22話 強さと弱さ(視点:高城見治)
陽を怒らせた。
普段怒らない人ほど怒った時恐ろしいとは、良く言うがまさしく彼女はそれだった。大人しく可憐な彼女に秘められていた尾を俺は踏んでしまった。
その時彼女から発せられたのは、身を焼き焦がすような業火ではない。いや、むしろ業火だったならどんなに良かったのだろう。
彼女から発せられたのは、身を凍りつかせる冷気である。それこそ、蛇に睨みつけられたネズミのように、俺は満足に言葉さえ発することが出来なかった。
陽にこんな一面があったなんて思いもしなかった。俺は陽のことを……いや、恋心を甘く見ていた。人が人に恋をすると言うことが、どんなに大事で、大切なことだったのか。それは俺が蔑ろに、後回しにしてきたもの。それが彼女にはあった。
恋、それは人を強くし、そして弱くもする。
陽はきっと、恋をして強くなった。出会った当初の彼女は、今以上に内気で、この世なんてどうでもいいと思っている節があった。それこそ、最初俺や広さえ彼女は拒絶した。
それが今はどうだ。内気なのは変わりないけど、今の彼女は友がおり、クラスの皆からも一目置かれ、そして自身の思いをはっきりと突きつけられる強さを持っている。
俺は……どうなんだろう。俺は恋をして強くなったのだろうか。男友達に恋心を抱くと言うのはハイリスク、ノーリターンである。本当に、得することなんて何もない。バレたら終わりというリスクだけがある。
でも、恋をしなければ今の、俺はいない。だって今の俺は落ち込んでいる広を励ましたいという思いから生まれたものだから。彼に恋をしなければ、ここまでの思いは生まれなかった。だから、恋をして強くなったか弱くなったかと問われれば、俺はこう答える、両方だと。
でも、こう問われたら、俺はきっと悩むに違いない。
恋をして良かったかと。
ーーーーーーー
僕はもう、あの時のように陽の恋心にむやみに触れる真似はしなくなった。彼女が広のことを好きならそれでも良いと、そんな投げやりとも言える態度で俺は流れていく日々を過ごした。
でも、そんなのは今の俺らしくはなかった。応援するとも拒否するとも言えないそんな半端な態度は。
それはひとえに俺が、自身の恋心に向き合わなかったからだ。親友であり続けたいと願いながら、自身の恋心を否定しきれなかった、そんな半端な思いから生まれた行動。
そしてそこから、生まれた結果に俺は向き合わなくてはいけなかった。
広の誕生日からしばらく経った、7月下旬の月曜日。
月曜日はサッカー部の朝練がない。そのため、教室に入った俺には疲れなどなく、朝特有の心地よさで少しばかり晴れやかな気分になっていた。
けど、そんな気分で教室へと入った俺を待っていたのは晴れやかとは言いがたい空気である。空気といっても、悪い空気とか気まずい空気とかそう言うものではない。強いていうなら微風が吹いているかのような、ムラがある空気。そんな些細な空気の変化に気づけたのは、ひとえに俺に関係ある事柄だからだらう。
話好きな女子たちも、バカばっかりやっている男子たちも、皆今日に限っては言葉数が少ない。皆少し喋ったら、教室のとある一点を盗み見て、そして少し喋ったら、また同じところを盗み見ての繰り返し。がっつり見てないし、話している内容もそれぞれの集団でバラバラ。共通しているのは、同じところを見ているということだけ。そんな微風とも言える変化がこの日の教室には起こっている。
教室窓際の一番後ろ。
そこに誰が座っているか、俺は知っている、皆も知っている。けど、この日そこに座っている彼女は、皆の、そして俺の知る彼女じゃなかった。
窓からの強い日差しをものともせず本に集中している彼女。でも、一目みた時から、小さな違和感があることに気づく。何かが違うと。そしてそれが分かるのにあまり時間はかからなかった。
彼女の持つ、長く艶やかな髪。編み込みをしない、飾り付けもしない彼女の髪が、今日この日、変わっていた。
彼女の左こめかみが、キラリと小さく光り輝く。ヘアピンである。普段何もつけずに学校にくる彼女が、今日に限って髪を止めている。それに伴い彼女の髪型も少しばかり変わっていた。
普段見えない部分が見える、それはある種の誘惑を、見る者に与える。彼女は、左こめかみにつけられたヘアピンによって、左耳を髪から出していた。彼女のイメージを崩さない、可愛らしく整えられた耳。
左右対称な彼女の顔が、非対称へと変わっている。それは彼女の完璧性を崩す格好かもしれないが、同時に彼女の魅力を底上げしていた。それも学校でも噂の美少女なら、なおさらのこと。
教室にいる皆が、変わった彼女、陽の姿を盗み見るのも、無理のない話。クラスの皆は、彼女の変わった姿ばかりに気を取られているのだろう
でも、俺は皆とは違うところが気になった。彼女の髪型の変化ではなく、ヘアピンそのものに。小さいが丸を3つ組み合わせた特異なシルエットがつけられているヘアピン。間違いない、あれはネズミランドのお土産だ。
別に大人しい彼女が、そんな可愛らしい商品を選ぶのが意外だと思った訳ではない。幼馴染として小学生の頃から付き合いがある俺は、彼女が実は可愛い物が好きだと言うことを、昔から知っている。
思ったのはどうやってそれを入手したかだ。一人で行くはずがない。なら、家族?それとも四条さんと一緒に?
