勇気
西の国と東の国の関係が、子どもの時に比べて少しずつ少しずつ緊張と対立を深めていたことは、ひしひしと感じていた。
コップに一滴一滴ずつたまった水が表面張力の限界をこえて零れ落ちるように、「まだまだため込むことができる」とどんどん膨らんでいた風船があるとき爆発するようにして、戦争は勃発する。
ある知識人がこういった。
「この国は・・・いや、世界はもう終わるだろう。
戦争が起こったとはいえ・・・国中の人びとの生活は何ら変わることはない。そのように見えますし、この世界の歴史が大きく変わっているときでさえ、ごらんなさい、人びとは自分の生活のことしか考えていない。
そして、そのことは都合のいいことなのだ。この国の指導者たちは、ずっとずっと隠し続けている。世界に死が訪れることを。
もし、市民にそれが知れ渡ったら人びとはパニックになる。だから、ひたすらウソの情報を流し続けて、
みんな笑っている。自分のところに迫っている危険にも気が付かないで。
だけど、
私のようなものがいくら市民の目を覚まそうとしても、誰も話なんか聞いてくれない。
ノアの方舟の話を知っているかな?
古代、神はあまりの人間の堕落と不従順さに、人間を救いようのないものと絶望し、大洪水を起こして全人類を滅ぼそうとした。しかし、ノアという男だけが善人であったので、神はノアに巨大な舟を作らせることを命じた。人びとはノアのことを大笑いしていたが、いざ大雨が降ると彼らは皆死にたえ、ノアとその家族と動物たちは舟の中で洪水を乗り切り生き延びたという話だ。
お前さんは珍しく私の話をよく聞いてくれる。さしずめ、この巨大な馬車はノアの方舟といったところかな・・・。」
「ひょっとしたら、あなたが世界を救うとされる預言者ですか?それとも勇者ですか?」
「さあね。ただ、もう、何をしても無駄なのだ。この世界は。」
ユウナはこう言った。
「あの人の言うことはね、うん、確かに本当かもしれない。
もっともっと、言えば、本当は何があろうと、この世界は大丈夫なの。」
「えっ?」
「人はみんな怖がっている。恐れているのよ。お互いに。
本当は大丈夫なこの世界で、疑い恐れ互いの間に壁を作っている。
お互いに大切なものを守りあうために、正しさという名のあやまちを犯し続け、この世界を自らこわしていく・・・。
それこそを魔王の誘惑だよ。」
「そんなことは起こると決まっている。だけど、そんなときこそ、目をあげて。胸を張って。
人を愛する勇気を持って。」
だいじょうぶ
だいじょうぶ
だいじょうぶ・・・
その言葉を信じるには、何の根拠も理由もみつからなかった。
現実は何一つ変わっていなかった。
だけど、ハンスはそれを信じることができた。
そして、その言葉を信じ受け入れた瞬間から、ふっとそれまでため込んできたすべての重いものがどこかにいってしまった。
「人と人とがそうやって争いを起こしたり憎しみ合ったりするのはなんでだと思う?」
「なぜだろう・・・。」
「自分自身が好きになれないこと。そして、恐れていること。結局そこなの。
人間の心の奥底は、宇宙にある力と繋がっている。
もし、私たちが心を一つにしてねがいさえすれば、この争いは止めることができるし、人はみな互いを尊重し尊敬しあうことができるようになるの。」
「君も、僕と同じことを考えているみたいだね。」
この話は、聞いたことがある。
・・・そうだ、馬車の中で賢者王アウレリウスが言っていたことではないか。
ユウナ・・・君はなぜその「秘密」を知っているのだ。




