18話 興奮をもう一度 〃
ガタンゴトン、音がなる、体が揺れる。
窓に映る景色も流れて行く。右から左に、止めどなく続いていた住宅地を流していき、車も追い越してく。きっとこれからも、海や森やビル群など、異なった景色もまた流れていくことになるだろう。
ネズミランド、僕たちがいる街から随分とかかる。それこそ、今僕らが乗っている電車だけでは行けない。これから何本も乗り換え、それこそ新幹線も使うかもしれない。
そのことを思うと気が重くなった。アウトレットモールに行くはずが、ずっと先の他県の遊園地まで行く羽目になるなんて。
座席に座っていた僕はため息をつく。しかし、この場合僕はため息なんてつくべきではなかった。他人を思いやるべきだった。
「ごめん……本当に……」
僕の隣から声が返ってくる。人が幾人かいる車両内でも、隣に座る彼女の声ははっきりと僕の耳に届いた。
トートバックを膝に抱える彼女は、今日はポニーテールとあってか、普段隠れがちな横顔をはっきりと見る事が出来る。
彼女、陽の消え入りそうな声音と伏せられた瞳。それを聞いて、そして見て、僕は軽率な行動を取ってしまった、僕自身を責め立てる。
「いや、陽は悪くないよ。それに僕は四条さんを恨んでない」
「本当に?」
ポニーテールを揺らし、陽は隣にいる僕の顔を覗いてくる。陽の瞳は不安の色で染められていた。そんな彼女の不安をかき消すつもりで、僕は彼女に目を合わせる。
「本当だよ。四条さんが僕を騙した件について、僕は怒ってない。それにタダなんでしょ、ネズミランドの入場料」
「うん、ペアチケットを昨日結から、もらったから」
陽は僕から視線を外すと、自身の膝に抱えているトートバックに手を入れる。そして、バックから出た彼女の手には、ネズミランドのチケットが二枚握られていた。
「それが、四条さんからもらったチケット?」
「うん、まさか結とじゃなく広と行くことになるなんてね」
陽は僕に顔を向けた状態のまま、微笑んでくる。陽は嘘をついたと言える四条さんのことを許しているようだった。
一方の僕はと言えば、四条さんのことを、許しているかと問われれば、多分答えをはぐらかすだろう。怒るまではいかない。けど、嘘をつかれたことに関しては、少なからず四条さんに思うところはある。けど、同時に彼女に対し感謝する思いもまた、僕にはあった。
四条さんが言っていた、陽の変調と陽のことを見てという頼み。
それが無ければきっと、僕は陽の変調を知ることもなければ、聞くことなども出来ず、ズルズルと引きずってしまったことだろう。陽のことを近すぎず、遠すぎず、中途半端に見続けたに違いない。僕という人間は機会を与えられなければ動けない。
そんな僕という人間に、四条さんは機会をくれたのだ。陽と二人きりで出かけるという機会を。陽のことを見て、尋ねる事が出来る場を提供してくれたのだ。
だから僕は彼女のことを恨んでない。むしろ僕は進んで彼女の要望に答えなければならないだろう。それが今の僕がすべきこと。僕が望むこと。
「そうだね、僕も陽と行くことになるとは思わなかったよ」
陽の微笑みに返すように僕もまた微笑む。本当に、心の底からそう思った。
だからこそ、この機会を逃してはいけない、成し遂げなければならない。陽の変調の訳と、そして今の彼女を知らなければならない。
電車に体を揺らされながら、僕は密かに決意した。
ーーーーーーー
ネズミランドに行くのは随分と久しぶりだった。そして、付け加えるなら電車で行くのは初めてである。
だからこそ、ネズミランドに行くまでの道筋は、陽に任せきりになってしまった。陽は、四条さんと予め一緒に行く計画を立てていたから道案内は任せてと言ってくれたけど、それでも彼女に負担をかけてしまったことに代わりはない。
何とか僕も役立とうとしたけど、無知な僕に出来ることはこれといってなく、結局目的地につくまでの間、僕はお荷物状態となってしまった。
こうして僕達がネズミランドに着いたのは、開園時間から1時間ほど時間が経った後である。
既に開園していることもあってか、入場口であるエントランスゲートはさほど混んでおらず、スムーズに僕達は入場手続きを済ます事が出来た。無論四条さんからもらったチケットを使ったため、タダである。
そうして、エントランスゲートを潜り、入場した僕らがまず始めに目にしたのは、ネズミランドのキャラが花によって再現された広場である。言わばお客様を迎える為の空間、玄関口とも言うべきなのだろうか。
僕としては、然したる感慨もないのだけど、陽にとっては違うらしい。隣にいる彼女は珍しくはしゃいでいた。
「ようやく着いたね、ネズミランドに」
いつもの柔らかな声音とは違う、ハキハキとした元気のよい声で彼女は、体を動かしながら僕に話しかけてくる。
