16話 言い訳 〃
嫌われたかなと、少しだけ思う。
誕生日の事と言い、今日の事いい、嫌われる要素は十分にある。けど仕方ない、だってそれに値することを私はしているのだから。
川瀬君はきっと妹思いのいい兄なんだろう。でも彼には妹ではない人、陽のことを見てもらいたい。
私のことは嫌いになってもいい。でも、彼女のことを好きになって欲しい。
川瀬君と話しあったその日。いつも通り部活を終えた私は、夕食前には家についていた。二階建ての一軒家。なんてことはない、この街では一般的な作りだ。
もっとも、家の中が普通とは限らない。
玄関を開け、家の中へ入った私を待っていたのは、耳をつんざく大声だった。
「結お姉ちゃん〜!!だすげてよぉ〜」
「結姉さん!守の言うこと聞かないで!こいつが悪いんだからね」
小さな弟である守が、泣きながら階段を駈け降りてくると、そのまま玄関にいる私に向かい走ってくる。そんな弟を追うように妹の空もまた二階から姿を現した。
珍しくない四条家の日常。ため息をつきつつ私は靴を脱ぎ廊下に上がると、やってきた弟を受け止めた。
「はいはい、いいよお姉ちゃんに言ってごらん。何があったの」
「うん、あのね、空お姉ちゃんが怒ったの」
「へぇーそれは空が悪いねぇ。だから泣かないで、私が言っておくから」
棒読みのまま私は言うと、懐からハンカチをだし、弟の顔を拭う。ハンカチの感触が気持ちいいのか、それとも私に構われたことが嬉しいのか、小学2年生の弟は私になすがままにされている。
一方そんな弟を追ってきた妹は、私たちを見下すように、仁王立ちの状態で弟の後ろに立っていた。
「守が悪いのよ。こいつが私のスマホを勝手に使うから」
「だから怒った?」
「そうよ、結姉ちゃんだって勝手にスマホを見られるのは嫌でしょ」
「そうだけど、だったらロック機能使えばいいじゃない」
「それは……そうだけど」
「面倒くさがらないで、ロック機能使いなよ。もう空は中学2年生だからやり方ぐらいわかるでしょ。それにやらないとまたやられるよ」
「そうだそうだ、またやっちゃうぞ」
「あんたねぇ〜」
涙を拭き終わって早々、上機嫌になった弟が、調子に乗った発言をしてしまう。それを受けた妹は当然の事ながら、怒りを再点火させた。
髪の毛が逆立って見える程、隠すことなく怒気を放出する空。そんな姉に恐れ入ったか、守は直ぐに私の手から離れると、怒っている空の脇を通り過ぎて二階へと走り出していった。
しかし、それを黙って見逃す妹ではない。不恰好な走り方の守とは違い、ガチ走りの空は、怒気を全身から滲み出しながら弟を追いかけ、二階へと上がって行った。
そして、響き渡る叫び声。おおよそ逃げ切れなかったのだろう。
騒がしい事この上ない。けど、これが私の家の普通だ。
下の子達の面倒をみた後、私は二階にある自室ではなく、一階のリビングに向かった。両親に帰ってきた事を教えるためである。
そうしてリビングに入った私の目に入ってきたのは、先程と同じような、この家の普通であった。
リビングにあるキッチン、そこにはお父さんとお母さんがいる。といっても二人で仲良く調理を分担していると言うわけではない。調理しているのはもっぱらお母さんだ。ではお父さんは何をしているか。お父さんはお母さんを後ろからハグしていた。それこそ、新婚ホヤホヤの夫婦のように。お父さんはお母さんに抱きつき、そして抱きつかれたお母さんも嫌がるどころか、頰をほんのり朱くし、喜んでいる。二人の間に交わされる会話はピンク色の言葉であり、聞くに耐えない。二人とも顔にシワを、髪に白髪があるいい歳なのに、これである。
騒がしい他に、見ているこっちが恥ずかしくなる夫婦仲、それが私の家では普通の光景であった。
「あら、おかえり結」
「おかえり」
「うん、ただいま」
私を見て、両親は言葉をかけてくる。明るく、悩みがないような両親。そんな二人を見ると羨ましく思う。見続けるには眩しすぎる両親から、私は視線を逸らす。
これまで、いつも通りだった家。でもここからが普通じゃなかった。
