54話 羨ましい(視点:四条結)
月が眩しい夜だった。
吐く息が白くなっているのが分かる。
私はマフラーで口元を覆い隠す。お陰でもう、息は白くない。
……一体何時まで考えているのだろう、私は。
秋とは言え、夜の外は、随分と肌寒い。それこそ、いつもなら自室でぬくぬくと過ごしているのに、何で私は考えなしに外へと出てしまったんだろう。
視界先にあるのは、一件の建物。学校のように何棟もの構成になっているその建物は、これまた学校のように飾り気のない白を基調としている。
既に面会時間は過ぎている。明かりも消されている。だから、会える訳ない。なのに……どうして、私は外に出て、ずっとその建物を見つめているのだろう。
分からない……自分の事なのに。
でも、帰ろうとは不思議と思えなかった。
ずっと、その建物を見つめていた私。それこそ、見つめてから何分経ったのか分からなくなった頃、私は彼と出会った。
ーーーーーーー
建物には、学校と同じように中庭が存在していた。それもベンチと自動販売機付き。これは学校には無かったもの。そして、今中庭には私達二人しかいない。
学校より整えられた芝生を前に、私達はベンチに座り、そして二人して暖かいカフェオレを飲んでいた。
「やっぱりこの季節は暖かいものに限るね。お陰で帰れる気力がついたよ」
「帰れる気力って、肝が座ってるね川瀬君は」
そう言って私は隣にいる、建物から出てきた彼、川瀬君を見る。
一方の川瀬君と言えば、悪びれない様子で先程と同じような明る気な声を出した。
「そりゃどうも致しまして」
「皮肉だってことに気づけ」
そう言って私は肘で彼の脇腹をつつく。
そこで、彼はハハと小さく笑った。そして、そんな彼を見ていると私も自然と頬が緩む。
彼と出会った先程の状況を頭に思い浮かべながら、私は口を開いた。
「でも、本当によく病院に忍び込んだよね。バレれば停学だってあり得るのに」
私は彼から先程まで見ていた建物、病院へと顔を向ける。
夜ということもあるだろうけど、それでも普通の建物ならここまで静かじゃない。物音一つせず、かつ灯りもついていない病院は、それこそ怖さすら感じられる。
ここ中庭だってそうだ。昼間は人がいて賑やかな感じだったけど、今は違う。月明りで多少はましだけど、それでも外灯によって狭い範囲しか照らされない中庭はあまり心地良い雰囲気とは言えない。
そんな所に彼は侵入し、あまつさえここ中庭で私と話をしている。
彼は口を開いた。
「あぁそれ、うん、今にして思えばそうだったね」
「今にして思えばって、何、考えてなかったの」
「考えてなかった」
迷いなく即答する彼。
そんな彼を見て、私は背中を丸め頬杖をつきながら、溜め息を吐いた。
「考えてなかったって、そんなキャラだっけ君」
「そんなキャラだったんだよ、昔の僕は」
そう言って彼は手に持っていたカフェオレの缶に口を付ける。
缶の角度的に、残り僅かだったらしい。その証拠に、彼は持っていた缶を、放り投げた。そして、その缶に私の視線は吸付けられる。
宙へと投げられた缶は、月明かりを反射しながら綺麗な放物線を描いていく。そして、空き缶は音を立てて自動販売機横のカゴの中へと、入っていった。
「断ったよ」
音と重なるように、彼は言った。
先程と打って変わり、静かな声で。
何を? とは思わなかった。そして、昔の私なら湧いたであろう感情もまた湧いてこなかった。
ただ、そうか。とそう思った。
彼がどんな顔をしているのか、私は分からない。私はただ、頬杖をつきながら、訳もなく空き缶が積もれたカゴを見つめ続けた。
「……告白するの」
白い息を伴いながら、決して答えになっていない言葉を私は口にする。
呟くように出された私の声。それに対し彼はひと呼吸置いて返答した。
「するよ。告白」
少し決意が入っている声。
彼の顔を見ずとも、何となくどんな表情をしているか想像はついた。
