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1話 中途半端な僕(視点:川瀬広)

 前作と同じく完結まで頑張っていきたいと思います。宜しくお願いします。

 カッカッカッ。

 チョークの音が教室内に鳴りびひく。音はそれだけ。皆黙っている。

 けど、だからと言って皆が授業に集中している訳ではない。ノートを開き黒板を写している真面目な人もいれば、教科書の影でスマホを弄る不真面目な人もいる。それぞれが思い思いの事をしている。


 そんな中、僕はと言えば黒板を写す訳でも、スマホを弄っている訳でもない。僕はぼうっとしていた。そう、ぼうっとだ。

 真面目でも不真面目でもない、その中間。その間思っていることと言えば、最近暖かくなったなとか、今みたいに授業を受けている皆を観察とか、それくらい。席が中央の列の一番後ろ、というだけありクラスのほとんどの人を見渡せる。これは()()()()


 流石に両端にいる人達は見ようと頭を動かさない限り見えない。と言っても窓側の一番後ろにいる子は、何をしているのか見なくとも分かる。彼女はいつもそうだ。あの長い腰にまで届きそうな髪を持ちながら、黒板に向き合いノートにペンを走らせているに違いない。あの姿はとても様になる。そうとっても。

 

 また、僕の前にいる子も、見なくとも僕には分かる。と言っても今の席順じゃどうしても目に入ってしまうから、この話は可笑しいんだけれども。けど、この席順が変わって、彼が僕の目線から消えたとしても僕には分かるんだ。彼はきっと教科書やノートを見直しているに違いない。そうして、疑問に思うことがあれば質問するんだ。彼は皆の代表なのだから。


 そんな、道筋外れた物思いをしていた僕だけど、元の道に戻る時がやって来た。


「さて、ここで語り手となっていった私が言ってしまった訳です。『精神的に、向上心のないものは、馬鹿だ』」


 大きくその言葉を言いながら、僕らの担任でもある先生は片手で教科書を持ちながら、黒板に書いていく。他よりも大きな字で。

 そして、書き終わると僕ら生徒の方へと振り向いた。


「この言葉が切っ掛けとなり、この話、こころは大きな動きを見せていくこととなります。では続きを……佐藤さん、ここから終わりの段落まで読んでみてください」

「えぇぇ、教助(きょうすけ)先生それはないって。朗読なら、ほら高城がいるじゃないですか」

「佐藤、諦めろって。それに俺が読んだらお前の挽回のチャンスを潰しちまうだろ」

「高城さんの言うとおり。先生が気づいていないと思っているのですか」


 そう言うと黒板前にいた先生は、ゆっくりと歩きだし、佐藤と読んだ生徒の机前に立つ。そして、片手で持っていた教科書で、佐藤の机上にある同じ教科書を押し退かした。


「うーん、画面はついてない……。まぁ一応セーフ、ということにしておきましょう。ですが、先生が後ろを向いているからと言って油断することがないように。分かりますからね、それくらい」

「はい……先生」


 クスクスと、教室内の生徒が、微かな笑い声を上げる。それが今この場での教室の普通。真顔の生徒がいたら目立つに違いない。

 けど、そのなかで僕は笑い声を上げられなかった。僕の目線は先生や佐藤じゃなく、黒板に向けられていた。黒板に書かれた、『精神的に、向上心のないものは、馬鹿だ』という言葉がどうしても僕の頭の中から離れなかった。


ーーーーーーー


 時刻は放課後。皆がみなそれぞれの行く先の為の準備をしている。部活に行くもの、委員会に行くもの、帰るもの。僕はと言えば三番目である。鞄に荷物を詰める。無論、置いていける物は置いていく。

 だからこそ、そんなに時間はかからず準備が出来た。

あまり重さが変わっていない薄っぺらい鞄を手に持つと、僕の机そばにいる人物に、声をかける。


「見治、いいよ。帰ろうか」

「そうだな。帰るか」


 彼もまた、同意する。

 こうして僕らは賑やかな教室を出た。


 彼の名前は、高城見治(たかぎけんじ)。先ほど佐藤に朗読を振られ断った男兼僕の前の席兼僕の幼馴染みである。

 彼はクラスの人気者だ。頭が良くて、勉強ができて、運動もできて、ユーモアがあって、優しくて、イケメンで、高身長で。天はどれ程彼に与えたのかというほどの高スペック人間である。