視線を逸らした先に、家族が使うフロアテーブルがあるのだけど、そのテーブルに突っ伏している人物がいた。私と同じクリーム色のロングの髪を垂らし、背中を覆っている姿には、見覚えがある。でもこの時間に会うのは珍しかった。
「お姉ちゃんなんで、家にいるの?」
好奇心と無関心の中間の感情で私は、突っ伏している姉に声をかけた。
すると姉は直ぐには顔を上げず、体をもぞもぞと動かし始める。
寝てたのかな、だったら起こして悪かったな、と小さな罪悪感を感じている私の気持ちを無視するかのように、姉の体の動きが大きくなる。やがて、それは顔を上げるまでに至った。
「ゆいぃ〜」
「うわっ!ひっどい顔。どうしたの」
姉は泣いていた。目を赤くし、グスグスと鼻を鳴らしている。また、化粧を落としてないのか、メイクが涙で中途半端に流されており、それが気味悪さを加味させていた。
そんな姉に私は、心無い言葉をかけてしまう。別にいじめてやろうとか思ったわけじゃなく、咄嗟に出てしまった言葉である。
そんな冷たい妹の言葉を受けた姉は反論前に顔を拭った。ゴシゴシと、しかしそれが余計にメイクを崩してしまう。
全く見ている側としたら、ちっとも解決してない、解決したと思っているのは多分本人ぐらいだろう。
「うっさい、私だってしたくてこんな顔してるんじゃないの」
「それはごめん。けど、本当にどうしたのさ。そんな顔して、そもそも今日のサークルはどうしたの」
「休んだ、出られるわけないじゃないこんなんで」
女の子座りで、姉はこちらに体を向けてくる。涙は止まっているけど、未だ鼻水は止まらないのか、姉は鼻を鳴らしてばかりいた。
そんな姉に寄り添う事などせず、変わらず立ったまま見下ろすように私は尋ねた。
「で、そんなことになった原因は。単位落としたとか、留年したとか?」
「そんなわけないでしょ!振られたのよ」
「誰に、何を?」
「彼氏よ、今日振られた」
涙声で言う大学生の姉。珍しくシリアスだ。でも、落ち込んでいる姉に悪いけど私としては、消沈の反対の感情が湧いてくる。
「ふ、振られたって……アハハハハッ、チョーウケる!マジで振られたの」
「ちょっと結、お姉ちゃんに失礼でしょ」
「そうよ、全く結も笑って……笑えないわよこっちは」
腹を抱え笑う私に、後ろのキッチンから母の叱責が飛ぶ。一方姉はと言えば頰を膨らませていた。
このままお母さんの忠告を無視してゲラゲラと、下品な笑い声を続けてもよかったのだけど、流石にそこまで意地悪くはない。母に言われ、直ぐにとは行かなかったけど、私は笑みを引っ込めた。
「ごめんごめん、あんなに彼氏がいたことを自慢してたから。それで結も、と言うことは何、空もからかったの」
「からかったわよ。忍姉ちゃん、私に偉そうにアドバイスする余裕があるなら、自分のこと心配すればよかったのにねと、皮肉をこぼされたわよ」
「空、好きな相手の事でよくお姉ちゃんに相談してたもんね」
空には片想いな相手がいる。最近その相手とラインを交換したと言っていたけど、先程守にあれだけ怒っていたのは、その事が関係しているかもしれない。
それにしても拗ねる姉を見るのは久しぶりだった。消沈ぎみの姉をまじましと、物珍しげに私は見る。
そんな時、私は姉が突っ伏していたテーブルに、2枚の紙切れが置かれている事に気づいた。
私はテーブルに近づくと、その紙切れ2枚を手に取る。それは同じイラストがプリントされた横長の紙切れであった。
「これ何?」
私は、変わらず女の子座りをしている姉の前に移動すると、見せつけるように、手にある紙切れを出す。
それを見て、姉は顔を背けた。
「応募で当たったネズミランドのペアチケット」
「当たった!?すごいじゃん、何誰と行くの」
「彼氏と行く予定だったのよ!それがもう〜何なのよ。何でこんな時に限って当たるのよぉ」
そう言うと、姉は再びテーブルに突っ伏してしまった。これを見る限り、姉の傷心はしばらく癒えそうにない。
しかし、これがかの有名なネズミランドのチケット……。
