21話 綺麗だと思った 〃
電車は僕の思いに呼応するように、夜の街を走り向ける。街頭の光も、ビル群の光も点ではなく軌跡となり過ぎ去っていく。
僕は一刻も早く、非日常のあの場所から離れたかった。そしてあんなに嫌っていたあのなんでもない普通の僕らの街、日常へと戻りたかった。そうしないと、僕自身もう耐えられそうにない。早く楽になりたかった。普通で愚かな自分のことを嫌悪するだけでいい、あの日常へと。
電車の中は大勢の乗客たちがいた。日曜の夜、混まない方がおかしい。家族づれや、恋人、友人など、様々な関係を持つ人々。その中で、僕たちはどんな風に見えているんだろう。
僕たちは一般人から見れば幸運なことに、混んでいる電車の中で隣同士座ることが出来た。でもそれは僕に取っては不幸なこと。自身の過ちを逃げられず、まざまざと見せられることとなる。
陽はあれから黙ったままだった。お店の外で再開した時こそは、一言二言話をしたが、今は完全に無口となっている。別に彼女は眠っている訳じゃない。顔をうつむかせてはいるけど、時折顔をあげ、車窓から夜の景色を見たりしている。
その時、彼女の顔を見ることも出来るのだけど、表情は透明感のある真顔にも似たものとなっており、そこから彼女が何を考えているか、僕には読み取ることが出来ない。読み取ることが出来なければ対策が打てない……いやこれは言い訳だ。きっと、彼女が落ち込んでいると分かっていても、僕はどう声をかけたら良いか分からないだろう。
店内の時のように、なんの意味もない声を、意味もなく出すだけに違いない。
僕の犯した過ち。それを解決できるのは、解決しなければならないのは僕自身だ。覚悟を決めなくてはならない。普通だなんて言い訳して、逃げてはいけない。妹への恋心に向き合ったように、今、僕は幼馴染である彼女に向き合わなくてはいけない事だけは分かるのだった。
ーーーーーーー
行きと同じような乗り換えと、時間で僕たちは、僕たちの故郷へと帰ってきた。故郷である街は、ネズミランドがある場所とは異なり、曇りであった。月明かりが無く、そしてビル群や建物が少ない分僕たちの街は随分と寂しく、暗く感じられる。
その中僕らは自転車を漕いでいく。帰ってきたのが夜中ということもあってか、通りを歩く人はおらず、道路を走る自動車も少ない。だからこそ、余計に僕らの無言が気になる、自転車の音やヘッドライトが気になる。
それは、自宅がある住宅街に入るとより顕著になった。
住宅街はひっそりとした静寂に包まれていた。人々の声や物音などがなく、あまつさえ明かりが消えている家が幾つもある。主な光源と言えば道路上に等間隔に置かれている外灯のみ。そんな寂しい住宅街の中、気まずい空気のまま僕らは自宅へとたどり着く。
僕の家はまだ明かりが付いていた。そして、それは隣にある陽の自宅も同じである。どうやら、二人とも迎える人がいない寂しい帰宅、なんて事態にはならなかったようだ。
僕たちは無言のまま、自転車を降りる。きっと、このまま流れに身を任せれば、僕たちはたった一言さようならと、互いに言い合い、自宅へと入るだろう。寂しくあっさりとした閉幕。けど、それも良いかもしれない、空気を入れ替えるように、明日に持ち越すというのも。
でも、だとしたら、今日の思い出はどうなるのだろう。悲しく、辛い思い出となってしまうのか。
それは嫌だと思った。あの頃のように心が震えなくても、けど少なくとも楽しかったという思い出は彼女と共有したかった。だからこれは、今日でなくてはダメなんだ。
僕は覚悟を決める。そのための時間はここにくるまで、十分すぎるほどあった。
「陽、少しこっちを向いてくれない」
自宅の敷地に入らず、自転車を道端に停めながら、なるべく平静に、陽に伝える。
もう人などいない静かな夜の中、外灯からの小さな光によって陽が自転車のハンドルを持ちながら、僕の方を振り向いたのは分かった。
僕は、それを確認すると自身の自転車カゴにある、お土産をまとめて入れてある袋の中に右手を突っ込む。そして、その中から小さな紙袋を取り出すと、陽に向かい無言でそれを差し出した。少し無愛想な感じになってしまったが仕方がない。時間があったとは言え、勇気がない僕にとってはこれが限界だった。
