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24話 向こう岸へ 〃

 職員室には、大勢の先生方がいた。その多くがコーヒーやお茶を手にしながら、近くいる人と話をしている。恐らくは午後の授業や受け持った部活とか、そんな所に違いない。

 そんな雑多な場所でも私は彼を直ぐに見つけることができる。


 メガネの奥に輝く優しげな瞳、そして絶えることのない微笑み、教助先生。職員室のおよそ真ん中にいる先生は、他の人達と楽しげに話をしていた。

 そんな教助先生の元へ私はいけない。先生と生徒、両者の間には決して渡ることが出来ない深い谷が存在する。でも、少なくとも、少し前までの私はその谷を渡るための術を持っていた。それを使って向こう側へ行けたはずだった。でも、今はその術が分からない。

 

 谷の向こう側、楽しげに話をする先生。そしてそれをドア越しに見る私。

 いつもと変わらぬ場面。あるのは越えられない深い谷。そして、それを乗り越えるための術がもう、私には見えなかった。


ーーーーーーー


 何がしたかったんだろう、私は。貴重な昼休みを棒に振って、どうすることも出来ない景色を目の当たりにして。

 花や戸塚は不思議がっているのかな。昼御飯を食べ終わって早々、廊下へ一人飛び出した私を。

 

 でも、一番不思議がっているのは私自身だ。職員室のドアから教助先生を見るためだけに中を覗くだなんて。花の事をバカに出来ない。これじゃあまるでストーカーだ。


 でも……やっぱりこのままなんて嫌だ。私が早く生まれれば良かったのに。あと十年早かったら私は先生と同学年になれた。対等にいられた。

 けど、そんなもしも、何てなんの役にもたたない事ぐらい分かってる。大事なのは今。

 でも、今のこの現状を私は望まない。変わりたい、変わって先生の隣に立っていたい。先生の特別になりたい。

 叶わぬ思いかもしれない、届かない願いかもしれない。でも、願わずには居られない、思わずにはいられない。

 思いが強ければ強いほど、輝けたら良かったのに。そうすれば、悩まずにすんだ、先生は私を見てくれた。

 容姿端麗でも、頭脳明晰でも、運動神経が良い訳でもない、普通な私はそう思わずにはいられなかった。


 そんな堂々巡りの考えを浮かべながら私は廊下を歩いていく。通りすぎていく人達は、そんな私を嘲笑うかのように他の人と笑顔だ。

 そしてそれは、昇降口でも同じ。自分達の教室がある二棟校舎へと行く途中、私は昇降口のある渡り廊下を通った。

 昼休みが終わるまであと数分ということもあり、幾人かの生徒達が昇降口から校舎へと上がってくる。

 きっと昼練を終えたばかりなのだろう、汗をかきながらも彼らはみな無邪気にはしゃいでいた。あちぃとか水飲みてぇとか、そんな男言葉をつかいながらも、彼らの表情は明るい。

 そんな彼らのことが、私は羨ましかった。だって、彼らは今の私のような気持ちなんて抱かないに違いないから。

 

 私も運動すれば、スッキリするのかな。

 そんな、逃避にも似た思いで、私は校舎へと上がっていく人達を見ていく。

 暗くて、覇気がない私。けど、そんな私に、気を使う人がいた。


「あれ、添ちゃん。久しぶりだね」


 校舎へ上がる人達の群れから、一人の男性が手を挙げてこっちを見てきた。

 爽やかな笑顔を携えた男子、見治先輩である。そんな彼の笑顔を見ると、私の心は幾分か楽になった。


「こちらこそ、お久しぶりです。見治先輩」


 私は言葉と共に会釈する。普通の返事をしたつもりだった。けど、私が思ってた以上に、他人から見た私は酷い顔をしていたらしい。

 

 見治先輩は一瞬固まると、直ぐに一緒にいた人達に声をかける。何を言っているのか聞こえなかったけど、人の群れから外れた所を見るに、先に行ってくれとか、そんなところなんだろう。

 見治先輩はやって来る、私の元へ。いつものあの優しくも強さがある微笑みを携えて。

 

「何処か行こうか、飲み物でも奢るよ」


 優しげな声、でも拒否することを許さない強さを持つ声。それが悩みがある相手に対して、することが出来る最善策だ。けど、そうだと分かっていても実行するのは容易くない。普通の人なら躊躇うか、出来たとしても不格好な仕草になってしまう。