その時、脳裏をよぎったのは別の考え、別の人物。思いついてしまう、考えてしまう、必死に追い出そうとするけど、それでも換気扇にこびりついた油のように離れない。
俺は教室隅にただずむ陽からゆっくりと顔を動かす。見たくないのに、向けたくないのに。それでも、本能で動いているかのごとく、顔は動き続ける。
そして、ある人物を捉えた瞬間、顔は止まり、体も止まる。
教室中央後方にいる見知った人物。他の人は彼のことを普通なんていうけど、俺にとっては代わりのいない特別な存在。
彼は自身の机で頬杖を付いていた。そんな彼が見つめる先。それを見た瞬間俺は息をするのすら、忘れてしまう。周りの声が耳に入らない。周りが見えない。
教室入り口で、棒立ちとなった俺。そんな俺が見つめる先にいる彼、広。
広が頬杖をつきながら見つめていたのは、髪型が変わった陽の姿だった。
ーーーーーーー
椅子を引く。わざと音を鳴らすように雑に、けど決して気分を害しているとは思われないように。
当然前の人がそんな事をすれば、後ろにいる人物は注目せざるを得なくなる。そんな俺の目論みは成功した。
「見治、おはよう」
頬杖を止めた広は、前の席、つまりこちらへと向く。陽から視線を外してくれた事に、少なからず胸の内が軽くなった。
「あぁ、おはよう広」
自分の席へ座りながら、俺は返事を返す。胸が軽くなったとはいえ、まだ頭の中はスッキリとしない。陽の姿と、それを見つめる広の姿が頭の中を駆け巡る。
このまま会話を終わらすことも出来た。けど、それをするにはあまりにも俺は……見すぎた。
「広、陽少し変わったと思わないか」
陽の姿を見ながら俺は尋ねた。覚悟を決めず、みきり発車とも言える問いかけ。
そんな俺に降りかかるのは、自身の心を蔑ろにしてきた罰。
「陽綺麗になったね」
無邪気な声音の広。でも、そんな広が運んだ言葉は、俺にとって、背筋を凍らせるほどの冷たさを持っていた。
「綺麗……て、今言ったのか広」
「うん、そうだけど……それがどうかした?」
「いや……何でもない」
首を傾げる広。もっとも俺はまだ陽のいる方向を向いているいるのだから、彼の姿は見えない。だからこれは憶測だ。
今の俺には広を視界に入れる勇気がなかった。広が今どんな顔をしているのか知るのが怖かった。
広が陽の事を綺麗だと、初めて口にした事実は、十分すぎるほどの傷を俺に与えた。
痛い、心が叫んでいるのが分かる。
そんな己の心をなんとか宥めかせる。まだだ、まだ終わっていないと。
半端に踏み込み、そして、半端な思いを抱いたが故の結末。それを俺は知らなければならない、当事者として、傍観者として。例えそれが、最悪の結末になろうとも。
「陽のつけてるヘアピン、何か分かるか」
疑問符をつけない問いかけ。それを広は不思議がらなかった。
「分かるよ、だってそれ僕があげたんだもん」
あげた、その言葉の意味する所を俺は知っている。
俺にとって特別な広。けど彼は普通だ。そう、普通。だから幼馴染にプレゼントをあげることぐらい、何て事はない。いつもなら。
思い出すは、あの日、陽のあの言葉。
『私が広の事を好きって答えたら、どうするつもりだったの』
あぁ、今分かった、陽は行動したんだ。彼女の強さがそれを可能にした。でも、俺は弱いまま。強くなんてなかったんだ。今のこの性格も、地位もみんな、弱さを隠す鎧しかない。こんなもの強さじゃない。
広は、言葉を続けていく。陽と一緒にネズミランドに行った話を。
「陽と一緒に昨日ネズミランドに言ったんだけど、日曜日ということもあってかスゴく混んでて。だから陽の体調が悪くならないかずっと心配だったんだ」
止めてくれ。
「久しぶりに行ったけど、やっぱり良いねネズミランド。どれもアトラクションが楽しくて。それこそ陽とずっとあれが良かった、これが良かったなんて、雑談ばっかしてたよ」
止めてくれっ。
「陽にプレゼントを渡すのは緊張したけど……けど、陽が喜んでくれて良かったよ。それこそ凄く喜んでくれたんだ」
止めてくれっ!
俺の心は叫び続ける。声にはならない声を。表に出せない思いを。
陽は体が弱い。けど、心は強い。
俺はどうだ。体は自分で言うのも何だが頑丈な方だ。でも、心は弱い。
何も出来ず、決められず、そんな自分を肯定するために、中途半端が良いなんて言って。これを弱さと言わず何て言うんだろう。
今だってそうだ、広の方へ今だ向けられず、かといって広の言葉を制止出来ずに、黙ったまま。
でも、そんな俺でも、一つ決められた事がある。それは己の恋心を棄てること。
陽は広に接近し始め、そして広は彼女に惹かれ始めた。そこにはもう俺が入る隙はない。
そう、これで良かったんだ。男な俺は、そもそも広と結ばれる道なんて始めから無かった。それがようやく自覚出来た、それだけの話。
だが、それで終わりではない。恋は諦めたけどそれで、俺と広の間柄が終わった訳ではない。俺たちには俺達の関係性がある。
「おぉい見治、聞いてる?」
「あぁ、聞いてるさ」
広の言葉に、俺は返した。陽から彼の方へと向き直って。
そして、俺たちは朝のホームルームが始まるまで、何でもない雑談を始めた。ゲームの話やら、テレビの話やら、今日の予定表の事とか、何でもない話を。
こう言った、何の意味も持たない雑談が出来るのは、親友である証。
広と俺は親友。そう、それで良いじゃないか。
これからも俺は、広の親友であり続ける。それが、弱い俺がした決断であった。
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