51話 最初で最後の(視点:愛梨陽)
悔しくないって言ったら嘘になる。
私だって、本音を言えば修学旅行に行きたかった。皆と……広と一緒に歩いて周りたかった。
けどそれも、叶わない願い。だって、道なき私はベットから動けず、そして、道ある皆は歩いていく。それに……もうイベントは終わった。
でも……これで良かったのかもしれない。これ以上広に近づくことは無いから。
叶わぬ願い、途切れた道。半端に夢見るよりずっといい。手に入らないものに恋い焦がれ続けたって、待ち受けるは孤独な終焉……でも、それを嫌だと、みっともなく泣き叫ぶのは私には似合わない。
私に似合うのは、物語途中でひっそりと出番を無くし、消えていく役回り。
だから……これで良い。修学旅行前に現実を直視出来て……夢を、これ以上見なくて済むんだから。
ーーーーーーー
入院中は思っていたよりも退屈だった。代わり映えのしない病院食に、代わり映えのしない検診。それに加え、看護師さんや先生はしきりに希望を持ってとか、諦めないでとか言ってくる。駄目な事ぐらい、誰だって内心分かっているのに、誰も口にしない。だから、退屈。
母が持ってきた本も直ぐに読み終わった。自宅にいた時と違い、本を買いにいけない分、次の母のお見舞いの時まで本を2度読みするしかない。だから、退屈。
退屈な毎日。このままゆっくりと死に向かっていくのかなと、ふと思う事がある。
……何となく分かる気がする、安楽死を望む人の気持ちが。じわじわとやってくる死。普通の人なら降参するに不思議ない。私はまだないけど、そういった事を選択する人は、これに加え痛みとか、体の麻痺とかがあってそれが安楽死という選択を後押しする。
……私も、その選択肢があったのなら選んだのかな。ふと考えてみる。
私も、これから先、体が動かなくなったら、望むのかな。死なせて、と。最後まで自分らしくありたいって……いや、そんなの自分らしくないか、そんな劇的な結末。
このままゆっくりと、死に向かい、そして死ぬ。それが、私に相応しい結末。
だから、その時まで私は、私らしくいこう。
そんな思いを胸に、私は彼女を迎えた。
「久しぶり、添。元気してたか〜」
殊更に、それこそ約一ヶ月ぶりとは思えないくらいに元気のある声を出し、私服姿の結が病室に入ってくる。
この時の彼女の格好は、Tシャツに、短パンと随分とラフな格好だった。
そんな彼女の手には紙袋が握られている。見た事のない店名がプリントされていたけど、中身を見る前から私はうすうす分かっていた。
「元気してるよ、て、前回来たときから一ヶ月以上も立ってるんだよ。もうちょっとこまめに来てくれたっていいじゃない」
「悪かったって、最近ちょっと忙しくてね。そのお詫びと言ったらなんだけど修学旅行にいけなかった陽のために、わざわざ買ってきたんだから、はい、定番の八ツ橋」
「定番って自分で言うかなぁ」
苦笑気味に私は、結が紙袋からだした八ツ橋を受け取る。
修学旅行にいけなかった私にとっては、こうしたお土産も大切なものとなる。行けなくてもこうして、間接的にでも旅を味わう事が出来るから。
でも、そのお土産はこれだけではなかったらしい。彼女は、八ツ橋を出した紙袋に手を入れながら、口を開いた。
「いやぁ、八ツ橋だけってのも味気ないと思って、これも買ってきたんだ」
「これ?」
「〜んと、ちょっと待ってて、ちっちゃいから見つかりづらくて……あったあった、はい栞」
彼女が手渡した栞は、一般的な紙やプラスチックで出来たのもではなく、木材で出来た珍しいものだった。
表面には五重塔、裏面には紅葉が描かれていた。それは、私にとっては100店満点のお土産だった。
「すっっっごく、良いよ結。ほんとに嬉しい」
「良かったぁ、ちょっと不安だったんだよね、栞でいいのかなって」
「どうして?」
「だってさ、栞ってよく手に入るぶん、余りすぎない? 私は高校に入ってから本を読み始めたけど、もう十枚近く栞あるもん」
「あぁそれ分かる。確かに私も机の引き出しの一つに栞を入れる専用棚を設ける程だもん」
「やっぱり! だからさ、今更栞貰ったって嬉しくないかなぁて思いもあったんだ……けど、安心した喜んでくれたみたいで」
そう言って彼女は笑う。底抜けない、太陽みたいな明るさで。
そして、そんな彼女を見ると、自然と私も笑えた。先程の暗い考えを吹き飛ばすように。
そして、私は思う。そんな彼女と出会えて良かったと。
