45話 恋(視点:愛梨陽)
昔の私は普通だった。
普通に笑って、普通に悲しんで、普通に怒って。
普通に友達と遊んで、普通に両親に愛されて。
何かも普通。違うのは、少し体が弱かった事ぐらい。息切れは激しいし、力もない。けど、本当にそれだけだった。
幼稚園に通っていた頃の私は、大人になれば治ると思ってた。大人になれば、息切れもしなくなるし、力も強くなると。
けど、そんな願いは叶わないと、私は知った。
ある夜、トイレで起きた私は、リビングでの両親の話を聞いてしまった。
そして、聞いていた事を両親にも知られてしまった。
でも、その時はまだ、私は普通だった。確かに自分の病気には驚いたし、簡単に受け入れられなかったけど。けど、それでもその時の私は、まだ友達と仲良く遊んでられた。
変わったきっかけは、自分の運命を知ったからじゃなくて、それが何を意味するか知ってからだった。
幼稚園で飼っていたウサギが亡くなった。多分寿命で。
皆泣いてた。ギャーギャーと、悲しんでた。そして、そのなかで私は、上手く泣くことも、悲しむ事も、出来なかった。多分まだ自分の運命を上手く受け入れられていなかったからだと思う。
私はウサギが好きだった。だからこそ、上手く悲しむ事が出来ないことが、悲しいと同時に、次のウサギさんには悲しむ事が出来るくらいに、愛してあげたいと思った。
だから、私は楽しみに待った。新しいウサギさんはいつ来るのかなと。でも、いつまで経ってもウサギは来なかった。
我慢出来なくなって、私は先生に聞いた。
いつウサギさんは来るのって。
そんな、私の質問に、先生は少し困ったような顔になったのを覚えてる。
先生は言った。もう、ウサギさんは来ないのよって。
私は不思議だった。だって、ウサギさんが亡くなってしまった今、代わりのウサギさんが来るものとばかり思ってたから。
当然園児だった私は聞いた、どうしてと。
そして、その私の質問に先生はこう答えた。
別れが悲しいからよと
今にして思えば、きっと園児の親御さんからクレームが入ったんだと思う。幼い子に生き死にを刻み付けてどうするとかなんとか。
だから、この先生の言葉は、きっと、その場逃れの言葉だったんだと思う。でも、それが、あの頃の私には分からなかった。
あの頃の私には、先生が本当にそう思っていると思った。それは、あの頃の私がクレームという存在を知らなかったというのもあるけど、それ以上に、心に来たから。
そっか。
別れが悲しいなら出会わなければいい。触れあわなければいい。
幼い頃の私は、先生の言葉からそう思ってしまう。思ってしまった。
それからだった、私が変わったのは。
笑わなくなった。悲しまなくなった。怒らなくなった。
友達と遊ばなくなった。両親に甘えなくなった。
だって、私は死ぬから。皆より先に逝くから。だから、皆と関わらない方がいい。
その時の私は本気でそう思ったし、そしてそれは熱こそ変わったけど今でもあまり変わりない。
そんな私でも幼稚園の卒業をすれば、新たな環境に身を投じる事になる。既に築かれている関係が混じっている環境へと。
小学校へ進学しても、他人との関係はきれない。だってそこには同じ幼稚園から進学した子たちもいるから。だから、嫌だった。私を知っている子がいるのが、一人で居られないことが。
だから、私は両親にお願いした。引っ越ししたいと。
でも、だからといって引っ越しだなんて。あの頃は随分無理を言っちゃってたなと今になっては思う。でも、あの頃はその思いで一杯だったし、それに、その願いを聞いてくれる土壌もあった。
両親は快諾してくれた。それも、即決で。
両親としても、余命幾ばくもないことを知られてしまった事への罪悪感を抱いていただろうし、それに近頃甘えてくれなかった娘の願いとなれば、それが引っ越しだろう何だろうと、叶えてあげたかったに違いない。
他人との関係は切れても、家族との関係は切れない。
その事をこの件で知ると共に、私は考えを一部改めた。私は両親の事を愛した。それこそ、自分の運命を知る前よりもずっと深い愛を、両親に捧げた。
人と関係を持っちゃいけないと思いながらも、私は、私の事を愛してくれている両親とだけは、関係を持ち続けていたかった。
ーーーーーーー
両親を愛するようになった頃、私は新たな街で新たな学校に通っていた。
小学一年生、希望にあふれる年頃だ。人と関わりを持ちたがるピークだと言っても良いかもしれない。
けど、そんな中で、私は誰とも関係を持たなかった。誰一人、口すらも聞かない。それこそ、学校の先生が、私が喋れるのかと心配になったほど、私は口を開かなかった。
