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49話 冷たい世界(視点:四条結)

 やってしまった、間違ってしまった、傷つけてしまった。

 そんな思いが、あの日からずっと頭の中を駆け巡る。


 好きなのに、死ぬから……一緒になれない、諦めるしかない。そんな彼女に私は……あぁ何て事をしていたんだ、私は。

 彼女の思いを、決意を踏みにじっていたなんて。知らなかったじゃすまされない。だって、彼女が頼んだわけでもなく、私が、独断でした事だから。


 川瀬君と一緒になればいい、くっつけばいい。そんな事しか思っていなかった。彼女の思いなんて、無視して、嬉しいに決まってると、勝手に思って行動して……。

 

 迷惑だったに決まってる。だって、手に入らないものを目の前に、それこそ手の届く範囲に見せ続けるなんて。そんなの……生き地獄だ。

 嫌だと、思ったに違いない。でも……彼女は言い出せなかった。だって、言ったら隠してた病気の事が明らかになってしまうから。

 だから彼女は隠し続けた。どんなに嫌でも、どんなに迷惑でも、笑って、誤魔化して、受け入れた。


 そして、それが分かるからこそ、苦しく、そして、自分が嫌になる。最低だと思う。許せないと思う。

 けど……本当に最低なのは彼女に対して、謝罪しなかったこと。


 あの日以来、私は彼女と会わなくなった、連絡もしなくなった。

 そして……部室にも行かなくなった。


ーーーーーーー


 あの蒸し暑く、私達を苦しめていた夏は、当に消え去り季節は秋。

 気温が下がり、過ごしやすくなった今日この頃、私達は地元を離れ京都に来ていた。


 修学旅行だ。

 私達高校生にとって、一番のイベントと言って差し支えない行事。

 皆浮かれていたし、実際ほんの数カ月前までは私もそうだった。それこそ、ひとりでに図書館に行って、京都のガイド本を借りてくるほどにあの頃は、楽しみで仕方がなかった。


 けど……今は違う。今の私に楽しむ余力なんてものは無い。

 今の私は、生きた屍の如く、目の前に流れる風景を目に入れるだけ。


 修学旅行二日目の今日、私達は清水寺に来ていた。


 修学旅行前までは、あんなに楽しみにしてたのに、いざ来てみれば、何の感慨も浮かばなかった。

 清水寺の舞台に立っている今、ただ、高いなと思ったくらい。

 それ以上に、目についたのは、人の波。


 ここに来るまでも人は大勢いたけど、それでもこんなには多くは無かった。

 私がいる清水寺の舞台には多くの人がいた。外国人も大勢いたけどそれ以上に目につくのは学生服の人達。私達以外にも多くの学校が修学旅行出来ているぽかった

 それもあってか、わいわい、ガヤガヤとあちこちで溌剌とした言葉が飛び交っている。


「チョー高くない、てかマジスゴイ。写真撮ろうよ」

「喉乾いたぁ〜水〜」

「おみあげ何買った?」

「狭え、早く動けよ」

「なぁ早く滝行こうぜ滝」

「清水寺の舞台から飛び降りろ、だっけ?」

「三重塔、思ったりより大したことなかったね」

「バスに戻ってゲームでもやろうぜ」 

「石の奴ってここからいけるっけ?」

「買ってやったぜ、木刀をな」


 周囲に満ちるは雑多で、人の気持ちなんて気にもしない煩く耳障りな言葉ばかり。

 気にもしないようにしても、言葉は耳に入ってくる。そして、脳を、心を刺激していく。その度に、落ち着かなくなる、変にイライラする、気分が悪くなる。


 足が床を叩く。その度に木材特有の反発が帰ってくる。

 そして、反発された勢いのまま、再度床を叩く。トントンと、小刻みに。けど、そんな私の思いなんて、知る由もなく、人々は耳障りな雑談を続けていく。


 私は思わずにはいられない。あそこは違ったのに、と。


 あそこはそんな事無かったのに。あそこはこことは違って何時だって静かで、穏やかで、居て気持ちが良かった。


 でも、その場所はもうない。もう終わった。

 現実は静寂とは無縁の世界で、煩く、煩わしい。穏やかさなんてここにはない。

 でも、そうだと分かっていても、私は動かずには居られなかった。私の足は早歩きになる。そして、私は人の目を気にせず、人を押しのけると、その場を離れた。


ーーーーーーー


 先へ先へ、もっと先へ。

 喧騒から逃れるように、私は足を進める。けど、修学旅行シーズン真っ只中、清水寺にそんな場所があるわけが無い。

 紅葉を背景に、沢山の人が闊歩する。和気あいあいと楽しそうに、騒がしく。


 私の視線は、どんどん下がっていく。けど、それでも耳は閉じられない。

 煩い声、煩い虫の声。煩い足音。全部全部癪に触る。苛つく。


 歩く速度がどんどん早くなる。けど、体とは違い、心は反比例するかのごとく弱っていく。苛つくたびに、歯こぼれするように心が摩耗していく。だから、私がベンチに座ったのは体が疲れたからじゃない、心が疲れたから。