そんな、喜びの感情を全身に表す彼女を見て、僕は少しほっとした。
「そうだね、本当にようやくだ。結局何分くらいかかったっけ」
「三時間強くらいだね……広はやっぱり嫌だった?ここまで来るの」
「嫌じゃないよ。それは電車の中でも言ったよ」
「でも……」
先程の笑みから一転、顔を俯かせる陽。
僕は陽に不機嫌だと思われるほど、変な顔になっていただろうか。確かに長時間の電車は大変だったし、それに彼女に道案内を任せっきりにしてしまった事への罪悪感もあった。
けど、彼女と一緒にいることを苦痛だと感じるわけがない。寧ろ僕は、幼馴染である陽と一緒にいられて嬉しかった。
四条さんが、陽を見るための機会をくれたことは分かっているし、またそれを果たさねばならないと心の底から思っている。
でも、せっかくネズミランドに来たのだから、楽しもうとする思いもまた、僕の胸の内にはあった。
「本当だよ。本当に僕は嫌じゃない。寧ろ楽しんでる」
「……本当に?」
「本当に。ただ付け加えるなら、僕としてはここよりもあのストリートを抜けた時の方が、ここに来たって気がするんだ」
僕は広場の向こう側、いくつもの西洋風の建物が立ち並ぶ通りを指差す。
僕がネズミランドに来たのは小学生の時以来である。そして、少なくともその時は、エントランスゲート近くの広場ではなく、そこを通りすぎた先にあるストリートが好きだった。
広場よりも、あの古めかしく日常からかけ離れている筈なのに、どこか懐かしさを感じさせてくれる建物に囲まれたストリートを歩くときの、あの高揚感。ここはいつもとは違う世界だと、実感させてくれる。
そして、ストリートを通り抜け、視界に広がる広大な世界。数多の人達が目に入ると同時に、そびえ立つお城が、僕の心をどうしようもなく昂らせる。
だからこそ、本音を言えば、直ぐにでもあのストリートへ行きたかった。平凡な僕らの街とは違う空気を味わいたかった。
それが、顔に出ていたのだろうか。陽はクスクスと小さな笑い声をたてた。
「分かった。なら行こう。今日という日を存分に楽しまなくっちゃ」
こうして、彼女は僕の先頭をきって歩きだした、いつもより速い、駆け足ほどの速さで。
彼女に変わった所があるとすれば、それはいつもより元気というくらいだろう。そこには四条さんが言っていた陽の変調はない。
解決したのだろうか。陽が、自分自身で。でも、解決しておらず、それを押し隠しているのだとしたら、誰かが手助けしてやらねばならない。
そして、それを他人に任せるつもりは今の僕にはない。だからこそ、見つけねばならない。彼女と楽しむ最中、彼女の悩みを、変調の理由を。
僕は、興奮と使命感、半々の気持ちの中、先へと行く陽の後をついていった。
ーーーーーーー
ストリートの中は人混みで溢れていた。
今日は土曜日、休日だ。当然大勢の客が来ている。更に先程の広場より見所があり、開放的な空間ではないとあっては、人が集中するというものだろう。
そんな中を陽は歩こうとする。ヤオンの時とは違い、ネズミランドの人々は周りの景色に夢中になっており、彼女に気づいていない。だから、彼女に見とれて道を空けるということもなかった。人が障害物となり、避けながら、掻き分けなければ進めない状況。
その状況を前に、僕は思い出す。
二ヶ月前、お祭りの時の事を。あの時も、僕は失態をおかした。体の弱い陽に人混みを掻き分けさせるという苦行を、やらせてしまった。その時の後悔、自責が甦る。
同じ轍を踏んではならない、いや踏みたくない。その一心で、僕は手を伸ばす。そして、僕は前を歩く彼女の手を握った。
「ひゃっ!ひ、広どうしたのいきなり」
前にいた陽が突然、甲高い声を出して立ち止まった。そして彼女は半身を捩り、後ろにいる僕の方へ顔を向けてくる。
当たり前だ。いきなり他人に手を握られたら誰だって驚くに決まっている。
けど、愚かなことに、その時の僕は何故陽が、そんなに大げさに反応したのか分からなかった。
だから、その時の僕は彼女の手を握ったまま、首を傾げてしまう。
「いや、この人混みの中だからさ。こうした方がお互い離れずにすむと思って」
「そう……かもしれないけど……でも……」
陽は顔を俯かせる。そんな彼女の頬は僅かに朱くなっていた。また、彼女の手が熱を持ち始める。彼女の体温が手を通じて僕へ伝わって来る。
ここまできて、ようやく僕は己のした行動がいかに恥ずかしいものであるかを、理解した。
いくら幼馴染とはいえ、いい年した男女が遊園地で手を握る。その行動が何を意味しているか、純粋じゃない僕は知っている。
陽からどう思われてしまうのか、また手を握る僕らは他人からどう見られてしまうのか。考えるな、というのが無理な話だ。