 でも、それを難なくこなすのが、高城見治という兄の幼馴染であった。

 

ーーーーーーー


 私たちは体育館近くにある、自動販売機の前にいた。昼休みが終わろうとするこの時間帯では、周りに人はいない。

 見治先輩は、そこで、牛乳パックとコーヒー牛乳パック、二つを買う。


「どっちがいい?」

「えっと、そっちで」


 私は牛乳の方を指差す。好きとかじゃなくただ単に、戸塚が飲んでいた光景を思い出したからである。

 見治先輩は牛乳の方を私に手渡すと、残っていたコーヒー牛乳の方にストローをさして飲み始めた。それにつられ私も渡された牛乳にストローをさし飲み始める。


 牛乳なんて、飲むのは中学の給食以来、牛乳ってこんなにまろやかだったけ? 

 口当たりの良い飲み物は、心を癒してくれる。どす黒い心を漂白するみたいに。

 見治先輩はここまで考えていたのかな。

 

 しばらくの間無言で、それぞれの飲み物を飲んでいく私たち。先にストローから口を離したのは私だった。それにつられるように見治先輩もストローから口を離す。


「どう、気分は良くなった?」

「はい、少し楽になりました」


 牛乳パックを両手に抱え、私は微笑む。でも、まだ本調子じゃない。まだ、心には黒いものがわだかまっている。

 そんな私の微笑みは上手くいかなかったに違いない。だって、私を前にして、見治先輩は瞳を細めたんだから。


「相談に乗るよ。俺でよければ……だけど」

「……良いんですか?」

「良いもなにも、俺と添ちゃんの仲じゃないか。最も頼りにならないかもしれないけど」


 肩を竦める見治先輩。そんな彼に私は首を振る。

 今の私が持つカードのなかで、見治先輩ほど、上等なものはない。それこそ、兄はもちろん友達や、陽先輩よりも。


「そんな事はないです。見治先輩ほど頼りになる人はいません」

「そう言われると、少し恥ずかしいな……よし、それじゃあそんな添ちゃんのイメージを崩さないようにしなくちゃね。悩みを聞かせてもらえないかな」


 頬を掻く見治先輩。そんな彼に私は言う。先程とは違い、意識して私は口にした。


「プレゼントを渡したい人がいるんです」


 見治先輩の瞳を、見つめながら発言する。それはひとえに覚悟を決めたことの裏返し。先送りにしてきた自分との決別の証でもあった。

 そんな私の視線を、見治先輩は受け止めてくれる。その上、見治先輩も私の瞳から心意を推し測るように、見つめ返してくれた。兄なら絶対逸らしてる。

 そして、私が信頼する見治先輩はゆっくりと、それこそ大事そうに、言葉を口にした。


「……好き……何だね、その人の事が」


 神妙な口ぶりの見治先輩。そんな彼に私もまたゆっくりと首肯した。


「はい、好きです、その人の事が」

 

 言った、友達には言えなかったことを。でも、それは友達よりも見治先輩が大切だからじゃない。

 何処から来たものか分からないけど、見治先輩は深く追求しないこないだろうという信頼があった。だから言える、先生が好きだなんて言わずにすむという確信があるから。

 そしてその、信頼は……。


「そっか、好きなんだ」


 裏切らない。流石見治先輩、私たちの期待を裏切らない。そんな彼だからこそ、私は言える。この思いを。


「はい、好きで、だからこそ悩んでいるんです」


 胸に手を当てる。

 心臓が高鳴っているのが分かる。緊張しているんだ私は。けど、それは、止める理由にはならない。


「……それは、怖いって意味なのかな。プレゼントを相手が気に入ってはくれないのではないかと、思ってしまうから」

「……はい、そうです」

「そうか……」


 そう言うと見治先輩は、私から目を背けた。考え事をまとめる為なのだろうか。先ほどまで目線を合わせていた分、今見治先輩が何を思っているのか分からない。それから私たちの間に流れたのは無言だった。

 鼓動が早くなる。まばたきを意識してしまう。見治先輩の動きが気になる。

 そんな不穏とも思える空気が1分程経った頃、見治先輩がようやく動いた。


「……心配ないと思うよ。添ちゃんの思いはきっと相手に伝わる」

「……どうして、そう思うんですか」

 

