12話 好きになるということ 〃
小学6年生の誕生日。僕が12歳になるあの日までは僕は僕でいられた。何でも出来て、何でも決断できる僕でいられた。親孝行ものでいられた。
でも12歳の誕生日は僕を一変させた。あのプレゼント。5年経った今でも後悔している。
12歳の誕生日、僕は両親からプレゼントとしてゲームを貰い、妹からは僕の似顔絵をプレゼントされた。小学5年生らしい可愛らしいタッチで描かれた絵である。
でも、その頃の僕は妹に対しては良い奴では無かった。よくちょっかいをしたり、からかったりするような奴だった。そんな僕だから妹からの似顔絵を素直に受け取らなかったんだ。
僕は似顔絵を似てないだの、ブサイクだの、下手だの言って貶した。小学5年生の妹が一生懸命頑張って描いた絵を僕は貶してしまったんだ。
そうやって、ベラベラと悪口を叩いた僕は当然ながら罰を受けることになる。
僕の顔面に衝撃が走った。柔らかくも冷たい、液体でも固体でもないようなそんな物体によって僕の顔面は覆われる。
けど、ずっと覆われてた訳じゃない。数秒後にはその物体の大部分は、僕の顔面からずり落ちた。そして落ちた物体は僕が両手で持っていた似顔絵の上に着地すると、そのまま重力に逆らうことなく、妹からの似顔絵を破って落下した。
この時の僕は放心状態だった。けど、それは顔面に、切り分けられたケーキをぶつけられたのが分かったことでも、妹からのプレゼントを台無しにしてしまったことでもない。
ケーキのクリームが顔面についている僕は、目の前に立つ妹を見てしまった。この時、妹は泣いていた。唇を噛み締め、声を溢すことなく、頬を真っ赤にして僕を睨み付けながら、静かに涙を流していた。
そして、そのまま妹は何も言わず、リビングを出て二階へと行ってしまう。
両親は当然ながら僕を責めた。それこそ、こっぴどく叱られた。けど、その時僕は両親からどんな言葉を受けたかあまり覚えていない。
僕は気づいてしまった。妹の悲しむ、涙する姿を見て、抱きつつあった、この思いが何なのか僕は知ってしまった。
そして、知ってしまったからにはこれまで通りにはいかない。
あの日から、誕生日を家族に祝われる事はなくなった。当然プレゼントを貰う事もなくなった。
妹との仲も良好ではなくなった。僕自身の性格も変わった。
そしてあの日から、僕の秘密は始まった。
ーーーーーーー
誕生日当日の夕食。
僕にとって特別な日でも、今の家族にとっては違う。この日も他の日と同じように僕達、家族は一緒に食卓を囲んでいる。僕の隣には妹である添が座り、向かい側には両親が座って、料理を食べていく。
けど、そんな夕食に少しだけ、そう少しだけ、おかしな事があった。
いつもより料理が豪勢だ。だっていつもならフライドチキンなんか買ってこない。それに、両親や添もおかしい。だって、いつもなら夕食の時、学校の事とか、仕事のこと、テレビの事とか話しているのに、今日は無言だ。
何かおかしい。そんな疑問、疑いを抱いて、食事をしていたから、当然食べ終わるのが遅くなる。結果として、僕が一番夕食を食べ終わるのが遅かった。
夕食を食べ終わった僕は、食べ終わった食器を、流し台に持っていく。この時家族は全員同じリビングにいたのだけど、なんだか全員そわそわしていた。添はソファーに座ってスマホをいじりつつ僕をチラ見してくるし、両親は落ち着きがなく、部屋の中を歩き回っている。
何してるんだと思いつつ、流し台に食器を置き終わった僕はテレビでも見ようかと思い、リビング中央へと向かう。そんな僕に母さんが話しかけてきた。
「広、見治君や陽ちゃんはいつ家にやってくるの?」
「今日はやってこないよ。誕生日のやつ学校でやったから」
何気なく言った言葉。けど、僕の言葉で母さんの動きは止まった。そして、母さんは父さんの方を向く。
言葉なく、頷く両者。怪しい事この上ない。一体何を企んでいるのか。
