25話 バレた秘密(視点:川瀬広)
ネズミランドの一件は、完璧とはいかないにしても、僕にとっては、満足のいく結果となった。終わりよければ全て良しとは、まさにこの事を言うのだろう。
僕は四条さんに頼まれていた陽の変調の理由を知ることは出来なかったし、それに途中陽を悲しませてしまった。これだけ見れば、失敗なのだけど、今の僕にはやはりそうは思えない。
あの、プレゼントを渡した時の陽の表情。そして、今も僕のプレゼントであるヘアピンをつけている彼女を見ると、どうでもいいとは言い過ぎだけど、それでも解決したように思える。
実際はそんなことないんだろうけど。
四条さんには、何て言えばいいんだろう。結局貴方の言っていた陽の変調とやらは、分かりませんでしたと言うしかないのだろうか。
怒るかな、そんなこと言ったら。けど、しょうがないじゃないか、聞いたけど陽は答えてくれなかったし、それに無理矢理聞いたら聞いたで、あの時のように、陽が落ち込んでしまったら嫌だ。
けど、取り合えず四条さんには会って、約束を果たせなかったことと、チケットをくれたことへの感謝をした方がいいのだろう。
騙された形となったのは、少し釈然としないけど、そうもしなければ僕は行動出来なかったし、それに僕自身行って良かったと思うから。
と、ネズミランドへ行ってから2日が経った水曜日の、朝のホームルーム中、ぼんやりと僕はそんな事を考えていた。
教壇には、教助先生がいる。先生はいつものように、教室全体を見渡しながら、その日の連絡事項を話していく。
すらすらと、話す先生。そんな先生の話を聞き逃さないように熱心に耳を傾ける生徒もおれば、窓からの景色に目をやり物思いに更けている生徒もいる……流石にスマホを弄っている生徒はいなけど。
そう言う僕は、この場面では不真面目って事になるのかな。けど、それも悪くない。中途半端よりは。
そんなおり、先生の言葉が止まる。そして、先生はスーツのポケットに、手を入れた。
先生は、時おり連絡事項を忘れる癖がある。その度にポケットからスマホを取りだし、内容を確認するのだ。
それは、若い先生らしくもあり、そして同時に少しばかり先生のキャラとはずれているようにも、僕には思えていた。
けど、その日、先生がポケットから取り出したのはスマホなんかじゃ無かった。先生が取り出したのは黒い表紙のメモ帳、いやスケジュール帳だった。それをパラパラと捲り、目当てと思わしきページを開くと先生は、止まっていた話の続きを始める。
でも、それは可笑しくはないこと。スマホのスケジュール機能を止め、実際のスケジュール帳を使うことぐらい。それこそ、先輩の教師に言われれば、先生だって改めざるを得なくなる。
だからこれは可笑しくない。可笑しいのはそんな先生を食い入るように見つめる僕の方。
過ってしまう、ある考えが。そして、恐らくその考えを思い付いてしまうのは、教室内で僕だけに違いない。
僕は知ってる、先生に好意を寄せる人を。それに加えここ最近のプレゼント関連から、思い至ってしまった。
そうして、思い至ったら、僕はどうしようもないくらいじっとなんてしていられない。
そんなホームルームが終わり、次に来るのは授業が始まるまでの少しばかりの休憩時間である。その僅かな間、教室内は喧騒に包まれる。そんな中、前の席に座る見治が、僕に何か話しかけてきた。
けど、僕はそんな見治を無視した。そして、立ち上がると一目散に教室の外へと出る。僕らしくない中途半端ではない行動。でも、それを嬉しがる僕じゃない。今の僕には教室を出た先生の事しか、頭になかったのだから。
ーーーーーーー
先生に僕が追い付いたのは、僕らの教室がある第二校舎から職員室がある第一校舎へと繋がる渡り廊下だった。