 私に再度向けられた瞳。そんな先輩の瞳は先程よりも深く、感情がこもっているように私には思えた。


「添ちゃんは、その人の事を思っているんだよね」

「はい、そうですが……」

「なら、大丈夫だよ。いつだってプレゼントに大切なのは、思いが籠っているかどうか、だからね」


 微笑む見治先輩。安心だと、分かるように。そんな先輩と、言葉を聞いて、縮こまっていた心が動き出す。

 

「……思いさえ、あれば良いんですか」

「相手に伝わればね。添ちゃんもそう言う経験があるんじゃないかな」


 見治先輩は語りかけてくれる。先輩はいつだってそうだ、他人の事を思っていてくれる。そして、それに私は甘えてしまう。


 経験、思えば私が誕生日プレゼントをあげたとき兄はどうして泣くほど喜んでくれたのだろう。

 どうして、私は兄からのポストカードを嬉しく思ったんだろう。

 どうして、陽先輩はあんなに兄のプレゼントを喜んだんだろう。

 

 きっと、それは思いが籠っていたから。そして、それが相手に伝わったから。

 何年か越しのプレゼント。思いが籠っていない筈がない。そして、それが伝わらない訳がない。

 ポストカードだって、兄の思いが伝わったから。必死に悩んで、それでも結局選びきれなくて、気になったもの全部買ったんだろうって。

 陽先輩のだってそうだ。ヘアピンのプレゼントは、自身の髪が長いことを兄が心配してくれたという証なのだから。

 どれも思いが籠ってる。先輩は真理をついていた。


「手作り……じゃなくてもいいんですか」

「いいよ、既製品だって充分思いは伝わるから」


 優しい声、心に染み渡る。もう、私の心は動き出していた。


「その顔を見るともう大丈夫みたいだね」

「はい、お陰で助かりました」


 そこで、ようやく私は微笑む事が出来た。作り笑いなんかじゃなく、それこそ自然な、心からの笑み。

 それを見て見治先輩もまた微笑みを返してくれる。


「その笑顔なら、相手もきっと喜んでくれるよ」

「こうなれたのも見治先輩のお陰です。本当にありがとうございました」

「いや、良いさ。それより昼休みがもう終わりそうだ。教室に戻った方がいいよ」


 先輩は再度ストローに口をつけ、コーヒー牛乳を飲み終わると、空になった容器を自動販売機の横にあるかごに入れた。

 それを真似るように、私も急いで牛乳を飲み終わると、かごに放り投げる。カラッと乾いた音を響かせ、容器が他の容器と接触する。


 それを確認するまでもなく、私は踵を返し教室へと向かった。5限目が始まるまであと僅かしかないと、時間を見ずとも感覚で分かっていたからである。

 走るに近しい早歩き。そそくさと足を動かす私だけど、ふとある疑問が頭を過った。後へと続く足音が聞こえないのだ。


 私は教室へと向かっていた足を止め、後ろの小さくなった自動販売機を見る。そこには未だ立ち止まった状態の見治先輩がいた。

 先輩は、空の容器が積み重なったかごを見ている。昼休みが終わるというこの時に、何故見治先輩がゴミ箱であるかごを見ているのか私には分からない。

 ただ、その時の先輩の瞳は、皆が知る完璧な見治先輩ではなく、兄と同じ曇りある瞳をしていたように、私には見えたのだった。


ーーーーーーー


 胸が高鳴る、顔が熱い、息が上手くできない。

 いつも通りにはいられない。きっと今の私はおかしい。でも、休もうなどとは考えられなかった。思いはもう止まらない。もう、動き出している。だったら後は、自身の思いに正直になるだけ。

 

 動け、私。届け、私の、思い。


「先生っ!」


 私は叫んだ、目一杯。周りに人がいないから出来る芸当。

 放課後の中庭、ここには私と先生、二人しかいない。だからこそ今しかない。

 部活に先生が来てくれたことにより生まれたこの瞬間を、逃すわけには行かない。

 他の部員達が、先生から出された課題を撮りに校内へと散らばる中、私は先生と向き合う。写真以外の理由で。


「何ですか、川瀬さん。私を呼んで」


 前を歩いていた先生が立ち止まり、後ろにいる私へと振り返る。

 今、この瞬間だけは、先生の瞳の中にいるのは私だけ。けど、きっと先生からは、私なんて他の生徒と同じようにしか見えていないに違いない。先生と生徒である私には乗り越えることが出来ない深い谷がある。