そんな怪しさ満点の母は、リビングを出る。そうして、待つ事数分、箱を両手に抱えて、母さんは戻ってきた。白を基調とした、直方体の箱である。一体何が入っているのか当然ながら、僕は警戒した。
母は、抱えていた箱を、ゆっくりと慎重な動作で食卓のテーブルに置いた。その一連の動作を見る限り、箱の中の物は重くはないが、壊れやすいものであるらしい。
本当に何が入っているのか、恐る恐る僕は箱が置いてあるテーブルへと近く。そんな僕を、目だけを動かし確認する母さん。
そして僕がテーブルに辿り着いたのを確認した後、母さんは箱上部にある取っ手に手をかける。そして、幾ばくかの空白の後、母さんは箱を、開けた。
「誕生日おめでとう!!」
『バンッバンッ』
「うわッ!」
箱へと僕の警戒、視線がいっていた為、後ろにいた二人に注意がいっていなかった。だからこそ驚く。後方から鳴らされた耳をつんざく破裂音に僕の心臓は飛び上がる。傍目から見たら、僕の驚きようは満足のいくものだっただろう。
実際、数少ない僕の人生の中で、驚いたことNo.1に輝くほど、この時びっくりした。それこそ、学校での見治や陽、四条さんのサプライズを受けた時よりも、驚いた。
「驚かさないでよ、本当にそれこそ、比喩じゃなく心臓が止まるかと思ったよ」
半ば笑いつつ、僕は後方へと目をやる。そこには紙テープが既に出終わったクラッカーを持つ父さんと妹がいた。
父さんはサプライズ成功に心底喜んだ顔をしている。そして妹は恥ずかしがっているのか、頬を少し赤らめ、顔を僕から逸らしていた。そんな妹の姿にも、僕の心臓は高鳴る。
「兄さん、そんなにジロジロ……見ないでよ」
「あ、ごめん」
「そうだぞ、それに今のお前が見るのは、妹じゃなくて、そっちだろ」
「えっ、後ろ?」
父さんが、僕の背後を指さす。それに釣られ、僕は後ろ、テーブル上にあるものを見た。
そこにあるは白いクリームと、生える赤色をした苺を乗せた円柱状の物体である。その物体の名を知らない人なんていないだろう。当然僕も知っている。箱の中身はこれだったのだ。
そして久しく見たそれは、僕の動揺を誘うのに十分だった。
「どうして、ケーキが……」
気がつけば、僕は棒立ちのままつぶやいていた。そんな僕の反応が可笑しかったのか、ケーキ近くにいた母さんがクスクスと小さな声で笑う。
「どうしてって、今日は広の誕生日じゃない」
「そうだけど、だって最近ずっとやって来なかったじゃないか」
それこそ、あの誕生日からずっと。
そんな僕の疑問に答えたのは、母さんではなく、後ろにいる父さんだった。
「いや、今年はやるべきだと思ったんだよ」
「どうしてさ?」
「広……こっちを向いてごらん」
優しく語りかけてきた父さん。こんな動揺している時に、そんな優しげな声をかけられると素直に従ってしまう。
僕は、後ろにいる父さんの方を振り向いた。けど、僕の視線は父さんには行かない。
僕の視線は、父さんではなく、その隣にいる妹へと止まった。
妹が、梱包された小包を両手で差し出すように持っていたから。
「添がお前に誕生日プレゼントを送りたいというからさ、そのついで、といったらなんだがお前の誕生日を祝おうという話になったんだ」
「それに今日は、見治君や陽ちゃんが来ないから、久しぶりにゆっくりお誕生日を祝うことが出来てよかったわ。この日の為に、こっそり準備したんだから」
両親が口々に喋っていく。けど頑張ってくれた両親には悪いけど、今の僕は妹しか目に入らなかった。
小包を持った添は僕に近づいてきた。たった数歩、わずかな時間。けど僕にとってはとても長く感じる。添が僕に近くたびに、心臓の鼓動が早くなる。
添が僕の前に来た時、心臓の音が周りに聞こえているのではないかと思うほど、僕の心臓はより激しく動いていた。
「これを……僕に?」
「見たら分かるでしょ?誕生日プレゼント」
ぐいと妹は僕の胸に押し付けるようにして、小包を手渡す。それを僕は壊れ物を扱うかのように、優しく受け取った。