外灯の下、薄く照らされている陽の瞳が、紙袋と僕の顔を行ったり来たりするのが分かる。僕にとってはそれはひどく長く感じられた。往復するたびに僕の鼓動はより早くなる。
そうして、彼女の瞳が僕と紙袋の間を二三往復ほどした頃、彼女は自転車を僕と同じように道端に停めた。そしてゆっくりと、滑らかに手を伸ばすと、僕の手から紙袋を受け取る。
「これを……私に?」
小さく、そして消えそうな声。いつもと彼女の違う声。
それに僕は頷く。
「その……お礼。ネズミランドに連れていってくれたことへの」
無論、これは嘘だ。そもそも、礼なら陽ではなくチケットをくれた四条さんにするべきである。けど、落ち込んでいる君を励ますため、なんて臭いセリフを吐くには、僕は勇気が足りなすぎた。
そんな僕の嘘が見破られたかどうか分からないけど、陽はクスリと小さく笑った。何処と無く無邪気さを感じさせる笑い声。
それは僕の知っている彼女の姿だった。物静かで、知的で、けどどこか子供っぽい所もある彼女。そんな彼女を前に僕は嬉しくなる。勇気を出して良かったと思う。
そんな僕を前に彼女は、僕が渡した紙袋に目を落とした。
「これ……今開けてもいい?」
「良いよ。困るものでもないし」
朗らかになっている僕の返答を聞き、陽は紙袋に止められていたテープをゆっくりと、それこそ袋が破れないように剥がした。そうして開けられた袋に、彼女は手を入れる。
袋から再度白い手が露になった時、彼女の手には僕が選んだ通りのものが握られていた。
「髪止め、本を読んでるとき邪魔そうだったから」
自身の長くない髪に指を当て、僕はプレゼントを説明する。
それは陽と別れてから選んだ物である。ネズミランドのマスコットキャラのマークが小さく飾られたヘアピン。でも正直なところ、陽がこのプレゼントを喜んでくれるか僕には自信がなかった。
僕は女心なんて分からないし、それにそもそも、彼女がヘアピンそのものを欲しがっているかすら定かではない、ヘアピンそのものを嫌っている可能性だってあるのだ。
だから、この時の僕は先程の安堵とは一転、緊張していた。きっと、近くに居られたら、激しく動いている心臓の鼓動が聞こえてしまうのではないかと思うほどに。
そんな僕だからこそ、プレゼントを受け取った時の彼女の言葉は嬉しかった。
「……これ、着けてもいい?」
「今?」
「うん、今」
優しく紡がれた彼女の言葉に、少し強く僕は首肯する。
戸惑いと、嬉しさ、半々が入り交じっている僕を前に、彼女は後頭部に手を当てると、ポニーテールにしていた髪留めを外した。外灯からの少ない光を反射し、彼女の黒髪が宙へと靡くのが目に入る。靡いた黒髪に対し、彼女は小さく首を振ったり、手でかきあげあたりして、整えていく。
それを見ると本当に彼女は髪が長いんだと、僕は再認識する。
そうして、ポニーテールからいつものストレートへと髪を戻した彼女は、袋から出したばかりのヘアピンを自身の髪へと止めた。しかし、外灯からの薄明の中では、髪止めをした陽の姿がどのようなものとなったか、僕には良く見えない。
しかしそんな時丁度、まるでここまでの僕たちを黙って見守っていたかのように、今まで雲で覆われていた月が姿を現す。薄暗かった辺りが、白光の下、姿を現していく。僕とそして今の彼女の姿を。
陽はヘアピンを左こめかみ付近へと止め、左耳を長い黒髪から出していた……ということに後から気づいた。
この時、僕は陽に見とれていた。別に彼女の白くて汚れのない肌や、薄くてそれでいて決して希薄ではない唇とか、濁りなく澄んでいる瞳とかに見とれていた訳ではない。
彼女の、恥ずかしいような、それでいて嬉しさを押し隠せないような、そんなあどけない、何も被っていない、幼馴染みの仮面を剥いだかのような潔白なる笑顔が月明かりの下、露になる。
それを見て、僕は思う。他人からの評価などではなく、それこそ心のそこから。彼女のことを綺麗だと思った。
次は見治視点となります




