36話 崩壊(視点:高城見治)
大変だった。表情を変えないというのは。思っていたより、俺は我慢強い性格らしい……それもそうか、何せ、こちとら十年近くも偽り続けていたから。
……とにかく、四条さんの追求を俺は躱す事が出来た。彼女のあの顔をみるかぎり、バレてはいないらしい……バレては?
あれ、何がバレてないなんだ。だって、今の俺は親友のままでいるって決めたんだから。バレるもクソもない。なのに何で俺はほっとしている。何で安心している。何で……俺は、我慢していたんだ?
ーーーーーーー
気がついたとき、俺は立ち止まっていた。そして、前を歩いていた四条さんの姿が雑多な人混みの中に消えていることにも気がつく。
辺りは、人、人、人、人、人の群れだ。
アウトレットモールというのは、こんなにも人が集まるものなのだろうか。
人混みではあるが、人の種類は違っている。俺達のように学生と思われる若い奴らもいれば、年配の方、家族連れの方、そして……恋人連れの方。
手を繋いでいる二人組は多くいた。しかし、そのどれもが男と女の組み合わせ。男同士なんてのは……どこにもいない。
そして、そんな事を気にしている自分に気づき、俺は頭を振った。
どうして、そんなことを思う。どうして、気になってしまう。忘れろ忘れろ忘れろ。忘れなければならない。
……大丈夫、俺は正常だ、いける。俺は立ち止まっていた足を動かす。見なくなった四条さんを追いかけるために。
しかし、動き出した足はまたしても止まる。
とある人物が目に入った。
アウトレットモールの端、壁と太陽の位置の関係上、屋根がないにも関わらず、日陰となっている場所。
お婆さんがそこにはいた。お婆さんは白いシーツを覆わせた長机に座っている。それはまるで、ショッピングモール内でよく見かけるアンケートを頼む人のような、そんな格好だ。
けど、アンケート関連ではないことぐらい俺には分かっていた。何故なら、そのお婆さんが座る長机上には、アンケート用紙なんてなく、代わりに、握りこぶしよりも大きな丸いガラス玉が置かれていたのだから。
占い師だと訳もなくそう思った。
前を歩く人々は、ひそひそ話をしながら、お婆さんを横目に通り過ぎていく。見てもらう人もいなければ、立ち止まる人すらいない。繁盛しているどころか、はっきり言って寂れている。けど、お婆さんは気にしていないのか、ニコニコと人の良い笑みを浮かべ続けていた。
怪しいと思った。同時に他の人と同じように無視するべきだと。けど、そう思っていた時、お婆さんと目が合う。
遠目だから、勘違いかもしれない。無かったことにして立ち去っても良かっただろう。
けど、再度動き出していた俺の足は、方向を変えると、お婆さんの元へと向かうのだった。
ーーーーーーー
「ようこそ、お兄さん。何かお困りごとかい?」
着いて早々、お婆さんがにこやかな笑顔と共にそう尋ねてきた。一方、迎えられた側の俺の顔は、多分笑顔とは程遠いものだった……と思う。
「そう見えますか?」
わざわざここにやって来たにも関わらず、俺は肩をすくめながら答えた。嫌な客だと自分でも思う。
けど、そんな俺を前にお婆さんの笑顔は絶えることは無かった。
「見えるよ。何か困り事があるんだろう」
笑顔のお婆さんから、出てきた言葉は占い師の常套句とも言うべき、ありきたりな言葉だった。
そして、そんなありきたりな言葉は俺には通用しない。だって俺には悩みなんてある筈がないのだから。
「ありませんよ。それより、お婆さん占い師でしょ。俺、金持ってないんですから良いですよ」
「金ならいいよ。サービスって事にしておいてあげるから」
「どうしてタダ何ですか」
「最近、お兄さんと同じくらいの年の子に助けてもらったからね。そのお礼だよ」
「なら、その助けてもらった子にお礼すべきじゃないですかね」
憎まれ口を叩く俺。けど、口とは違い体は正直だった。
気づいた時、俺は椅子を引いていた。そしてその事に何よりも驚いたのは、俺自身だ。だって、占いを受けるつもりなんてサラサラ無かったのだから。なら、何故俺は椅子に手をかけたのだろうか。
