34話 目を背けて(視点:四条結)
始業式、それは夏休みの終わりを告げるもの。
9月1日、それはこの世で最も憂鬱な日。
他の人と同じように、私もまたその日を嫌っていた。夏休みをぐうたらと過ごし、勉強や掃除もせず、怠惰に過ごす。それがここ一ヶ月の過ごし方。
だからこそ、登校するだけでも大変な苦痛。朝早く起きねばならない苦痛に、癖っ毛の髪を整えばならない面倒。そして、9月というのに今だ暑苦しい学校までの道のりを、行かねばならない苦痛。
想像するだけでも嫌なのに、実行するとなったら更に面倒くさく、嫌になる。
しかし、そんな私達学生の思いとは裏腹に、あっさりとその日がやってきた。
9月1日。苦痛が約束された日。
1ヶ月ぶりに朝早く起きて、癖っ毛の髪に奮闘して、暑苦しい外を耐えきって、そうして私は一ヶ月ぶりとなる真中高校へとたどり着いた。
そうして、苦労してたどり着いた私を迎えるのは、嬉しくもなんともない担任との再開と、これまた退屈な始業式。そしてその後は、面倒くさい大掃除と委員会活動。もう夏休み中のあの幸せな日々は戻ってこないんだなという現実。
もっとも、今日は授業がなく午前中で終わるだけましというもの。何故なら明日からは夏休み明けのテストだ。勉強を録にやっておらず、宿題すら答えを見ながらやっていた私にとっては、苦痛以上の何者でもない。きっと、親に見せられないような結果になるに違いない。
それを考えると、憂鬱な気分になる。学校へ来て早々、学校なんてなければ良いのになと思ってしまう。
まぁ、変わらない未来を思い描いたってしかたがない。一先ずは、今日という苦痛に満ちた日々をリフレッシュしなくては。
だからこそ私は、委員会活動が終わり、今日の学校が終わった後、あの場所へと赴く。もう、自分の一部となっているほど馴染んだあの場所へと。
「はい、これお土産」
「うわぁ、ありがとう陽。アメリカ土産なんて初めてだよ」
そして、その場所で待っていたのは、陽からお土産を貰うというイベントだ。
読書部。夏休みの期間、来てなかったけど、この部屋はちっとも変わってなんかいない。静かで、暖かくて、かといって暑すぎず心地良い風が入る。やっぱり、この部屋に来ると落ち着く。
そんな中で出会った陽もまた、変わってはいなかった。
風に乗り綺麗に靡く黒髪に、汚れない綺麗な白い肌。慈愛ある瞳に、薄い唇、そしてスラリと、しかし出るとこは出ているプロモーション。
相も変わらずそれこそ嫉妬すら湧かないほどに完璧な彼女。そんな彼女と、出会うのは、一ヶ月ぶり。夏休みに二人で何処か出掛けようとも考えていたけど、陽が長い間、アメリカへ家族と旅行に出掛けていたということもあり、遊ぶ機会が無かった。
だからこそ、彼女に出会えるこの日を待ち望んでいる部分も確かにあった。まぁ、それ以上に学校へ行きたくないという思いのほうが強かったのだけど。
そんなアメリカ帰りの陽から貰ったお土産はお菓子だった。なんか黒い棒状のグミみたいなやつ。トゥイズリー……て、読むのかな?