私は手にある紙切れを見る。確かによく見ると、紙切れにはネズミランドのマスコットキャラが描かれていた。
そんな紙切れを見つめる私、その内とある疑問が浮かんでくる。
「えっ、じゃあこのペアチケットどうするの」
「やるわよ、あんたに」
「いいの!?本当に。あとでくれと言っても返さないからね」
「いいわよ、てか早くそれしまってくれない?見てると傷口がえぐられる気分になるのよ」
テーブルに突っ伏しているため、チケットなど見えないはずなのだけど、姉は早くしまうよう言ってきた。
私としてもチケットをくれた姉に逆らうつもりはない、むしろ積極的に呑む。
私はチケットを鞄にしまう。もちろんその際ありがとうと、姉にお礼を言うのも忘れなかった。
実際問題、ネズミランドのペアチケットがタダで手に入るなんて、感謝以外のなにものでもない。姉には悪いけど、舞い降りてきたこの幸運に私は、感涙する思いだった。
喜ぶ私。そんな私を姉は突っ伏した状態から顔だけを動かし、片頬をテーブルにつけた状態で見てきた。
「1つ聞いていい?」
「……いいけど、何」
まさか、返してなんて言わないよね。口約束したけどそれでも、姉が返品を要求してきたら、私は返さざるを得なくなるだろう。
チケットの入った鞄を、姉から隠すように背中へと追いやる。そんな私を見て、姉は手を振った。
「違う違う、あんたが思っているようなことじゃなくて、私が聞きたいのは、そのチケットで誰と行くかってことよ」
「誰かと?」
「だってペアチケットなんだから、誰かと行くに決まっているでしょ」
違うの?と姉は瞳で告げてくる。けど、私はその事を考えていなかった。チケットを貰った喜びに酔いしれ、誰と行くかを考えていなかったのだ。
考える私。最初に思い付いたのは陽だった。彼女となら楽しく過ごせるに違いない。けど、私は彼女の名前を口にはしなかった。
今日の昼間の事を思い出す。正確には彼の事、彼との会話の事を。
そして、思い出してしまったら、決断せずにはいられない。
「ねぇ、お姉ちゃん。これ……友達に渡してもいいかな」
「渡すって二枚とも?」
「うん、二枚とも。友達と、彼女の片思い相手に渡して上げたいの」
躊躇いがちに私は言った。
別れたばかりの姉にこんな事を言うなんてどうかと自分でも思う。姉にそれなら返せと言われても反論なんて出来ないだろう。けど、私としては何としても陽を川瀬君と一緒に出掛けさせてあげたかった。彼に陽の事を見てほしかった。
姉は私をしばらく見つめる。濡れていた瞳は、すっかり乾いており、鋭い瞳が私を捕らえる。そんな姉を見ると、自身より年上だと実感せずにはいられない。
身動き出来ない私。そんな私を前に、姉は閉じていた口を開いた。
「いいよ、その友達と片想い相手にあげても」
「本当に?」
ため息をつくかのような声で姉は了承した。それに私は嬉しい声をあげる。しかし、そこで終わりではなかった。
「けど、これだけは聞かせて。どうして友達の恋愛事を応援するの?それもせっかくのペアチケットなのに」
有無を言わさない声音。姉は知っている、いくら友達とは言え、他人に譲歩しない私の性格を。
だからこそ、不思議なのだろう、せっかく手に入れた好機を何故、渡すのかと。
でも、そんな姉の質問に私は直ぐには答えられなかった。
私自身、今思えば不思議だった。何故こうも陽の恋愛事をサポートしたいと思うのか。今までの私ならサポートなんてしなかった、恋愛事なんてもってのほかだ。
ならなんで、私は陽の恋愛事がこうも気になり、そして手助けしたいと思うのだろう。
私は思い浮かべる、陽と二人きりの部室を。
放課後の部室で私は本を読む、そして前にいる陽も本を読む。無言の、でも心地のよい静寂。
でも、それが崩れる。陽に変化が起こる、それは些細な事。でもいつもと違うそれは静寂を崩す、ただの無言へと戻してしまう。
思い描いた部室。しかしそれによって、私には答えが見つかった。
「恋愛事に思い煩う友達を見ると私まで焦れったくなる。それだけだよ」
姉に向かい私は答える。今の私が思う、手助けするわけを。
次は川瀬広視点となります。