 ダークブラウン調のベンチ。人波の隙間から、喧騒の外れに見えたそのベンチに私は座った。端ではなく、真ん中に。


 日陰ではなく、日差しの中にあるベンチは、休むには、格好の場所とは言いづらい。でも、座れる場所があるというのは、それだけでも有り難かった。


 ため息が出る。ハァと、深く長い、ため息。上げた視界に入るは何処までも続く青空。雲なんて何処にもなくて、それこそ、晴天と言うに相応しい青さ。


 きっと、皆楽しんでる。今のこの時間を、このイベントを。でも、彼女は楽しめない。そして、それを知る私も。

 空へと向けていた視線を一転、地面へと向ける。

 濁った色の土。芝生では無い剥き出しの地面は、青空よりも見易く、そして、汚い。

 けど、そんな地面から目が離せない。今の私は。


 ずっと見ていた。それこそ、長い間。影の伸びる方向が変わる位に。それに気づいたのは、私が暇人でも、几帳面だからでもない。外的要因から。

 私の視界にこれまで入っていたのは、小汚らしい地面と自分の小さな影、それだけだった。けど、それに第三の要因が入ってくる。

 私の影が伸びる方向から、大きな影がやって来た。そして、その影は私の名を読んで来た。


「四条さん、大丈夫?」


 気骨のない、なよなよしく感じられる声。その声には心当たりがあった。けど、同時にこうも思った、よりにもよってお前かと。

 私は頭を上げる。そこには、私が想像した通りの人がいた。


「……元気だよ、川瀬君」


 黒髪、黒目、顔も体格も、そこいらの学生を平均化させたような存在。川瀬広が目の前に立っていた。

 そして、そんな彼は私の言葉を受け、目を細めた。


「元気って、そんな風には見えないよ。顔だって青白いし」

「もとからだよ、これは。川瀬君に言われるいわれはないよ」

「もとからって、四条さんはもっと血色が良かったじゃないか。やっぱり何処か悪いんじゃ」

「いいから、ほっといてよ。良いじゃない、顔色が悪くても良くても。あんたには関係ないんだから」


 口が悪くなる。けど、それを悪いとは思わなかった。だって、本当に私は、彼の事を軽蔑していたから。だから寧ろ、弱すぎたと思うくらい。

 彼を退かせるには、これで十分だと思っていた。だから、彼が私の言葉を受けても、その場に留まっていることに、少なからず私は驚いた。


「関係なくないよ、だって四条さんと僕はもう知人なんだから」

「知人って……」

「飲み物でも飲めば元気になる? すぐ近くに自動販売機があるから買ってくるよ」

「買ってくるって……あっちょっとまって川瀬君」


 私の返答を聞かず、自動販売機へ駆け足でいく川瀬君。

 彼はあんな性格だっただろうか。私は考える。けど、私の記憶にある川瀬君は、あんな積極性に豊んだ人物じゃなかった。


 私の為……なのかな。私は自動販売機を前に立っている川瀬君を見る。今、川瀬君は私の方を見ていない。だから、彼に気づかず、この場を離れる事も出来る。

 けど、不思議と今の私は、その選択肢を選ばなかった。

 彼がやって来る。両手に150mlのペットボトルを持って。


「お茶と水、どっちがいい」

「……水で」


 私がそう答えると、彼は躊躇わず水の入ったペットボトルを差し出してきた。

 透明で澄んだ水……まぁそこいらの水道水じゃないから当たり前だけど。けど、私にとって、彼の行動は当たり前には見えなかった。

 だって、川瀬君は私に飲み物を渡した後、さも当たり前のように、私の隣に座り込んだのだから。

 ベンチの中央に座っていた私。だから、必然と私は彼から距離を置くように、端へと移動しなくちゃならなかった。けど、そんな私の行動に一瞥くれず、彼は残っていたお茶のペットボトルを開けると飲み始める。そんな彼の横顔は、不安なんてこれっぽっちもないような、穏やかな顔だった。