朝の時間帯、ここはあまり人気がない。だからと言うわけではないけど、意識せずに僕は大声を出していた。
「教助先生っ、待ってください!」
前で歩いている先生に僕は声をかける。
その過剰とも言える大声に何より驚いたのは僕自身だ。こんなに大きな声が出てしまうとは思わなかった。だからこそ、困惑する。
でも、本当に困ったのは、その後であった。
「川瀬君ですか、どうなさいましたか?」
僕の突然の大声に、嫌な顔せず教助先生は足を止め振り向いてくれた。
その優しさ、物腰の柔らかさと言ったら見治も及ばない程。そういった部分を見せつけられると、己の器量の小ささを思い知らされる。
けど、それは長くは続かない。だって、僕は言葉を整理せずに先生に声をかけてしまったから。
何を言いたいのか、具体的な指針すら考えず、衝動だけで飛び出しここまで来た。
ネズミランドの時といい、こう言う機転を必要とするような場面。僕は弱く、そして、それは変わらない。今でも。
「あっ、えっと、その……」
乞音なんて、無い筈なのに言葉が上手く出ない。そんな僕を、先生は焦らす事なく待ってくれる。微笑を絶やす事なく。
そんな大人の先生を見てると、思ってしまう。妹が好きになるのも無理無いなと。
妹、彼女の事を思った瞬間、僕の口は滑らかになった。
「先生、持っていたスケジュール帳、誰かに貰ったんですか」
妹はいつも僕に勇気をくれる。この時も。
僕は人として情けない姿を見せられないと感じる。もっともだからと言って先程の失態は取り消せないのだけど。
平常心へと戻った僕の質問に、先生はポケットからホームルームの時出していたスケジュール帳を取り出した。
「これですか、はい貰いました」
「……誰に、貰ったか聞いても良いですか」
意を決して僕は尋ねる。けど、僕には先生の答えが半ば分かっていた。もっともそれは勘によるものだけど、不思議と外れていないように思えた。
今の僕には、先程の情けない姿や、先生のような微笑みはない。これほど真剣だったのは久しぶりと思えるほどに、僕は重々しく言葉を吐き、先生と対峙している。
誰もいない渡り廊下、僕と対峙するのは、穏やかな教助先生。
多分、いつにもまして真剣な僕、そんな僕を前にしても先生はその穏やかな微笑みを崩さなかった。
「貰った人は、川瀬君の妹さん、川瀬添さんです」
呆気からんに僕に取っては衝撃的ともなる言葉を、言った先生。でも、その先生の言葉に僕は驚かなかったし、動揺もしなかった。ただ、あぁやっぱりそうかと言った思いを抱くだけ。
僕は固くしていた表情を緩める。そして次に表に出したのは、普通の、何の不平不満も無いような男子高校生の顔つきである。
「添ですか。迷惑じゃなかったですか。プレゼントを貰って」
「とんでもない。本当は生徒から物を貰うというのはあまり、宜しくはないのですが、私も人間ですから。誕生日に祝いのプレゼントを戴くというのはやはり……嬉しいものです」
はにかむ先生。ほのかに頬も赤くなっているようにも見える。
本来、普通の兄ならこう言う場面だと喜ぶべきなのだろう。妹のプレゼントが相手に喜んで使われていることに。でも、僕は違う。
僕が妹に抱く思いは普通ではない。だからこそ、先生と別れた後、僕は肩を落とした。
先生には、見せられない、こんな姿。僕の為じゃない、妹の為だ。
だって、僕が不安げな表情を見せたら、先生は遠慮がって、妹のプレゼントを使わなくなってしまうかもしれない。それは嫌だ。だって、きっと、妹は先生のプレゼントを真剣に選んだはずなのだから。僕と同じように。
報われない恋。それは分かってる。でも、それでも頑張りまでは否定してはいけない気がした。だって、僕は嬉しかったから。僕のプレゼントに妹が喜んでくれて。
