26話 秘密が分かって(視点:四条結)
不安だった。
幾ら陽を川瀬君と二人っきりにさせる為だとは言え、あんな強引な方法で良かったのだろうかと。
嘘の約束を取り付け、川瀬君とネズミランドに行かせる。
川瀬君は、私の事を嫌ったに違いない。だって、今までのことに加え、今回の件。嫌われる土壌は十分にある。
でも、陽は、彼女はどうなんだろう。怒ったかな、こんな私を。いや、怒るならまだいい。けど、嫌われでもしたら……。
「……嫌だな」
呟いた言葉。でも、それを聞くものはここにはいない。
日曜の昼。自室にいる私はベットに寝転がっている。そんな私の手には、スマホが握られている。陽とのラインのトーク画面を開いたまま、何もせず。彼女と川瀬君を騙して送り出した私は、その日を過ごした。
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次の日、学校に行っても、私の足は陽たちのいる2-1組へと向かなかった。私の足は、私の思いを反映したかのように、動かない。そうして時間は過ぎ去っていき、時刻は放課後、部活動の時間。
階段を昇る足が、重く感じる。疲れている訳じゃない。行きたくない訳じゃない。ただ少し……怖かった。部室に行ったら嫌でも陽に会う。その時、彼女が落ち込んでいたら私は何て言うのだろう。彼女に、嫌われていたら私はどうしたらいいんだろう。
陽に、ネズミランドのペアチケットをあげたのは、私の親切心からじゃない。姉にも言ったように、恋に煩う陽を焦れったく思ったからという、自己中な思いからだ。
だからこそ、私には事の顛末を知らなければならない。その責任が、あると思う。でも、それでも怖いことに代わりはない。
だからこそ、読書部に近づくにつれ気が重くなる。
でも、立ち止まらず歩いている限り、いずれはたどり着くというもの。いつもより何倍も時間はかかったけど、私は目的地である部室へとたどり着いた。読書部とだけ書かれた質素な紙が、扉に嵌め込まれたガラス窓を覆っている。
最初はこんなのは無かった、これをつけたのは私。第三校舎には人がいないといっても、覗きこまれる可能性がある以上、気分がいいものではなかったから。
そんな昔の自分に私は感謝する。覗きこまれる側からではなく、覗きこむ側として。
深呼吸する私、落ち着けと自身に言い聞かせる。結果から逃れる事は出来ない。変わるのは知るのが早いか遅いかの違いだけ。ここまで、私は逃げてきた。ラインで陽に尋ねる事もなければ、彼女のいる教室へ向かうこともしなかった。
もう十分逃げてきた。だからこそ、ここから更に逃げるなんて許される筈がない。
扉に手をかける私。そして、そのまま淀みなく扉を開けた。
二つの机を合わせ作った簡易のテーブル。開けられている窓から風が舞い込み、カーテンを揺らす。
暖かな日差しが、部室を、そして彼女を照らしている。
黒髪ロングの彼女、けどいつもの彼女では無かった。
「結、遅いよぉ、待ちくたびれちゃったんだから」
殊更明るげな声をだす彼女。いつもよりもずっと。
いつもなら、静謐なただづまいの彼女。けど、今の彼女は違う。今の彼女はどちらかというと、活発で溌剌な雰囲気だ。どうしてそんな風に感じるのだろう。不思議に思った私だけど、あまり時間をかけずにその原因が分かった。
髪飾りだ。いつもの彼女なら、髪を留めることなく、重力のままあの長い黒髪を垂らしている。けど、今の彼女の髪には一箇所だけ、重力に逆らっている場所がある。右こめかみの部分、ネズミランドのマスコットキャラのシルエットが小さく飾られているヘアピンを彼女はつけていた。それに伴い、普段隠れていた右耳が露になっている。
真面目で物静かな彼女が、ネズミランドのヘアピンという可愛らしい髪飾りをつけ、それに伴い人前で姿を隠していた部分が初々しく現れている。
ギャップ、というのかな、こういうのは。そんな彼女を見て、率直に私は思った、可愛いと。いつも以上に。
灰色だった思いが漂白されていく。重苦しかった心が軽くなる。
無駄ではなかったと、彼女に聞く前に、見ただけでお調子者の私はそう思った。
「ごめん、ごめん、トイレに行っててね。それはともかくその髪飾りどうしたの、自分で買ったの」
彼女、陽に合わせるように明るい声を出しながら、彼女の対面、いつもの席に私は座った。質問した私だけど、実のところ、答えは分かっていた。だって陽が自分で買うはずなんてないし、まして、それを学校でつけてくる筈がないのだから。
そんな既に答えがわかっている私の問いかけに、陽は髪飾りがある右こめかみに手を当てた。
「ううん、私が買ったんじゃないの。これは……その、広からのプレゼントなの」