 一方の僕はと言えば、自分で言うのも何だが普通だ。そう、普通。学力普通、運動普通、性格普通、ユーモア特になし、顔普通、身長普通。普通の中の普通、それが僕。そんな正反対の僕らだけど、親友と呼べる程に仲が良い。幼馴染みの結束は固いのだ。

 今日だって、下校を共にしている。と言っても毎日じゃない。僕は帰宅部だが、見治はそんな僕とは違い部活、それも運動部であるサッカー部に所属している。サッカー部の休みは基本月曜日のみ。だからこそ、こうして一緒に帰れるのは月曜日だけだ。

 それ以外の曜日は、僕は一人で帰っている。別に寂しくはない、ほんとだよ。


 けど、一緒に帰ると言っても、最後までとは行かない。僕と見治の家はだいぶ離れているからだ。僕の家から高校まで歩いて10分。かたや見治の家から高校までは自転車で30分もかかる。

 方角的には僕の家と見治の家は同じ方角だ。だから僕の家まで、見治は自転車を押し歩いて共に帰るというのが、月曜日の下校での僕らの日常であった。


 この日も僕らは共に並びながら他愛もない話をしていた。僕の家がある住宅地に入った頃、僕らの話は担任である教助先生がおこった現国の話となった。


(ひろ)、お前現国の時間起きてたか?」

「起きてたよ。どうせ、佐藤の話だろ?」

「そうそう、佐藤。久しぶりに見たよ。バレるところ。それにしても教助先生も見逃すなんて優しいよな。まぁそう言う所が生徒に好かれている所以なんだろうけどさ」

「優しさと甘さは違うよ」

「お、厳しい意見」

「そう思っただけだよ」


 僕としては何気ない会話を()()()つもりだった。けど、その事が見治に伝わったのだろうか。

 見治は唐突に隣で歩いている僕の顔を覗きこんできた。


「広、何かあったか?」

「な、何かって?」


 言葉が詰まる。自分で言うのも何だが、なおのこと怪しい。


「いやさ、何か元気ないなぁて。いつもなら思いだし笑いするのにな」


 あっさりと言い放つ見治。

 鋭い。確かにいつもの僕なら、あの時佐藤がスマホを先生に見つかる場面にて、他のクラスメイトと同じように笑っていただろう。それに、今蒸し返されたこの場にて、思いだし笑いをしていたに違いない。

 けど、今の僕にはそれが出来ない。何故ならあの時笑っていないから。あの時、黒板に書かれた言葉に頭を捉えられていたから。けど、それを言うことは出来ない。いくら幼馴染みの見治でも。

 だから、僕は別の事を口にする。別の悩みを口にする。

 

「何もないよ。ただ強いて言うならこんな中途半端な自分が嫌になっただけだよ」

「中途半端な自分?」

「そう、中途半端さ何もかも」


 僕は、足を緩め、言葉に集中する。見治の問いかけの答えではないが、これもまた今の僕の本音であるからだ。


「変わらない自分が嫌だ。部活に入らない自分が嫌だ。勉強が普通な自分が嫌だ。運動神経が普通な自分が嫌だ。何も決断出来ない中途半端な自分が嫌だ」


 そこで僕は一呼吸おく。饒舌になっていると分かっていながら、続けずにはいられない。


「それに、この学校も嫌いだ。進学と就職、どっちも出来るとうたってる中途半端な学校。この街だってそうだ。田舎でも、かといって都会でもない中途半端な街。何もかも嫌いだ」


