答えのない問いと、憂いのない後悔
イレーヌ(ママン)視点です
……はぁ
思わず溜め息が漏れる。
「これで良かったのかなハロルド…」
ハロルド、それはかつて私の夫だった人の名前、自身の全てを捧げ愛した人。
でも、彼は戦で死んでしまった、だから問に答えはでない。
でも今の私は確かに幸せを感じていた、ライデンハルトさんは私に親切にしてくれるし、カトレアの産んだ子は、親に似て目鼻立ちの整った顔で将来が楽しみだ。
カトレアは子を産む前に、私をこの子の名付け親にと言ってくれた、だから男の子なら古の英雄から名前を貰らい、エイドリヒ、女の子ならそのお話のお姫様の名前をもらおうかと考えていた。
そんなこんなで今は幸せだが、彼が産まれる少し前、私は絶望の淵にいた。
最愛の夫を戦争で亡くし、間に身籠った子供は流産。
妊娠を機に職をやめていた私には、生きる希望も、糧もなかった。
そんな全てを失った私は、自殺することにした、愛したものが失われたこの世界にもう用はない。
それでも私は、もう一度だけ会いたい人がいた、それがカトレアだった。
彼女は以前私がメイドとして働いていた家の娘であり、幼馴染みだった。
産まれてからハロルドと同棲するまでの17年仕えていたのだから、私にとって彼女は気の知れた妹も同然だった、だからせめて彼女には別れの言葉を言っておこうと思った。
それでも少し戸惑いはあった、私がメイドを辞めると言ったとき、彼女は私の腰にすがり付いて、行かないでくれと懇願した、でもその時の私はそんな彼女とろくに話し合おうとせずに屋敷を飛び出していた。
私は恋に夢中だった、彼との同居が楽しみでたまらなかった。それにあの頃の彼女はとても依存的で、すこし鬱陶しいような気がしていた、だからほんの些細なことで、すれ違うようになった。そんな時の誘いだった。
だから彼女は私の事を恨んでいるだろうと思った。
彼が死んでしまってからは、カトレアの事を思い出す時間が増えた。死んでしまった夫よりも、幼馴染が気がかりなんて自分でも変な話だと思う。それでも後悔の感情は、悲しみを染めていった。彼との別れには決心がついていたのかもしれない、彼が殉職することは目に見えていた。それでも止めなかったのは彼がそう望んでいたから。いや、単に止められなかっただけかもしれない。でもそんなことを考えていても、常にカトレアが気がかりだった。
そんな時、子供が流れた。
そして生きることを辞めようと思った。だからこそイレーヌに会う決心がついた。会って、謝って感謝を伝えて。そして気兼ねなく死のう。私はすべてを失った。そして、私を失う時が来た。
幸せすぎる人生だった。
それでも門の前では緊張した、自分にまだ未練があることがどこかおかしくて、頬が緩んだ。
一人門前でにやけていると、どこからともなくメイドが現れ戸を開けた。見覚えのない顔のエルフだった。挨拶に来たとだけ伝えると、メイドは屋敷に戻り、玄関へ案内された。
久々の体面に彼女は驚いた様子だった。私も心底驚いていた、互いに妊娠していたとは思ってもいなかった。彼女の招き入れようとする手を軽く咎める、家に入る気はなかった。それでも彼女の膨らんだお腹を見て、口を開く前に泣き崩れてしまった。彼女は訳を聞かなかった。どこかで聞いて知っていたのかもしれないし、或いはそうでなかったのかもしれないが、とにかく彼女はそっと私を抱きしめてくれた。
お腹から鼓動を感じた。
遣らずの雨が私の死を拒んでいるようだった。
私はしばらくまたメイドとして働かせてもらえることになった。
そんなある日だった、カトレアが突然産気づいた。他のメイドが医者を呼びにいこうとしたが、雨は雪に変わり、外れに佇むこの屋敷に医者が来れるのは、早くとも明け方になりそうだった。
それでも屋敷に仕える者には助産の心得があったため、出産は円滑に進められた。
しかし、子を産んだ当人の容態は思わしく無かった、出産後直ぐにカトレアは意識を失った。
それから1時間たっても意識が戻ることは無かった。
この頃になると赤ちゃんに母乳を飲ませなくてはなら無かった。
されどそこにさしたる問題はかった。
私は母乳を余らせていたことで、乳母に名乗り出ることが出来た。
ライデンハルトは少し逡巡を見せたが、直ぐに私の提案を受け入れた。
問題はカトレアが昏睡している事だった、自力で栄養が補給できない彼女は恐らくこのまま衰弱してしまう。翌日来た医者も、子は問題ないが、母の状態は良くないだろうと言った。
屋敷に置くのは危険との判断から、聖魔術の使い手が数多といるロマリア教国へカトレアを連れていくことを勧められた。
医者曰く、この国の聖魔術では、カトレアを死なせないのが精一杯だが、ロマリアに行けば腕の立つ魔術師がいるだろうから、回復も見込める、とのことだった。
それからは早かった、ライデンハルトは雇い主である、モルドレッド皇帝のもとに駆け、他のメイドたちは旅の支度をした。
その夜中に準備を整えた彼らは、皇帝の私兵7人とカトレア、それにメイドを一人連れ、ロマリアへ旅立った。
そして残されたメイド2人と私、それにエイドリヒを加えた四人での生活が始まった。
しかしそんな生活は1日と続かなかった、二人のメイドは主人の不在を悟られないようにすべく、今までライデンハルトがこなしていた業務を肩代わりしなくてはならなかった、だから基本的には外出していて、帰ってくるのは大抵深夜だった。
皇帝の近衛騎士団副隊長とその部下7人の不在が知れ渡るのは、国営的に芳しくなかった為、その事は伏せるようにとの言伝てを受けていたのだ。いまだ隣国との戦火は収まる気配がない。
だから私とエイドリヒで留守番をする日がほとんどだった。
彼との生活は楽しかった、子育て経験の無かった私には驚きの連続だったから。
私の事をじーっと見つめてきたり、笑ったり、寝たり、泣いたり。
二人で色んな事をして遊んだりもした。
特に私の事をママと言ったときは凄く嬉しかった。
本当の母になれた気がして。
しばらくしてライデンハルトさんが帰ってくると、屋敷の住人は落ち着きを取り戻し、カトレアのいない少し寂しくも穏やかな日々が訪れた。
そんな生活を2年ほど続けたある日、ロマリアから一通の手紙が届いた。
便箋にはこうあった。
[ライデンハルト侯爵へ
至急ロマリアへ参られよ、カトレア様の容態に変化あり。意識を取り戻し、後遺症はない模様、加えて健康状態は良好である。
ナタリ・フレファドーラ]
ナタリは、カトレアと共にロマリアへ行った、メイドのことだ。
その夜、ライデンハルトが帰ってきてその手紙を読むと、彼はまたしても皇帝のもとへ駆け許しを得て、その夜中に護衛と共にロマリアへ向かった。
カトレアが帰って来ると聞いて嬉しい反面少し恐れていることがあった、エイドリヒは恐らく私を母だと思っている、だからカトレアが帰ってきても親と認識し慣れるまで、きっと時間がかかるだろうと思った。
だから私は彼と少し、ほんの少しだけ距離を置いてみることにした、最近は他のメイドも家にいるから危険は少ないだろうし、何より最近の彼はとても大人しいから問題は無いと思う。
「あぁ、早く帰ってこないかな」