 そして、そんな彼を見ていると、私は口を開かずには居られなかった。


「……良く話しかけてきたね、私に」

「ん、何で?」


 ペットボトルから、口を離し首を傾げる川瀬君。

 ……やっぱり変だ。だって、あんな事があったのに。普通なら顔を合わせない筈なのに。なのに、こうして話しかけてくるなんて。

 だから、私は弱々しく、彼に向かい声をかけた。


「だって、可笑しいじゃない。だって、川瀬君。貴方は私に言ったのよ、自分の秘密を」

「秘密……?」

「妹さんが好きだってことよっ」


 思わず語尾が強くなる。

 それと同時に、言いえもしない感覚に口の中がとらわれる。それこそ、言った事を後悔する程に。

 歯噛みする私。一方、隣にいる川瀬君は、苦々しい顔もしなければ、目線を落とすこともしない。

 ただ、照れ笑いを浮かべながら頬を掻いていた。


「そうだったね、四条さんには、伝えていたんだった」


 たった一言、何事もないかのように言う彼。けど、そんな彼のことが私には、理解できなかったし、信じられなかった。だって……そんな、アブノーマルな秘密を打ち明けておいて平気でいられるなんて。


 開けられていないペットボトル。両手で握っていたそれを私は強く握る。けど、水いっぱいのそれは、潰れることなく、私の手に反発してくる。その感触を両の掌で受けながら私は再度口を開けた。


「伝えていた、それだけ? それだけですむ問題なの」


 最初の頃の弱々しい声はもうない。私の口から出るのは相手を貶めようとする鋭い言葉だ。

 そして、それを受ける彼の言葉は、最初の時と変わりない。


「始めは違ったよ。それこそ、陽のお見舞いで鉢合わせした時は気まずい思いはあったし」

「じゃあ今は違うっていうの」


 私は、隣にいる川瀬君の方を向き話しかける。けど、川瀬君はと言えば私の方を見ていない。川瀬君は私と同じように、両手握っていたペットボトルに視線を落としていた。

 けど、彼の持つペットボトルは私のようにいっぱいじゃない。既に半分位の量しかなく、それを彼は手首を動かし、中にある透明じゃない水面を動かしていた。


「今も少しはあるよ、気恥ずかしいとか気まずいとかそんな思いは。けど、それ以上に安堵してるんだ」

「……安堵?」

「うん、だって、漸く言えたって思ったから」


 彼の表情が変わる。その言葉を言ったとき、彼は……安堵じゃなくて、辛く寂しそうな横顔をしていた。

 そんな彼の横顔と彼女の面影が重なる。ノイズが入るみたいに、不明瞭に、けど彼女だと分かるぐらいに。

 そして、気がついた時、私は口を開いていた。


「辛かったの」

「えっ?」


 彼の顔が私へと向く。目が合う。けど、私は避ける事も逃げる事もせず、言葉を続けた。


「妹が好きって、周りに言う事が出来なくて」


 何を言っているのだろうと思った。口走った言動だと。けど、不思議と撤回する気にはなれなかった。彼の答えが、気になった。

 そして、私に見つめられながら、彼もまた逃げる事なく口を開いた。


「辛かった……と思う」

「……」

「だって、言えるものじゃないしね。妹が好きだなんて、それこそ言ったら最後軽蔑される、気持ち悪がられる……四条さんだってそうでしょ」

 

 同意を求められた私。私は彼の言葉に静かに頷いた。そして、私の返答に彼は真面目だった表情を崩さない。


「普通だよ、それが。僕にもそれが分かってた。だから言えなかった。見治や陽や……両親や妹には」

「……」

「けどね、言えなかったからと言ってそれが消える訳じゃない。いや、寧ろ言わない、外に出さないことで膿みたいに溜まっていく。どんどん悪化していく、思いに……潰される。あの頃には分からなかったけど、今にして思えば相当無理してたんだと思う。昔の僕は」

「……今でも妹さんの事好きなの」


 気づけば私は聞いていた。決定的な、彼女の思いが砕かれるかもしれない事を。

 そんな、重要な、深刻な、重い質問に、彼はあっさりと答えた。


「好きだよ、今でも」


 ……嘘じゃない。理性じゃなくて、本能とも言うべき感覚がそう告げている。だからこそ、私は受けざるを得ない、逃げられない、無かった事に出来ない。


 頭が重く感じる。それに腕も。

 私は川瀬君から視線を外す。そして、宙に浮いていた腕を膝に付ける。背中を丸める。頭を下げる。

 目に入るは両手に握られた、透明な液体で満たされたペットボトル。

 キラキラと、太陽光を反射し輝く。けど、その小さな輝きすら今の私には……眩しすぎた。

次も四条結視点です。

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