50話 親友の為に 〃
どうして……どうしてこんな事になったんだろう。どうして……どうして世界はこんなにも彼女に冷たいのだろう。
そして、私はそんな彼女に何もしてあげられない。何も……出来ない。私は……一人だ。
落ち込む私。自分勝手に、落ちていく。誰かが手を差し出してくれなかったら、このまま落ち続けていたに違いない。
でも、そうはならなかった。私の隣には彼がいた。弱々しく、ひょろい、頼りがいない彼が。
そんな彼が、唐突に声をかけてきた。
「羨ましいよ、四条さんが」
邪険のない声音。だからこそ、顔を見る前から皮肉じゃない事ぐらい分かってた。けど、それでも顔を上げ、隣にいる彼の顔を向けた私の表情は、いつものようにはいかなかった。
「羨ましい? どうして、何が羨ましいっていうのよ。こんな、私の事を」
歯ぎしりしような程、歯を食いしばる私。
不穏な空気を出す私。けど、それを中和するかのように、彼の出す空気は穏やかで、それこそここが地元を離れた京都の地だと思えないくらいに、彼は落ち着いていた。
「羨ましいよ……だって、陽は四条さんに相談したんだから」
「相談? 陽が、私に?」
「だって、陽の見舞いの際、四条さんだけ一人残ったじゃないか。あれって、陽から病気に関する悩みとか聞かされたんじゃないの」
首を傾げず、ただ私の眼差しを受け止める川瀬君。彼はあの日、私が残されたのは陽の相談に乗ったからだと思っているらしい。確かにそれは間違っていない。けど、予想を超えているに違いない。
だって私が、相談……いや打ち明けられたのは陽がまもなく死ぬという事実。
彼は勘違いをしている。そして、それを訂正する事が出来る。真実を伝える事が出来る。けど、けど私は……。
「……うん、相談された。ちょっと、ね」
言えなかった。
そして、そんな私の言葉を川瀬君は信じたみたいだった。
「そっか、四条さんに相談したか」
ため息を出す川瀬君。そんな彼を見て私は口を開いた。
「どうして、そんな事聞くの」
「どうしてって?」
「いや……羨ましいってどういうことかなって」
「あぁその事」
そう言うと彼は私から目を外し、前方、賑やかな人混みの方を見つめる。最もそれは気まずいとか、後ろめたさといった要因からではないようだった。
「別に、これといった事はないよ。ただ、相談された事が羨ましいってこと」
「相談された事が?」
「うん、だって、悩み事を打ち明けるってことは、それだけ信頼してるって、頼りになるってことだから……その相手が僕じゃなく、四条さんだって事が少し……悔しい」
「……」
「言わないでよね、陽には。恥ずかしいからさ」
そう言って、川瀬君は照れくさいのか、誤魔化すように笑う。けど、それを聞いた私は笑える気分でも無ければ勝ち誇れる気分でも無かった。だって、陽が私に相談したのは、ただ単に想い人である川瀬君には言えない内容だから。
きっと、違う悩み事なら川瀬君に頼んだはず、私じゃなく。
だって、私は……川瀬君達のように幼馴染でも無ければ家が隣同士でもない。ただ……同じ部活動の部員だってだけ。
私は……陽にそれほど思われてない。
だから、否定しようとした。違うって、陽は私の事なんか大切に思ってないって。自分勝手に動き続け、彼女の思いを傷つけ続けた私の事なんて。
でも、その前に、私の思いを遮るように、彼が口を開いた。
「でも、当たり前かな、だって陽、四条さんにべったりだからさ」
「……べったり?」
思わず、聞き返してしまう。そんな私の声に川瀬君は小さく首肯すると話を続けた。
「だってさ、初めてだよ。陽が、僕たち以外であんなに楽しそうに笑うのは……陽はさ、初めの頃は大人しかったんだ。まぁ今でも大人しいけど、でも今よりも、それこそ空気みたいに誰も話さず、誰にも興味示さなかったんだ……陽から話は聞いた事ある?」
「……ううん」