けど、それでもやっぱり……悔しい。僕も妹に誕生日プレゼントを貰ったのだから、妬む事なんて無いのだろうけど。でも、意味が違う。身内にあげるのと、身内以外にあげるとでは。
だから、せめて落ち込ませて欲しかった。思う存分、悔しがり、悲観したかった。
先生が去った渡り廊下にて、一人ため息をつきながら肩を落とす僕。
周りに人がいない分、思う存分ため息を吐け、肩を落とせる。そうして、気分を安定へと持ち直した僕は、踵を返す。教室へと戻る為に。
けど、そこで、教室へと続くはずの僕の足は止まった。何故なら見て、そして知ってしまったから、一人では無かったということに。
クリーム色の癖っ毛を携える女子、四条結が僕の視界に入っていた。
ーーーーーーー
溌剌かつ活発さが特徴の四条さんではあるけど、この時に限っては、表情を曇らせていた。さながら見てはいけないものを見てしまったかのように。
この、見られてはいけないものを、人に見られてしまった場合、普通なら誤魔化すか、素直に認めるか、この二択だろう。けど、この時の僕は違う。
四条さんが目に入った時、僕が思った事は別の事だった。
「四条さん、おはよう。それと、一昨日はありがとう。お陰で楽しむことが出来たよ」
本来なら慌てる場面。けど、自分でも驚くほど僕は普通でいられた。
逆に慌てていたのは四条さんの方である。彼女はこんな僕を見て、目をパチクリし、どう対応したら良いのか分からない様子であった。
「あっ、う、うん。それは良かった。騙すみたいに渡す結果になったから、喜んでくれたかどうか不安……だったから」
先程の先生に対しての僕みたいな反応をする四条さん。そんな彼女の前に立つ僕。でも不思議と何だか彼女が前に立っていないような、もっと詳しく言うなれば僕がここにいないような、そんな現実離れした感覚にこの時、僕は陥っていた。
だから、これからの僕の会話は僕が意識して出したものじゃない。他人から操られているかのように、僕の意識外から出てきた言葉だ。
「まぁ確かに、あの渡し方は少し無いかなとは思ったけどね」
「い、いやそれは……ごめん。そうしないと川瀬君と陽、二人っきりにならないから」
「うん、四条さんの言うとおり、そうしないと僕は陽とは二人っきりになれなかった。だから、本音を言うと四条さんの事を恨んではないんだ。寧ろ感謝したいほどだよ。だって、最初に言った通り、楽しかったんだから」
「川瀬君……」
「謝るのは僕の方だ。だって、恥ずかしながらこの前四条さんが言ってた、陽の変調の理由を突き止める事ができなかったんだから。一応は彼女に聞いたんだけどね……はぐらかされてしまって」
「あっ、そっち……ううん。良いよ別に。それは解決したから」
「そう?それは良かった」
会話していく僕たち。けど、きっとここに僕ら以外の第三者がいたら、僕たちの事は奇妙に見えたに違いない。
普通に話す僕と、視線を泳がせたり腕を擦ったりして落ち着きがない四条さん。
さながら、映画の脅しシーンだ。でも、これは脅しではない。脅しだとしたら、実際に脅されているのは寧ろ僕の方だ。
元々、ネズミランドに関しての話題も限界があった。そうして、ネズミランドの話題が尽きたのが、切っ掛けで僕の夢のような、現実離れとなっていた感覚も元に戻る。
そして、僕は実感した、今現在相当まずい状況に自身がおかれているということを。
僕も四条さんと同じように落ちていく。挙動不振となってしまう。
お互い沈黙となる。声ひとつない、渡り廊下。けど、その突き当たりから声が鳴り響いている。雑多な何を話しているか聞き取れないほど混ざりあった声、僕が戻ろうとしていた場所。
けど、その場所へ行こうにも、前にいる彼女を退かさなくてはいかない。けど、僕は不良でも無ければ、見治みたいに口も上手くない。
普通な僕。初めから分かっていた筈だった。けど、それを先伸ばししたいが為に、僕の本能が場違いな話題を持ち出した。
