんは口を真一文字に噤んでいる。一方、川瀬さんはそんな二人とは違い、口を開いた。


「ここ最近元気が無いですね。先生何か知っていますか」


 カウンター……ではない。それは私側の都合。

 川瀬さんは漂っている空気に構うことなく、発言した。彼の発言は、凝り固まっていた空気を吹き飛ばす。その証拠に彼と並んで立っている四条さんや高城さんの表情が和らいだのが、目に入る。

 だが、私は違う。彼の発言は私にとって手痛い部分であった。


「いや……心当たりはないですね」


 白々しい台詞を私は吐く。

 教職についている者として、相応しくない利己の回答。他者は騙せるかもしれない。だが、自分自身は……それで、騙すことなどできない。


「そうですか、分かりました」


 彼は一言そう言った。そして、彼は隣に立つ四条さんの背中を叩く。それからワンテンポ遅れ、彼に叩かれた四条さんは大きく口を開いた。


「じゃ、先生。私達は陽の見舞いに行ってきますね。先生もまた来てくださいよ、じゃないと陽が寂しがりますから」

「分かりました。今日は無理ですが、明日か明後日には見舞いにいけると思います」

「本当ですね、裏切ったら承知しませんよ」

「本当ですよ」


 私の発言に四条さんが笑みを浮かべる。純粋で無垢で、それこそ本当に嬉しいのだと思える程だった。


 私の前から彼ら三人は去っていく。後ろ姿からでも分かるほどに、彼らは仲睦まじく、そして……輝いて見えた。

 

 後に一人残された私。私の胸に湧いたのは、自身への自己嫌悪と、そして……彼女の事だった。


ーーーーーーー


 思い出すのは、あの日の、ひどく乱れた彼女の姿。そして、彼女の兄の言葉。

 落ち込んでいるなら、励ましてあげなければならない。普通の教師ならそう思うのだろう。

 だが、私は違う。私はただ……自分のため。

 彼女と向き合い、そして……前に進む為、私は扉に手をかけた。


「はいはい、どちら様……てっ先生じゃないですか」

「お久しぶりです、神戸さん。部活は……まだやってないのですか」

「いや……それは……」

「いや、責めているのではありません。第一、顧問でありながら、部活に顔を出していなかった私が悪いのですから」

「そう言ってくれると助かります」


 頭に手を当て、平謝りする生徒。

 四条さんらと別れたあと、私は授業の取りまとめを後回しにし、写真部の部室を訪れていた。開口一番に出会った生徒は、その部長だ。


 久しぶりに入った部室は、以前見た時よりも散らかっているように思えた。椅子も机も、整えられておらず、雑誌類も棚に整頓されていない。だが、少なくとも部員達は、写真に関係している行動をこの時取っていた。

 写真の雑誌を読んだり、カメラを調整していたり、写真を選定していたりと、風紀が乱れる行動は取っておらず、それが少し嬉しく感じられた。


 部員はこの時全員いた。一年と二年合わせて、総勢6名。多くはないが、それでも部活動をやる上では支障がない人数だ。そして、その中には勿論彼女も含まれている。

 彼女、川瀬添は椅子に座った格好のまま、私から視線を……離していた。


「……」

「先生、どうかしたんですか」

「あっ、いや、なんでもありません」


 彼女を見つめすぎた。

 咄嗟に放った言葉。だが、その後が続かない。私は、彼女と向き合う為にここに来た。だが、私はここ写真部の顧問だ。顧問として指導しなければならない。でも、それを考えずにここに来てしまったことに、いまさらながら気づく。

 どうしたものかと、私は視線を巡らす。そんな折、机上に散らばっていた写真が目に入った。


「それは?」


 私は散らばっている写真らを指差す。それを受け、部長が口を開いた。


「すみません俺のです。見ていたら少し懐かしくなって」

「最近撮ったものではないのですか」

「高校に入った直後に撮った奴です。部室内を詮索していたら、丁度写真を入れていた箱が出てきまして、それでさっきまで見ていたんです」

「入った直後……」


 私は机に近づくと、置かれた写真を手に取る。確かに構図は今の部長のと似通っているが、どことなく拙く感じられた。

 成長している。写真に精通していない私でも分かるぐらいには。そんな折、ふと思った。彼は一体なぜ写真を取ろうと思ったんだろうかと。


「神戸さんは何で写真を取り始めたのですか」

「えっ、何ですか先生。面接ですか、進路にむけての」

「違います。ただ、そう言えば聞いていなかったと、どうして皆さんが写真部に入部……いや、写真を取ろうとしたのかと」


 物事には始まりがある。私が他人を真似するようになったように。

 私の言葉を受け、直ぐに返答する者はいなかったが、それでもそれ程時間をかけずに部長が一番最初に答えた。


「俺は……親父に影響されて……かな。親父、鉄ヲタで電車をカメラに納めてて、そんな親父を見てカメラに興味を持ったんだ」

「部長さんそうだったんだ〜。私は……好きな俳優が写真を取るのが趣味だって言ってたから、それに影響されたのがきっかけ」

「僕は、祖父にカメラを譲り受けたのがきっかけです」

「私の場合は誕生日プレゼントで貰ったのがきっかけかなぁ。多分違うプレゼントだったら、ハマってなかったかも」

「自分は、両親に撮った写真を褒められたのが、きっかけ……かな。そこから、積極的に撮るようになったんすよ」


 部長を先頭に、部員達が答えていく。内容は千差万別だ。そして、案外きっかけを聞くのが初めてだったのが、互いに顔を合わせ、ツッコミ合っている。

 似合わねぇとか、意外とか、そんな感想を言い合っていく。

 そんな中、彼女はいまだ答えていない。

 彼女は、手にしていた黄緑色のフレームのカメラをじっと見つめていた。だが私には、彼女は手にしているカメラではなく、別の何かを見ているように思えた。


「私は……」


 彼女は口を開く。たどたどしく、途中で止まっているかのように、続きの言葉を紡いだ。


「変わっていってほしくないから撮るんです」


 彼女の出した言葉。それは重く、そして……苦しげに聞こえた。

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