 明らかに後半は要らなかったが、口に出てしまったのだから仕方がない。そんな熱が入った僕の言葉に、隣で同じ歩調で歩いていた見治が笑った。


「そんなに嫌なのか、中途半端が」

「嫌いだよ。何者にもなれていないから」


 そう、僕は何者にもなれていない、あの時からずっと。

 何者にもなれていない、その言葉を僕が放った時、見治は笑みを収めていた。


「何者にもなれていないか……いいんじゃないかそれで」

「良い?何がいいんだよ」


 語尾が少し強くなってしまう。けど、ありがたいことに、見治はそれで気分を害したりなどはしなかった。


「何者にもなれていないということは何者でもあるということじゃないか。広はこの街は田舎でも都会でもないって言ったけど、逆に田舎でも都会とも言える。学校だって進学と就職、選べる道が多いと言える。中途半端が何もかも悪じゃない。寧ろ俺は好きだよ。そう言う中途半端さが」


 陽が傾きかけ、明るさを失いつつある空を見上げながら、見治は己の考えを述べていく。なまじ、僕の身長が見治の肩辺りしかない分、僕からは空を見上げる見治の表情が良く見えない。けど、見治の声を聞く限り、この考えが彼の本心であるように見えた。だからこそ、僕は、そんな見治に嫌みを言いたい気分となる。


「中途半端が好き?そう言えるのは、お前が今の高校生活を満喫してるからだよ、スポーツ、勉強万能の見治君」


 嫌味ったらしい言い方になってしまう。けど、別にこれぐらいは言ったって良いだろう。実際、見治は中途半端を飲み込める程のスペックを持っているのだから。

 しかしながら、そんな僕の言葉に見治は言葉を返さなかった。


「……あれ、見治。もしかして怒った?」


 少しの戸惑いと共に、僕は黙っている見治に言葉を投げ掛ける。そんな僕の言葉を受けた見治はようやく空から視線を外す。その時の見治の表情は僅かに微笑んだものとなっていた。


「いや、怒ってないよ。そうだな、満喫していると言えばしているよ、俺は」

「満喫していると言える?それってどういう」

「あぁ、もう、ここまで来たのか」


 見治の言葉に僕は前を向く。住宅地を歩いていた僕らの前には、右と前二つの道があった。前の道にいけば見治の家の方向に。そして右手の道に行けば、僕の家がある。つまりはここでお別れというわけだ。


 僕には、分からなかった。満喫してるじゃなく、()()()()()()()()()()。何故見治がそう言うのか。

 聞く機会はあった。けど、立ち止まってまで聞くようなガッツさが僕にはなかった。


 見治はここまで引っ張ってきた自身の自転車に股がる。じゃあなと言う掛け声と共に。そしてそれに僕も答える、また明日と。

 こうして、僕らは互いの道に別れた。しかしその直後見治が自転車を止め、既に歩きだしている僕に話しかけてきた。


「やっぱりさ、俺は今の生活が好きだよ。この中途半端な日常がさ」


 ブレーキ音で振り向くとそこには、僕の知っている見治がいた。短く整えられた茶髪の彼の爽やかな笑顔に、明るい声。

 そして、そんな彼に、僕は薄笑いという中途半端な対応で返すのだった。


ーーーーーーー


 明日の放課後、僕は家の帰り道ではなく、図書室にいた。部活や塾に入っていない僕にとっては唯一と言っていい課外活動が、委員会である。


 僕らの高校、真中(まなか)高校は部活動入部が強制ではない高校である。その為、僕のように帰宅部となる人達はそこそこいる。大勢ではない、そこそこだ。皆、貴重な高校生活を棒に振りたくはないらしい。

 けど、そんな帰宅部でも参加しなくてはならないのが、委員会活動だ。部活とは違い、委員会は強制参加である。流石に学校の機能をまかなう委員会活動を自主参加方式にしては機能不全になるからだ。

 そんな訳で二年生になったばかりの頃、帰宅部の僕は入る委員会を選ばなくてはならなかった。そんな僕が幾つかあるなかで、選んだのは図書委員会である。


 図書委員の主な仕事は図書室の係である。本の貸し借りの手続きや、本の相談などを行う。無論、その仕事を一人でやるのではない。同じクラスの図書委員と一緒に二人でやるのだ。