ここからは、僕の意思。一言一言が、僕の言葉だ。
「……聞いて……た?」
沈黙を破るように僕は尋ねた。本題とも言うべき事柄を、四条さんから顔を逸らせつつ。けど、視界の隅にはどうしても彼女の顔が入ってしまう。
四条さんは、僕の言葉に一瞬瞳を大きく見開く。しかし、それも長くは続かず先程と同じように瞳を細め視線を泳がせる。そうしてしばらく彼女は逡巡していたが、やがてゆっくりと首肯した。
「聞いてた……妹さん、教助先生にプレゼントを渡したみたいだね」
「うん、そうなんだ……妹は写真部で教助先生はその顧問だから……」
「うん、知ってる。陽に聞かされた事があるから」
「そう……知ってたんだ」
「……うん、知ってた」
違う、話題は合っているけど、話すべき事はそこじゃない。聞かない方がいいかもしれない。なあなあで済ませた方がいいかもしれない。でも、やっぱり聞くべきだと思った。だって、見られてしまったのだから。
ため息を吐くと、僕は四条さんに顔を合わせる、きっと醜くなっているだろう己の顔を。
「……どう……思った?妹が先生にプレゼントを渡したと知って落ち込んでいる僕の事を」
無理に笑みをつくろうとしたけど、上手くいかなかった。顔が歪んだまま凝り固まっている。苦しみが顔に出てしまっている。
そんな僕の顔を見た四条さんは、顔を僅かに歪ませた。きっと僕とは違う理由で。
顔を歪ませた四条さんたけど、その後彼女は顔を俯かせると、目を瞑った。そしてその格好のまま彼女は口を開いた。
「言わなきゃダメ?」
「無理強いはしないよ。けど、本音を言えば……聞きたい。四条さんにどう思われているか」
「……分かった、言うよ」
そこで、四条さんは目を開けると同時に顔を上げ、僕に視線を合わせてきた。彼女の瞳にはまだ戸惑いの色があった。けど、それを押し返す強さも、またそこにはあった。
「正直言って、川瀬君の気持ちは分からなくもない。私にも弟や妹がいるから。でも、それでも落ち込み過ぎだと思う」
「うん」
「それに、その理由は何かその、普通とは違うように……見えて。だってそれじゃあまるで……」
「まるで?」
言葉を区切る四条さん。彼女はため息を吐いた。きっとさっきの僕と同じ意味を持つため息を。
そして、彼女は言った、外へと出した。僕が隠し続けていたことを。
「川瀬君……妹さんの事、好きなの?」
……時が止まったかと思った。彼女が、キョトンとした顔のまま僕を見つめてくる。
話さなきゃ、言わなきゃ。分かっていた事の筈なのに、覚悟していた筈なのに、それでも口が上手く動かない。顔から血の気がひいていくのが分かる。
でも、それが言わなくていい証明にはならない。そんな僕だからこそ、四条さんの問いかけにどれくらいの間隔を置いて、答えられたか、僕には分からなかった。
「好きな筈がないよ。ただの妹思いな兄、それがこの僕、川瀬広さ」
冗談みたいに僕は、わざとらしい口調と声音で発言する。それが四条さんに伝わったのか、僕の言葉を受けた彼女もまた、顔を綻ばせてくれた。
「そうだよね、そんな訳ないよね。だって気持ち悪いもん。妹を好きになるなんて」
「そうだね、兄妹なんだから、好きになる筈がない」
笑う僕。その後、少しばかり僕らは雑談をした。なんて事はない、思い出せないくらいの意味もない会話。そんな会話が終わった後、四条さんが先に教室へと戻っていった。
四条さんが、去った今、ここには僕一人しかいない。
一人となった今の僕は落ち込んでなんかいなかった。誕生日パーティの時とは違い、妹への恋心を否定しても、僕は平気でいられる。だって妹が好きだという思いは変わらないから。
でも、何だろう。何かが崩れていく音が、聞こえた気がした。
次は四条結視点となります。