結局考えたって答えは出なかった。ただ、どうせタダだから良いかという、気楽な気持ちのもと、俺は引いた椅子に座った。
「ありがとね、占いを受ける気になって」
「……ほんとに無料なんですか」
「無料だよ。だから安心するといいよ」
暖かみのある声でお婆さんは、そう言ってはくれるが、俺の心はあまり穏やかではなかった。
そもそも俺は占いを受けた事もないし、それに占いそのものを信じたことがない。
だからこそ、何故自分が占いを受ける気になったのか、俺自身が聞きたい程だ。
そして、そんな俺だからこそ、良い人そうなお婆さんにも関わらず、背筋を曲げて聞くのだった。
お婆さんは、水晶に手をかざす。まるでドラマに出てくる占い師のように。そして、これまたドラマの中のような事を口にし始めた。
「貴方は今、悩みを抱えていますね」
「抱えていませんよ」
俺は即答する。傍から見れば完全に嫌な奴だ。それこそ皆に見せられないくらい普段の俺とはかけ離れている。
けど、そんな俺を前にしてもお婆さんは笑みを絶やさなかった。
「悩みは、貴方と昔からの馴染み深い人との事」
「……当てずっぽうだ。人の悩みの多くは人間関係。それに馴染み深いだなんてそれこそ人によって定義は変わる」
「幼馴染だね」
「…………幼馴染ぐらい誰だっている」
「悩みは……恋」
「………………」
「貴方は幼馴染に恋をしている」
「していない!」
気づけば俺は立ち上がり叫んでいた。
周囲の人間が、俺達を見る。当たり前だ、いきなり叫びだせば。けど、そんな俺を前にしても、お婆さんは出会った時と何も変わらなかった。
「素直になりなさい。それがあなたの未来を切り開くわ」
「素直になれって? 素直になってどうなるってんだよ! 素直になって迎えるのは破滅だ。何も残らない、失うだけだ!」
「確かに失うものもあるかもしれない。けどね、素直にならないと手に入らないものもあるんだよ」
「何が手に入るんだよ」
「本当の幸せさ」
満面の笑みでお婆さんはそう答えた。
そして、そんなお婆さんの笑みを見ていると、荒らずんでいた心が幾分か穏やかになる。
そこで、俺はようやく自身の犯した過ちに気がつくと共に、己を恥じる事となった。
なんて事をしてしまったのだと。訳もなく叫びだすなど俺らしくないと。だが、後悔したってもう遅い。
せめて出来る事と言えば、お婆さんに謝ること。そして、惨めに、そそくさと逃げるように場を後にする事だけだった。
ーーーーーーー
一人になった俺の頭には、先程のお婆さんの言葉が繰り返し、響いていた。
『本当の幸せ』
俺は幸せだ。友人に恵まれてるし、学生生活も不満なんてない。
なのに、何故……何故こんなに、頭に残る。
何故、何故離れない。
何故惹かれる。
何故……こんな気持ちになる。
「見治、遅かったじゃないか……て、どうした?」
声が聞こえた……気がした。
俺は、地べたへと向けていた頭を上げる。そして、いつの間にか、自分が目的地である雑貨屋にたどり着いていた事や、目の前に広がいる事を知った。
広は、何時もと変わらぬ姿で、普通とは言いながらも何処か自分らしさを持ち合わせている彼がそこにはいた。
そして、そんな広を見て……安心する俺がいた。
「おぉ広。どうした、一人で。皆は何処に行った?」
「皆はもう買い物を終えて次の店に行ったよ。けど、見治が何時まで待っても来ないからさ、僕が待っていたというわけ。てか、見治顔色悪いけど何かあったの、大丈夫?」
「顔色? 悪く見えるのか」
「見えるよ。真っ青だからさ。熱中症? 少し休もうっか」
「良いよ、別に」
「良くないよ。ほら、あそこに自動販売機があるから飲み物でも買おう」
そう言うと、広は外にある自動販売機に向け歩いていく。
彼はそう言う所があった。普通とか、昔とは違うと言いながらも、根本の所はあの頃と変わっていない。
だから、だから俺は今でも……。
……何を思っているだ俺は。いけないそれ以上踏み込んだら、変わってしまう。失ってしまう。幸せじゃ……なくなってしまう。
ーーーーーーー
自動販売機にて飲み物を買った俺達は、近くにあったベンチに座った。そこは丁度日陰になっており、休むには格好の場所だった。