 けど、そんな谷に橋をかけることは出来る。そして、これは……そんな橋を手に入れるための、私の戦い。


 私は先生の元へ駆け出す。足が上手く回っていない不器用な走り方。でも、先生の前ではそれが限界だった。

 先生に近くにつれ、鼓動がより早くなる、顔がより赤くなる、息ぎれし易くなる。でも、先生の元へたどり着いた私は、不思議とこの場から逃げたいとは思わなかった。


「先生……あの……受け取ってくださいっ!」


 背中に隠していたものを、いきよいよく先生に差し出す。それはピンク色のラッピング袋。もちろん袋そのものではなく、中に入っているものが本命。

 けど、この時私は先生の顔を見れなかった。プレゼントを差し出す私の顔は俯いている。

 

 足が震えているのが見える。寒さのせいじゃない、だって今は夏、むしろ熱いくらい。でも、震えが止めることが出来ない。心臓の動きと繋がっているみたいに、震え続ける。

 楽になりたかった。でも、断れたくもなかった。だからこそ、手が軽くなった時、足の震えが自然と止まった。


「開けてもいいですか」


 頭上から、優しい声が届く。その声に私は顔を上げた。未だ赤いであろう顔を。


「はい、開けてください」


 精一杯私は微笑む。それは今の心中から隔絶した表情だった。だって、まだ私の心は楽にはなれていないんだから。まだ、終わっていない。むしろこれからが佳境。

 落ち着け、私。まだ、安心するな。まだ、終わってない。そんな言葉を自身に言い聞かせながら、私はラッピング袋を開けようとする先生を見つめている。


 そして、その時がやって来る。ラッピング袋の中からついに、プレゼントが姿を現した。


「これは……手帳、ですか」

「はい、手帳です。先生、メモをスマホで取っているみたいでしたから」


 私がプレゼントしたのは、黒い表紙が特徴の手帳だ。革の方と悩んだけど、結局値段の面から断念したという経緯がそこにはある。だから、プレゼントの手帳は自分で言うのも何だけど安物だ。それこそコンビニで買えるほどの代物。

 だからこそ、不安だった。けど、そんな私の背中を、見治先輩が押してくれた。


『プレゼントに大切なのは、思いが籠っているかどうか』


 心の中で呟く。その言葉が私に勇気をくれる、先生と対峙する勇気を。

 

 プレゼントを見つめる先生。そんな先生の口が開く。

 報われるか、報われないか、その時が来た。


 私の頑張りは……。


「プレゼント、ありがとうございます。本当に嬉しいです」


 報われた。


 心が胎動する。心臓の熱が体全身に広がる。血が体に流れているのを感じる。息をするのを忘れてしまう。

 これまで、先生は優しげな表情をしていた。それが今はどうだ、頰を僅かながらに赤く染め、照れているような表情をしている。少なくとも私にはそう見えた。


「それは良かったです。だってそれは……」


 解放された思いの私、けどそんな時気づいた、プレゼントの理由を話していないことに。


「あぁっ!すみません言っていませんでしたっ。それ誕生日プレゼントです。誕生日おめでとうございます」

 

 いきよいよく私は頭を下げる。そんな私を前に先生は笑う。


「いいですよ、分かっていましたし、それに川瀬さんらしいです」

「先生それって、私がおっちょこちょいってことですか」

「違います。褒めているのですよ、これでも」


 笑みとなる先生。そんな先生を見ていると私も自然と笑みになった。それこそ、心の底から。


 あぁやっと分かった、何で朝、喜ぶ陽先輩を見て居ても立っても居られなかったのか。きっと羨ましかったんだ。先に報われた陽先輩が。

 今なら、分かる。陽先輩のあの微笑みの理由が。

 

 だって、今の私はきっと陽先輩と同じような顔になっているから。


 手に入れた橋。それを深い谷へとかける。

 それにより本来繋がらないはずの岸同士が繋がる。けどそれは橋というよりも梯子のようなもの。グラグラと揺れ動き、崖下が見える。誰しも、見つけても避けるだろうルート。けど、それども構わない。向こうへ行けるなら、対等として見てくれるなら。

 その日私は向こう岸へと続く橋に、足をかけた。

次は広視点となります。

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