「それ、アメリカで結構有名なお菓子で、向こうだと子供とかがよく食べているの」
陽がお土産に関しての説明をしてくる。日本だと見かけないタイプのお菓子だけど、こういった見慣れない物の方が、お土産って気がして私は好きだ。けど、見慣れている物だろうときっと陽から貰った物なら私は喜んだに違いない。
「そうなんだ。じゃあ陽はもう食べたりした?」
手に持ったお土産を振り陽にアピールする私。一方の陽と言えば、私の質問に首を振る。
「うぅん。実は食べてないの。少しその、怖くて」
「あぁ分かる。何かさ見知らぬ物を食べるのはちょっと勇気いるよね。じゃあさ、これから一緒に食べてみない?とくに用事とかはないんでしょ」
部屋中央にある、机をくっつけて作ったテーブルに私は、陽から貰った土産を置く。いつもは、ジュースばかりだったけど、たまにはここでお菓子を食うというのも悪くないかもしれない。それこそ、川瀬君のお誕生日パーティーの時のように。
椅子を引く私。そして、このまま座ろうとしたのだけど、まだこの時、陽の返事を貰ってはいなかった。
「ごめん、ちょっとこの後用事があるの」
座る動作へ入ろうとしていた、私は止めざるを得ない。陽を見てみると、彼女はすまなそうな表情で、両手を胸の前で振っていた。
「えぇ、久しぶりに会ったというのに冷たいんじゃない陽」
「ごめん、本当にその……」
「あぁ、いやごめん、こっちも本気でいった訳じゃないから。うん、分かった行ってきなよ」
「いいの?」
「いいのも何も、断れない用事なんでしょ」
「うん……」
「なら、いいよ。お土産貰ったし、それに久しぶりに陽に会えた。それだけで夏休み明けの9月1日という日を、迎えたかいがあったというもんだよ」
「何、その言い回し」
クスリと、小さく笑う陽、そんな彼女につられ私もまた笑った。
本当に、こんな小さな出来事で私は元気になる。ぐうたらと怠惰な日々も良かったけど、こうして陽と過ごす日々もまた私の大切な時間。こういう時間を過ごせるなら学校というのも悪くないかもしれない。
と、登校したばかりの頃とは違う思いを、今の私は抱く。
「それじゃあ、行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」
私は部室を出ていく陽を見送った。けど、その時、不思議と部室を出ていく陽の背中が小さいように、私には見えた。
夏休み前はもっとこう、何だろう、大きかった気がする。
体が弱い陽だけと、私よりも背が大きいというのもあり、私から見れば弱々しい印象を受けなかった。
なら、何で今小さく見えたんだろう。私の思い過ごし? 久しぶりに会ったから。でも、それだけではない気がする。
思えば、私は陽の事を全部知っている訳じゃない。だって未だに、夏休み前の陽の、あの変調の理由を私は知らないのだ。もしかして、また何か会ったのだろうか。私が知らない合間に。
それに、用事とは何だろう。職員室に用があると考えるのが自然だろうけど、けど、それなら用事あるとは言わずに、職員室に行くとか、そう言うはず。
いや、そもそも、用事があるなら、普通何の用事かはっきり言うだろう。例えば病院にいくとか、家の都合があるとか、明日のテストへ向け勉強しなきゃいけないとか、そんな感じで。
用事、私の考えすぎかもしれない。けど、その言葉には何か言いたくない隠し事があるように私には思えた。
もしかしたら、陽の背中が小さく見えたことと何か関係があるかもしれない。そう思った時、私の体は動いていた。
陽に、バレないように、彼女の後をついていくという行動を。
ーーーーーーー
外へと出た陽が言った先は、同じ学校内、それも第三校舎の裏側だった。
ここは、日が当たらず普段は人が立ち入らないことでも有名な場所だ。それこそ、よくここで、授業をサボった生徒がたむろしているとか、イジメの現場になっているとか、そんな陰湿な気配が漂う場所。いくら、物静かとはいえ、陽がここに自主的に来るとは思えない。
だからこそ、私はより忍び足で駆け寄ると、校舎の外壁に体をあて、陽が消えた第三校舎裏側を覗きこむ。
第三校舎には部活の件もあり、よく立ち入っているけど、その裏側というのは、私は来たことがない。それこそ、第三校舎の廊下から、時おり校舎の裏側に当たる外を見ていたけど、逆に言えばその程度。
外から覗き混む第三校舎の裏側は、陰湿という言葉が似合っている場所だった。
日が当たらないからこそ、雑草の類いが映えておらず、地面がむき出し。その地面もカラカラに乾いてなどおらず、湿気によって、黒く染まっている。
第三校舎が、人の気配がないこの世の終末のような気配なら、裏側は人に見放された廃墟のような佇まいだ。
そんな場所に陽が立っている。彼女の象徴とも言える黒髪も、ここでは目立たない。
そして、そんな彼女の前には、別の人物が立っていた。高城君でも、ましてや川瀬君でもない、男子生徒。
こんな場所に男子生徒と女子生徒が二人きり。ならこれから起こる出来事はきっと……
「好きです!付き合ってください!」
こ、告白だぁ~!!
