31話 結婚事情(視点:崎島教助)
今回の話は川瀬広らの担任であり、川瀬添の想い人である崎島教助先生の話となります。今後は教助先生を入れた5人の視点で話を進めていきます。
物心ついた時から思っていた。自分は誰なんだろうと。
別に、哲学めいた思考を幼い頃からやっていた訳ではない。
両親は良く私の事をこう言っていた、大人しく物分かりがいい、良い子と。けど、私から言わせれば自分は空っぽの、何もない子供だった。
何もないから、人の言うことを聞くことしか出来ない。何もないから、何も行動できない。
私から見れば同年代の、親の言う事を聞かず、好き勝手に動き回る子達の方が私より何倍も良い子であった。
そんな思いを、幼稚園児ながら抱えていたある日、私はその後の人生を変える出来事に遭遇する。
その日、良く一緒に遊んでいた子が、唐突にこう言った。僕はヒーローになると。
子供向け番組に影響されたのだろう。幼稚園の男児に取っては良くある話である。
普通の幼稚園児なら張り合って僕もヒーローになるだの、そういった、子供らしい言葉を言うだろう。けど、空っぽの私はそうはしなかった。言葉にしなかったが、私は内心こう思っていた、バカではないかと。
私は私。誰かに何てなれる筈がない。だからこそ、私は空っぽな自分に嫌気がさしたのだ。
だが、そんなヒーローになると宣言した子供を、その子の両親は褒めると同時に励ました。なれると良いねとか、応援するよとか、そんな言葉を投げ掛けたのだ。
その光景を見て私は知った、知ってしまった、誰かになっても良いのだということを。
それを知ってから、私は早かった。一番身近で、近づきやすい存在である兄と、私は行動を共にするようになる。両親はそれを見て兄弟仲が良いだの思っていたらしいが、私自身は兄と仲良くするつもりなどさらさら無かった。私が兄と一緒に行動するようになったのは、ただ単に他の人と同じように自分を持つ兄の人格を手に入れようと思っただけに過ぎない。
一番近く、かつ私に一番影響を与えたのは兄だ。だが、私は別に兄に成りたかったわけではない。私は誰かになりたかった、空っぽではない自分に成りたかった。だからこそ、私は兄だけではなくそれこそ両親、友人、先輩、先生といった周囲の人々を真似するようになる。
そうして、出鱈目でキメラで、他人に影響されやすい誰かが産まれた。
ヒーローになりたいと憧れを抱いていたあの子供は、彼が憧れていたヒーローになれただろうか。否、きっとなれなかったに違いない。もし、なれたとしても彼なりのヒーローになれた事だろう。何故なら、憧れる前に、彼には既に、彼自身の人格があったのだから。
なら、私の場合はどうだろうか。周りの人を真似た私は、誰かになれたのだろうか。否、何者もなれなかったに違いない。空っぽの容器に、単純に多くの人の思いだけを詰め込んだのが私という人間なのだから。
誰でもない、昔から、そして今も。
そんな私を、その人は好きだと言ってくれた。他人を真似してばかりだった私にとって、好きと言われたのはその時初めてだった。
私は彼女と付き合い、そして結婚した。私は彼女の事が好きだった。出なければ結婚なんて真似は出来ない。
しかし、この想いを抱いているのは、本当に私、なのだろうか。
誰かによる想いではないのか、私を好きと言ってくれた彼女を真似てしまった事による想いではないのか。
分からない、私は……本当に妻を愛しているのだろうか。
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街中にある図書館。ここには学校のと比べ多くの本がある。小説から歴史、哲学、図鑑、観光案内など。夏休みに入り、2学期にある修学旅行を間近にひかえた高校2年生の教室を受け持っている教師として、事前に観光先を予習しておくのは当たり前の事である。
しかし、そうした観光案内本があるコーナーへ、私の足は赴かない。その日、図書館へと来た私の足は国際関連のコーナーへと向かっていた。
国際関連の本が置かれたコーナーは、図書館の中でも奥の、あまり人が来ない所に設置されていた。最も今の私にとってはありがたいことである。
そこには国外事情について書かれた様々な本が本棚に並べられていた。紛争に、食事情に、環境に、産業に。その中でも、目当てのものを私は見つけ出す。
『世界の結婚事情』
様々な人種の家庭が撮られている写真を背景に、タイトルにはそう書かれていた。
その本を手に取った私は、席に移動する訳でもなく、その場で立ちながら、本を開く。
本の中身は、タイトル通り、世界各国の結婚事情について乗せられていた。その中には今の日本では考えずらい夫婦の在り方についても、記されている。
同性同士での結婚や、子供同士での結婚、近親者での結婚、年齢格差が甚だしい結婚、そして……重婚についても。
重婚について記されたページには、他のページと同じように白黒写真がプリントされていた。
一人の男性が中央で立っている。その男性を取り囲むように複数人の女性が並び、彼女らの近くには子供たちもいた。
大所帯。そして、写真に写る彼らはみな笑顔であった。ニコニコと不満などないような、可笑しくなどないと言わんばかりの表情。
日本ではありえない、許されない関係性。しかし海外ではありえる、許される。
そんな写真を長いこと、それこそ食い入るように私は見つめていた。
そんな時だった、誰かの視線を感じたのは。視線を感じて直ぐ私は本から顔を上げ、辺りを見渡した。
しかし、辺りにあるのは、私より背の高い本棚ばかりであり、人など誰一人としていない。
私一人。視線を感じたのは勘違いだったのだろうか。
私はまた、手にある開いたままになっていた本に目を落とす。しかし、今度は先程のように、重婚のその写真を食い入るように見る事など出来なかった。
「バカらしい」
小声で、誰に聞かせる訳でもなく呟くと、重婚について載せられていた本を閉じる。
そして、私は本を借りることなく図書館を立ち去った。途中で感じた人の視線を、勘違いだと思ったまま。
次は四条結視点となります。