頰を僅かに赤くし、視線を私から逸らす彼女。
一方私はと言えば。
「ピュゥー、やるねぇ川瀬君。まさかそんな可愛らしいプレゼントを渡すだけの度量があるなんてね」
口笛を吹き、からかった。そんな私の言動、行動に陽はますます頰を赤くする。
「もう、そんなこと言わないの。第一そういう機会を作ったのは結じゃない」
「まぁそうだけどね。それでどうだった、楽しかった?ネズミランド」
「……楽しかったよ。それこそ、忘れないほど」
「それなら良かった。楽しめなかったと言われちゃ、ペアチケットをあげた私がバカみたいだからね」
笑う私、もちろんこの言葉は本心じゃない。けど、あの悩みは私のキャラじゃないから、だから押し隠す。それにもし出したって、私も陽もそれで幸せなんかなれない。だから、これで良いはず。
からかうように笑う私。そんな私を前に、陽は頰を膨らませた。
「バカみたい……じゃないわよ結。あのやり方はないんじゃないの」
「さて、何のことかな」
「とぼけないでよ。明後日一緒にネズミランド行こうっていきなり誘ってきて。あまつさえその次の日に、行くための服を一緒に選ぼうよ、とか言って私に服やバックを買わせた癖に」
「悪かったよ、それは。もうしないよ」
「本当に?」
「本当に」
笑みを携えつつも、少し改まった表情を意識して、私は答えた。この部分は大真面目だ。もう騙し討ちみたいな真似はしない。今回は良い結果になったけど、悪い結果になる可能性だって十分あったんだから。
そんな私の顔を見て、頰を膨らませていた陽は、元の顔へと戻る。
「まぁ……それなら良いけど」
「うん、だからさ、次にするときは初めから陽に言うね。川瀬君と二人っきりにするって」
「もう、結ったら、分かってないんだから」
笑う私、笑う陽。私たちの声が、小さな部室に反響し、私たちを包み込む。
こんな日が続けば良いと思った。こんな自然な、ごく当たり前の毎日が、今の私にとって何よりの宝物だった。
ーーーーーーー
次の日、朝の学校にてホームルームが終わり廊下へと出た私は、偶然川瀬君を見かけた。川瀬君は急いでいるのか、駆け足で廊下を駆けて行く。
陽には、ネズミランドの件で謝罪した。けど、川瀬君にはまだしてない。謝らなくちゃと思った。そんな軽い気持ちだった、その時は。
後悔してるか、と言われれば後悔してないと思う。気まずくはなったけど、そうなると分かっていても、私は川瀬君の後を付いて行ったと思う。陽が好きになるほどの人。その人のことを私はまだ十分に知らないのだから。
川瀬君と教助先生が渡り廊下にて話をしている間、私は同じく渡り廊下にあるロッカーの陰に隠れていた。川瀬君に付いて行った矢先、彼が教助先生を大声で呼び止めたため、何事かと思い、隠れた格好である。こういう盗み見は初めてだったから、その時の私は内心緊張していた。
けど、抱いていたはずの緊張はいつの間にか何処かへと消え去ってしまう。盗み聞いた話の内容、そして盗み見た川瀬君の態度の急変。緊張なんて抱く暇すらない。
ただ、これだけははっきりと自覚できた。見ては、聞いてはいけなかった事柄だと言う事に。
本来居てはいけない現場、そのままひっそりとバレないように逃げても良かった。でも、この時の私は、逃げずにそのままロッカーの陰に隠れ続け、あまつさえ教助先生が居なくなった後、落ち込んでいた川瀬君に惹かれたかのようにロッカーの陰から躍り出てしまった。そこからはもうグダグダ。
私自身が出ようとは思っていなかった、また見てはいけないところを見てしまった、という自覚もあり言葉が上手く出なかった。そんな私に気遣ったのかどうか知らないけど、川瀬君がネズミランドの話題を先にあげてくれたのは助かった。
おかげで、彼に謝罪できたし、それに彼がどういう思いで陽と一緒にいたのか、分かったから。
でも、それも、長くは続くかない。だって私は見て、そして聞いてしまったのだから。
川瀬君が『どう思った?』と尋ねた時はさすがに少し驚いた。嫌な、恥じであろう部分を見られた彼が、何故そう尋ねたのか、私には分からない。
でも、川瀬君という人物を真に考える上で、良い機会かもしれない。そう思った私は、川瀬君とのこれまでを振り返った。
そうして思い出した事が、川瀬君と兄弟に関して話をした時のことだった。
川瀬君は妹の誕生日プレゼントを喜んでいた、それこそ言ってはなんだけど異常に。それにあの時の彼の瞳、あれは何だったんだろう。それに同じく妹がらみとして、先程の川瀬君の落ち込みの理由も、彼の妹が先生にプレゼントを渡したからだ。
妹がらみ。兄妹としての血の繋がり。
……本当に兄妹として?