顔だけ覗かせていた状態から、私は顔を引っ込めた。初めて見た、告白現場だなんて。絵空事じゃ無かったんだ。
壁に背中をつけ、息を整える。何だろう、私が告白された訳でもないのに、胸が高まる、顔が暑い。
ドキドキする。訳もなく、私は胸に手を当てた。心臓の鼓動が手に伝わる。
そんな状態なまま、私は再度第三校舎の裏側を覗き混む。何故自身がそんな状態か分からないまま。
相も変わらず、二人はそこに立ち尽くしていた。男子生徒の顔は赤くなっており、目は瞑っている。きっと、彼がこの場で一番恥ずかしいに違いない。告白なんて、簡単に出来る事じゃないから。
なら、告白を受けた側はどうなんだろう。告白を受けた側もまた恥ずかしいのだろうか。
男子生徒に前に立つ陽。けど、私から見て彼女は後ろ向き、後ろ姿しか見えない。だから彼女がどんな表情なのか分からない。
けど、これから言う彼女の返事は分かる。だって、彼女には想い人がいるのだから。
「ごめんなさい。その想いには答えられない」
陽は、体側面に当てていた手を、体前へと移動すると、腰を直角に曲げた。几帳面な彼女らしい返し方。
そんな事をされれば、言葉以上に突き刺さるというもの。男子生徒は、少しばかり狼狽えていたが、徐々に落ち着きを取り戻すと一息、彼はついた。
「やっぱり、高城君の事が好きだからですか」
「うぅん、違うよ、そうじゃない」
頭を上げた陽は、顔を振る。
一方の私はと言えば、うんうんと独りでに頷いていた。皆そう思うのも無理はない。
まさか、陽の好きな相手が高城君ではなく、川瀬君だなんて思わないだろう。私だって知った時は凄く驚いたんだから。
好きな人がいれば、告白を断るのも当たり前というもの。だからこそ、陽はきっと次はこういうに違いない。
『他に好きな人がいるから』
「私に恋なんて、相応しくないから」
……ん?
あれ、今陽は何て言った。
相応しくない、そう言ったの?
人知れず戸惑う私。そんな私に構いなどせず、二人は話をしていく。そのうち話し終わったのか、男子生徒が何処か得心がいったような表情で、こちら側へ歩いてきた。
隠れなきゃ、じゃないと覗き見してたってバレちゃう。
私は急いで、思考を切り替え覗かせていた顔を引っ込めると、そのまま壁に張り付ついた。
一見するとバレそうなものだけど、そんな私の横を男子生徒は通りすぎていく。
男子生徒の姿が見えなくなった後、私はほっと、一息ついた。そんな時だった。
「やっぱり、結だった」
後ろからから声が聞こえた。優しく柔らかな声。けど、それは驚かせるには、十分な声であった。
「よ、陽、いつからそこに!?」
慌てて壁から離れ振り向くと、先程まで私が顔を覗かせていた角の位置に陽が立っていた。
怒ってはないようだけど、それでも多少不機嫌になっているのか、彼女は可愛らしい頬を、これまた可愛いらしく膨らませていた。
「いつからって、私の方が聞きたいよ。いったいいつから聞いていたの」
「それは……ごめん、最初っから」
「もう、結ったら、趣味が悪いんだから」
「いやぁ~ほんと面目ないです。ちょっと気になって付いてきちゃった」
私は手を合わせ、腰ではなく頭を下げる。先程の彼女とは違う品性のない謝り方。
でも、それでも効果があったのか、不機嫌な様子から一転、彼女から覇気がなくなった。
「……気になった」
「どうかしたの陽」
「い、いや、何でもない……」
顔を背ける陽。
私より背の高い彼女。けど、何故だろう今の彼女は、私よりも小さく見える。それこそ、部室の時みたいに。
