42話 日常の終わり(視点:高城見治)
38話から今回の42話までは同時刻での別々の場所での話となっています。
言わなければ良かった。
残ったのは、一線を超えてしまったという事実。そして、罪悪感と後悔。
言う前は、頭がゴチャゴチャになって……意味が分からなくなって、苦しくなって、けどどうして苦しいのか分からなくて……楽になりたいとただそう思った。
けど、言ったからって楽に慣れるわけじゃない。苦しみから開放されても、また新たな苦しみにとらわれるだけ。それを俺は分かっていなかった。
胸が痛い、気分が悪い。ハッキリと理由がわかる分、前よりもっと苦しい。だが、帰ることは許されない。
まだ、途中なのだ。だから俺は……居続けなければならない、ここに、彼の隣に。他人を偽り自分を偽り、何事もないように、俺は皆とこれからも接し続ける。
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気分の悪さは日曜、月曜を挟んでも終わることはなかった。あの時と変わらず、後悔と罪悪感が胸を締め続けている。
それは火曜日も同じであり、朝の教室に入り、広や陽の姿を視界に入れると余計に痛く苦しくなった。しかし、それを察せられてはいけない。だから、これまで通り俺は広の前の席、自身の席へとついた。
俺は広とこれまで通りの代わり映えのしない挨拶を交わす。そしてそんな挨拶の後、朝のホームルームまでの時間、俺は広と雑談を交わすのが常であった。それは、今日も変わらない。ただ、今日は少し広が晴れやかな表情をしているのが気になった。
「見治、少し良い?」
「良いけど、どうした改まって」
改まった口ぶりの広。けど、口とは裏腹に表情は、先程と変わらず真剣な顔つきではなかった。だからこそ、嫌な気がした。
「実は、僕話したんだ」
「何を?」
「陽に、僕の事が好きかどうか」
……きっと食事中だったら、箸を落としていたに違いない。
広の言葉は衝撃だった。言ったって? 自分の事が好きかどうか? 何て……図太いんだ。普通は聞けない。少なくとも俺は絶対。
「……本当に聞いたのか? その……本人に直接」
「うん、直接聞いた」
ハッキリと広は言い切る。
そしてそんな広の事を凄いと、俺は思った。やる時はやる男とでも言うのだろうか、昔からそこは変わっていない。
だからこそ、気になった。陽がどんな答えを言ったのか。彼女は昔と変わったのかどうか。
「それで……陽はなんて答えたんだ」
「違うって、ハッキリと否定されたよ。友達だってさ」
そう言って広は笑った。最初っから分かっていたと言わんばかりに。けど、俺としては彼女の答えは驚きのものだった。だって、否定するとは思わなかったから。
好きな人に、そう尋ねられたら認めるか、照れて誤魔化すかどちらだ。
けど、広は言った。ハッキリと否定されたと。
陽は何故、否定したのだろう。広の事が好きじゃないとか? いや、それはあり得ない。近くで何年も見てきたから分かる。間違いなく陽は、広の事が好きだ。
なら……なんで、陽は否定したんだ。分からない。ただ、このままずっと黙っている訳にはいかない。
だから俺は口を開いた。
「間違っていたみたいでごめんな」
何とか取り繕い、俺は言葉を発した。相変わらず理由は分からないが。
一方、俺のその場しのぎの言葉を受けた広は首を振った。
「謝る必要ないよ、寧ろ僕は感謝しているんだから」
「感謝?」
「うん、感謝。だって、お陰様で陽とこれまで以上に仲良くなれたんだから」
そう言って広は笑った。皮肉ではない、本音だ。彼は本気でそう思ったのだ。
だからこそ、それを受けた俺は、再び苦しくなる。混沌とした物が胃の中に生まれ、頭の中には糸が絡まったみたいに思考が定まらず、吐き気がする。
あぁ、やっぱり逃げられないのか……いや、逃げ切って見せる。そう……決めたのだから。
「そうか、それは良かったな」
俺は努めて明るい声を出す。広の言葉を受けた後でも。
そんな俺の言葉に続くようにチャイムが鳴る。それと同時に教室の扉が開き教助先生が入ってきた。
それを見て生徒たちは席へと着席する。無論俺も広の方を向いていた体を教卓の方へと向き直した。それに伴い感じていた吐き気や苦痛も和らいでいく。
チャイムがなったのは幸運だった。そうでなければ、俺はトイレに駆け込まねばならなかったかもしれない。だが、そうはならなかった。もしかしたらこれは俺の決断が正しいという神様のお告げかもしれない。
そんなニヒルな気分に俺は浸らずにはいられない。そうしなければ、自己を保ってなんかいられなかった。
一方、教卓に立つ先生はいつもと同じように出席を取っていく。けど、そんな先生がいつもより元気に見えるのは、ただの錯覚なのか、今の俺には分からない。