ーーーーーーー
ベット近くにある丸椅子へと腰掛けた結は、そのまま修学旅行の事を話し始めた。
彼女とは、クラスが違う分、見治や広がどんな様子か聞けなかったけど、それでも、旅先の話を聞けるのは楽しかった……一日目の内容が薄かったのは、少し気になったけど。
それでも、内容もそうだけど、楽しそうに話す結を見るのは嬉しかった。私が居なくても、大丈夫そうと分かったから。
でも、そんな彼女が曇り始める。修学旅行にて、帰りの新幹線に乗るところまで語った彼女は、口を噤む。
言いづらそうに、唇を歪め、目元を落としている。活発ではない結を見るのは珍しくて、それに加え一ヶ月前の事があったからこそ、彼女の言いたい事を私は察した。
そして、彼女は閉じられていた口を開いた。
「川瀬君に言わないの」
何を?とは聞かない。彼女が何を言いたいのか。そして、それが伝わっているということも。
「……言わないよ。前にも言ったでしょ」
私は彼女に向かい微笑む。いつもの裏表ない笑顔とは別の、裏のある笑みで。
彼女には、伝わると思った。けど……結は私の笑みを前にしても、言葉を止めなかった。
「それは、病気の事があるから?」
「……」
「やっぱり、私には分からないよ。病気でも、何でも。壁があったって何だって言うの」
「……」
「言うべきだよ、川瀬君に。だって、そうしないと後悔する」
「……後悔?」
音がなる。何かがひび割れるような、私にしか聞こえぬ小さな音が。そして、それはどんどん大きくなっていく。それこそ、無視できぬ程に、閉じ込める事が出来ない程に……大きくなる。
「そうだよ、やらない後悔よりやる後悔だって言うじゃない。だからやって後悔を」
「無責任な事言わないで!」
気がつけば、私は叫んでいた。膝にかかった布団を握りしめ、彼女の方を向かず、俯いたまま。
思いだけが先行する。
「貴方が言わないで! 健康体の貴方に何が分かるって言うのよ。私は死ぬのよ! もう一年もない、卒業も出来ない。修学旅行だって行けなかった! もう退院することもない、学校に通う事もできない、皆に会う事も出来ない。もう、死ぬまで私はベットの上、そんな私が後悔? 後悔なんてもう置いてきた、私はもうこれでいい、これしかないの!」
息切れする。
今の私の体だと、これが限界だった。これ以上叫ぶ事は出来そうにない。息を整える私。そんな私に彼女は水の入ったペットボトルを手渡してくれた。
私も、そして彼女も無言で、何も言わず、受け渡し、受け取る。
彼女から貰ったペットボトルを、およそ私らしからぬ雑な手付きで蓋を開けると水を喉に流し込む。
そうして、心身を落ち着かせた私は、小さくありがとうと、言いながら彼女にペットボトルを返す。
そこからは、私も彼女も、無言だった。彼女は黙ったまま椅子に座り続け、私もまた口を閉ざしたままベットに居続ける。
廊下から、看護師さんたちが歩く足音も聞こえなければ、窓から虫の音も聞こえない。
曇り空の中、部屋を照らすのは無機質な照明。
私は喋るつもりはなかった。多分、この時の私は意地になっていたと思う。だから、彼女が立ち上がったとき、私は安堵と、そして……勝ち誇った気分に少なからず陥っていた。
けど、そんな思いもすぐに消える。立ち上がった彼女の顔は、敵意なんかない、安らいだ表情をしていた。
「……分かるとは言わないよ。だって私は病気なんてかかってないし、それに死にかけた事も無ければ……恋したこともない」
「……」
「でもね、私には思うことがあるの。時間なんて関係ないんじゃないかって。先が短くても長くても、きっと、大切なのはどんな時間を過ごしたか……だから」
「……」
「私は、陽と出会えたのは高校からだし、まだ会ってから二年も経ってない……けどね、私は陽と出会えて良かった。途中でいなくなるからと言って陽と出会わければ良かったなんて思わない、思う筈がない」
「……結」
「……だからね、これは私の我儘なの。陽は私の事軽蔑するかもしれない。私の事、許せないかもしれない……でもね、それでも良いの。私はこうすべきと思ったから。陽は、彼に話すべきだと思ったから」
「……何を、言っているの結」
「これまでの事ごめんね、そして……ありがとう。私を部活に誘ってくれて。お陰で今の私がいる。私は……貴女に会えて本当に良かった」
私は、上手く飲み込めなかった。彼女が何を言っているのか。だから、彼女が話している間どんな表情をしていたか、そこに意識を割かなかった私には分からない。
