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37話 私は決められない(視点:崎島教助)

 体が怠い。瞼が重い、視界がハッキリとしない。

 そんな状況で、私は何とか壁にかけられた時計を見る。

 既に明るくなった外から、注ぐ光によって、時計は己の姿を私に見せてくれた。


 6:00


 起きるにはまだ早い時間だ。それに加え昨日の夜遅くまで、夏休み明けのテストの丸づけを行っていたからか、眠気が十分に取れていない。

 もう一眠りしよう。そう思い、私は起こした体を再度ベッドに傾けようとした。その時、視界にとある人物が目に入る。


 長く、流れるような綺麗な茶髪に目鼻がくっきりとした美しい女性。

 妻である。彼女は心地よさそうに、微かな寝息をたてベッドで眠っていた。

 そんな彼女を前に私は……何も、触れることすらしなかった。ただ、私は眠っている彼女を一瞥した後、同じベットから出た。


ーーーーーーー


 妻は美人で有名な人物だった。それこそ、付き合った頃は大学の友人達に羨ましがられ、大人になってからも同僚から羨ましがられた。それは結婚してからも変わらない。


 結婚生活は上手く行っていたように思える。ケンカらしいケンカをした事がなく、いつも、それこそ些細な事でも話し合ってきた。それを証明するかのように、周りの人々は私達の事をおしどり夫婦と言ってくれていた。

 しかし、そんな私達の間に愛は合ったのだろうか。確かに仲睦まじくここまでやって来た。しかし、これは夫婦の形なのだろうか。気の良い友達と暮らしているのと変わらないのではないのか。

 

 現に付き合ってから6年、結婚して3年が経っても、私達の間に子供が出来る気配は無い。

 そして、それは最近になり、より遠くなったように感じられた。前よりもまして、私は自身の思いを疑うようになり、そして妻の事をどう思えば良いのか……分からなくなっていた。


ーーーーーーー


 未だ夏の気配を漂わせる今日この頃。

 夏休みを挟み、実に1ヶ月ぶりの授業は、滞りなく行える事ができた。弛緩した空気が多少流れてはいたが、生徒達はみなふざけたりする事なく、真面目である。

 そんな生徒たちを見て、私はふと思い返す。高校2年生の自分はどうであったかと。


 あの頃の自分は……兄を真似して、友達を真似して、教師を真似して……今と何も変わっていない。あの頃も、いや、昔から今まで私は私を持ったことが無い。いつも誰かの真似事だ。