ただ、先生が元気であろうと元気で無かろうと俺には関係ない事だ。教助先生は良い先生だとは思うけど、個人的な繋がりがある訳でもない。
だから、話半分で俺は教助先生の話を聞いていた。
そんな折、ふと目を落とすと、とある紙の一端が机中からはみ出ていることに気づく。最初こそ、それをレシートかなんかだと思った。だって、プリントにしては細長すぎるからだ。
先生が話している中、俺は視線を落としながら紙を引っ張った。紙は特に抵抗することなく、スルスルと簡単に引き抜かれた。
紙は細長い形状だったが、レシートではなくどうやらノートの一部分を切り取ったようであった。その証拠と言ってはなんだが、罫線が引かれている。
だが、そう考察したものの、俺はその紙に心当たりが無かった。
表面には何も書かれてはおらず、空白であり、その紙が何故自分の机の中に入っていたか、分からない。裏面には何か書かれているのか。そんな軽い気持ちで、俺は紙を裏返した。
『放課後、第三校舎裏側』
裏にはそう書かれていた。けど、それだけなら俺は告白の誘いか何かと思って再度それを何事も無かったように机の中に戻しただろう。
だが、俺はこのメッセージの書かれた紙を、持ち続け、そして見続けた。だって隅に小さくこう書かれていたのだから。
陽、と。
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夏休み前、俺は虎の尾を踏んでしまった。陽の踏み込んではいけない領域へと入ってしまった。
あの時の陽といったら、思い出したくは無い程。穏やかだった彼女は、あの時姿を変えた。冷たく人を躊躇いなく傷つける姿へと。
それ程までに、彼女の恋に関する領域はタブーであった。
なのに……俺は、言ってしまった。勝手に彼女の想い人相手に、彼女はお前の事が好きだと。
これはもう、虎の尾どころか虎の体を踏みつけたに相応しい行為だ。今度ばかりは、どうなるか分かったものではない。
その証拠にこの手紙。伝えるだけならラインで済むはずだ。それなのにわざわざ手紙を書いて机に入れた。この行為が分からない俺ではない。
間違いない、彼女は怒っている。それもラインなんて簡単な手間を選ばず、わざわざ文字を書き、机の中に忍ばせておく手間をかけるほどに。
正直言って、行くのは嫌だ。誰が好き好んで怒られに行くのだろうか。けど……逃げるわけには行かない。言ってしまった事による後悔と罪悪感。それを感じると言うことは俺は罪を犯したということ。
罪は償わなくてはならない。それを無視できるほど俺は……図太くはない。
いや……言い訳か。陽に対しきちんと謝らないといけないと、そう思っただけなんだ。
放課後、俺は第三校舎裏側へと向かう。
ここはよく、生徒達の溜まり場や秘密事を話す場として用いられている。俺だって良くここで女子生徒から告白されたりしていた。けど、今度は違う。相手は幼馴染……そして、甘い状況ではない。
現に、とても告白するとは思えない表情の彼女が、待ち受け場所に立っていた。
「遅かったね、見治」
俺の姿を見て、陽が先に声をかけてきた。その声はあの時よりも冷淡で、そして表情は……白化粧のように感情なく真っ白。普段とは、そしてあの頃とも違う彼女。今の彼女は無心かと思えるほど、何を思っているか分からない。
だからこそ、余計に怖い。何を考えているか分からないから、未知だからこそ、どうなるか分からない。
けど、怖いからと言って、逃げるわけにはいかない。だって悪いのは俺なのだから。
「来たよ陽。呼ばれた事もある……けどそれ以上に言いたい事があったから」
「言いたい事?」
彼女の声は相変わらず冷淡だ。そして、その声から何の感情も読み取れない。怒っているのかどうかすらも。
けど、そんな彼女の言葉を前に、全身の鳥肌が立った。足が震えだす。ヤバイと語彙を無くした感想しか思い浮かばないほど、俺は今の彼女に対して、恐れを感じていた。
だからこそ、と言うわけではない。ただ、俺はここに来た理由を果たすため、蒼白となっている彼女が視界から消えるほど深く、直角に腰を曲げた。
「すまなかった陽。勝手に広に言ってしまって。本当に申し訳無かったと思っている」
俺は謝罪した。いや、それしか出来なかった。
だからこそ、俺は声をかけてほしかった。もういいよと、大丈夫だからと許しが欲しかった。けど、そんな願望を抱く俺に陽は言葉をかけてくれない。それこそ、ずっと、長い間。
我慢比べとも言える状況。先に耐えられなくなったのは俺だった。
俺は地面へと向けていた頭を僅かに上げ、陽の顔を盗み見る。