話し終わって直ぐ彼女は病室を立ち去った。そして、彼女が歩いた跡に水滴がある事に、私は気づく。
同時に、彼女の後をついで現れた人物がいたことにも気づいた。
「……広」
「どういうこと、陽」
病室の入り口、そこには川瀬広が立っていた。
ーーーーーーー
聞かれてしまった。
後悔だけが尾を引く。聞かれてしまったという事実が部屋に、心に充満している。
広は、病室の入り口に立ち尽くしていた。広は事態を上手く飲み込めていないのか、最初の発言以降黙ったままにいる。そして、この私も。
どう、答えていいか分からない。どう、返事をしたらいいか分からない。どう……対応していいのか分からない。
何もかも、分からない。
固まった私達。でも、私よりも彼の方が、ずっと上手く事態を飲み込めていた。
「病気……良くなるんじゃなかったの」
彼は言葉を口にする。そして同時に足を彼は動かす。一歩一歩、ゆっくりとけど、確実に。
狭い病室。私の近くに来るのに時間はかからない。
彼はベットにいる私を見下ろすように立つ。側にある丸椅子に座ることなく。
彼の顔は不安で揺れていた。目も口も歪められ、顔色だって良くない。裏表のない、演技でもない、本物の感情。だからこそ刺さる。
鼓動が高鳴る。ドクドクと音が聞こえるぐらい、大きく、力強く。もう、私は、広の顔を見れそうになかった。
彼から顔を反らす私。顔を見られないように、俯かせる。でも、それでも鼓動の音が聞こえ続ける。
体は冷たく感じるのに、顔は熱く感じる……もう、嘘はつけそうにない。言うべき時が来たのだと、自覚する。そして、私は口を開いた。
「ごめん……嘘、ついてた。本当は良くならない」
「良くならないって……ずっと?」
「ずっと、もう……治らない」
顔を見ずに交わされる言葉。小さく、酷く脆い声を私も、広も出していた。
感情が、声に乗っていた。だから、顔を見ずとも広がどんな顔をしているか、分かっているつもりだった。
でも、それでも見ると見ないとでは、大きく異なる。特に今回は。
私は俯かせていた顔を上げた。何時までもそうしている訳にはいかないと思ったから。
そんな、私の目に入ってきたのは、広が涙している姿だった。
「広……泣いてるの」
「えっ、あぁごめん。そんな……泣くつもりじゃなかったけど」
目元を拭う広。けど、一回拭っただけでは止まらない。広は何回も、何回も目元を拭う。
そして、そんな広を見ていると、心がざわめく。心臓もそうだけど、それ以上に、心としか言いようがない部分が揺れ動く。
いけない、そう理性が告げても心は無視するように動く。そして、そんな心に釣られるように口も、動いていく。
「……ねぇ広。そんなに、私の事を思ってくれているの」
紡いだ言葉、後悔するより先に、広が声を発した。
「当たり前だろ。僕に取って陽は大切な人だよ」
涙自体は止まったけど、変わらず涙目のままの広。
そんな彼が言った言葉は……劇薬だった。それこそ、もう止められない程に心が胎動する。心に、体が引き回される。
違うって、分かっているのに。今の広の言った大切は、結と同じもの。私の、大切とは違うって。
でも、理性は動き出した心の前には無力。必死の理性、止めろと告げている。告げているのに、心はとある一点に向かい動き出す。
止めて、止めて、止めて、止めて。
思う、強く、それこそ願うように。でも……それ以上に、動き出した思いは強かった。長年押し留めていた分余計に。
口を開く私。その時、私の頭に過ぎったのは、先程の結の言葉。
『時間なんて関係ないんじゃないかって。先が短くても長くても、きっと、大切なのはどんな時間を過ごしたか』
思い起こした言葉。それに重なるように、私は開いた口から言葉を、出した。
「好きです」
……一旦出してしまった言葉。長年、意識して、それこそ、思うことすら封じていた言葉。
それを開放した。今日、広の前で。
閉じ込めていた言葉と共に、様々な感情が開放され始める。それは私の許容量を超えて、外へと、溢れ出した。
「好きです、好きです、好きなんです。広……貴方の事が、好き……なんです」
涙が止まらない。言葉が止まらない。もう止まらない、止められない。
私らしからぬ、激情に駆られながら、涙を流しながら、私はただ、言い続けた。最初で……そして、最後の、告白を。
次は別視点となります。




