43話 もう元には戻れない(視点:川瀬広・四条結)
今回は前半が川瀬広、後半が四条結視点となっております。
話してしまった、打ち明けてしまった。
妹が好きだという、秘密を僕は、始めて他人に打ち明けてしまった。
この打ち明けた、というのが問題だ。打ち明けたのが、四条さんだというのは些細な問題に過ぎない。
僕は初めて打ち明けてしまったのだ、絶対に隠さねばならない秘密を、絶対に表にしてしまってはいけない秘密を、絶対に内に秘め続けねばならない秘密を。僕は……発作的に言ってしまった。打ち明けてしまった。
けど……不思議と僕は、布団の中で悶えるような気分でも無ければ、叫び出したい発作に襲われる事も無かった。僕は……後悔しなかった。いや、それどころか、僕は……今までよりも、力が漲っていた。
体の中から活力が湧いてくる、体が軽い、頭がスッキリしている。
つまるところ、ここ最近の中では、一番元気だった。
その原因は、きっと秘密を打ち明けたから。
小学生の頃から抱えていた秘密は年月と共に肥大化し、漏れないようビンにコルクを挿し込むように、僕の心を閉ざしていた。けど、それが今は抜けた。解放された。
晴れやかな気分。それこそ、口笛を吹きたくなるような、そんな気分だった。
だから実際、僕は秘密を打ち明けた後、帰りにゲーセンによったり、一人映画に行ったりと散財した。そして、それを無駄だとも思わなかった。だだずっと、幸福感とでも言うのか、何かしたいといった活力に豊んだ気分だった。
そんなこんなで、僕は外で遊んだ。家に連絡せず。当然両親は心配しただろう。いつもは直帰する筈の息子が夕食の時間になっても帰ってこないんだから。
家に帰ったのは真夜中に差し迫ったころだった。当然ながら僕は怒られると思った。だから、玄関の扉を開けるのも億劫だったし、それに家に入った直後、足音響かせ母さんが現れた時には、漲っていた活力が消え、消沈した思いになりそうだった。
けど、現れた母さんは、怒り心頭といった表情でも、まして心配そうな顔でもなかった。母さんは、混乱と怯えが混在したような表情になっていた。
だから僕は言ったんだ。開口一番何かあったのって。別にそれは皮肉のようなもので、本気で何かあったとは思っていなかった。
けど、その皮肉は通じなかった、意味が通じなかったんじゃなくて、本当だったから。
陽が倒れた。
それを聞いて、明るく見えていた筈の世界は、光度がおちたみたいに、元の暗い世界へと戻っていった。
ーーーーーーー
翌日の放課後、僕は病院に来ていた。
陽のいる病院が何処か両親に聞き出して来た格好だ。
両親は、そこまで深刻ではないと言ってたけど、それでも心配なのに変わりない。だって、陽が倒れたのは初めてだ。これまでは体調を崩す事や検査とかいって入院することはあったけど、倒れそのまま入院なんてことは無かった。
だから、一刻も早く陽に会いたかった。実際どうなのか、知りたかった。だからこうして、学校終わって直ぐ来たのだ。
けど……それは軽率だった。だって僕がそう思うように、他人もまたそう思う筈だから。
病院入り口にて僕は鉢合わせしてしまう。同じ学校の生徒で、そして……今一番出会いたくない人物に。
「四条さん……」
「……川瀬くん……」
秘密を明らかにした翌日、僕は秘密を告白した相手である四条さんと出会った。
ーーーーーーー
気まずい。
幾ら秘密を打ち明けた事によって気分が晴れたと言っても、秘密を打ち明けた本人と居るのは、気分が良いものじゃない。
だって僕は彼女に、妹が好きだと、近親愛を打ち明けたんだ。会いたくないのに決まってる。
それなのに……何故、彼女はついて来るのだろうか。
今、僕は四条さんと一緒に病院内を歩いていた。別に一緒に行こうと提案した訳じゃ無い。僕らは入り口で出会った後、一言も会話していない。現に今も、僕らは視線を合わせず、ただ黙って歩き続けている。
きっと、目的地が同じだから。
遠慮すべきだったのだろうか。お先にどうぞと言わんばかりに、出会って直ぐに周り右をすべきだったのだろうか。
後悔したって遅い。あの時、僕は陽に会いたい一心だったし、それはきっと彼女だって同じ。だから、こうして一緒になっているのだから。