陽は……無表情だった。俺の謝罪を前にしても、眉一つ動かさない。人形のようにじっと、目線を下げず、前方を向いたまま。
だが、俺が動いた事は分かったらしい。動かなかった彼女の口が動いた。
「ねぇ、見治。何で言ったの」
「何でって……」
「私を貶める訳じゃないでしょ。貴方はそういう人間じゃない。なら、何で広に言ったの、あの事を」
質問形の言葉。けど、先程の平坦から一転、彼女は既に答えを知っているかのような、そんな声音だった。
だからこそ、今までに無かった程、俺の心臓は昂ぶった。知っているのかと、不安が過る。
彼女は知らない、ただ思わせぶりなだけだ。そう思いたかった。だが、
思えば夏休み前、彼女はこう言っていた。
『ねぇ、見治。私が広の事を好きって答えたらどうするつもりだったの』
あの時は陽の感情に押され、考えがそこまでいかなかった。しかし、今にして思えば、これはもう俺の秘密を知っているぞと言っているようなもの。
そうだとしたら、今のこの状況は詰んでいるのも同然。
悪あがきで嘘をついてもいいかもしれない。しかし、今の彼女を相手に到底通用するとは思えなかった。
……言うしか……ないのか。
捨てた筈なのに。置いてきた筈なのに。諦めた筈なのに。
結局は逃げ切れない……のか。
「……苦しかったから」
「……」
「広のことを……好きな事が」
言った、言ってしまった。
誰にも言っていない、俺の持ち得る最上級の秘密。出せば終わると思っていた秘密。
それを俺は、幼馴染に、広のことを好きな彼女に言った。
息が苦しい。吸っても吸っても、動悸がおさまらない。言ってしまったという思いだけが、ひたすら心に積もっていく。
分からない、どう事が運んでいくか。俺は……軽蔑されるのか。それとも仕返しとして広に言われるのか。嫌だ、それだけは嫌だ。
きっと、この時の俺は情けない眼差しをしていたと思う。だが、そんな眼差しの先にいる陽の表情が、少し和らいだように俺には見えた。
「言わないよ、広には。」
「……本当に?」
「本当だよ。言わない、約束する」
そこで初めて彼女は、人形のような表情から一転、いつもの慈愛に満ちた微笑みとなった。
そんな彼女を見た俺の心に生まれたのは、安堵だ。不安だった思いが消え、心に安らぎが広がっていく。終わりではないと、生き残ったのだと、解放されていく。ついさっき秘密を打ち明けた筈なのに、自覚がないほどに、俺は安心しきっていく。
腰を曲げた状態から戻すとともに、口も元に戻る。元の幼馴染と接するものへと、戻ってしまった。
「良かった……広の件はごめんな、言ってしまって」
「本当だよ。場合によっては許さなかったんだから」
「ハハッ、けど良かったんじゃないかな、事前練習ってことで」
「えっ」
些細ではあるが、彼女の表情が曇った。けど、安心しきっていた俺はその事に気づかなかった。
「だってさ、陽、広の事が好きだったじゃないか。昔からずっと」
「……」
「高校生になった今だって、分かりやすいほどに広にアプローチかけてたもんな。それを広は気づかないんだから、よっぽど鈍感なんだよな、あいつは」
「……私が……アプローチ……?」
「やってたじゃないか。一緒に買い物行ったり、ネズミランドに行ったり。それにあんなに、広の前でデレデレして……」
「違う!!」
突如として、大声が辺りに響き渡る。
それが、陽の声だとは、直ぐには……分からなかった。
「…………陽?」
俺が陽に声をかけたのは、叫び声に驚いたからではない。ひとえに彼女の様子が可笑しかったからだ。この時の彼女は、無表情でも微笑みでもない。頬を引き攣らせ、瞳が血走っているようかのように見えるほど、必死の形相となっていた。
「違う違う違うっ!!私はしてない、そんなことしてないっ」
「おいっ、どうした陽」
「どうもしてないっ!私はしてない、広にそんなことしてない、しちゃいけないっ!私はやってないっ!」
「何言ってんだ!? しっかりしろ」
大声で喚き散らす陽。こんなに彼女を見るのは初めてと言うのもあるが、それ以上に本当に、目の前にいるのが陽なのかと思えるほど、彼女は彼女ではなかった。
だからこそ、対応が後手に回ってしまう。彼女を落ち着かせる事が出来ない。狂い始めた彼女を、俺は……止めることが出来なかった。
……なさけない、本当に。
だって結局の所、俺は彼女をそんな風にした張本人なのに、その対応も誤ってしまったのだから。
後悔と罪悪感。あの言葉を言ったときよりも、更に濃く、忘れがたいものが俺を襲う。
だって……罪を感じずにはいられないだろ。自分のせいで人が倒れてしまったら。
陽は倒れた、俺の前で。糸がきれた操り人形の如く、唐突に。うごかなくなった。
次は別視点です。