 ここで、全く接点のない、クラスメイトと一緒にやるとなったら暇か、それとも気まずさで居たたまれない気分になるのかもしれない。けど、僕はそれらとは無縁であった。いや、中途半端、普通と言った僕がこの点に関しては幸運、特別と言ってよかった。

 何せ、見治と同じく僕の幼馴染みである愛梨陽(あいりよう)が、同じクラスの図書委員だからだ。


 愛梨陽は典型的な文学少女である。

 基本無口で、近寄りがたい雰囲気のある彼女であるが、実際のところ物腰柔らかく誰にでも優しさを振る舞える性格である。また体が弱く、体育は苦手であるが、その代わり勉強ができ、休み時間など四六時中本を読んでいる。そして彼女は学年を越えた学校中で美人だとして有名であった。黒髪ロングの髪を靡かせ、窓辺で物静かに本を読む彼女は文学少女という概念の具現化させたような存在であり、男子から多大なる人気を誇っている。

 そんな彼女が図書委員に立候補するのは至極当然で、そして余った一枠を皆が入りたがらないのも、当然であった。女子は自分が彼女と比べられるのを嫌い、そして男子も高嶺の花として崇めている彼女に遠慮して一緒の所には入りたがらない。だからこそ、僕はその枠に入れた。


 しかし、残念なことにそもそも僕に図書委員を選ぶという自主性はない。図書委員に入ったきっかけはただ単に一年生の時やった委員会と同じだから。

 委員会選択においても僕は中途半端だった。

 

 放課後の学校、図書室の係として、カウンター奥に座っている中途半端な僕。そして隣には幼馴染みの陽がいる。

 この時図書室には僕達以外誰もおらず、カウンターからは本棚が丸見えであった。しかしこのように人が誰もいないことは別に珍しくはない。僕達の高校で図書室を利用する人は少ないのだ。

 このような時、決まって僕はぼうっとし、そして隣にいる陽は持ち前の長い黒髪を垂らし、文庫本を読んでいるのが常であり、今回もそうであった。


 この時、僕の思考は昨日の幼馴染みである見治との一件もあってか、同じく幼馴染みである陽へと向けられていた。

 しかし、こうして改まって見ると、クラスの皆が言うことも分かる。ストレートに流れる黒髪に、対称的な白い肌。おもゆかしい瞳に、薄い唇。そして、本を捲る細くて、綺麗な指。