 だから、きっとこの思いも自分ではない、誰かによるものに違いない。あの時、決断出来なかったのも、誰かのせい。自分では……ない。


 私は、不安だった。ドクドクと放課後に近づくに連れ、心臓が高鳴る。だが、不思議と嫌ではなかった。早く放課後にならないかと思う自分もまた確かにいた。

 だから……私は何もしなかった。何も決断しなかった。ただ、夏休み前と同じように、私は部活へと赴いた。


「先生、お久しぶりです。部活に来るなんて珍しいですね」

「珍しくはないですよ。それに夏休み最初の部活なので、顔を出すのは当たり前です」


 受け持っている部室に入った私に一番に声をかけてきたのは、部長である2年生の男子であった。

 そんな、彼に釣られるように、その時部室にいた部員達が、私の近くへと集まり、口々に話しかけてくる。

 大半の生徒が、部長である生徒と同じような言葉を口にした。お久しぶりですとか、元気でしたかとかそんな、形式ばった挨拶を。


 だが、そんな中、彼女は違っていた。彼女は椅子に座ったまま、他の部員たちのように動かず、口を開くこともなかった。

 ただ、彼女は微笑んだ。私に向かって。

 その微笑みに、特に際立った部分はなかった。満面の笑みでも無ければ、悲観に似た微笑みでもない。なんて事はない、普通の微笑みだ。


 たが、そんな普通の、微笑みから私は目が離せない。他の部員達は消え、彼女しかこの部室にいないような、そんな錯覚を覚える程に、今の私は……川瀬添に釘付けだった。


ーーーーーーー


 心臓が高鳴る。心が揺れる。

 しかし、この感情が何なのか、自分を持たない私は分からない。他の人達はどうやって、自身が抱いている感情が何なのか、判断するのだろう。

 私の判断基準は何時だって他人からの物差しだ。だから、他人から与えれていない物は判断する事ができない。


 今回の件はまさしく、それに該当する。こんな不安でも無い、安堵でも無い、虚無でもない。色があるのに色が無い。そんな矛盾するかのような、この入り乱れた思いは何と呼べばいいのだろうか。

 そして、その思いを抱かせている者とどう関わっていけば良いのだろうか。当然そこにも該当はない。だからこそ、これは私が考えなければならない事だ。だが、私は自分を持っていない。その為私は何も出来ない。

 ただ、これまでのように、私は彼女と接していく。


 部活動の一環として、私が部活に顔を出した時は、テーマを決め、生徒達が各自でその日のうちにそのテーマに見合った写真を撮り、誰の写真が一番テーマに合っているかを決める活動を行っている。

 場所は校内なら何処でも。その為、テーマが決まった後、生徒達はバラバラになりそれぞれ別行動になる。

 その間、私も休んではいない。校内に散らばった生徒達がどんな写真を撮るか見て回っている。


 しかし、今年度に入り、そんな部活内容にも変化が起こり始めた……私に関してだが。

 とある女子生徒に、私は他の生徒よりも多くの時間をかけるようになっていた。彼女は何処からか私を見かけては近寄ってきた。懐いている、世間では俗にそう言うのだろう。当時の私もそう思っていた。

 しかし、今は違うと分かる。そして、あの頃と違うのは、今は彼女ではなく、私から近づいているということだ。


 部活にて、校内にバラバラになった生徒たち。そして、私は数ある生徒達の中で、彼女だけを気にしている。


 放課後の今、未だ日が高く、夜の気配を感じさせない時刻。私は彼女の後を訳もなくついている。声をかける訳でもなく、かと言って心配な訳でもなく、不審者の如く私は彼女の後を歩いている。

 そして、そんな私の前にいる彼女はカメラを手に、後ろを気にするふりを見せず校内を歩いていく。

 しかし、不思議と私には、彼女が私に気づいているのではないかと感じていた。理由はない。只の勘だ。


 そして、その勘は中庭に入った事でより大きくなった。第一と第二校舎に囲まれた中庭は人気が少ない。そして、ここは彼女からプレゼントを貰ったあの場所でもある。

 そんな場所にて、あの時とは幾分か違うが、同じ事が起こった。

 彼女が唐突に止まる。そして、短く、あどけない髪を靡かせて、彼女が私の方へ振り向いた。


「先生、少し良いですか」

 