思いは同じ。でも、仲良くはなれない。だから、僕は彼女に会ったとき、別の意味においても安堵した。もう二人きりじゃないって。
502号室、個室であるその病室に彼女がいた。
風にはためく白いカーテンを背景に、長く黒い髪が存在感を放つ。
制服ではなく、病院服ではあったけど、管らしきものが何処にもさされてなく、涼し気な顔で本を読む彼女。
陽は学校と変わらぬ姿で、そこにいた。
「あれ、広。それに、ゆ」
「うわぁぁ陽~~」
陽が僕らに気づいて僕らに声をかけてくれたのに、隣にいる四条さんがいきなり陽に向かって走るとそのまま、ベットにいる彼女の膝元へ顔を埋めた。
いきなりの事で当然僕は驚いたし、それは陽もまた同じだった。
「ちょっ、結どうしたの。いきなり抱きついて来て」
「だってだって、ほんとに心配したんだから。倒れたって聞いて、けど陽がどんな具合か分からなくて。もし、死んじゃってたらどうしようって。ほんとにほんとに怖かったんだから」
「心配症なんだから結は。大丈夫だよ。ここにいるから」
そう言うと陽は、膝元へいる四条さんの癖っ毛の髪を撫でる。まるで、母親が娘にするみたいに。
そして、四条さんも黙って受け入れる。僕からは四条さんの顔は分からないけど、もしかしたら彼女は泣いてるかもしれない。
さっきまであんなに無愛想で、僕の事を避けていたのに。そんな彼女がここまで陽の事を思ってくれている。それがなんだが嬉しくなると共に、四条さんの印象が僕のなかで和らいでいくように感じた。
もう大丈夫、いつもの僕だ。僕は四条さんに抱きつかれたままになっている陽に口を開いた。
「元気そうで良かったよ」
「うん、私も広に会えて良かった」
「私は、私は」
「結も来てくれてありがとう。嬉しいよ」
「へへっ、それはどうも致しまして」
四条さんは陽の膝元へ埋めていた顔を上げると、微笑む。無論、僕からは彼女の表情は見えないからこれは想像なんだけど、声からそう思えた。
陽は学校の時と本当に何も変わっていなかった。こうして、優しげな微笑みで、僕らを歓迎してくれる。
最も、ここに彼がいたら、もっと良い笑顔になってくれたかもしれないけど。
「あれ……見治は?」
陽は僕の方、いや詳しく言えば病室の戸口の方を見つめる。
そんな彼女に対し、僕は口を開いた。
「いや、誘ったんだけど、試合が近いからとか言って来なかったんだよ」
「……そう、ならしかたないね」
陽は、少し寂しそうに笑った。
それを見て、僕は申し訳ない気分になる。だからそれを誤魔化すように口を開いた。
「いやぁ、一生懸命誘ったんだけどさ。大事な試合だがなんとか言って。まったく幼馴染が倒れたんだから、お見舞いくらいくれば良いのに」
「良いよ。見治には見治の都合があるから」
「でも……」
「ほんとに大丈夫だから……て、それ三間堂の?」
「あぁこれ?」
静から一転、動へと転じる陽。彼女は僕の持っている紙袋を指差すと、明るげな声を出す。
話題を変えたがっているのかもしれない。そう勝手に想像した僕は、持っていた紙袋を彼女に渡した。
「うん、お土産。陽、ここのどら焼が好きだったと思ったから」
「よく覚えてたね。広の前では長いこと食べてなかったのに」
「覚えてるよ……て、このやり取り最近にもあったね」
「ふふっ、本当にね」
彼女は微笑みを返してくれた。それを見て、僕は改めて安堵した気分になる。
そんな僕らに続くように、四条さんもまた口を開いた。
「私だって、お土産ぐらい持ってるもん。陽、はいこれ」
「ん、ありがとう結……て、これ今日発売の玉水先生の新刊じゃない」
「陽、最近この先生の本が好きだもんね」
四条さんは明るげな声を出す。それこそわざとらしい程。
彼女が僕に対抗心を燃やしたのは明らかだった。でも、僕はそんな彼女の行動を嬉しく思う。
僕は昔から陽の事を知っているけど、逆に言えば今の陽の事はそれほど詳しい訳じゃない。今の陽の事は、四条さんの方が良く知っている。
陽の事を思ってくれる人が居ること事態が嬉しい。あの時、出会った当初の頃を思えば、それこそ。
ーーーーーーー