広はお茶を、そして俺は缶のコーラをそれぞれ飲む。自分では気づいていなかったが、存外俺は疲れていたらしい。冷たいコーラが気持い程に、体に染み込んだ。
「プハー」
ゲップでは無いにしろ、つい声が出てしまう。そしてそれを聞いていた広がクスクスと笑うのを、俺は見逃さなかった。
「どうした、広。笑って」
「いやさ、久しぶりだなぁて思って」
「久しぶり? そうか?」
「そうだよ、こうして並んでゆっくり話し合ったのって祭りの時以来じゃない」
「それもそうか……けど、あの場には、俺と広以外にも……」
「うん、陽も一緒にいたね」
陽。広と、そして俺と幼馴染の女の子。けど、その女の子の名前が出た時、握っていた缶が僅かに音を立てた。
「そう……だな。陽もいたな」
俺は再度、コーラに口をつける。しかし、先程まで心地よく感じていた冷たさが、今は冷たすぎるように感じた。
しかし、そんな俺の変化に知る由もない広は言葉を続けていく。
「陽もいたよ。忘れてたの見治」
「……忘れる訳ないだろ」
「そうだよね、忘れる訳ないよね。ずっと昔からいるんだから」
「そうだな、ずっと昔から……な」
再びコーラに口をつける。けど、もう味わう余力など俺にはなかった。ただ飲むという行為をしていなければ、逃げ出してしまいそうだった。
けど、そんな思いは俺だけだ。現に今、隣に座る広は立ち上がる素振りを微塵も見せず、美味しそうにお茶を飲んでいる。
そして、お茶から口を離した広は、改まったように俺に顔を向けてきた。そして、彼は口を開いた。
「なぁ、見治。陽って恋人いた事ないよな」
開いた広の口から出た言葉は、俺の思考を奪うのに十分だった。それこそ、俺は棒立ちしているかのように、意識を集中させる事が出来なかった。
「え……いや、何て言ったんだ広」
「ん、いやだからさ。思い返してみて、陽に恋人がいた事なんて無かったような気がしてさ。陽、あんなに綺麗だから恋人ぐらい居ても可笑しくないのに」
「そう……だな、可笑しくない……よな」
握っていた缶は完全に潰れる。しかし、幸か不幸かコーラを飲み終わった後だっため、コーラが溢れ出すことはなく、広がその事に気づくこともなかった。
「そうだよ、可笑しくないよね。それに陽オシャレにも興味がある様だし、何で出来ないのかなぁ」
「……オシャレに興味があったって、恋人が出来るわけじゃないだろ」
「うーん、そうだけど。何か理由があるのかなぁ」
呑気に言葉を吐いていく広。
そんな彼が遠くに感じる。それこそ、見えなくなる程遠くに、近づく事ができない程に。
そして、動くことが出来ない自分がいる事にも。
「理由なんて……人それぞれだろ」
今の俺には吐き捨てる事しか出来なかった。もう考え、感じるなど出来ない。
けど、そんな俺の心を、動かしてきたのは何時だって広だ。そして、それは今も。
「それぞれか……見治にも理由があるの、恋人を作らない理由」
重々しさとは真逆の、あっさりとした言葉、口調。広に取っては雑談の範疇。けど、けど俺にとっては……。
「それは……秘密だ」
苦々しく吐く俺。もう止めたかった。止めにしたかった。けど、そんな気力なんてもうなく、俺はその場に居続ける。
「えぇ冷たいなぁ見治。別に良いじゃん。今ここに女子はいないし、僕しかいないからさ」
広は、変わらず軽い言葉を吐く。そんな彼に怒りすら最早湧かない。ただひたすらに心が疲弊していくのが自分で分かった。
「……」
口が開かない。頭が痛い。心が苦しい。気分が悪い。
痛い、苦しい、悪い。痛い、苦しい、悪い。痛い、苦しい、悪い。
……もう、終わりにしたかった……もう、苦しめられたくはなかった……もうこんな想いを味わいたくはなかった。
だから、俺は言った、言ってやった。力いっぱい口を開けて。
「そんなに言えない事?何かあるの見」
「陽はお前が好きだよ」
広の言葉を上書きするように俺は言葉を吐いた。それも幼馴染の、女の子の秘密を。
そして、それを聞いた広が固まるのを見て、俺は再度口を開いた。
「陽は広、お前が好きなんだよ」
次は崎島教助視点となります。