 文学少女という言葉が僕の頭を過る。それほどまでに本を詠む陽の姿は様になっていていた。

 だが、僕は自分で思っていたよりも長く、彼女のことを見つめていたらしい。陽は、本を閉じることなく、ゆったりとした動作で隣に座っていた、僕の方を見てきた。


「どうしたの、広?私、何か可笑しな所ある?」


 首を傾ける彼女に連なり長い黒髪が揺れ動く。そんな部分に視線が僅かながらに、惹き付けられた僕は、言い訳を思い付いた。


「いや、昔は髪が短かったのに、今はもう随分と長くなったと思って」

「髪?……確かに、昔は短かったね。今はもう、腰に届くんじゃないかと思えるくらいに長くなっちゃったけど」


 そう言うと、彼女は本を閉じ、カウンターに置く。そして両の手で彼女は長い黒髪の一部を体の前へと引っ張ると、弄ぶように細長い指で髪をすき始めた。

 そんな陽の仕草を見ていると、昔の彼女は髪が短かったと言うことを再認識させられる。


「ねぇ、どうして髪をそこまで伸ばしたんだ、邪魔じゃないの?」

「邪魔だけど、一回やって見たかったの。髪を伸ばすことを」

「じゃあ、ある程度満足したら切る?」


 何気なく聞いたつもりであった。しかし、その僕の問いに彼女は、いつもの薄氷のごとき表情から一変、からかうような表情へと変化させる。


「そういう広は、長い方と短い方どっちが好み?」


 小悪魔めいた彼女。文学少女としての陽しか知らないクラスの皆が見たらきっと驚くであろう表情を、この時の彼女はしていた。


「……長い方」


 少し考え、出した結論。そんな僕の返事に、小さな声で、良かったと呟く彼女の声が僕の耳を通る。

 そんな時、視線を外した先にある窓から歓声が響いた。その為僕らの話題は、彼女の髪の話から一旦離れることとなる。


「大きな歓声、何かあったのかな?」


 独り言に似た呟きと共に、僕はカウンターから立ち上がり離れると、窓際に近づく。

 図書室のある一棟校舎はグラウンドに面した校舎である。また図書室が三階にあることから、グラウンド全体が見渡せる。

 覗いたグラウンドでは、サッカー部と陸上部が練習を行っていた。そしてどうやら歓声が上がったのはサッカー部の方であるらしい。一人の男子が両手をあげて喜んでおり、それを囲むように、他の部員達が集まってきている。物静かな図書室とは真逆の光景だ。

 そんなおり、カウンターにいたはずの陽も、気がつけば隣に立ち、僕と同じように窓からグラウンドを覗いていた。


「凄い喜びようだね。こことは大違い」

「そうだね、運動部らしいっちゃらしい光景」


 素直な感想を述べたつもりであった。裏表もない、ただの言葉。しかし、陽はそうは思わなかったらしかった。


「……入らないの、部活に」


 小さく、しかし先程の照れ隠しとは違い、自信なさげな声。だからこそより僕の心に刺さる。


「どうして、そんな事聞く?」


 僅かながらに、高くなった声をしている事に自分に僕自身気づく。けど、気づいた時にはもう遅い。

 僕達は互いの方を向かず、グラウンドを見つめながら話していく。


「どうしてって昔は広、運動が大好きだったじゃない。クラブにも入ってたし、体育の授業はいつも一位だった」

「昔の話だよ。今はもう、あの時のように運動は好きじゃない。今の僕が、好きなのはだらだらと過ごすことだよ」

「けど、その割りには何か未練がありそうだけど……」

「ないよ、それはない」


 自分に言い聞かす。望んでいないと。そうでないと僕自身耐えられそうにない。

 もう僕はあの頃の僕じゃない。何でも出来て何でも決断出来たあの頃の僕は消えた。居なくなったのだ。

 そして、そんな僕の言葉に、窓ガラスに反射して見える陽の表情が曇っているのを、僕自身気づいていた。しかし、そんな彼女を僕は見てみぬ振りをする。そしてそんな自分自身に嫌気がさした。

 そんなおり、陽が何かに気づいたのか、グランドの方へ指をさす。


「ん、もしかしてさ皆に囲まれてる人って見治じゃない?」


 先ほどの思いから気分を一新し、僕は陽の指さす方を見る。確かに良く見てみると、部員達に囲まれている人物は見治であった。

 そんな彼に何やってんだかと、図書室にいる僕は能天気に思う。

 しかしその時、彼の近くに一人の女子がいることに僕は気づいた。いや、気づいたというよりも気がつけば僕は彼女に吸い込まれていた。だって彼女は。


(てん)……」


 気づけば、僕は妹の名を口にしていた。そしてその言葉を隣にいた陽が聞き逃す筈がない。

 

「えっ、添ちゃん?……あぁっ!確かに添ちゃんだ。学校で初めて見たかも。カメラを持って写真を取っているってことは写真部に入ったのかな。広、どうなの?」


 陽は僕に視線を向けてくる。しかし、僕はその事に気づかなかった。僕の視線は添に集中していて、そして、その瞬間を逃さなかった。

 添は喜びのポーズをしている見治の写真を取り終えると、素早くグラウンドから走り去っていき、そして一人の先生とおぼしき男性と話込んでいた。

 その先生はちょうど、校舎に背を向けており、顔を見ることは出来ない。しかし、逆に、先生に話しかける妹の表情は校舎にいる僕からは良く見る事が出来た。


 妹の表情は、晴れやかであった。それこそ今の僕には向けられることがない明るげで、純粋で、嬉しがる表情。それを見た瞬間、僕はここが図書室だと言うことを忘れ、妹の姿しか、目に入らなかった。

 

 そして、そんな僕を見つめる陽の表情も、目に入らなかった。

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