……やっぱり、気になるんだろうか彼の事が。そうだ、そうに決まっている。他の男子から告白されて、気にならない方がどうかしている。
片想い、それはきっと苦しいんだろう。相手を想っているのに、相手にはそれが伝わらない。それでもいつか届くかもしれない。そんな望み、願望を捨てきれず諦めきれず抱き続ける……私には分からない痛み。
傍観者である私が出来る事と言えば、その為の機会を与えてあげること……それぐらいしかない。
「あ~あ、まだ遊び足りないなぁ。夏休みってどうしてこうも短いのかな」
近くにある石ころを蹴りながら、殊更に明るげな声を、無理して私は出した。オーバーリアクション、けど辺りには誰もいない。だから、恥ずかしくなんてなかった。
一方陽はと言えば、これまで話の流れを切る私の発言に唖然とした表情で聞いていた。
「どうしたの、結。頭可笑しくなったの」
「いや、そんなマジな感じで反応するの止めて。けっこう傷付くから」
唖然とした様子から、体を引いて発言する陽に思わず反応してしまう。
でも、さっきの落ち込んでいた気配が無くなったようで、少し安心した。
「いやさぁ、学校が始まったけどさ。夏休み何もしてないなぁて思って」
「1ヶ月も、何も?」
「なぁんもしてないよ。ただ寝て起きて食べてまた寝ての繰り返し。陽見たいに何処かへ出掛けたかったなぁ」
そこで、チラチラとわざとらしく陽の顔を盗み見る。もちろんやられた側は、その意味を分かっていた。
「結がそこまで言うなら、何処か遊びに行く?今週末にでも」
「本当!?」
「う、うん。だから、その、手を掴むのは止めて」
「あ、ごめん、ごめん」
思わず握ってしまった陽の手を、私は離す。彼女の顔は少しばかり赤くなっていた。こういう恥ずかしがりやな所がまた、彼女の可愛らしいポイント。
全く、川瀬君はどうして陽に振り向いてあげないのか。普通の男子なら、こんな美少女に想われていたら、イチコロの筈なのに。気づかないほど、鈍いのかな。出会って一年ちょいしかたっていない私が気づいているんだから、気づかない筈はないのに。
けど、鈍いのなら、気づかせてあげるまで機会をまわせばいい、それだけの話。
「遊びに行くならさ、大勢で言った方がいいよね」
両手を広げ、私はアピールする。でも、私の言いたいことが分からないのか、陽は首を傾げていた。
「大勢?私と二人きりじゃなくて」
「うん、大勢。まぁ具体的には高城君や川瀬君も誘おうよ」
「……広も?」
「うん、川瀬君も。この前の四人でさ、テスト明けとかなんとか言ってパァッと遊ぼうよ……川瀬君と一緒だと嫌な理由でもあるの?」
「いや、それは。てもう、結分かって言ってるでしょ」
頬を膨らませる彼女。無邪気なこの表情を見せれば、川瀬君を落とせるんじゃないかと考えたけど、陽がこの顔を川瀬君に見せるとは思えなかった。
「何のことだか、さっぱり分からないね。で、結局どうする行く、行かない?」
ちゃっかりと私は主導権を握る。こうなってしまえばこっちのもの。だって、陽は基本、押され弱いんだから。
頬を萎ませた陽は、直ぐに答えを出さずしばらく考えていた。けど、それも長くは無かった。
「……分かった、行くよ。結や見治、それに……広と一緒に」
頬を赤く染め、私から目を逸らしながら答える陽。そんな彼女を見て、私の頬は緩む。
それでいいんだと。陽は川瀬君を想っていればいいんだと。
川瀬君への疑問、先生への疑問、そして……陽への疑問。それらを私は押し隠す、考えないようにする。普通の恋しか、考えないように。
浮かびつつあった、疑問を押し隠し、恋を知らない私はこれまでと変わらない態度で、陽と接していく。