私は頬杖をつくのを止めると、持っていた残っていたカフェオレを一気飲みする。
そして、そのいきよいのまま、空になった缶を放り投げた。
……でも、描いた放物線は、彼のように綺麗では無かった。
彼と比べ潰れた放物線を描いた缶は、カゴに入ることなく、側面へと当たる。そして、跳ね返った缶は、コンクリの地面へと落ちた。
カンカンと、幾度かバウンドする缶。やがて、缶は地面の上で、一人動きを止める。
そして、それを見終わった後、私は口を開いた。
「後悔しないの」
「しないとは、言い切れない。けど……」
「けど?」
「妹を好きな事に、後悔はない」
確信を伴った声音。それだけで彼の気持ちが分かった。
「そっか……吹っ切れたんだね」
「うん、お陰様で」
本当にそうなんだ……。
心からそう思う。だからこそ、私には言いたいことがあった。
これまでの彼を、悩んでいる彼を思い浮かべる。そして私はこれまで以上に重々しく口を開いた。
「……ごめんね」
ひとりでに、それこそ独り言みたいに小さな声で私は、隣に座る彼の顔を見ずに声を出す。
私の視界に入るのは、地面に転がる空き缶。皆と一緒の場所ではなく、寂しく、一人で、その空き缶は地面に転がっている。
彼が返答した。
「何を」
「気持ち悪いっていった事」
「あぁその事」
あっさりとも、重々しいとも言えない、その中間のような声を彼は出す。
隣から布が擦り切れる音が聞こえる。きっと、彼が体勢を変えたんだろう。
それに伴い、彼の声音も柔らかな要素が含まれるようになった。
「四条さんは悪くないよ。それこそ前も言ったことあったけど、それが普通だよ」
普通、その言葉を彼は口にする。
……けど、それが彼を苦しめる。それが分かっているから私は言葉を続けずにはいられない。
「でも、だとしたら、川瀬君はこれから辛い目に合うかもしれないよ。それでも……いいの」
「いいよ、それを決意したんだから」
先程のような、確信ある声を再度、彼は出す。そんな彼を横にして、私の奥底から、ある感情が湧いてきた。
「そっか……強いね川瀬君は」
マフラーで口を覆い隠す程に私は顔を下げる。視界からは地面に転がる空き缶は消え、私が履く、買ったばかりの汚れがない白のスニーカーが入ってきた。
「そう?」
「うん、強い。羨ましいくらい」
「……」
本当に、羨ましい。私にはないから、そんな強い思い。
湧いてきた卑屈な思い。そんな思いから逃げるように私は殊更に大きな声を出した。
「よし、じゃあ私も、決意するとしますかっ」
ベンチから立ち上がり、私は背筋を伸ばす。背中を丸めるような格好を取っていたからか、少し体が固くなっていた。
そして、そんな私に、ベンチに座ったまま彼は声をかけてきた。
「陽の病室にいくの」
「そっ、あんたに振られた女友だちを慰めにいくのよ」
「……」
「冗談よ冗談。ただ……今会わなかったら、もう陽に会わなくなる。そんな気がしただけよ」
確信じゃない、ただの予感。でも、逃げたらもう私は彼女に会いに来なくなる。そんな予感は、漠然とだけど感じていた。
けど………もしかしたら、そんな一方的な思いだけじゃなかったのかもと、後の彼の言葉を聞いて思った。
「……うん、多分僕に言う資格は無いんだろうけど、今の陽には君が必要だと思う」
「……」
「僕には出来ない事を、四条さんは出来るから。だから……彼女を頼む」
ベンチに座ったまま、見上げるような格好で、真面目な表情で彼はそう言った。
そんな彼の姿は、私に取ってはひどく新鮮に感じられた。それこそ……そう、知らない彼を見ているかのような、そんな不思議な気分だった。
「……こんな事、まさか私が言うとは思わなかったけど、今の川瀬君、イケメンだよ」
「僕も四条さんにそんな事言われる日が来るとは思わなかったよ」
そう言い合ったのち、私達は静かにわらった。
川瀬君が出した結論。そしてそんな結論を出した彼の事が、私には輝いて見えた。
次は別視点です。