なんて、愚かで、無神経な行動だったのか。自身の頬が朱くなるのが分かる。手が僅かとはいえ汗ばんでしまう。
けど、それでも離す気にはなれなかった。愚かだと、無神経だと自覚しても、今の僕にはこれしか思い付かなかった。
「行こう、せっかくここまで来たんだから楽しまないと」
僕は、陽の顔を見ず、ぶっきらぼうにそう言うと、立ち止まっている彼女を追い越すように歩き出す。この時もまだ僕らは手を握ったままだ。だから、歩き出した僕に釣られ彼女もまた、歩き出す事となる。
最初の時から一転、陽の先頭を歩く僕は、彼女の手を握ったまま人混みを掻き分けていく。そんなおり声が聞こえた。小さく弱い声。けど、その声はしっかりと僕の耳に入った。
「……ありがとう」
ストリートには人の数だけ、言葉が飛び交う。
しかし、その言葉が誰のものか、そして誰に向けたものか、僕には分かった。だから、僕は前を向きつつ無言のまま、小さく首肯するのだった。
ーーーーーーー
ストリートはあの頃とちっとも変わっていなかった。西洋風の建物に囲まれた空間。ショーウインドウ越しに見える店内には多くの商品が、並べられている。
優雅さと気品、僕らの街では味わえないもの。ここは別世界なんだと実感させてくれる。おまけに建物に囲まれた閉鎖的な空間だということも、ここでは良い方面へと働いている。ここを抜けたらどんな景色が広がっているのだろうと、期待感を煽ってくれるからだ。だからこそ、小学生だったあの頃の僕は、このストリートを興奮の志しのまま、駆け足で通り抜けた。
あの頃の気持ちを僕は忘れた事がない。だからこそ、あの気持ちを、今の僕が再び渇望するのも自然などおりだ。
あの頃の興奮を僕に。
そんな、ささやかな、願望とも言える思いは裏切られた。
ストリートの中を、幼馴染である陽の手を握り、人混みを掻き分けていく僕の心に湧いてきたのは、興奮と呼べる熱量ではなかった。湧いてきたのは、凄いという感嘆に似た思いだけ。あの頃の、心を震わす程のものではない。
高校生にもなって、無駄な分別がついてしまったのだろうか。いや、きっと違う。原因は分かっている。でも、原因は分かっていても、僕は追い求めずにはいられない。あの頃の思いを、熱を僕は渇望する。
だからこそ、僕は楽しみにしていたストリートを早く抜けたかった。ストリートでは心が震えないことは分かった、なら次は。この狭苦しいストリートを抜けた先に広がる、広大な景色を見た僕は、あの頃の思いを取り戻せるのだろうか。
陽の手を握り、僕は歩く。寄り道することなく、かといって駆け足でもなく、いつも通り歩き続ける。ただ、違うのは、止まることなく、滞りなく歩き続けたこと。
笑顔を振り撒き、この場を楽しんでいる人達を、僕らは追い越していく。家族に恋人に友達に、多くの人達を追い越す。
そうして、たどり着いた先には、あの頃と変わらぬ光景が広がっていた。
広がる青空。そして空をつくように顕在する白き城。下半分にあるのは大勢の、この空間を楽しもうとする人々。
上には静寂が、下には熱気が。相反するものが、互いの存在感を示しつつ、共存している。
閉鎖から開放へ。静から動へ。そんな特異な空間。僕が好きだった景色。
けど、今の僕は、そんな昔の僕が好きだったものを、同じように感じとることが出来なかった。
今の僕が思うのは、開けた場所だなというぐらい。付け加えるなら、人が多いなという当たり前のことも思った。
あの頃のようにはいかない。あの頃と今の僕は違う。今の僕は、心を捉えられている。
妹が好き、最近より自覚するようになったその思いは、昔の僕を阻害し、今の僕を形成した。何事にも心が震えない今の僕を。
花火の時と同じだ。そして、それは遊園地という特異な場所でも効力を発している。
解放される時がくるのだろうか。妹が好き、その思いを捨てきれない、諦めきれない僕に。
そんな独りよがりの物思いにフケていた僕の手が引っ張られる。見ると陽が、僕の手を引っ張っていた。
「早くいこ、私ハチミツの所行きたい」
柔らかな表情で、話しかけてくる陽。どうやら僕はストリートを出てすぐ立ち止まっていたらしい。
僕は少し濁った声で、あぁと返事をすると陽の手を引っ張り、彼女の前へ歩きだす。
いけない、陽を無視して物思いにフケていては。それではここに来た意味がない。僕が陽と一緒にここに来たのは、彼女を見るため。誕生日の翌日、あったという彼女の変調の理由を探るため。
楽しむのは結構だ。だけど、別の想いに、思いを捕らわれてはいけない。
自身の目的を再認識する僕。
彼女の手を握る事は、もう恥ずかしくなかった。そして、それは彼女も同じなのか、陽の手はもう暑くなく、寧ろ冷たく僕には感じられた。