「陽、体調どうなの。平気?」
「平気だよ。じゃないとこうして倒れた翌日に面会なんて許してくれないでしょ」
「それはそうなんだろうけど………どうして倒れたの」
「それが夏バテ……みたいで」
「夏バテ?」
「うん、ほらここ最近暑かったでしょ。それで体が上手く対応出来なかったみたいで、倒れちゃった」
「倒れちゃったったじゃないでしょ陽。もう私がどれだけ心配したか」
「ごめんね、結。それに広も」
「ううん、大丈夫だよ。けど、夏バテでよかった。陽、体が弱いから、もしかしたらって不安だったから」
「うん、私も夏バテで良かった。けど、もう少しくらい頑丈にならないとね。じゃないとあと何回倒れるか分からないもの」
「ほんとに。だったら本じゃなくて、筋トレグッズでも持ってくれば良かった。ほら、こんなに腕が細い」
「あぁ、ちょっと結、急に触らないでよくすぐったいんだから」
笑う陽、笑う四条さん。そして、僕も笑う。
病室は笑い声で包まれる。
聞いたときはあんなに不安だったのに、心配だったのに。今はそれがない。だって彼女はあんなに元気で、そんな彼女を見てると僕らも元気になれるから。
……これからもずっと、昔みたいに、今みたいに、こんな日が続いていけば良いのに。
あの頃から変わってしまった筈の僕はふと、そう思った。
▲ーーーーーー▲
不安だった、本当に。
だって、倒れたって、いきなり言われて冷静になれるわけがない。
だから、聞いたその日に、お見舞いに行った。まさか川瀬くんに出会うとは思わなかったけど。
はっきりいって、彼とは会いたくはなかったし、一緒にいたくもなかった。妹好きの変態となんて。
でも、それ以上に、私は陽に会いたかった。
陽は元気だった。それこそ、変わらぬ姿でそこにいて、彼からもらった髪留めを変わらずつけていた。
……それにしても、夏バテだなんて、全く人騒がせなんだから。けど、本当に元気で良かった。
心の底から私はそう思った。
ーーーーーーー
「結、ちょっと残ってくれない」
日が沈みかけた頃、帰ろうとした私は陽に呼び止められた。
「私?」
私は自分の顔を指差す。そして、そんな私の仕草を見て、陽はうなずく。
それと同時に、川瀬くんが口を開いた。
「じゃあ僕はこれで。修学旅行一緒に行けそうで安心したよ」
「うん、修学旅行の時は宜しくね。じゃあね広」
手を振る両者。
こうして、病室には邪魔物の川瀬くんがいなくなり、私と陽、二人だけとなった。
当然、私は嬉しかった。何か用事があるんだろうけど、それでも彼女と二人きりでいられることが嬉しい。彼がいなくなった分、思う存分話す事が出来る。あんなことやそんなこと。最近部活がなかった分話してやろうと思った。
「で、何か私に用事があるの陽」
にやついた表情のまま、私は近くに置いてあった丸椅子をベットまで引っ張ると座る。そうして、私は陽と顔を合わせた。
「うん、ちょっとね」
「遠慮することなんてないって、部活動の事? それとも学校の事? それとも男がいると話せないこと?」
「何想像してるの結。そんな事じゃないって」
「じゃあ何々、話してみてよ。力になるからさ」
「ほんとに?」
「ほんとほんと」
私はにやついた表情のまま首を振る。
考えなしに、ただ有り余る元気を消費するように。
そして、そんな私を見て、彼女は笑った。部室でいつも見せるあの笑顔を。
けど、その笑顔は変わっていく。彼女の透き通る瞳に影がさし、僅かにつり上がっていた口角は下がっていく。
彼女の笑顔は……寂しさを伴わせるものへと変わっていった。
そして、そんな彼女の笑顔を見て、私の心に一抹の不満が生まれる。にやついた表情も消えていく。
「……陽?」
私は呼ぶ、彼女の名を。
そして、それに答えるように彼女は、口を開いた。
「いつか、言わないといけないって思ってた。けど……こんなに遅くなっちゃった」
「……何を?」
彼女は、そこで、私から視線を外す。
彼女の顔は、風によってたなびくカーテンへと、外の光景を映す窓へと、向けられる。
そして、彼女はまるで、空へと告白するかのように、小さく、けど、消える事ない声を、だした。
「私、もうすぐ死ぬの」