その頃、人と交わらなかった私がすることと言えば、本を読むことだった。
今でこそ、好きな本だけど、あの時の私は人と関係を持たないための言い訳、逃げ、だった。
だから、他人から見たらつまらない顔に見えたに違いない。実際、あの人に話しかけられた時も、遠回しにそんな風に言われた。
『一緒に面白いことしようよ』
小学校に入学して、しばらく経った頃、私は唐突にそう声をかけられた。
その時も私は本を読んでいた。そして、そんな私を皆は最初こそ、からかっていたけど、今はもう居ないものみたいに扱ってくれた。
だから、今となって声をかけられた事自体が珍しくて、私は思わず顔を上げた。
声をかけてきたのは、見知った男の子だった。引っ越した先の、隣の家に住んでいる同い年の子。両親と一緒に挨拶しに行った時と同じように、活発で、元気が有り余っているような、そんな、子。
そして、そんな子の後ろに隠れるようにして、別の男の子がいた。その子は声をかけてきた子とは違い、恥ずかしがりやなのか、前にいる子の裾を掴んで隠れるように身を縮めている。
正反対の子供たち。そしてそんな彼らに声をかけられた私。けど、だからと言って変わることは何もない。これまでも、そしてこれからも関わりを持たないことは。
『……』
無言を貫き通す私。
そして、そのまま本に目を落とす。
人との関わりを断つために。誰とも関わらない為に。
そして、その効果は確かにあった。だって、こうすれば皆折れて立ち去ってくれるから。この時もそう。その二人組の男の子達も、気づけば、私の前から消えていた。
けど、その子達は他の子とは、違ってた。
だって、次の日も声をかけてきたんだから。
『一緒に遊ぼうよ』
次の日も。
『一緒に外に出ようよ』
次の日も。
『一緒に話そうよ』
ずっとずっとずぅ〜と、私に声を掛け続けてきた。私がどれだけ本を読んでいたって、無視したって、蔑ろにしたって、彼ら、もとい彼はずっと、私に話しかけてきた。
一体どこからそんな熱意が来るのと思うくらいに、彼は諦めない。
そして、そんな日々が続けば、子供ながら抱いていた硬い意志も、揺らいでしまう。
そして、そんな日がやって来た。
『一緒に、鬼ごっこでもしない』
繰り返し、掛けられ続けてきた言葉。一緒に、一緒に、一緒に。
そんな言葉を耳にタコが出来る程聞いてきた私は、ついに我慢出来なくなった。本を机に置き、私は顔を上げた。
『一体、何なの貴方……は』
久しぶりに顔を挙げた私の目に写って来たのは、彼の……変顔だった。
それこそ原型が分からないくらいに、崩れてて……可笑しくて……私は……。
『プ、アハハハハハッ。何なの、その、顔』
笑ってしまう。約一年ぶりのそれは、腹が痛くても、涙が出ても、止まらなくて、そして暖かった。
そして、そんな私を彼は黙って見守ってくれていた。しばらく経って、ようやく私が笑い終わった頃、変顔を止めていた彼は口を開いた。
『やっぱり、その方が似合うよ』
彼は言った。裏表のない、何の悩みもない、曇りのない綺麗な笑顔を携えながら。
そしてそんな彼の笑顔を見たとき、微かに胸が熱くなった……。
ーーーーーーー
それからの日々は、幸せで、楽しくて、ずっと……胸の中に残ってる。
人と関わらなくなったあの頃の私。そんな私が、彼らと関わりたいと思った。彼らと笑い合っていたいと思った。
見治、添ちゃん、そして……広。
皆と過ごす日々は、私を普通にさせてくれた。彼らとなら私は普通の人として、過ごせると思った。
だから、私は……普通じゃない物を隠した。これからも笑い続ける為に。これからも彼らの隣に居続けるために。
でも……隠したからといって、無くなった訳じゃ無い。ずっと、それは私の体の中にあって、そして、存在を訴えかけるように、大きくなっていく。
それに釣られるように、私の体は自由じゃ無くなっていく。
未来が……見えなくなる。
……目を逸らし続けてきた。病気の事も、そしてそれ以上に、私の中にある想いに。
それは、きっと最初からあって、そして彼と一緒にいる間もあって。
それは、時間と共に大きくなって、無視……し続けるのが辛くなって、どうしようもなくなって。でも……それでも私は、目を逸らし続けた。
だって、私は死ぬから。
いくら彼と一緒に遊んでも、勉強しても、笑い合っても、それは今だけの話。だって、その先に、私は居ないから。
一緒に歳を取る事も、一緒に大人になる事も、一緒に……笑い合い続ける事も出来ない。
だって、私は一緒には居られない……から。
この想いはいけないもの、この想いは許されないもの。
私はいけない…………………………恋をしている。