「いやぁヤオンに出かけた時、ちょうど見つけてね。いいなぁて思ったんだ」
「でさ、その時思い出したんだよね、そういえば兄さんの誕生日もうすぐだなぁて」
「たまには、ほら、恩をうっておくのも悪くないかなって思って」
「けど、買いたいものが高かったから、ほとんどお父さんやお母さんにもお金、出して貰っちゃった」
「だから、気にしないで、私はあまりお金を出してないから」
添は僕に小包を手渡すと同時に早口に、まくし立てる。まるであらかじめ暗記したことを、ただ口にしているように。
けど、お金に関することを言ったところで、添は口をつぐむ。そして、妹は僕から顔を逸らした。
「気に入らなかったら……その、ゴメン」
小さく、自信なさそうに添はつぶやく。頰や耳を赤くして。
僕は自分の顔が赤くなるのを感じた。
それを押し隠すように、僕は下を向く。そして目に入るは両手で抱えるように持っている小包。添からのプレゼント。
黙ったまま、僕は小包の梱包を剥がしにかかった。梱包されていた紙を破ることないよう丁寧に解いていく。
梱包の中から現れたのは、真っ白の何の模様もない、ケースだった。それは、まるで昔の僕を思わせる。
そんなケースの上部をゆっくりと掴み、僕は蓋を開けた。
中身は時計だった。文字盤がいくつもある複雑そうな時計。それは陽の父親のプレゼントを買った店にあったものと同じだった。僕が貰うならあれがいいな、と密かに思ったものでもある。
視線を下げ、時計を見たまま固まる僕。そんな僕に、添が声をかけてくれた。
「安くかったんだ、それ」
嘘だ。安いはずがない。
「兄さんが気に入るか分からないけど……て、どうしたの兄さん!?」
添の上ずった声に、僕は顔を上げる。
そして見慣れていた筈の妹の顔が歪んでいることに僕は気づいた。同時に自身の頬に冷たい筋が走っていることにも。
あぁ、そうか。僕は泣いているんだ。
他人事みたいにそう思う。
妹がプレゼントを渡してくれたことを実感したから。小学6年の頃から渡してくれなくなった、プレゼントを、5年ぶりに。
諦められるはずがない。どうしてこの思いを無視できる。どうしてこの思いを無かったことに出来る。
インモラルなのは分かっている。傷つく人が出てしまうことも分かっている。報われないのも分かっている。
けど、それでも、僕は思わずにはいられない。どうしようもないくらい、妹が好きなんだと。
ーーーーーーー
朝の学校、ホームルームまでのこの時間帯は、各々の生徒が自由に行動している時間でもある。
廊下で別クラスの生徒との会話に勤しむものもいれば、教室内で話すもの。自身の机に座り今日提出するであろう宿題をやるもの。はたまた中庭でサッカーしているものまで、実に多彩な過ごし方がある。
そんな中、僕は自身の机に座っていた。けど、僕は他の生徒のように、お喋りに興じたり、宿題をやったりしていない。ただ何もせず、僕は笑みを浮かべながら頬杖をついて明後日の方向を向いていた。
そんなクラスメイトから可笑しく見られていたであろう僕に、教室で声をかけて来たのは彼が初めてであった。
「どうしたんだ広。そんなに笑って」
僕の前の席である高城見治が、来て早々尋ねてきた。この時の見治の声音から、彼がからかうような気持ちで尋ねたのではなく、ただ純粋に気になって尋ねたのだということが分かる。
だからという訳でもないけど、見治の言葉に、僕は更に頬を緩ませる。
「いやぁ、昨日いいことがあってさ」
「昨日って、俺たちが開いた誕生日パーティーか?」
「それもあるけど、それ以外にも、ね」
僕の言葉に、見治は首を傾げる。
そんな彼に反して僕はしばらく笑みを止めることが出来なかった。
教室内で微笑む僕。そんな僕の左手には、昨日まで無かった新品の腕時計が、静かに時を刻むのだった。
次の話は、何故川瀬添が、兄にプレゼントを渡したのか。その裏話となります。