その考えが思いついた時、身の毛が逆立ち、顔だけじゃなく体中から血の気が引いた。嘘だと、拒絶したかった。けど、思ってしまった考えは消えず、頭の中に残り続ける。
「……言わなきゃダメ?」
私は川瀬君に尋ねた。半ば、期待して。でも、その期待は裏切られた。
「無理強いはしないよ。けど、本音を言えば、聞きたい。四条さんにどう思われているか」
相も変わらず、川瀬君は尋ねてくる。それこそ逃げずに。
珍しく言い切った彼……まぁ、彼と話してまだ一ヶ月ちょっとしか経っていないから、珍しいというのは可笑しいんだけど。でも、普通な彼がここまで決意した表情をしているのは、良い意味で彼らしくない気がした。
そう言う意味でも私は、やっぱりまだ川瀬君を知らないのかもしれない。意を決した川瀬君、そんな彼を前にして、逃げてはいけないと思った。彼の思いに答えなくてはいけないと、幼馴染でもなければ友達でもないのに、思ってしまった。
だからこそ、私は言った、言ってしまった。心に留めておくべきだったかもしれない言葉を。
「川瀬君……妹さんの事、好きなの?」
言ってしまった言葉は、言った本人の意思に関係なく漂い、辺りにいる人の耳に入る。この場合は前にいる人の耳へと。
川瀬君が答えるまで、間が合った。と言ってもそれは当たり前だ。だって、誰だってそんな事言われれば固まるに決まってる。
幾ばくかの間があった後、川瀬君は否定した、そんな訳ないと、笑いながら。そんな彼に伴い、私も破顔する、そんな訳ないよねとか同じような言葉を言いながら。
そうして、私は川瀬君と別れた。一時の答えを胸に抱いて。
好きになれる筈がない、兄妹でなんて。血が繋がっているのに、そんな目で兄妹を見れるわけがない。そう、きっとこれは私の勘違い。川瀬君も今はっきりと否定した。
でも、何故だろう。私はその考えを全て捨て去る気にはなれなかった。
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放課後の部室。前にいる陽はジュースを紙コップに注いでいく。読書をする間の飲み物だ。
トクトクと、液体が紙コップを満たしていく。同時に私のこの思いも満たされていく。言うか、言うまいか悩んでいた均衡が崩れていく。
ジュースを注ぎ終わり、陽は席へと座る。一方手を動かしていなかった私は声を発した。
「ねぇ、陽、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「いいけど、何?答えられることならいいんだけど」
微笑む陽。何も知らないと言った表情だ。そんな彼女へ、私は言葉を発する。朝の時と同じく、重大な言葉を。
「川瀬君ってさ、妹さんの事、好きなの?」
放った言葉、朝と同じように前にいる人へと届けられる。けど、そこからは違った。陽は即答した、何の迷いもなく、間が合った川瀬君とは違って。
「知ってるよ」
先程よりも更に微笑みを強くした陽。けど、私から言わせれば、彼女のこの答えは的を得ていなかった。
「違うよ、そう言う意味じゃなくて……」
「じゃあどう言う意味?」
首を傾げる彼女。それに伴い髪が揺れ動く。髪留めをつけてある箇所を除いて。
それを見て、私の考えは変わる。絵を塗り潰すかの如く全く異なった色へと。
「……ごめん、やっぱり何でもない」
首を振り、私は自らの言葉を否定した。やっぱり言うべきではないと思ったから。
川瀬君に夢中な陽。そしてこれはその川瀬君を貶める情報だ。彼女の目を覚まさせるためなら、言った方がいいに決まっている。妹が好きな男なんてキモい以外の何者でもない。
でも、やっぱり純粋な、それこそ彼から貰った髪飾りを大事そうに、今日も髪に留めてある陽に言える訳がない。
知らない方がいい、こんな事。それにこの情報が正しいなんて証拠はない。あくまで私の推測に過ぎないのだから。
そうだ、証拠なんてないんだから、間違っているかも……いや間違っているに違いない。だって、私は頭脳明晰な推理小説の主人公じゃないし、それに……陽が好きになった人が、妹が好きな変態だなんてあまりにも……酷すぎる。
忘れよう、こんな事。川瀬君は普通。それでいいじゃないか。
陽は既に読書に入っていた。時計を見ると、既に部活が始まる時刻を過ぎている。私も急いで、バックの中から読みかけの文庫本を取り出すと、栞が挟んでいるページを開いた。
文字が埋め尽くされたページ。いつもならワケもなくスラスラと読める。なのに、今日に限ってやけに読みづらく感じるのは何でなんだろう。
次は川瀬添視点となります。