「そっか、まぁ本人からは言わないよね……とにかく、そんな彼女に僕たちは話しかけてやっとの思いで、仲良くなったんだ。そこから、彼女は他のクラスメイト達とも話すようになった。けど……彼女は何処か線を引いて、皆と壁を作っていた。それこそ話すだけでそこいらの女子のように、輪に入ることも無ければ、放課後付き合う事もなかった。女子相手で特別な相手は今までいなかったんだ」
「……」
「だから、四条さんが初めてなんだよ、陽が仲良くなった女子は。それに陽、言ってたんだ、四条さんは親友だって……あっ陽には言わないでよね、多分本人は恥ずかしがるからさ」
そこで、川瀬君は前にある人混みから、隣に座る私へと向き直る。けど、そこで川瀬君の表情に変化が起こった。口が半開き、目は大きく開かれている。それは傍目から見れば間抜けな表情だった。
そんな彼を見て、私は首を傾げる。
けど、その時、頬が異様に冷たく感じられた。
手で頬に触れる私。頬に触れた手を見ると水がついていた。そして私はまた手で頬に触れる。そして先程と同じように、水がまたもや手についた。
今度は目元に触れる。目元は頬よりも水がついていた。それこそ、拭っても拭っても、取り切れないくらいの水の量。
顎から水滴が落ちる。ポロポロと、地面にシミをつくっていく。
ここまでくれば、言われなくとも分かった。泣いているんだと。
「四条さん……」
「あれ、ご、ごめんね。こんな……泣くつもりなんて無かったのに」
目元を何度も拭う。けど一向に涙が止まる様子はない。
その後、暫く私は声をあげる事なく、静かに泣き続けた。
ーーーーーーー
何分経ったか分からない。1分か、5分か、それ以上か。でも、私が泣いている間、辛抱強く川瀬君が、口を挟まず待っていてくれたことは分かる。
そうして、漸く私が泣き終わると、ゆっくりと川瀬君が口を開いた。
「……スッキリした?」
彼の言葉に私は首肯する。
「うん……泣いたら何だか、気分が楽になった」
私は、腫れている目を気にする事なく、笑みをつくる。そんな私を見て川瀬君は一息ついた。
「良かった……大丈夫そうで。それに、最初の時よりも元気になったようで安心した」
「最初って、確かにあの時は酷かったけど……てか、聞きそびれてたけど川瀬君一人? 他の班の人達は」
「あぁそれなら、ちょっとはぐれちゃって。それにスマホの電池も切れちゃったから、どうしたもんかと悩んでて。その時、ちょうど四条さんを見つけたから」
「それで、スマホを借りようと私に声をかけたと」
「そういう事。まぁ悩み事はお互いあるって事だね」
肩をすくめる川瀬君。そんな彼を見ていると何だか悩んでいた自分が可笑しく感じる。
思わず小さく笑ってしまう。クスクスと、決して邪気めいた笑いじゃなく、溌剌な笑い。
今はもう川瀬君に対する軽蔑は無くなっていた。だから、言える。
「ありがとう川瀬君」
「……? どう……いたしまして」
何で礼を言われたのか分からないのか、川瀬君は、要領を得ない表情をした。そして、そんな彼を見てまたもや笑いがこみ上げてくる。
そんな私を不思議そうに見つめていた彼は、左腕につけてある黒を基調とした腕時計に目を落とすと口を開いた。
「もうバスの出発時間だ。皆集まってるかも」
「もうそんな時間」
「うん、だから僕たちも急がないと。置いてかれちゃう」
立ち上がろうとする彼。時間が無い中、悠長なんてしていられない。それは分かってる。でも、私にはどうしても彼に聞きたい事があった。
「待って川瀬君、最後に一つだけいい」
中腰状態になっている彼に私は話しかける。そして、川瀬君は私の言葉に動きを止め、口を開いた。
「短く済むならいいけど……どんな話?」
「川瀬君は、妹の事を諦めたいと思った事はないの」
禁句とも言える事柄を再度私は口にする。そして、言われた側である川瀬君は私を一瞥した後、呟いた。
「諦めきれたら……苦労はないよ」
腰をあげきる川瀬君。けど、その前に私は立ち上がると、彼の行く手を塞ぐように立った。
「最後……じゃなかったのかい、さっきので」
「最後だよ、あの質問で。だからこれは、お願い」
「お願い? 何の」
「明後日、私に付き合って」
次は別視点です。