 高校一年生とは思えない、大人びた表情の彼女。

 彼女はやはり後ろについてきた私に気がついていたのだ。

 しかし、私はその事に意識がいかなかった。ただ、私は振り返った彼女のに見惚れていた。


「……何ですか」

「実は渡したい物があるんです」


 そう言うと、彼女は私に近づいて来た。物静かにゆっくりと。その仕草が余計に胸をざわつかせる。

 ふわりといい香りが、鼻に流れる。香水じゃない、妻とは違う香り。

 妻と違うのだと、意識させてくる。そんな妻とは違う彼女が渡すプレゼントも、また妻とは異なった趣きだった。


「これはハンカチーフ……ですか」

「はい、この前の土曜日にアウトレットモールに行った際、似合うと思ったので」


 彼女のプレゼントは、白い絹のハンカチーフだった。

 普段黒のスーツを身に纏っている私にとって、白ほど映える物はない。それに私自身あまり白色は好きでは無かった。買うのはもっぱら藍色や黒色など、寒気色が殆どだ。

 だから、彼女からこのプレゼントを渡された際、私は驚いた。けど、不思議と嫌だとは思わなかった。


「……ありがとうございます。大切にします」


 ありきたりな言葉しか私は吐けない。けど、そんな私の言葉を聞いて前にいる彼女は微笑んだ。


「こちらこそ、いつも指導して頂きありがとうございます。これからもお願いしますね、教助先生」


 満面ではない。けど、裏表のないものだと分かる笑顔。

 そんな彼女を見ていると、またしても心がざわついた。落ち着きなく心が揺れ動く。そして、相変わらず私はこの思いが何なのか分からなかった。

 だが、今は……この思いが何なのか、知りたいと切に思った。


ーーーーーーー


 教師はブラックだ。そんな言葉を周りから、教師でもある兄から聞かされ続けた。

 実際、教師になり、私は兄の言葉が嘘では無かったと知った。授業の準備に修学旅行等の行事の準備、保護者の対応、部活動など、やる事が膨大であり多彩だ。それこそ、定時に帰れることなど、殆どない。また、家に帰ったとしても教師という職業柄、仕事を忘れる事など出来ない。

 ブラックと言われても差し支えない。その日も私は、定時に帰れず、家に帰ったのは、日が沈んだ後であった。


 家には既に明かりが灯っていた。

 そして、家に上がり、キッチンに顔を出すと、見知っている人物がそこには立っていた。長く、綺麗な茶髪は彼女のトレードマークでもある。

 妻が包丁を手に、夕食の準備をしている最中であった。最近のドラマ曲の鼻歌を伴いながら、具材を切っていく彼女。

 そして、そんな彼女の後ろ姿を見つめるスーツ姿の私。


 彼女を見て、今の私の胸の内に湧いてきたものは、何一つとして無かった。先程のような混沌とした思いも、他者から教わったストレートな思いも、単純な喜怒哀楽も、それこそ一つも。

 ただ、妻がいると、事実確認のような感覚のみ。


 彼女なら違った。彼女を前にすると、退屈を感じないほど思う事が出来る。彼女には今のような虚無はない。

 また、あの時のような感覚を味わいたい。そう思った私の手は自然とスーツのポケットへと向かう。そして、指先が、掌が、ポケット内にある、物へと触る。滑らかな肌触り。見ずとも、その物が、そして渡された時の光景が、脳内に再生される。

 そんな時だった、妻が振り返ったのは。


「あら、帰ってきたのあなた」


 彼女は、微笑みながら尋ねてきた。しかし、そんな彼女の顔を見ても私は何も思わなかった。


「あぁ、ただいま」

 

 たった一言、私は返す。

 しかし、その言葉が不味かったのだろうか。妻が調理に戻ることなく、マジマジと私の顔を見つめ続けていた。


「……どうした」

「いや、調子が良さそうに見えたから」

「えっ?」

「ほら、貴方ここ最近元気がなかったじゃない。何だか物思いにふけているような、心ここにあらずというか」

「……」

「だから、少し安心しちゃった。元気になったみたいで」


 そう言うと、彼女は調理に戻った。彼女にはもう私の姿は見えていない。ポケットに手を入れたままの私の姿なんて。

 

 ……あぁ、そうか。嬉しかったのか。彼女と会えて、彼女と居れて、彼女からプレゼントを貰って。


 私は……彼女に惚れているのか。


 そう自覚した時、頬が熱くなった。何だか恥ずかしくもなった。居ても立ってもいられなくなった。けど……腑に落ちた。不安定だった心が居場所を見つけたみたいに安らかになった。

 

 だが、体は心とは違い、荒ぶっていた。きっと今の私は顔が真っ赤であろう。そんな姿を妻に見せるわけにはいかない。私は()()()()()()()()()()が入っている上着を脱ぎ、ソファーの上に置くと、風呂場へと向かった。

 

 




次は川瀬広視点となります

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